2013年4月29日月曜日

テレビを買い換えた

・ちょっと前から、VHSとDVがついたデッキで映像が映らなくなった。もうほとんど見ることもなかったから、そのまま放置しておいたのだが、今度は光テレビに同じ症状が出た。音はすれども姿は見えず。NTTに連絡してチューナーを交換したが、しばらくするとまた同じ症状が出た。で、テレビの付属機器との接続部分が原因だという結論になって、買い換えることにした。

・テレビはビクターの98年製だから15年見ていたことになる。数年前に一度全く見えなくなってビクターに連絡したら、部品の交換で生き返って、まだ当分これでいけると言われた。ブラウン管だがハイビジョン用だったから、僕は液晶画面よりはずっと気に入っていた。とは言え、パソコンもとっくに液晶になって、タブレットやスマートフォンなどですっかりなれてしまっているから、それほど惜しいという気にもならなかった。

・ただ、テレビにVHS+DVのデッキをつないでもやっぱり音だけで映像が見えなかったのはがっかりした。ビデオカメラで映したminiDVや、映画やドキュメントなど集めたVHSのカセットがかなりあるから、何とかしなければ全てが無用の長物になってしまう。以前に全部をDVDに変換しようと思って始めて途中で辞めてしまったことがある。今ならハードディスクに移し替えるのがいいのだろうが、手間や時間を考えると、とてもやる気にはならない。

・最近のビデオカメラはUSB接続でパソコンからハードディスクに保存できるようになっているようだ。スマートフォンで用が足りるから買う気にならないが、これまで撮りためたものをまとめて保存しておきたいとは思う。しかし、ベータから始まってVHS、Hi8、MiniDVと次々変わってきて、すでに見ることもできないカセットもかなりある。その多くは、こどもが小さい頃にせっせと映したもので、滅多に見ることはないが、見られるようにはしておきたいと思う。

・同じことはオーディオ機器にも言える。ほとんど聴かないLPレコードやカセット、そしてMDが棚積みされている。もちろん、音楽はCDで買うから、それらが占めるスペースはかなりのものになっている。そのほとんどはiTunesを使ってパソコンとiPodに収まっているから、本当は処分してもいいのだが、捨てようという気にはならない。と言うよりは、新しいアルバムの購入は相変わらず、itunesではなくCDでと思っているから、これからもどんどん増えていくしかないのである。

・実は置き場に困るほど増えているのは書籍で、仕事を辞めて研究室を引き払うときになったら、それをどうするかはまだ考えていない。欲しい人にあげるか、どこかに寄贈するか、いずれにしても保存するスペースは家にはないから、その処分方法を考えなければならない。本もデジタル化がはじまっていて、近い将来には、全てをハードディスクに保存することができるようになるのかもしれない。しかし、本に対する愛着はLPレコードやCDの比ではないから、内容をデジタル化しても、本はいらないということにはならないと思う。

・テレビの買い換えから話が飛躍してしまった。新しい液晶画面を見ながら、気になったのは、新しくすることで不要になるもの、買い換える必要があるものなどが付随して一杯出てくることだった。そして、ビデオやCDといったソフトが何重にも保存されていく。これは本当に大問題だと思った。

2013年4月22日月曜日

『「文化系」学生のレポート・論文術』

 

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・ネットの利用が当たり前になって、レポートや論文が簡単に書けるようになったという声が聞こえます。しかし、それは誰もが、テーマに関連することばを検索して、最初に出てきたサイトや資料を材料にして書くようになったことも意味します。似たものばかりを読まされる教師がうんざりするのはもちろんですが、学生にとっても、安直な分、何の役にも立たない作業にしかならないのです。

・文章は、自分にしかわからないことを、誰にでもわかるように書くことが基本です。そのためには、何がわからないのかを自覚し、明確にするために、考えたり、調べたり、参考になる本を探して読むことが必要です。ネットはあくまで、そのための一つの手段に過ぎないのです。

・この本は、自ら積極的に、わからないことに興味を持ち、調べたり考えたりする学生に、何をどう調べ、どんな本を読み、どんなふうに考えたらいいかをアドバイスする内容になっています。章構成は以下の通りです。


はじめに

パート1 レポートや卒論を書くために押さえておきたいツボ
 1.文章表現の基礎 2.分野による違い 3.視点の定め方
 4.客観的な視座 5.批判的な姿勢
 コラム1 文章をどう書くか

