2012年10月29日月曜日

雲と夕日

 

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・台風が過ぎた後の夕方に帰宅すると、きれいな夕焼けに迎えられることがある。朝は真正面から朝日を見て出勤し、帰りは夕日に向かって走る。まぶしいことこの上ないが、時折、思わず「きれいだ」とつぶやいてしまう光景に出会う。ほんの一瞬の美しさで、数分もすると薄暗くなってしまう。そんな瞬間を逃したくないから、カメラはいつも手放せない。

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・散歩や自転車の時にもいい風景に出会うことが少なくない。心動くのはやっぱり、雲と太陽だ。いつもの風景がいつもと違って見える。たとえば富士には笠雲がかかることがある。(左上)天気の下り坂を教えてくれるしるしだが、頂上にできた雲が飛ばされて意外なところに浮かんでいたりもする。(右上)笠雲と言えばアイガーの周辺を歩いているときにも現れた。(左下)その前日泊まった山小屋からは村だけを覆う雲が見えた。(右下)

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・雲と夕日がつくる風景を探してみたら、懐かしい写真が次々と見つかった。ポートランドで見たMt.クックには黒雲が重たく垂れ込めていた。(左上)イギリスの西端にあるSt.アイブスの夕焼け。(右上)親不知から見た日本海の夕日。(左下)、そして我が家から見た夕焼け。(右下)
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2012年10月22日月曜日

秋の山歩き

 

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・9月に出かけたのは北八ヶ岳の横岳、本栖湖の南にある龍ヶ岳で、10月になってからは富士吉田の東にそびえる杓子山に登り、先週は木曽の御嶽山に行ってきた。スイスで山小屋に泊まりながら歩くことになれたから、これからは国内でもという気になり始めている。とは言え、車で、ケーブルやロープウェイでできるだけ上まで行ってという横着な癖がついたのも確かだ。

forest103-2.jpg・北八ヶ岳の横岳はロープウェイで2237mまで上がることができる。坪庭という名の溶岩台地が広がり、南に広がる八ヶ岳の峰々が望めるから、ほとんど歩かなくても山登りをした気分になる。ロープウェイにはバスに乗ってきた団体客がたくさん乗っていて、そんな人たちの間を、僕は山頂まで行くんだよと言いたげにかきわけて行く。ただし、山頂は2480mだから登るのは250mほどにすぎない。楽勝だと思ったのだが、道は溶岩のがれきで足場が悪かったから、結構くたびれてしまった。

forest103-3.jpg・龍ヶ岳はクリスマスから暮れにかけてダイヤモンド富士が見られることで、最近人気になった山だ。僕はそのダイヤモンド富士を見ようと、この山に数年前に登ったが、霧が立ちこめていて途中で引き返したことがある。今回は前回とは違うルートから登り始めたのだが、天気が良かったのに、頂上に近づくとまた霧に包まれてしまった。何も見えない頂上は味気ないものだったが、植生の豊かさも実感して、この霧のおかげなのかもしれないと思った。

・立ち枯れしたブナの木にびっちりとキノコが生えていて、食べられるものとわかったら持って帰るのに、と残念な気がしたが、野生のキノコはまた、放射能の影響を受ける植物だから、摘んで帰って食べたりしないほうがいいな、とも思った。ちなみにこのキノコはムキタケという名でたべられるもののようだった。

forest103-4.jpg・山の幸ということでは、僕には秘密の栗の木がある。去年は実をつけなかったが今年は大豊作で、右のようなたくさんの栗を収穫した。自転車で坂道を登っていて、もう歩こうかと下を見たときに道路に転がっている栗に気がついたのが最初だった。

・栗はその日のうちに皮をむき、一日水につけて渋皮をむく。拾うときは夢中で楽しいだけだが、後の作業は簡単ではない。実は今回は2度出かけて、同じくらいの量の栗を収穫した。だから、皮むき作業も大変だったのだが、そのほとんどを冷凍保存にした。スープにしたり、あんこにしたりして、最後は正月の栗きんとんにする。面倒だけど秋の一番の楽しみである。

