・1993年にスバルのレガシーに乗ってから、現在のレイバックは5台目だ。30数年でクルマはずいぶん変わったが、カー・ステレオもその一つである。それは今回も同様で、乗り換える前のクルマでは聞くことができたCDもSDカードも使えなくなってしまった。音楽を聴くのはiPhoneをbluetoothでが簡単で、これは前のクルマでもできたのだが、今度のクルマについているカー・ステレオにはそれ以外の付属物はついていないのである。・ スマホがキイにつかえるなど、まさに何でもスマホ対応だが、iPhoneに音楽を入れてないパートナーは困ってしまう。さてどうするか。長い間使ってきたiPodも、もう寿命がつきてしまっていたのでダメ。一つはSDカードリーダーをUSBで繋ぐ方法だが、今までのSDカードは64GBだから読み込んでくれなかった。32GBが上限だったのである。仕方なしに新しいカードに入れ替えたのだが、当然、入れる曲数は半減してしまった。しかしこれでiPhoneと合わせて二つの選択肢ができた。で、あらためて、これまでどうやってクルマで音楽を聴いてきたのか、振りかえりたくなった。
・ 最初のクルマにはCDの他にカセット・デッキがついていたと思う。カセット・テープはその前からウォークマンで使っていたから、買ったCDのほとんどを録音して持っていた。それを箱に入れてクルマに置き、歩きながら聞くためにバッグに入れて持ち歩いた。CDも何枚かケースに入れてクルマに置いたが、いずれにしても、1時間おきぐらいに、別のカセットやCDに変えなければならなかった。で、飽きるから、毎週のように、カセットもCDも別のものに入れ替える必要があった。今からすれば、えらい面倒なことをやっていたものだと思う。
・ 2台目のクルマにはカセットの代わりにMDが使えるようになった。それでカセットは不要になり、持っているCDを改めてMDに録音する必要があった。持ち運ぶ嵩(かさ)が小さくなって、その分たくさんの枚数をバッグやクルマに入れることができるようになった。とは言え、終わるたびに付け替える面倒は同じだった。
・ それがiPodの登場で、大量の曲を持ち歩くことができるようになった。ただしそれをカーステレオに接続できるようになったのは2台目ではなく、3台目からだったように思う。それもAuxのプラグをわざわざ追加させてのことだったと記憶している。ただし、3台目はカーステレオに複数のCDを入れることができるようになった。もうMDも用無しになって、iPod一つを持ち歩いてイヤフォンやカーステレオで聴くことになったが、これは大きな変化だった。
・最初に書いたように、 4台目になってCDの他にSDカードを差し込むことができるようになった。iPodをUSBで繋ぎ、またBluetoothでiPhoneを使うこともできるようになった。iPodがパソコンからアルバムを取りこめなくなったから、新しいものはCDかiPhoneでと、選択肢が増えて便利だった。それが新しいクルマではCDもSDカードも消えたのである。カードリーダーは場所を取るから、USBメモリーにしようかとまだまだこれでいいと決められないでいる。

・四台目のアウトバックは退職後ということもあって、四国遍路や九州一周をやり、北海道まで出かけました。どれも2週間の長旅でした。その他にも東北旅行を4年続けてやり、信州や北陸にも何度も出かけました。モデルチェンジの度に大きくなって、狭い道や林道などは走りたくなかったのですが、静かで安定した走りは長距離ドライブにはもってこいでした。ただしここ数年は夏が暑すぎることやインバウンドの影響で、長旅は控えるようになりました。もちろん、年齢による運転疲れということもあります。
・アウトバックはレガシーと名がつく最後のクルマです。僕が最初に乗ったレガシーは初代で1993年でした。キャンプに出かけるためというのが一番の理由だったと思います。子どもたちもまだ小学生でテントや寝袋を積んでよく出かけました。二台目のランカスターは車高が高くなってSUVと言われる車種の走りになりました。ちょうど2000年の河口湖への引っ越しと重なりましたから、雪道に強い4駆をというのが選択理由でした。こうなるともう典型的なスバリストです。クルマも2台いるということで、パートナーもやっぱりスバルのインプレッサになりました。
