2024年1月29日月曜日

災害対応のお粗末さに想うこと

 

能登の地震から一ヶ月近くが過ぎました。真冬の季節の中、未だに一万人以上の人たちが体育館などの避難所で過ごしているようです。生活していた土地を離れて金沢などに二次避難する人が増えているようですが、土地や近隣の人たちから離れることを拒否する人も多いようです。高齢者ばかりの小さな集落が多いという特徴が、今後の復興にも大きな影響を持つかもしれません。誰もいなくなった集落が廃墟になっていく。それが現実にならないよう願うばかりです。

能登半島には一昨年の10月に出かけました。主に海岸沿いの道を先端の狼煙灯台まで行きましたが、黒い屋根瓦の家が点在する風景が印象的でした、ところが地震によって倒壊した家のほとんどがまた黒瓦の家だったようです。いかにも重そうな感じがしましたし、地震に備えた補強もしていなかった家がほとんどだったようです。能登の地震はすでに何年も前から群発していて、大きな地震も数回ありました。その時に倒壊した家もあったわけですから、なぜ、その後に対応しなかったのかと、行政の怠慢を非難したくなりました。実際大きな地震が起きる危険性があることは、以前から指摘されていたことなのです。

新幹線が金沢まで延伸されて、金沢をはじめ能登も観光客で賑わっていました。風光明媚で温泉もあり、食材も豊かな土地ですから、観光客の増加を目指す気持ちはわかります。しかし今回の被害の大きさやその特徴を見ると、しっかり対応しておけば、もっと小さなものにできたのではと思いました。経済重視の政治の無策がまた露呈したわけですが、復興に全力投入するために万博は中止という声は、少なくとも政治家からは聞こえてきません。停止中だったために大きな被害をかろうじて免れた原発についても、相変わらず見直す動きは起こらないようです。自分の懐を肥やす以外に能のない政治家をのさばらしておいた結果というほかはないでしょう。

東日本大震災以来、熊本や能登と大きな地震に見舞われてきました。これからも大きな地震の危険があると言われている地域はいくつもあります。それに対して対策をという声は聞こえてきますが、今回の対応を見ていると、何度被災しても何も変わらないことが多すぎるという印象を持ちました。一番は被災者が体育館で雑魚寝をしているという相変わらずの風景でした。体育館などに敷き詰めるように作られた段ボール製の仮設小屋やベッドなどがあるようですが、なぜ備えておかないのでしょうか。各自治体が全国的に備えておけば、被災地にすぐに提供できるはずですから、避難所の風景はずい分違ったものになるはずです。

大きな地震には停電と断水がつきものです。暖房ができない、トイレが使えない、そしてもちろん風呂にも入れない。そうならないために何を用意しておいたらいいのか。地震大国の日本ですから、このような備えについてのノウハウがもうとっくに出来上がっていていいはずです。必要なものを全国的な規模で分散的に備蓄しておいて、災害が起きたらそれをどういう手段で被災地に運ぶかを考えておく。そんな備えがなぜできないのでしょうか。用もない兵器を爆買いしたり、隣国を敵視して有事を煽る前に、やらなければいけないことが山積みのはずなのです。


2024年1月22日月曜日

中村文則『列』(講談社)

 
中村文則については、毎日新聞に月一で連載している「書斎のつぶやき」という名のコラムで知っていた。時事的な問題について分かりやすい文章で、彼の発言には共感できることが多かった。小説家で、芥川賞を取っているし、新潮新人賞や野間文芸新人賞、大江健三郎賞の他に、英語に翻訳されて、アメリカでも賞を取っている。読んで見たいと思って、さて何を選ぼうか迷っていたら『列』という新作が発表されて、話題にもなっているという記事を目にした。「列」とはタイトルだけでも面白そうだ。そう思ってアマゾンで手に入れた。

retu1.jpg 列に並んでいる主人公には、それが何のための列なのかわからない。それでもそこから外れるわけにはいかないと思っている。その列はほとんど前に進まないから、いらいらしたり、不満を漏らしたりする人もいる。身体を左右に揺らす動きを、気になると後ろから注意されてムッとするが、そこからやり取りが始まったり、前にいる女性と親しくなったりもする。まったく進まないと諦めて列を離れる人がいて一歩進むと、それが無上の喜びのように感じられたりもするのである。

主人公はニホンザルの生態を研究していて、大学では非常勤講師の肩書きである。いつかはあっと驚くような論文を書きたいと思っているのだが、観察している猿からそんなヒントを得ることはほとんどない。だからいつまで経っても、大学のポストを得られないでいる。で彼の助手のようにして一緒に調査をしていた大学院生の若者が、自分も応募していたポストを得たり、以前につきあっていた彼女といい仲になっていたりということになる。

