2019年7月29日月曜日

テレビからジャーナリズムが消えた

 


・参議院選挙の結果は各新聞がそろって予測した通りだった。つまり事前の世論調査の数字が、選挙期間中も動かなかったということだ。確か世論調査では、まだ投票先を決めていない人が5割以上いるとされていた。実際の投票率は5割に充たなかったから、結局、決めていなかった人が投票に行かなかったということになる。二週間の選挙活動期間は何だったのかと言いたくなるが、もちろん、候補者や政党は連日精一杯の活動をしてきたのだろう。しかし、選挙活動が行われている場所に行かなければ、家の近くに選挙カーが来なければ、選挙中であることを感じることもない。テレビがほとんど、選挙の動向や、争われるべき争点について、特番を組むことはもちろん、ニュースでも取りあげなかったからだ。

・テレビ局の言い分は、どこも、今度の選挙は話題に欠けるから視聴率が稼げないというものだった。しかし、今回の選挙には、実際、日本の現状や、将来の方向性を左右する大きくて複雑で、しかも深刻な問題がいくつもあった。それらを本気になって取りあげれば、視聴者の関心を集めて、選挙の重要性を自覚させるきっかけや弾みにもなったはずである。そうしなかったのは、政権の圧力に屈したか、忖度をして、争点隠しの片棒かつぎに加担したからにちがいない。テレビ局にわずかでも、ジャーナリズムの媒体でもあるという自覚があれば、そんな言い訳はできなかったはずで、すでにそのような使命や矜持は捨ててしまったと思えるからである。

・選挙期間中にテレビが好んで取りあげたのは、吉本所属のタレントが起こした反社会的集団との闇商売であったり、ジャニーズ事務所の創立者の死だったりした。テレビにとっては芸能界こそが注目すべき世界であることを如実に示すものだが、それはまた、テレビが芸能界にあまりに依存しすぎていることの結果でもある。吉本やジャニーズといったプロダクションがなければ、テレビ局は番組を作ることはできないし、電通といった広告会社がなければ、スポンサーを集めることもできない。そのどちらも現政権に強く繋がっているから、政権にとって都合の悪いこと、選挙を不利に導くようなことは、絶対にできないことになっているのである。

・久米宏がNHKの「あさイチ」に出て、NHKが「人事と予算で政府や国会に首根っこつかまれているのは絶対的に間違っている。完全に独立した放送局になるべき」と批判をした。NHKはすでに何年も前から、ニュースなどでは完全に「安部チャンネル」と化していて、北朝鮮の放送を笑うことができないほどひどいものになっている。ニュースや報道にさく時間がなまじ多いから、選挙を無視した民放テレビよりもっと罪が重いと言えるだろう、何しろ、全国津々浦々に電波を届けられるのはNHKしかないのである。「NHKから国民を守る党」が1議席をとった。NHKにとってはやっかいな存在だろうが、そのいかがわしさを知らずにNHK批判にと投じた票がかなりあったことに、NHKは自覚すべきだろう。

・そんな中で、政党要件を充たさないからと無視された「れいわ新撰組」から二人の議員が生まれた。二人とも重度の障害者で、車椅子での国会活動が避けられないから、国会が始まる前に、いろいろ直さなければいけないところがあって、大変だと思う。しかし国会が、健常者だけの世界であってはいけないことがやっと認識されるから、たった二人とは言え、大きな変化になると思う。残念ながら山本太郎は当選できなかったが、カンパを4億円も集めたことや、演説会場を人で埋めたことなど、新しい政治のやりかた、政党のあり方を提案した、大事な行動だったと思う。

・選挙に無関心だったテレビも、選挙結果には大はしゃぎで、どのチャンネルも特番を組んでいた。ぼくはネットで山本太郎の選挙事務所のライブを見ていたが、そこでテレビの取材に対して、「初めまして」と皮肉を言って話し始めたことには笑ってしまった。番組を見ていないからわからなかったが、レポーターはばつが悪かったに違いないと思う。もちろん、ばつの悪さはテレビ局自体にこそ感じて欲しいものである。ほんのわずかでもジャーナリズムの一翼を担っているという自覚があればの話だが………。

2019年7月22日月曜日

田村紀雄『移民労働者は定着する』ほか

 