・前述した通り二台目は27万キロ走り、3台目のアウトバックも17万キロ走って、通勤の足として働きました。パートナーも2台目のXVに乗り換えて、4台目のアウトバックまでスバルばかり6台乗り続けたのです。で、今度もやっぱりスバルということになりました。他社のクルマに乗っていませんから比較はできませんが、スタイルや走り、そして乗り心地には満足してきました。ただし燃費を考えて電気自動車にするのも選択肢の一つだと思いました。スバルは二種類のEVを出しています。しかしトヨタが開発したものをスバル風にアレンジしたもので、アウトバック以上に大きいですから食指は動きませんでした。
・選んだのは7月に発売されたばかりのハイブリッドのレヴォーグ・レイバックです。レヴォーグはレガシーの大型化に伴って、国内販売に特化したレガシーの後継車でした。レイバックはその車高を上げたSUVですが、購入したのは少しだけ車高が低くなっています。アウトバックと同じ赤と思いましたが派手だったので青色にしました。手放したアウトバックはもちろん、今でもしっかり走ります。もったいないことこの上ないですが、どこか外国に行って走り続けるのではと思います。乗り換える時にはいつもそうですが、ありがとうの感謝と、元気でいてと願ってのさよならでした。

・野菜も長雨でほとんどダメになった。ただミニトマトとサヤインゲンはよく取れている。後は小さなナスとピーマンがちょっとだけで、カボチャは枯れたし、ジャガイモも元気がない。ミョウガも去年ほどには取れていないから、すっかりやる気を無くしている。要するに放りっぱなしなのである。ただし来年はもっと日当たりのいいところに新しい畑を作ろうと、いろいろ策は練っている。
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庭仕事をしないから、早朝の自転車はがんばっている。ただし最近では20kmほどの湖畔一周コースを50分切るのもしんどくなった。かなりがんばったと思っても49分ぎりぎりで脚力が落ちたなとつくづく思う。何しろベスト・タイムは42分台だったのである。もちろん歳のせいだが、山歩きをしなくなったせいもあるだろう。動かなければどんどん衰える。そんなことを実感しているが、暑くて日中は何もする気にならない。
・翻訳者の伊藤明己さんからこの本をいただいた時の反応は「スロー・メディア」って何だ?というものだった。「ファースト・メディア」なら何となくわかる。スマホやタブレット、それにPCといったものと、それを使って利用するインターネットのことだろう。だとすると、「スロー」は新聞や雑誌、あるいは番組編成で規制されるテレビやラジオのことだろうか。そんなふうに思って読みはじめたのだが、それほど単純な話ではなかった。
・思い出せば、最初に応援に行った時、孫は三振するたびにべそをかきました。チームメートに慰められるのを見て、泣き虫だなと呆れましたが、悔しくて泣くのは悪くないと弁護する人もいました。チームには当然、親達のサポートが必要です。ほぼ毎週末のように試合をやり、練習もするので、子どもたちの特徴は誰もがよくわかっているのでした。子どもたちも大変だけど、親はもっと大変だな。応援に行くたびにそんな感想を持ちました。
・野菜を植えてしばらくは好天が続いたから、どれも順調に育っているように見えた。しかし、ある朝見に行くとジャガイモの葉や茎が頭からなくなっている。多分鹿に食われたのだろうと、ネットで調べると、ジャガイモの葉や茎は鹿の大好物だとあった。これ以上被害に遭わないようにとさっそくネットを張った。ネットの中にはカボチャとサツマイモもある。実りはじめたら今度はイノシシに荒らされるかもしれない。収穫時にはもっと強固な柵を作らなければならないだろう。



