2013年12月31日火曜日

目次 2013年

12月

23日:義父の死

16日:最近買ったCD

9日:「特定秘密保護法案」の強行採決に思う

2日:JFK暗殺から50年

11月

25日:古典を読もう

18日:紅葉と冬支度

11日:「ソロモン流:上原浩治」

4日:秘密・嘘・謝罪

10月

29日:Danny O'Keefe" O'Keefe"

21日:秋の山歩き

14日:「大丈夫です」って何?

7日:エリック・ホッファー『波止場日記』他

9月

30日:メジャーリーグと日本人選手

23日:千客万来の夏

16日:Bob Dylan "Another Self Portrait"

9日:福島、シリア、そしてオリンピック

2日:北海道の旅

8月

26日:利尻・礼文から

19日:幸福について

12日:山歩きと自転車

5日:夏休み

7月

29日:音楽と政治

22日:戦前の日本に戻っていいのだろうか?

15日:「カルチュラル・タイフーン2013」報告

8日:「カルチュラル・タイフーン2013」にお越しください!

1日:アルンダティ・ロイ『民主主義のあとに生き残るものは』

6月

24日:車の進化

17日:「カルチュラル・タイフーン2013」準備中です

10日:テデモクラTVを見よう

3日:大工仕事

5月

27日:漠と渡とグッドマン

20日:春の山歩き

13日:もう醜悪と言うしかない

6日:長田弘『アメリカの心の歌』

4月

29日:テレビを買い換えた

22日:新刊案内『「文化系」学生のレポート・論文術』

15日:薪割りと山歩き

8日:suzumoku"キュビズム"他

1日:京都と成明さん

3月

25日:ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』

18日:ヴェトナムで考えたこと

11日:ヴェトナムからの手紙

4日:K's工房個展案

2月

25日:雪かきと薪割り

18日:演説と講義

11日:テレビの60年

4日: クリス・アンダーソン『Makers』他

1月

28日:パティ・スミスのコンサート

21日:今年の卒論

14日:When I'm Sixty Four

7日:モリソンとノップラー

1日:新年に思うこと

2013年12月23日月曜日

義父の死

・今年で93歳になった義父が亡くなった。3年ほど前から老人ホームに入っていて、時折訪ねると元気な様子で、笑顔で迎えてくれていた。しかし、今年になって肺炎にかかり、病院の入退院をくり返していて、先月お見舞いに行った時には、ずっと眠ったままだった。

・彼が老人ホームに入るまでは、僕の両親と年一回、那須にある義兄の別荘に泊まり込んで歓談の時を過ごしてきた。それができなくなって両親は残念がっていたが、僕の父も3年前に体調を崩し、昨年の母の病気を契機に二人そろって老人ホームに入った。二人とも今は元気だが、ほとんど外に出ることもない。義父の死を伝えるのはちょっとつらかった。

・義父は学徒出陣でフィリピンに送られた。アメリカ軍との戦争に負けて、セブ島を何日もさまよって捕虜になった。その体験について、彼はあまり話したがらなかったが、一緒に食事をしている時に口にした「上タン」ということばをきっかけに話をし出したことがあった。「上タン」とは上質のタンパクという意味で、セブ島をさまよっている時に食べるために捕まえた動物の中で、おいしくて栄養価のあるものを、こう呼んでいたというのだった。現地の人が飼っていたニワトリを盗んだこともあったようだ。

・その話を聞いて、もっといろいろ聞いてみたいと思ったのだが、彼はそれ以上には話したがらなかった。何しろフィリピンに送られた兵隊達の1割程度しか生き残って帰国できなかったのである。戦後も長い間、その体験に苦しめられてきて、自分なりの整理はできなかったようである。

・亡くなったという知らせがあったのは朝1時限目の授業のために早起きをして出かける用意をしているときだった。帰りがけに父母のいる老人ホームを訪ねて、クリスマスと正月用にと買ったシクラメンを届けるつもりでいたから、授業を終えるとまず、老人ホームに寄ることにした。母は一緒に那須に行ったときの話をして、気落ちした様子だった。

・通夜も告別式もせず、翌朝子どもたちだけで見送って、お骨にして義兄の家に持ち帰った。義母はすでに8年前になくなっている。親戚もそのほとんどは他界しているから、連絡も孫のところだけにした。人生の最後を老人ホームで過ごし、長生きをすれば、最後はこんなふうに静かなものになる。超高齢化社会では、都会で生活する者にとって、大がかりな通夜や葬式は不要のものになる。そんなことを実感した。

・それが寂しいとか冷たいなどとはまったく思わなかった。人の死は本人よりは、残った者の問題である。関係の記憶を強く持つ者だけが見送ればいい。僕の父母にそんな話をしたら、二人は何と言うだろうか。父はまだ、形式を気にするかもしれない。そうだとしたら、強制はしないが、説得しなければならない。帰りの車を運転しながら、そんなことを考えていた。家が近づくと風景が雪景色に変わっていた。