読んでいくうちに「列」とは「序列」のことなのだと気づくようになる。実際私たちは、物心ついた時から「序列」を意識させられるようになる。勉強や運動の能力はもちろん、親の収入や社会的地位などが’、自分を評価する尺度になっている。そしてその意識を外れて生きることはなかなか難しい。何しろ人間が「序列」の中で生きる生き物であることは、社会学でも基本的な特徴だとされているのである。

僕が若い頃に流行ったことばに「ドロップ・アウト」がある。「列」を意識して立身出世のために努力することなどばからしい。僕が社会学に興味を持った理由には、そんな「列」に囚われる人間の特徴に対する疑問もあった。けれども、僕もやっぱり、この分野で生きていくには評価される論文を書いて、どこかの大学のポストにつかなければ、という競走の「列」に巻き込まれることになった。しかも、長い間非常勤がつづいたから、主人公の気持ちは痛いほどわかった。


主人公は結局最後まで列に並んでいた。先が見えず、最後尾も見えない列に、地面に「楽しくあれ」と書いて並んでいる。何とも切ない気になるが、これが確かに現実なのだとも思った。そんなにがんばらなくたって楽しく生きる仕方はないものか。豊かな社会になったはずなのに、ますます、「列」に囚われるようになった社会はやっぱりおかしい。退職して少しだけ「列」から自由になって、つくづく感じることである。

2024年1月15日月曜日

お正月に見た映画

 

いつものことだけれど、暮から正月にかけては見たいテレビがほとんどない。というより、 NHKのBSが一つになってから、それまではつけていた食事中も、テレビを消したままにすることが多くなった。テレビはこのまま無用のデカ物になりかねない。そんなふうに思うことが多くなった。それでも2日と3日は箱根駅伝を長時間見た。青山学院の独走で、今一つ面白くなかったが、正月が来たと思うことはできた。

もっとも1日に起きた能登の地震の後は正月番組を潰して地震情報ばかりになった。「津波が襲う危険があるので早く逃げてください」とくり返し放送していたが、全国放送で長々やる必要があるのか疑問に思った。それに被災地だって、テレビが映るのかどうかわからない。そうしたら、突然の羽田空港の航空機衝突事故である。正月から大変なことが起こって、明けましておめでとうどころではなくなってしまった。

potter1.jpg"・薪割り仕事は終わったし、代車では遠出をする気もないからと、久しぶりにアマゾンのプライム・ビデオを見ると、『ハリー・ポッター』がすべてフリーで公開されている。で、毎日2本ほど見ることになった。1作目の『ハリー・ポッターと賢者の石』は1997年に出版されている。作者のジョアン・ローリングが極貧生活の中で書き上げた作品は、児童文学の枠を超えて世界中で読まれ、その後2007年までに7冊が出版された。総発行部数は6億部を超えたそうで、日本でも3000万部近く売れているようだ。

で、映画だが、一言で言えば、これは「ハリー・ポッター」の成長物語である。孤児のハリーが12歳の時に、魔法使いの家系に生まれていることを告げられ、寄宿制の魔法学校に入ることになる。さまざまな魔法を覚え、いくつもの事件に出くわして、何とか解決して大人になっていく。最初は12歳だったハリーも、だんだん成長して。最後は子どもを持つ父親になっていた。映画は2001年が初作で最後は2011年だから、12歳だった少年も映画と一緒に成長していったのである。こういう物語はいつまで経っても歳をとらないことが多いから、原作を読んだら、だいぶ違うのかもと思った。

beast1.jpg"・アマゾン・プライムにはローリングが脚本を書いた『ビースト』の三部作もあった。このうち2本は以前に見たが、今回また見直した。大人である僕には、こちらの方がはるかに面白かった。暗いお城のような魔法学校が主な舞台だった『ハリー・ポッター』と違って、『ビースト』はロンドンやニューヨーク、あるいはパリが舞台になっているし、魔法を使う動物がいろいろ出てくる。時代も半世紀前の20世紀前半で、今とはだいぶ違う。映像技術にも驚くやら感心するやら。いずれにしても、連日複数の映画を見て、さすがにかなりくたびれてしまった。

『ホビット』や『ロード・オブ・ザ・リング』を見た時にも思ったが、ファンタジー映画の映像技術には本当に驚かされる。残るは『スター・ウォーズ』だが、これもアマゾンでやってくれないかなと期待している。

2024年1月8日月曜日

ビリー・ジョエルが東京ドームでやるそうだ

 



joel1.jpg"もうライブには出かけないが,ウドーからライブの知らせがやって来る。ほとんど興味がないミュージシャンばかりだから、配信停止にしてもいいのだが、面倒だからそのままにしている。先月ウドーからビリー・ジョエルのライブの知らせが入った。1月24日に東京ドームで一回だけのコンサートだというのである。ちょっと信じられない気がしたし、どのくらい客がはいるのか疑問を感じた。