・前回も書いたがクルマのサンルーフから入った雨の被害は、さらにひどくなった。運転席のピラーが濡れることはなくなったのでもう大丈夫と思っていたのだが、「ドアが開いている」という表示が消えなくなった。ディーラーに持っていくと、荷室のスペアタイヤが水で濡れていた。どうしてここに溜まるのかは整備士の人でもよくわからなかったようだが、ネットで調べるとやはりサンルーフが原因のようだった。水は座席の下にも溜まるようになったから、キャンプに使うタープで屋根を覆い、サンルーフのまわりをガムテープでふさいだ。雨ばかりの梅雨には本当に参ってしまった。クルマはまだ9万キロほどだが10年に近いから、乗り換えようか、という気になっている。
・鉄道の発達は蒸気機関の発明から始まる。それが馬車に取って変わる機関車になり、荷物の運搬から人の移動手段として発達するようになる。そうなった時に人々が驚いたのはその早さだった。馬車に比べて三倍ほどの速度だったが、それは空間や距離、そして時間の抹殺として実感された。その早さは乗客の感覚をも狂わせる。窓から見える景色が流れるように変わっていったからである。この本の面白さは、当時の人々の声を丹念に拾っているところにあるが、やがて鉄道網が全国的に普及するようになると、その移動の仕方は当たり前のものになる。


・先週も書いたが強風でカラマツが折れて2mほどが残った。洗濯干しに使っていて、そのロープの部分は残っているので、これからも使えるが、腐っているからどのくらい持つかわからない。先日は大量の羽アリが中からわいて出た。倒れた10mほどの部分は玉切りにして、そのうち割って積もうと思っている。気温がかなり上がって薪割り仕事にはつらいが、枝を細かく切って積む仕事も残っている。それにしても倒木が母屋と工房の間で、どちらにも当たらなかったのは奇跡に近いと思った。
・風だけでなく強い雨も何度か降った。クルマのドアを開けると水がぼとぼと落ちて、運転席側のピラーが濡れていた。雨漏りかと思ってディーラーに行くと、サンルーフが開いてませんかと言われ、その通りだった。それで引き上げたのだが数日後にまた雨が降って、やっぱり雨漏りがした。ネットで調べるとサンルーフには溜まった水を流すホースがついていて、それが詰まることがあるとあった。我が家は森の中にあって、落ち葉や花粉や実が落ちてクルマを汚している。時々掃除や洗車をしているのだがサンルーフの中までは気がつかなかった。ディーラーに行ってホースの詰まりをきれいにしてもらって流れるようになったのだが、とんだ騒ぎだった。
・驚いたことはもう一つ。雑草が伸びてきたので草刈りをしていると、川に面したところに生えているモミの木に爪痕を見つけた。最近のものではないから、2年半ほど前に工房にでかい糞を残していった熊だろうと思った。しかし、いつ出てきてもおかしくないから気をつけねばと改めて思った。そう言えば鹿には何度も出くわしていて、野菜の苗を食われないように、最初だけ網を掛けたりもしたのである。以前は猿の群れがよくやって来たのだが、最近はほとんど見かけない。おそらく駆除をしたのだろうと思う。けれども、鹿は間違いなく増えているし、熊情報だって時々ある。庭にいる時はよくまわりに注意してと戒めている。
・しかし、地デジを見るためには新しくアンテナを付け替えなければならない。腹が立つから役場から始まって総務省まで引っ張り回されて電話で文句を言って、やっと半年間だけBS経由での視聴が許可された。ただし見えたのはやっぱり4局だけで、その半年が過ぎると何の知らせもなしに、映らなくなった。仕方がないからアマゾンで見つけた高感度の大きなアンテナを買って、自分で2階の屋根につけることにした。意地でもケーブルと契約などするかという気持ちだったのである。それで映るようになったのは、間にブースターを二つかませてからだったが、日によって映りが良かったり悪かったりするのはアナログ時代と変わらなかった。
・映りが悪いのはBSも一緒で、夏は茂った木の葉が邪魔をしたし、冬は雪が降るとアンテナを凍りつかせた。インターネットを光にして、BSも見えるようになったが、地デジは強い風が吹くと枝がアンテナに当たって見えにくくなった。その度に屋根に上って位置を調整して見えるようにしたのだが、最近は歳とって屋根には上らないことにしていた。テレビを見る時間はそんなに多くないので、まあいいかと思っていたのだが、先日の強風でアンテナが大きく動いて、ほとんど見えなくなってしまった。何しろ枯れはじめたカラマツが2メートルの高さからぼっきり折れてしまうほどの風だったのである。






