1999年1月27日水曜日

シンガポールとフィンランドからのメール


  • 英語でメールを書くのは面倒だが、それでも、アメリカとカナダにいる友達との間のやりとりは、郵便に比べたらずいぶん気楽になった。何より、すぐに返事が返ってくるのが良い。ぼくのホームページには英語の部分が少しあるが、時折更新しているのは、誰より、この友達に向けたものである。だから、外国の知らない人からメールがくることはめったになかった。
  • ところが昨年12月にシンガポールから次のようなメールが飛びこんできた。
    Dear Professor Watanabe, Please forgive me for e-mailing you in a sudden manner. I am an Honours year (fourth year) student at the National University of Singapore, and I am currently doing my thesis research. I came across your webpage containing information about your students' thesis and your publication, "Apple Statement". The last publication "Apple Statement, vol.7" contains the thesis of Miss Utsunomiya Shizuka on Sakura Momoko. As my research is also on Sakura Momoko and her works, I really would like to have the opportunity to read Miss Utsunomiya's thesis. I would really appreciate it if you would kindly let me have a copy of "Apple Statement, vol.7" as I belief it would really help me a lot in my research work. Thank you.
  • 卒論で「サクラモモコ論」を書く予定のシンガポール大学の学生が、ぼくのゼミを昨年卒業した学生が書いた「サクラモモコ論」を読みたいというのである。ぼくが日本語で書かれていることを確認する返事を書くと、彼女は日本語はできるし、パソコンも日本語が使えると返答してきた。で論文をメールに添付して送ったが、無事読めて、すごく役に立つとという返事が返ってきた。インターネットのすごさはもちろんだが、ぼくにはアジアでの日本への関心の高まりが、あらためて実感された。
  • そんなやりとりがあってから1ケ月ほどたって、今度はフィンランドから、メールがやってきた。暑い国から寒い国。内容は次のようなものだった。
    Hi, I was desperately looking for this CD album, when I ran across your website. I know it wasn't a selling list but I ask anyway, could you sell it to me? I would pay well because it contains one song which can't be found on any other recording. Bye.
  • 彼が欲しいCDというのはシニード・オコーナーの"am I not your girl?"。彼女はアイルランド出身の歌手だが、ぼくは勝手にフィンランドでは外国のCDが手に入りにくいのだろうと早とちりして、"Amazon Com"で買える、と返事を書いた。そうしたら探しているのは日本版で、インターネット上を探し回って、やっとぼくのホームページのディスコグラフィーに見つけたのだと書いてきた。日本版のタイトルはなぜこんな名前になるのかわからないが「永遠の詩集」。
  • ぼくはフィンランド・ハウスに憧れていて(もっともサウナはいらないが)、近い将来田舎に建ててやろうと考えている。で、探してやるから、フィンランド・ハウスの写真集があったらそれと交換しようと提案した。彼からは感謝、感謝のメールが来て、最近友達のログハウスを作ったなどと書いてあった。これはいい。ぼくはさっそくレコード屋で注文をした。
  • ところが残念なことに、このアルバムは生産が中止されていた。在庫を持っている店があれば、さがせば見つかるだろうと言われたが、さあ、どうしたものか、悩んでしまった。ぼくはこのアルバムをそれほど気に入っているわけではないから、持っているのを送ってあげても良いのだが、これほど強く欲しがっている人がいるとわかると、何か手放すのが惜しい気もしてしまう。といって、手に入らないといってあきらめさせるのはかわいそうだ。
  • そこで、この場で呼びかけるのだが、この文章を読んだ人で、「永遠の詩集」を売っている店を知っているとか、探してあげてもいい、あるいは持っているのを譲ってもいいと考えている人がいたら、ぜひぼくにメールで知らせてください。本人に代わって、強くお願いします。
  • 1999年1月7日木曜日

    ポール・オースター『偶然の音楽』新潮社,『ルル・オん・ザ・ブリッジ』新潮文庫


    ・ポール・オースターの翻訳が続けて二冊出た。一つは『偶然の音楽』、もう一つは『ルル・オン・ザ・ブリッジ』。後者は映画も公開中である。ぼくはさっそく、二冊を買い求め、映画を見に出かけた。オースターにはいつもわくわくさせられてきたが、一度に二冊と一本というのだから、今回はまさに胸がときめく思いだった。で、その感想だが、本も映画も、その余韻がいつまでも消えないほどである。

    ・『偶然の音楽』は幼い頃に別れた父親からの遺産を偶然手にしてしまう男、ナッシュの話。彼は赤いツードアのサーブ900を買って、行く宛のないドライブに出かける。13カ月間、13万キロ、アメリカ中を走り回ったところでギャンブラーのポッツィに出会う。そこで、富豪相手に遺産を全部かけたポーカーの大勝負に出る。すっからかんになったあげくに1万ドルの負債を抱え込む。富豪の提案は石壁を作る作業で返済というものだった。

    # 石を積み上げる作業は時給10ドル。二人で毎日10時間働けば50日で終わる。重さが20キロ以上ある石を来る日も来る日も積み上げていく単調な作業。監視付きの隠蔽された空間、無為な仕事。約束が守られるという保証はあてにならないから、それは一生つづくかもしれない。けれども、ナッシュは直情的なポッツィをなだめながら、何か充実感を持ちはじめる。二人の間に確かに認められる友情、徐々に形をなしていく壁。