パート2 レポートや卒論を書くために使えそうなコンセプト
 1.消費 2.若者 3.アイデンティティ 4.ジェンダー 5.階層
 6.政治 7.コミュニティ 8.レジャー 9.グローバル化 10.メディア
 コラム2 卒論の進め方

パート3 レポートや卒論を書くために役立ちそうなトピック
 1.音楽 2.ファッション 3.スポーツ 4.アニメ 5.アイドル
 6.有名人 7.映画 8.観光 9.食 10.ソーシャル・メディア
 コラム3 レポートを書くための技術

パート4 レポートや卒論を書くために参照したいデータ
 1 資料・データの集め方1(本、新聞、雑誌、インターネット)
 2 資料・データの集め方2(量的調査とデータ解析)
 3 資料・データの集め方3(フィールド調査)
 コラム4 レポート提出は「担任教員への思いやり」が大前提です!

あとがき

2013年4月15日月曜日

薪割りと山歩き

 

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・寒かった冬も3月になると急に暖かくなって、片栗の花や蕗のとうが例年よりも早く芽を出した。桜もすでに満開で、これも半月も早い。次の冬のための薪割りも、半分済んだところで雪が降って道が凍結してしまったから、原木の購入がヴェトナムから帰った後になってしまった。その4立米をチェーンソーで玉切りして、せっせと薪割りをしている。始めるとすぐに汗びっしょりになって、Tシャツでも暑いくらいだ。forest107-2.jpg
・玄関のベランダの木が腐ってきたので張り替えることにした。オームセンターに2m弱の板を買いに行ったが、必要な枚数が無くて、途中までしかできていない。このベランダは2005年に張り替えたものだから7年ほどしか持たなかったことになる。ついでに手すりも作りかえようと思うのだが、これは来月になるか再来月になるか。バルコニーも床下の土台から直さなければならないから、今年は大工仕事に精出さなければならない。forest107-3.jpg
・パートナーが乗っていたインプレッサが13年以上も経ってそろそろ買い換えの時期になっていた。まだまだ元気に走っていたから急いでいたわけではないのだが、オレンジのXVが気に入っていて、アウトバックを買ったディーラーの営業マンに話したら、さっそく新古車の出物があるという連絡が入った。自動でブレーキがかかるし、アイドリング・ストップもして燃費がいい。forest107-4.jpg
・暖かくなって再開したのは他にもある。自転車と山歩きだ。今年最初は伊豆の金冠山と達磨山で、3時間ほどの軽いコースのはずだったのだが、階段の直登で駿河湾から吹き上がる強い西風に煽られての行程は、久しぶりの山歩きとしてはきつかった。山桜も散りかけていて、先週来れば満開の景色が眺められただろう。 forest107-5.jpg

2013年4月8日月曜日

suzumoku"キュビズム"他

・suzumokuなんていうミュージシャンは全く知らなかった。だいたい日本のメジャーの音楽状況はここ数年、嵐やAKBやらSKE、NMBなんていう訳のわからないグーループに席巻されていて、およそ音楽とは関係ないビジネスと化している。興味がないと言うよりは嫌悪感で、聴くのはもちろん、話題にもしたくないほどだった。もちろん、3.11以降にさまざまな問題を批判する歌が生まれていることも事実である。ただし、その多くが地方に住んで、小さなライブハウスなどで活動するミュージシャンたちだから、メジャーとマイナーの断絶がますます大きくなってしまっている。

・suzumokuのビデオ・クリップをYouTubeで見たのはFacebookで紹介されていたからだった。それほど興味を持ったわけではなかったが、一つ見ると、続けて見たくなって、YouTubeにあるビデオを全部見てしまった。で、さっそくAmazonでCDを買うことにした。日本人のミュージシャンにこんなに興味を覚えたのは尾崎豊以来かもしれない。とにかくひどい音楽状況だけに、とても新鮮に感じられた。

suzumoku1.jpg ・''キュビズム"には12曲が収められている。どの曲を聴いても感じるのは、どこでも見かける街の風景、駅や駐車場、そして自分が住む部屋の様子やテレビ、あるいはそこで出会う人や見かける出来事の描写が、まるでスケッチブックを見るようにイメージできたことだった。で、もちろん、それにはsuzumokuというフィルターが通されていて、その感性や姿勢には共感したり感心したりするものが多かった。それはたとえば、次のようなフレーズだ。