・日程の後半は八ケ岳に日帰りで出かけ、孫達に会うために1泊で東京に出かけた。孫の作ったちらし寿司で昼食をとり、スカイツリーが間近に見えるホテルのレストランでディナーの会食して、楽しい時を過ごした。彼女達には特に東京で見たいところはなかったので、帰りがけに浅草の雷門、隅田川、東京駅、皇居前を走り、東京タワーでトイレ休憩をして家に帰った。長いようで短い2週間が過ぎて、羽田まで送ってバイバイした。やれやれ。無事に過ごせて何よりだった。久しぶりに濃密で楽しい時間を過ごしたせいか、彼女達が帰った後はちょっと呆けてしまって、しばらくは何もしない日々だった。
・スタッズ・ターケルは一つのテーマについて、100人を超える人にインタビューをして1冊にまとめるという仕方で本をいくつも書いた。その中の『仕事!』(Working)は1974年に出されていて、日本では1983年に出版された。訳者は中山容だが、彼は周囲にいる人に呼びかけて50人近い人で翻訳した。英語力は無視して、同じような職種の人に任せたから、手直しするのは大変だったようだ。僕も一つだけ訳しているが、主な仕事は訳者の助手役で、何人かの人に翻訳を頼んだりしたことを覚えている。で、晶文社から出された訳書はハードカバーで700頁にもなる大著になった。4000円近い値段だったが、話題になって増刷もした。
・その本が翻訳から40年以上も経って、河出書房新社から上下2冊の文庫で再出版された。訳者代表の中山容はすでに亡くなっていて、他にも亡くなっている人や所在の分からない人などがあったから、内容は元のままで出版されている。その序文は以下のようなことばで始まっている。
・実際、100人を超える人たちが話すのは、こんなつらい、腹の立つことばかりだ。しかし同時に、彼や彼女達は仕事に対して、それが自分が自分であることを確認し、他人にも認めさせる大事な手段であることも力説する。これはアメリカの1970年代の仕事の話だが、その多くは当時の日本人にとっての仕事にも当てはまっていた。そんな内容は、すでに半世紀も経った今の日本でもなお、多くの共感を得られるはずである。この本を再出版した裏には、そんな狙いや思惑があったのだろうと思う。




・ストーブを燃やすせいか丸太にはゴミが溜まっている。よく見るとクモの巣も張っていて、これも春になったら掃除をするのだが、今年は早めにやることにした。ところが吹き抜けの上の方にはなかなか届かない。そこでペンキ塗りに使った長い竿にタオルを巻きつけて拭くことにした。それでも届かない所ははしごを使ってということになった。歳とってバランス感覚が衰えているから、こわごわ注意してということになった。
・この本は2012年に発売されている。もう12年も経っているが、ずっと本棚で眠っていた。次に書評する本がなくて何となく手にして読みはじめたら、面白くて夢中になった。で、読み終わったところでパティ・スミスのデビュー・アルバムが50周年記念で再発売されたことを知った。奇遇だが、そんなわけで、2週続けてのパティ・スミスである。
・本当に久しぶりにCDを買った。ボブ・ディランの"Shadow
Kingdom"は2021年に発売されたもので今まで気づかなかった。コロナ禍でコンサートができなくなった代わりにネットでライブ映像として配信されたもののようだ。曲目は初期の作品が多く、映画の『名もなき者』に似ているが、歌い方はずいぶん違っている。激しくではなく、穏やかで軽やかだ。シナトラやシャンソンを歌った時のような感じで、自分の持ち歌をアレンジし直している。
・パティ・スミスの "Horses"
はデビュー・アルバムだが、その50周年を記念して再発売したものだ。僕はレコードでしか持っていなかったから買ったが、いくつか曲が追加されている。ニューヨーク・パンクの新星として登場してから半世紀も経ったのだが、このアルバムを最初に聞いた時の新鮮な印象は今でも覚えている。思えばこの時期にはパンクやレゲーといった新しい波が次々にやって来て、ルー・リードやスティング、あるいはジャクソン・ブラウン、やジェームス・テイラーといった若いミュージシャンがたくさん登場してきていた。