・で、先週は木曽の御嶽山に登った。3000mを超える山だが2100mまで車で行くことができる。とは言え、登山道はがれきと階段できわめて歩きにくく、快晴だったが吹き飛ばされそうなほど風が強かったから、頂上に着く前からへとへとになってしまった。指先の感覚がなくなるほど寒く、高山病の症状もでて頭痛がしたが、雲一つない眺めは素晴らしかったし、紅葉も美しかった。


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2012年10月15日月曜日

社会や政治を変えることは可能なのか

孫崎享『戦後史の正体』創元社
小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書

・3.11以降、政治の動きやメディアの対応について、その裏側が見えるようになり、一つの動きやそれに関わる情報操作が、どんな力によって、どんな意図のもとに行われているのかがわかりやすくなった。たとえば原発の廃止という国民の世論に対して反対するのは電力会社はもちろん財界もだが、アメリカや英仏も即座に反応したようだ。しかし、そのようなニュースは、実は、欧米という虎の威を借りた日本の狐が発信源だったりして、しかも、メディアはそんな意図など関係ないかのように、無批判に垂れ流してしまっている。そんな仕組みが露呈されているのになお、同じことをくり返す政治やメディアの現状は一体どうすれば変えることができるのだろうか。

magosaki.jpg ・孫崎享の『戦後史の正体』は最近のベストセラーで、戦後史の裏側を政治家や官僚の回顧録や公文書を読み解きながら暴露した内容になっている。おそらく3.11以前ならば、一つの裏話として読まれたのかもしれないが、現在の状況と照らし合わせると、きわめて説得力のある政治史として読むことができる。

・第二次世界大戦に敗北した日本は、連合国に対する無条件降伏とアメリカによる占領政策によって戦後の時代を歩き始めた。憲法はもちろん、何から何までがアメリカの意向によって決められ、それに逆らったり抵抗したりすれば、政治家は公職追放になり、また何らかの罪をきせられて投獄されたりもした。戦後の日本の政治は、「アメリカ追随」と「自主」という二つの路線を巡って争われ、そこにアメリカが時に正面から、そしてまた時には裏面から介在して圧力をかけて操ってきた。この本が主張しているのは何よりその点にある。

・たとえば、そのような視点から歴代の首相が行ってきた政策や人物に対する評価を見直すと、世に言われてきたものとはずいぶん違った解釈ができるようになる。汚職や醜聞で失脚したり、無能だと酷評された政治家には例外なく、アメリカの意にそぐわない発言や行動をしたという共通性があるからだ。そのことは陸山会事件で起訴された小沢一郎や、普天間基地を巡って迷走した鳩山元首相まで一貫したことである。

・アメリカの力という点では、自衛隊や米軍基地はもちろん、領土問題や原発政策でも同様だ。ポツダム宣言で日本の主権が認められた領土は北海道、本州、四国、九州と連合国が認めた諸小島だが、アメリカはソ連の参戦を促すために国後、択捉の領有を認めておきながら、戦後になると日本に対してそれらを「北方領土」としてソ連に返還要求をするよう圧力をかけたようだ。同様のことは尖閣諸島についても行われていて、孫崎は、アメリカのそのような政策を、日本がソ連や中国と対立して、独自の外交を行わせないようにするためだったと解釈している。


oguma.jpg ・戦後の日本は、そのアメリカの占領政策によって、「自由」と「民主主義」を教えられた。急速に経済成長を成し遂げるきっかけも朝鮮戦争だった。小熊英二の『社会を変えるには』は、3.11以降に顕在化したさまざまな問題について、多くの人びとがその対応を政治家や官僚には任せておけないと感じ始めたこと、マスメディアを無批判に信用してはいけないと気づき始めたこと、そして、デモという直接行動やソーシャル・メディアを使った発言にその解決策を見つけ出したことなどを出発点にして、「社会を変える」方策を探ろうとしたものである。

・この社会を変えるためには、やはり、現在の社会がどのような道筋を通って現在に至ったのかを知らなければならない。この本はそのことを「工業化社会」から「ポスト工業化社会」に変わってきた日本の現況と、その過程の中で、国の政策に反対し、抵抗してきた社会運動の歴史を振り返ることから始めている。そして、「自由」と「民主主義」あるいはそれを具体化する「代議院制度」について、ギリシャまでさかのぼり、近代化の中で重要な役割を果たした多くの思想や哲学に触れながら、これから取るべき方向性を探ろうとしている。