『移民労働者は定着する』(社会評論社)
『カナダに漂着した日本人』(芙蓉書房出版)
『日本人移民はこうして「カナダ人」になった』(芙蓉書房出版)

・移民、難民、そして外国人労働者は、世界大の大きな問題である。圧政の苦しみや戦争の惨禍から逃れるために、貧困から豊かさを求めるために、アフリカや中南米からヨーロッパやアメリカに多くの人びとが押しかけている。人道的に受け入れるべきという立場と、国家の揺らぎや混乱の原因だと排除を主張する側の対立が、世界の政治を危うくさせている。またここには、外国人を労働力として補充しなければ、人口減による労働不足を解決できないという先進国の問題もある。この問題は多様で複雑だから、解決策を見つけ出すのは簡単ではない。しかし、移民や難民にはすでに長い歴史がある。現在の日本は、外国人労働者を欲しながら、移民は認めないといった矛盾した政策を打ち出しているが、かつては移民として多くの人を他国に送り出してもいたのである。


tamura2.jpg ・田村紀雄さんは前回のこのコラムで書いたように、ぼくにとって先生の一人だった。すでに80代のなかばだというのに、『移民労働者は定着する』という新著を書き下ろした。カナダに移住した日本人が、第二次世界大戦によって定住した地(主にバンクーバー)から移動を強制され、キャンプ生活を余儀なくされた。その数年間についてのフィールドワークである。しかしこの本に触れる前に、ここではまず彼の既刊書である『カナダに漂着した日本人』から、前史である日本人のカナダ移住の歴史を振りかえることにしよう。

・日本人が初めてカナダに辿り着いたのは1870年頃のようだ。そこから森林の伐採や製材、漁業、農業、そして鉄道敷設の労働力として移住していくようになる。最初は金を稼いだら日本に帰ると思っていた人たちも、結婚したり子どもができたりすれば、定住を考えるようになる。バンクーバーにはそんな日本人たちが多く住む地域が生まれた。さまざまな商いを営み、病院や学校の設立に努力する。たがいに競い、反目するばかりだった日本人の中に協力し合う余地や必要性が生まれ、コミュニティができるようになる。その中で大きな役割をしたのが、いくつかの日本語の新聞だった。『カナダに漂着した日本人』は、そんな定着までの過程を物語のように綴っている。

tamura1.jpg ・カナダは移民によってできた国である。しかし、日本人が移住し始めた頃にはまだイギリス連邦にあって、バンクーバーも小さな町に過ぎなかった。その意味では日本人の移住は、バンクーバーという町の都市化やカナダという国の発展にとって欠かせない存在だったと言っていい。また林業や漁業にしても、その主な輸出先は日本だったのである。しかし、日本とアメリカの戦争が勃発すると、カナダ在住の日本人は、日本に帰国するか、西海岸から100マイル以上東に移動することを強制された。それもほとんど時間的余裕のないものだった。

・移動させられた場所はロッキー山脈の西にある谷間の地で、かつては鉱山や森林伐採で栄えたゴーストタウン化した小さな町ばかりだった。そこで空き家や新たに作った掘っ立て小屋やテントでの生活が始まったのだが、それはまた無からのやり直しだった。日々の生活、仕事、学校、病院など、人びとの間には助け合い、協力し合う気持ちが生まれたが、ここでもまた、新聞の力は大きかった。日本人の動向を把握するためにカナダ政府が援助した『ザ・ニュー・カナディアン』は英語と日本語の二本立てで構成されたが、日本語は一世、英語は二世向きで、内容も同じではなかったようだ。戦争が終わると多くの日本人たちは、その地を離れてさらに東へと移動して散在していくことになる。

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・田村さんはメディアやジャーナリズムの研究者だから、当然、研究の視点、対象に対する姿勢、そして素材となる資料も新聞や雑誌が中心となる。『日本人はこうしてカナダ人になった』は、梅月高市を中心に1924年に創刊され、大戦によって禁止される1941年まで発行された『日韓民衆』の推移を軸に日本人の移民の動向をフィールドワークしたものである。カナダにおける日本語の新聞について、田村さんが関心をもつきっかけは、梅月が残した『日韓民衆』そのものや、彼が克明に書き残した日記など、膨大な資料との出会いにあった。その資料や現地でのフィールドワークをもとに本を書くことを約束したのだが、実際の作業は退職後になり、約束を果たすのに何十年もかかってしまったのだという。改めて読み直してみて、その努力にほんとうに頭が下がる思いがした。