    ・『ルル・オン・ザ・ブリッジ』はテナー・サックスを吹くジャズ・ミュージシャンが主人公である。演奏中に彼は、恋愛のもつれに動転した若者の撃った銃弾に当たってしまう。救急車で病院に送られ一命を取り留める。そこから物語がはじまる。

    ・ 眉間を撃たれて倒れている男が持っていたのは光る石。それをくるんでいた紙に書いてあった電話番号に電話をすると若い女性が出た。訪ねていって二人でその石にさわると、えもいわれぬ至福感。二人は恋に落ちる。「あなたはマッチ、それともライター?」「君は本当の人間、それとも精霊?」「ぼくは君のために死んでもいい」女優志願のウェイトレスは映画の主人公「ルル」に大抜擢され、アイルランドにロケに旅立つ。男は石を渡し、後から行くと約束する。しかし、石を捜す一味に捕まり、倉庫に閉じこめられる。

    ・男は石のありかを教えない。なによりそれは、彼女を幸福にする石だから。けれども、一味は彼女に迫り、追いつめる。女は橋から川に身を投げる。男はうまく逃げ出すが、女は見つからない。もう一度、冒頭の撃たれる場面。救急車で男が運ばれる。しかし途中で息絶える。救急車のサイレンがやむ。歩道を歩いていた彼女が、一人の人間の死を知る。

    ・「リアル、それともイメージ?」。二つの作品に共通するモチーフ。遺産をもらった途端に消防士の仕事を辞める男。で13カ月間の行き先のないドライブ。遺産をかけた大博打。巨大な石壁を手作業でする作業。自由、幽閉感、達成感、そして友情。あるいは、ジャズ・ミュージシャンとしての仕事。流れ弾に当たる不幸。至福の石と天使のような女性。彼女が演ずるのは魔性の女「ルル」。自らを捨ててもその娘の未来に価値を見つけだす男。いったい「リアリティ」って何なのだろうと、あらためて考えさせられてしまう。「リアリティ」の不確かさ。それは最近では話題になった事件にお馴染みのテーマである。けれども、オースターの作品には、衝撃的な出来事から感じられるような殺伐さやおぞましさがない。本を読む間、映画を見る間に感じた至福の気持ち。しかし、これはやっぱりフィクションでしか感じられないものなのかもしれない。

    1999年1月4日月曜日

    R.E.M. "UP"


    ・R.E.M.が二年ぶりにニュー・アルバムを出した。前作の"New Adventures in Hi-Fi"はパティ・スミスも一曲参加していて、その年の最高のアルバムだとぼくは思った。マイケル・スタイプは写真好きで、コンサート・ツアやレコーディングの際に彼が撮った作品がふんだんに盛り込まれていて、見ても面白いものだった。
    ・ニュー・アルバムはなかなか出なかったが、R.E.M.の活動はマイケル・スタイプを中心に積極的だったようだ。京都駅でやった「パティ・スミスの絵画展」への写真の出品や、中国のチベット弾圧に抗議して継続的に行った"Tibetan Freedom Cocert"などにも参加している。あるいは、70年代のイギリスを舞台にしてグラム・ロックのスターの誕生とその運命を描いた映画"Velvet Goldmine"のプロデュースもやったようだ。これは、彼が音楽以外のことにいろいろ関心を向けはじめていることを教えてくれたという点では収穫だが、最後まで見ているのがいやになるほどの駄作だった。
    ・で、かんじんの"UP"はと言うと、名前とは裏腹に聴いていると沈み込んでしまう。決して悪くはないのだが、エネルギーがない。メンバーが一人抜けたようだから、そのあたりが原因なのかもしれない。サウンドに新鮮みはないし、ジャケットも地味で何の魅力も感じない。けれども、歌詞を追いかけていると、実はそれが意図やメッセージなのではと思いたくなった。歌の題名だけあげても"Suspicion" "The Apologist" "Why not Smile" "Falls to Climb" "Diminished"とあって、おまけに"Sad Professor"などといったものまである。

    ぼくはみんなに謝罪人と呼ばれるが、今はそれが一番ひどい
    本当に傷ついたんだけど、でも、もう冗談にできるようになった
    違う違うって言い訳ばかりしてたけど、もう逃げない
    本当に何にでも謝りたかったんだ
    ごめん、ごめん、本当にごめんなさいって
    "Apologist"

    もし、愛について話すとしたら、こう言わなければならない
    読者諸君、進む方向は確かではない
    失ってばかりきたし
    酔いつぶれて
    床に倒れたままで目が覚めた
    午後遅く、部屋は暖かい
    さあ、はじめよう
    みんな退屈を嫌っているし、酔っぱらいを憎んでいる "Sad Professor"


    ・ぼくは音楽雑誌はほとんど読まないから、近況や心境など詳しいことは何も知らないが、R.E.M.は、ということはつまりマイケル・スタイプは今、変わり目のところにいるのかもしれない。繰り返しアルバムを聴いているうちに、そんな気になって、それは聴けば聴くほど確信的な思いになってきた。だとすると、"UP"というアルバム・タイトルも、沈んだトーンの中身の意味もわかりやすくなる。もちろん、いつでも、音楽に意味を求めようとは思わないが、そんなことをあれこれ考えさせるものであることはまちがいないような気がする。とは言え、これはひょっとしたらぼくの贔屓目なのかもしれない。ぼくはそれだけ、マイケル・スタイプには惚れ込んでいるのだから。