・日本人にとって「自由」や「民主主義」は自らの手で勝ち得たものではなく、天から降るようにして与えられたものである。だから選挙で投票して政党や議員を選び、その代表者たちに政治を任せることを「民主主義」の唯一の方法だと思い込んできた。しかし、そのようなシステムでは、自分の意見が反映されないし、任せておけないと多くの人が感じるほどに不安感や不信感が蔓延するようになった。

・そんな思いをどのようにして具体化していくか。小熊は「自分がないがしろにされている」という実感から出発することが大事だという。それは個々さまざまに現れて、時に差別意識や嫉妬心を増長させて、特定の人びとへの攻撃に向かう危険性を持っているが、「原発問題」には大きな「われわれ」意識となって、国を動かす力になる可能性がある。そのことは今年の夏を頂点に、東京だけでなく全国で起こった反原発デモで垣間見ることができたことである。この運動をどのように持続させ、もっと大きな「われわれ」意識にしていくか。

・やり方はいろいろであっていいし、主張もいろいろであっていい。「『デモをやって何が変わるのか』という問いに『デモができる社会が作れる』と答えた人がいましたが、それはある意味で至言です。『対話して何が変わるのか』といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。『参加して何が変わるのか』といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。」(pp.516-517)

2012年10月8日月曜日

「イッテQマッターホルン」


imoto.jpg・夜の地上波はタレントを集めて馬鹿なことをやる番組ばかりで全く見る気がしないが、一つ、というよりは一人だけ、気になるタレントが出る番組がある。だからその番組の、そのタレントが出るところだけ見ようと思うのだが、早すぎたり、遅すぎたりして、見逃すことが多い。今回は特番で、3時間の後半部分だったから、すべてを見ることができた。とは言え、事前に知っていたわけではなく、たまたまつけたらやっていたのである。

・番組名は「「イッテQマッターホルン」 で、お目当てのタレントはイモトアヤコである。平板な顔に太いつけまつげをつけ、女子高生のセーラー服姿で世界中を飛び回って、危ないことや恥ずかしいことをやらされる。そんな役回りだが、見ていて最初に感心したのは、5000mを超えるアフリカ最高峰のキリマンジェロの登頂に成功した時だった。その後彼女はモンブランに登り、アンデス山脈のアコンカグアに挑戦して、今回のマッターフォルンとなった。いずれも番組の特番として放送されたものだが、アコンカグアとモンブランは見逃している。

imoto2.jpg・実は、彼女のスイス出発は、僕が出かけた二日後だった。だから番組で映るマッターフォルンは、僕が現地で見たのと同じ日だったりもした。僕はマッターフォルンの回りを3日間、東から西にかけて半周ほどしたから、マッターフォルンの美しさを方向を変え、時間を変えて見ることができたが、同時に、登ることがいかにきつく危ないことかもよくわかった。フォルンとは角のことだが、名前の通り角のように突ったっていて、もっとも一般的な登坂ルートでも、刃先のように尖ったところを登るのである。

・番組自体はおふざけ半分で、ちょうど僕が歩いた道に大樽の風呂を4つおいて、森三中とイモトがそれぞれ入るといった場面を入れたりもした。マッターフォルンを背景にした即席の露天風呂のためだけに森三中をスイスに連れて行ったりするのが、バラエティ番組のどうしようもないところだと思うのだが、そんなシーンがなければ視聴者は本当に退屈してしまうのだろうか。だとすれば、登山をなめた番組作りだというほかはない。

・とは言え、登山計画自体は当然だが、きわめて慎重で、準備も念入りだった。事前に別の二つの山でトレーニングをやって、イモトアヤコがマッターフォルンに登れるかどうかを現地のガイドに判断してもらっていて、番組はその様子にかなりの時間を割いていた。その期間のスイスは観測史上最高という暑さで、リュックに詰めたセーターなども、ほとんど使わずじまいだったが、僕の旅が終わりになる頃には天気が崩れはじめて、マッターフォルンには雪が降って岩壁にへばりついたようだった。

・登山は条件次第で予定を変更したり、キャンセルしたりすることがよくある。だからこの番組のクルーも足止めを食って、登頂は9月に入ってからになってしまったようだ。訓練のきつさや、待たされている間に感じる不安などがイモトの様子からもよくわかった。時におどけ、時に真顔になる。そんな様子はNHKが得意にするドキュメントタッチの登頂番組とは違って、素人でもわかり共感することができた。