2019年7月15日月曜日

「れいわ新撰組」がおもしろい

 

・参議院選挙が始まった。新聞社の選挙情勢調査では、自公の勢力が過半数をとると予測されている。これほどお粗末な政権、これほどひどい政党が国民の審判によって支持されつづけるのだという。年金問題が明るみに出ても、トランプの言いなりで、ハワイやグァムを守るイージスアショアを買ったり、墜落したF35戦闘機を爆買いしても、アベノミクスの失敗が明らかになっても、消費税がさらに上がると言われても、外交の安部がことごとく失敗だったとしても、そしてもちろん、森友加計問題が闇に葬られてしまっていても、消極的にせよ、相も変わらず支持する人が多数派を占めている。信じられないし、絶望的にもなるが、諦めてはいけないと、すでに期日前投票に行ってきた。

reiwa1.jpg ・注目したのは「れいわ新撰組」。しかし、この政党ははテレビではほとんど無視されている。党首の山本太郎はテレビの討論にも呼ばれていない。寄付が短期間で3億円を超え、選挙演説に集まる数はダントツに多く、ネットでも話題になっているのに、泡沫候補扱いするのは、自粛ばかりの保守的なメディアにとっては危険な考えをもつ候補の集まりに見えるのだろうか。政党要件を満たしていないとは言え、山本太郎はもちろん、10人の候補者の顔ぶれを見れば、テレビ的には大きな話題を呼んで視聴率を稼げると思うのだが、政権の逆鱗に触れると恐れているのかもしれない。もっともテレビは選挙そのものに後ろ向きで芸人の闇仕事ばかりを取りあげている。選挙に無関心のままでいさせようとしているとしか思えない。

・「れいわ新撰組」という名前は好きではない。というより新年号の「令和」も、幕末の新撰組も嫌いだといった方がいい。しかし、「れいわ」は安部、「新撰組」は「大阪維新」を皮肉ってつけたとすれば、それはそれでおもしろいとも思った。「れいわ新撰組」に集まった人たちはユニークだ。全員が現在の日本が抱える大きくて深刻な問題の当事者であるからだ。蓮池透は元東京電力社員で、元北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長だ。そこから、日本の原発政策と、拉致問題に対する政府の対応を厳しく批判してきた。安富歩は東京大学東洋文化研究所教授で東洋経済史の研究者だが、女装をして、LGBTやハラスメントの問題にも発言をする人である。木村英子は生後8ヶ月で障害を負って以来、車椅子生活をしていて、重度障害者が生きにくい現在の社会について積極的に発言してきた人である。三井義文は元コンビニオーナーで、名ばかりの事業主という契約形態の不当さを訴え、会社や仕事に殺されることを社会問題として訴えてきた。

・辻村千尋は環境保護NGO職員として、小笠原諸島の自然保護やリニア新幹線による自然破壊、そして辺野古の埋め立てなどの問題について活動してきた人である。環境問題は票にならないと冷たい議員に代わって、自ら政治家として活動することを目指している。大西恒樹は元J.P.モルガン銀行のディーラーだが、その経験から現代の金融資本主義における巨大な搾取構造を問題視し、その根本的な変革を唱えて活動してきた人である。船後靖彦は41歳以降全身麻痺のALSを患いながら介護サービス事業を営む会社で働いている。歯で噛むセンサーを使ってパソコンを操作して、仕事のほか、文筆や講演活動もしている。渡辺照子はシングルマザーの派遣労働者として生きてきた。そのどん底の暮らしの中で味わった経験や出会った人たちと、格差社会の是正を目指している。

・何よりおもしろいのは、山本太郎に変わって東京選挙区に沖縄在住で創価学会員の野原義正を立てたことだ。彼は沖縄県知事選で公明党に反旗を翻して玉城デニーを支持し、今回は代表の山口那津男と同じ選挙区で争っている。平和と福祉の党であったはずの公明党の原点回帰を呼びかけている。そして比例区では特定枠に車椅子の二人が入り、山本太郎は3番目ということになっている。つまり3人当選できるだけの得票数が得られなければ、山本太郎は落選ということになるのだ。一人当選させるためにはおよそ100万票が必要だと言われている。