最低まで転げ落ちたら 有名になるの?
犯罪者のモンタージュが 街中に張られている
「モンタージュ」

空回る換気扇のガラガラ 余りにもうるさいものだから
溜息を一つ置き去りにして 冷た過ぎるドアノブを掴む
「ノイズ」

またも虐待のニュースです なんと痛ましいことでしょう
信じ難い事件ですが 次はスポーツの話題です
「どうした日本」


suzumoku2.jpg ・'キュビズム"は昨年出たばかりの最新作で、その他に"素晴らしい世界"と"コンセント"の2作を買った。サウンドはギターだけのデビュー作から徐々に多様なものに変わってきているが、歌詞の特徴にはほとんど変わりがない。「都会を飾る真夜中の明かり 『あれは残業の景色なんどよ』と君は眠そうに目を擦りながら 独り言のように呟いている」(「素晴らしい世界」)。あるいは並んで歩いている恋人同士の会話を歌った「街灯」には印象に残る映画のワンシーンを見るような趣がある。

「もしもさ、明日全てが滅びるならどうしようか?」夕日と歩きながらふと君が問い掛ける 「いきなりどうしたの?」とおどけて笑ってみても 真面目な横顔に僕は少し立ち止まる 認め合いその時まで二人生き残れるのなら 迫り来る最後がどれほど暗くとも 街灯が一つ一つ灯される日常を願うだけ

・歌はことばをメロディに載せて伝える表現手段だ。だから歌を聴くときには、その歌詞が何を伝えようとしているのかに注意を向ける。当たり前の聴き方だと思うが、最近の日本人の作る歌にはほとんどメッセージがないのが普通だった。だから一層、suzumokuの歌には新鮮さを覚えた。彼が描くのは今の若者たちが抱く「心の歌」のように聞こえてくる。ちょっと声が優しすぎるところがもの足りない気もするが、それもまた最近の若者らしさを表象しているのかもしれない。

2013年4月1日月曜日

京都と成明さん

 

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・竹内成明さんが亡くなった。大震災と原発事故からちょうど2年目の3月11日だった。癌で余命6ヶ月ということを聞いてから2ヶ月しか経っていなかった。彼のブログには3月1日付けの文章と闘病略歴が載っている。


 2012年11月初め、腰痛がひどく近所のバプテスト病院へ。レントゲン検査で肺下部に小さな瘤が見つかり、わたしが50年来のヘヴィスモーカーであったことを知ると、ただちに京大呼吸器内科へ紹介される。
 12月6日夕刻、ビリビリビリッと、突然の激痛が、全身を走る。痛いなんてものじゃない。焼きごてを背中一面に当てられたよう。
 叫びました。絶叫です。病院でもらっていた薬を全部飲んで、一時休眠、明け方から痛みが再び走り出し、絶叫。((「ぐしゃだより」から引用」

・ 成明さんは僕にとって雲の上の存在だった。同志社大学の修士課程に在籍していた時に彼は同じ専攻の教員だったが、大学院を担当していなかったから、筑摩書房から出ていた『展望』に連載したエッセイを通してしか知らなかった。当時『展望』は文系の院生にとっては必読の雑誌だった。彼と親しくなったのは、大学院に進学をしたゼミ生を介してで、つきあいは大学ではなく、もっぱら銀閣寺近辺の飲み屋になった。あまり飲めない僕には、大酒飲みとのつきあいはしんどかったが、そこで得て、血となり肉となったものは少なくない。

・『展望』に連載されていたエッセイは『濶達な愚者』(れんが書房新社)という題名の本になった。ドン・キホーテではなくサンチョ・パンサの存在とその役割を「濶達な愚者」と名づけてその重要性に注目をした。崇高な騎士ではなく闊達な愚者。成明さんはその両面を強く併せ持った人だった。成明さんたちとのつきあいは僕が東経大に移籍するまで20年以上続いた。振り返れば、一番元気で勉強もした時期で、それだけに、思い出すことは多い。

・たまたまK's工房の個展が京都であって、本当は成明さんに会うつもりでいたのだが、仲間たちと会うことになった。最初は数人のつもりだったのだが、20名を越える人が集まって、ミニ偲ぶ会のようになった。10数年、20年、あるいはそれ以上会っていなかった人もいて、思い出話に花が咲いた。

・親しい人が死ぬというのは、縁のある人たちが再会するきっかけになる。そういえば、京都に来るのは知人が亡くなって偲ぶ会に参加ということが多くなった。師と呼べる人が残りわずかになった。そういう歳になったのだとつくづく思う。