僕にとってビリー・ジョエルは過去のミュージシャンだったから、今でもコンサート活動をしているとは思わなかった。確か21世紀になって活動を休止していたはずで、NHK BS の「街歩き」でニューヨークをやった時に,犬を散歩している彼が映って驚いたことがあった。そんなふうに気ままに暮らしているんだと,その時思ったことを今でも覚えている。

彼は僕と同じ1949年生まれである。1973年に発表した、なぜかハーモニカの印象が強い「ピアノマン」が代表曲だ。この後いくつものヒット曲を出したが、活躍したのは80年代の前半までである。僕はこの「ピアノマン」の他に「オネスティ」や「ストレンジャー」、そして「心のニューヨーク州」など、好きな曲がいくつもある。ただしあくまで,80年代までの人であって、後はほとんど忘れていたミュージシャンだった。

だから、東京ドームでライブをやるということに驚いたのだが、「ウィキペディア」を見ると、日本には1978年以降、何度もやってきていて、東京や大阪、あるいは福岡でコンサートをしている。会場は日本武道館や大坂城ホールの他、東京、大阪、名古屋、札幌などのドーム球場だから、相当の人数が集まっていたのだろう。その日本での人気に改めて驚かされたが、最後は2008年だから15年ぶりということになる。

で、YouTubeでジョエルのライブを検索すると、古い日本公演から割と最近のものまで、いくつも聴くことができた。もう頭は禿げ上がって、恰幅も良くなっているけれども、ステージでは精力的に動き、ピアノのうまさも健在で、声も昔のままだったから、聴き応えのあるものが多かった。昔の曲ばかりだけど、エンターテインメントとして十分に楽しませることはできる。そんな感想を持った。多分、東京ドームでのライブも、満員になって観衆を満足させるだろうと思った。それにしても、最近のライブでも若い観客がけっこういるのは、どうしてなのだろうか。

2024年1月1日月曜日

また一つ歳をとった

 

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明けましておめでとうございます。2024年最初の更新です。数え年で75歳になりました。喜寿がもうすぐそこまで来ています。歳をとったものだとつくづく思います。運転免許証の更新に高齢者教習の他に認知症検査が加わりました。高をくくってのんびり手続きを開始したら、予約がいっぱいで12月の中旬からになりました。師走も押し迫ってから、認知症テスト、高齢者教習、そして免許証の更新と慌ただしく済ませて、何とか新しい免許証を手に入れました。次は3年後ですから、もう78歳ということになります。

コロナが少し収まったこともあって、去年は夏に東北に旅行しました。クルマを運転して往復1600 kmのスケジュールでした。まだまだやれると自信を持ちましたが、酷暑の旅行はもうやめようと反省しました。自転車に乗ることも、山歩きをすることも、少しづつ億劫になっています。これではいけないと思うのですが、年令にあわせてほどほどにと思う気持ちもあります。目も耳も衰え、身体の節々に痛みを覚えますが、もう何年も、コロナに感染することも、風邪をひくこともせずに過ごしています。健康でいることが一番と思う今日この頃です。

それにしても公私にわたって、訃報が多い1年でした。それも多くが同年齢に近い人ばかりでしたから、次は自分かな、と思わされました。何より驚いたのは義兄の死です。3月に胃ガンでステージ4だと聞きましたが、それから半年あまりで逝ってしまいました。山歩きをする元気な人でしたから、お見舞いに行った時に見た痩せた身体には心が痛みました。音楽のレビューが亡くなった人ばかりだったのも去年の特徴でしたが、ずっと聴いてきた人たちが、もうそういう歳になったのも事実です。

暮にクルマで事故を起こして、軽自動車をレンタルしました。修理して戻ってくるのはまだだいぶ先のようですから、当分は軽自動車を運転しなければなりません。当然、長距離運転などはする気になりませんから、買い物など、近所の移動に限られると思います。何しろ借りているのは問題になっているダイハツなのです。とは言え、もっとも、けっこう快適に走るものだと改めて感じました。半ば自動運転化したクルマに馴れていましたから、初心に帰っての運転を楽しんでいます。

このホームページを始めたのは1996年でしたから、もうすぐ30年になります。もう書くことも、この更新以外にはほとんどなくなったのですが、週一回の更新が、かなりしんどくなりました。何より話題を探すのに一苦労なのです。行動自体が少なくなりましたし、人とのつきあいも限られています。日本の政治や経済,そして社会の状況について危惧することが多いのですが、もう批判してもしょうがないと思わされることが続いています。唯一の救いは大谷選手の活躍ですが、ケガをしたり桁違いの大金を手に入れたりと、大丈夫かなと心配するようになりました。春になればまたシーズンが始まります。今はそれと、クルマが戻ってくることを心待ちしています。