・大手のメディアに無視されたのでは、「れいわ新撰組」を全国的に名前を知らせることは難しいだろう。山本太郎は落選ということになるのかもしれない。しかし、車椅子の議員は初めてだから、国会議事堂の改築が必要になるし、発言やら投票の仕方も変えなければならなくなる。弱者無視の国会に、初めてメスが入るのである。さらに、山本太郎は「れいわ新撰組」の飛躍の照準を次の衆議院選挙以降に合わせている。だから、どうしても当選しなければならないわけではないと考えての処置だと思う。それだけに、今後飛躍するためにも、今回の選挙結果が大事になるはずである。

2019年7月8日月曜日

病にも負けず

 

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forest159-2.jpg・アメリカから帰って1ヶ月。今年の梅雨ははっきりしていて、ほとんど雨ばかりだ。だから、自転車も庭仕事も、合間の晴れを見つけてやっている。ところが今年の梅雨は変則で、西日本が梅雨入りしたのは10日ほど前だった。水不足がニュースになったが、梅雨入りと同時に集中豪雨に見舞われている。異常が日常になってしまったから、観測史上初めてなんて言われても驚かなくなった。雨ばかりなのに河口湖の水位が下がっている。浮島が地続きになって六角堂に歩いて行けるようになった。珍しいことではないし、観光客には好都合だが、漁業やボートレースに支障が出るらしい。雨不足ではなく、水量調整の失敗なのだと思う。

・京都から従兄弟のMさんが車でやってきた。ぼくと同じ70歳だが、去年の冬に急性白血病を発症して、余命半年と言われた。しかし、抗がん剤治療が功を奏して、自宅で療養生活をしている。最初に週二回行っていた輸血も、現在では三週間に一回に減ったようだ。少し元気になったからと河口湖に来て二泊し、東京や栃木まで足を伸ばす車旅行をした。

・予報は雨だったが降っていなかったので、富士山を眺望する秘密の場所に出かけた。ぼくはここからの富士山が一番好きだ。御坂山塊にあって、尾根のすぐ下まで車で行ける。100米ほど登るだけだからたいしたことないだろうと思ったのだが、彼は登り初めてすぐ躓いて、杖を突きながら何度も休まねばならなかった。長い入院生活と免疫力の低下で人混みに出かけることを制限されているから、筋肉が衰えていて、赤血球が足りないからすぐに息が上がってしまうのだった。それでもがんばって尾根まで登り、展望台に立って富士山や眼下の河口湖を眺めた。もっと体力をつけなければと、つくづく感じたようだった。彼は翌日僕の両親が住む老人ホームに出かけた。

・実は急性白血病に罹った人が身近にもう一人いる。大学院でぼくの研究室にいたK君で、横浜で福祉の仕事をしているのだが、フェイスブックに突然、入院中だというメッセージが載って驚いた。最初は病名をはっきりさせなかったが、Mさんのケースとよく似ていることがすぐにわかった。3月に緊急入院して1ヶ月半ほど抗がん剤治療をして一時退院し、再入院して骨髄移植を行い、無事成功して回復に向かっているようだ。ドナーは妹さんだと言う。

・医学の進歩の早さには今さらながら驚く。不治の病と言われた白血病が、骨髄移植で健康な身体に回復する。K君の場合には発症から移植手術まで3ヶ月で、そこから2週間ほどで移植した細胞が生着して、白血球数が回復した。退院して日常生活に戻るまでにはまだかなりの日数がかかるだろうが、信じられないほどの速さだと思う。しかし、Mさんの場合では、移植手術にはかなりの体力が必要で、70歳にもなると身体が耐えられないからと勧められなかったようだ。白血病と言えば、水泳選手が話題になった。公表したのが2月だったからK君より早かったのだが、未だに骨髄移植をしたというニュースははない。移植ができないケースなのかもしれない。