・そんなことを思いながら感じたのはイモトアヤコというパーソナリティのユニークさと、うまく成長すれば日本を代表するアルピニストにもなれるのではないかという期待だった。今山歩きをすると、「山ガール」で溢れている。悪い気はしないが、山をよく知り楽しむ術を身につけた人として続けるのだろうかと疑問に思うこともある。一時の流行ではなく、レジャーの一ジャンルとして定着するのは、彼女の今後の成長次第かもしれないなどとも思ってしまった。

2012年10月1日月曜日

傑作2枚


Bob Dylan ”Tempest”
Ry Cooder "Election Special"

dylan12.jpg・ディランの新しいアルバムが出た。2009年のクリスマス・ソング以来で3年ぶりだが、このコラムでは今年もトリビュート・アルバムについて取り上げているから、それほど久しぶりだと思わなかった。デビュー50周年で71歳になるのにコンサート・ツアーもこなしていて、その精力的な活動には驚くばかりだ。しかも、このアルバムが、アメリカはもちろん世界中で大絶賛されている。

・タイトルは"Tempest"だから大嵐とか大騒ぎといった意味になる。アルバム・タイトルになった曲は沈没したタイタニック号の物語を14分もの長さで語っている。もっとも語っているのはこの歌に登場する「彼女」である。アルバムの収められた曲にはこのほかにも、物語風に仕立てられたものが多い。最後の"Rll on John"(急げジョン)はジョン・レノンを語っている。


急げジョン、雨や雪にめげずに進め
右手の道を取って水牛が集まるところに行け
君が気づく前に奴らは待ち伏せして罠を仕掛けるだろう
今となっては家に引き返すには遅すぎる  "Roll on John"

・今年ディランはオバマ大統領から「大統領自由勲章」を授与された。その様子はyouTubeで見ることができる。オバマはディランが「音楽に社会意識を与え、次に続く道を切り開いたこと」を讃え、現在もなお精力的に活動していて、自分も大ファンであると語っている。ディランは例によってサングラスで無表情だが、居心地が悪いというふうでもない。こんな場にもすっかりなれてしまったせいだろうか。

・彼はすでにオスカーもピューリッツアも受賞しているし、名誉博士号もいくつもの大学から授与されている。フランスの文化勲章。スウェーデンのポピュラー音楽賞と外国でもらったものも少なくない。後残るのはノーベル賞ぐらいで、これも以前から何度も話題になっている。しかも、彼の活躍は21世紀に入ってからも衰えていない。前作の"Together through Life" は初登場で米英で1位を記録したし、その前の"Modern Times" は200万枚を超える売り上げだ。おそらく、今度のアルバムも売れるだろうと思うが、日本ではいつでもほとんど話題にならない。

ry8.jpg ・もう一枚はライ・クーダーの "Election Special"(選挙特集)だ。全曲、11月に行われるアメリカ大統領選挙に向けて、共和党候補のロムニーを批判し、現職のオバマ大統領を再選すべきだというメッセージが込められている。たとえば、1曲目の "Mutt Romney Blues" はロムニー候補がケージに入れた愛犬を自分の車の屋根に縛りつけて12時間も走り、動物愛護団体から非難されているといった内容だ。

・ほかにも昨年大騒ぎになった「ウォール街を占拠せよ」を応援する "Wall Street Part of Town" 、アフガニスタンで捕らえられた捕虜が送られる「グァンタナモ基地」のひどさを歌った "Guantanamo" などなど、共和党批判に溢れている。とは言え、曲自体はバラエティに富んだアレンジをしているし、ギターさばきもいつもながらすばらしい。

・この2枚のアルバムを聴いていて思ったのは、いつもながら、ポピュラー音楽がもちうる力のことだった。で、やっぱりつづいて思うのは、他のポピュラー文化に比較して、日本の音楽状況がなんと貧弱なことかということだ。映画や文学やアニメではかなりのレベルのものが作られているのに、音楽はくずばかり。もうとっくにあきらめて見捨てているが、しかし、なぜそうなのかを考える価値はあるのだろうと思う。