・白血病はうつる病気ではない。その因子をもっていて、いつ発症するかは遺伝子の中に埋め込まれているのかもしれない。あるいは過労やストレスなどが原因で発症するのだろうか。Mさんは高齢の母親を長い間介護してきた。夜はトイレにつきあうので1時間半おきに起きていたそうだ。その叔母は、彼の入院によって別の病院に入院して数ヶ月ほどで亡くなった。元気だったらもっと長生きできたのにと彼は悔やんだが、彼の体力も限界だったのだと思う。まだまだいろいろやりたいことがあって、生きることに積極的だから、治療に専念し、体力をつけることに心がけてほしい。もう少し近くに住んでいたら、手助けできることもあるのだが、残念ながら、京都はちょっと遠い。

2019年7月1日月曜日

スプリングスティーンとマドンナ

 Madonna "MadameX"
Bruce Springsteen "Western Stars"

madonna6.jpg・マドンナが4年ぶりにアルバムを出した。前作のタイトルは『反抗心(Rebel Heart)』で、突っ張りぶりを遺憾なく発揮していたが、今回は『マダムX』という名前だ。「マダムX」はスパイで、さまざまに姿を変えながら世界を巡り自由のために戦い、暗黒の場所に光をもたらす。そんな物語で全曲が構成されている。だから歌には英語の他にスペイン語やポルトガル語が入り、サウンドにはラテンやアフリカ、そしてポルトガルのファドを感じさせるものもある。

・彼女がこのアルバムで主張しているのは、世界が融和や連帯ではなく争いや分断の方向に舵を切ってしまっていることに対する批判だ。だからこのアルバムでは中南米やアフリカ、そしてアラブに行き、またアメリカに戻って、さまざまな境遇に身を寄せ、抵抗を支援する。高校での銃乱射事件をきっかけに銃規制運動に立ち上がった高校生のスピーチが、そのまま使われてもいる。還暦を過ぎてなお、その突っ張りぶりは健在だ。

・日本では「音楽に政治を持ち込むな」といったことを正論として吐くミュージシャンが多い。そういった人たちは、マドンナのこのような姿勢をどう感じているのだろうか。もっともそう発言する人たちの多くは、権力者やスポンサーには従順で、メディアの言うなりにふるまったりもするから、無関心のままなのだろう。ポピュラー音楽は商業主義の中で成り立っているが、その出発点には政治や経済、そして社会や文化に対する批判があった。マドンナは世界で最も成功し、富と名声を得た女性ミュージシャンであり、また世界で一番強く不条理を批判する人でもある。その事を改めて実感したアルバムである。

springsteen4.jpg ・スプリングスティーンの『ウェスタン・スターズ』も5年ぶりのアルバムである。彼は1949年生まれでもうすぐ70歳になる。健在なのは確かだが、最初は、マドンナと比べるとメッセージもサウンドも地味な印象だった。オーケストラがバックだから、ロックでもないしフォークでもない中途半端な感じもした。しかし、何度も聴き、歌詞も読んでいるうちに、よく練られたアルバムであることがわかってきた。彼はインタビューでこのアルバムのコンセプトを、70年代の「南カリフォルニア・ポップ・ミュージック」、たとえばグレン・キャンベルやバート・バカラックにおいたと言っている。そこで歌われているのはハイウェイ、砂漠、孤独、コミュニティ、そして家庭と希望の永続性というテーマだとも。

・「偉大なアメリカ、アメリカ第一」と連呼して支持者を喜ばすトランプ大統領とは対照的に、スプリングスティーンが歌うのは、変質したアメリカから失われかけている古き良きアメリカだ。アルバム・タイトルになっている「ウェスタン・スターズ」で歌っているのは、かつてはハリウッドの脇役俳優で、ジョン・ウェインに殺される役をしたことがある老人の回想物語だ。あるいは「ヒッチハイキン」や「ムーンライト・モーテル」からはハイウェイの旅、「ツーソン・トレイン」は列車の旅で、がんばったが報われなかった生活や、人との別れや再会が描かれる。やはり全曲が物語になっている。アメリカ映画にはおなじみの夜明けや日没、砂漠や岩の風景のなかで。自分の人生を振り返る。

・二人の新しいアルバムを聴きながら、『マダムX』には『ミッション・インポッシブル』を『ウェスタン・スターズ』にはいくつかのロード・ムービーを思い出した。世界が壊れかけている。それは世界中から伝わる出来事に顕著だし、個々の人たちの生活や心にも溢れている。この二つのアルバムには、そんなシーンを見つめる二人の様子がいくつもちりばめられている。