2013年12月16日月曜日

●最近買ったCD

Pearl Jam "Lightning Bolt" "Riot Act"
Travis "Where You Stand"
Stereophonics "graffiti on the train" "Keep Calm and Carry on"

jam1.jpg・エディ・ヴェダーはいいけどパール・ジャムはちょっとうるさい。そんな印象があって、最近のパール・ジャムのアルバムは買わなかったのだが、ヴェダーの"Into the Wild"と"Ukulele Songs"がよかったから、新しく出た"Lightning Bolt" を買ってみた。やっぱりグランジだからうるさい曲が多いけど、じっくり聞かせる落ち着いた曲もある。「サイレン」は夜サイレンが鳴り響くアメリカの都会をイメージさせる。「ペンデュラム」は振り子という意味だが、落ちるところまで落ちて高さがわかるとか、火の中にいるのに寒い、あるいは未来の明るさが照らすのは行くべき場所がないということ、といったことが歌われている。

jam2.jpg・パールジャムのアルバムはデビュー後の3枚だけしか持っていなかったから、ほかにも何枚か買った。"Riot Act"は2002年に出たアルバムだ。タイトルは9.11の1年後ということが関係しているのかもしれないが、アルバムと同名の曲はない。「アイ アム マイン」には次のような歌詞がある。

海は泣き叫ぶ人たちの涙で溢れている
満月が高潮に被る人たちを探している
悲しみが否定される時こそ、悲しみが大きく膨らむ
俺の気持ちを知っているのは俺だけ
俺は俺

travis1.jpg・トラヴィスの"Where You Stand"は5年ぶりのアルバムだ。しばらく出てないと思ったが、5年とは久しぶり。ただし、相変わらずのトラヴィス節で、以前のアルバムと続けて聴いたら、どれがどれやらわからないほどだ。と言って批判しているわけではない。コールドプレイはすっかり飽きて、もう聴く気がしないが、トラヴィスとはまだまだつきあい続けたい。そんな気持ちになった。地味で、それほどメッセージ性もないけれども、いつも曲が美しい。そう言えば、同じスコットランドのグラスゴー出身のスノウパトロールも最近聴いていない。アルバムが出ているようだから、買うことにしようか。

stereophonics5.jpg ・ステレオフォニックスはうるさいけれども曲がきれいだから、僕の基準では、パールジャムとトラヴィスの中間に位置する。ウェールズ出身のバンドで、このコラムでも幾度か取り上げたことがある。しかし、調べてみると2008年だから、このバンドも5年ぶりとなる。もっとも、"graffiti on the train" の前に"Keep Calm and Carry on"が2010年に出ていて、これは気づかなかったからあわせて購入した。

・アルバム・タイトルになっている「列車の落書き」は、彼女に見せようと列車に「結婚しよう」と落書きをして、足を滑らせて死んでしまった男の物語だ。ストーリー・テラーであるのもこのバンドの魅力で、この歌は、翌日彼女が朝駅で待っていると、その列車がホームにやってくると続く。乗ろうとしたドアに「結婚しよう、愛してる」と書いてあって、彼女は彼に電話をするが、ベルは鳴りっぱなしのままだ。

stereophonics4.jpg ・"Keep Calm and Carry on"は第二次大戦中にイギリス政府が発行したポスターの標語だ。「冷静に、続けよ」といった意味で、爆弾が降る中でも紅茶を飲む冷静さと、しかしあくまで戦い続ける不屈の精神をもったイギリス人を表す標語として、戦後も使われたようだ。タイトルと同じ曲はないから、なぜこんな題名をつけたのかはわからない。しかし、以前のアルバムに比べて穏やかで、じっくり聴かせるサウンドになっている。二枚ともものすごくいいできで、改めてこのバンドの実力を確認した。

2013年12月9日月曜日

「特定秘密保護法案」の強行採決に思う

 ・「特定秘密保護法案」が自民公明の強行採決で、衆議院、そして参議院で可決された。とんでもない悪法で、世論の反対はもちろんだが、さまざまな人たちが反対の声をあげ、デモや集会がいくつも開かれた。安倍政権は、そんな反対の声を無視して採決を強行したのだが、そんな姿勢が選挙での大勝と支持率の高さによることは間違いない。とんでもない政権を誕生させてしまったと後悔しても、後の祭りというものである

・なぜ今、こんな法律を急いで可決する必要があるのか。それを考えた時に思うのは、この法律が、安倍政権になって突然現れてきたものではないということである。古くは1987年に「スパイ防止法」が議員立法として提出され、廃案になっている。その後も、国家秘密の管理体制を強めようとする動きは各省庁の中で続いていて、それは民主党が政権を取った期間も行われていた。つまり、この法案は、政治家や政党よりも、官僚たちが作りたくてしょうがなかったものだということだ。さらに言えば、アメリカの要請だろう。

・「特定秘密保護法案は、第一号「防衛に関する事項」、第二号「外交に関する事項」、第三号「特定有害活動の防止に関する事項」、第四号「テロ活動防止に関する事項」から成り立っている。これは特定秘密の業務を行うことができる者に限定された法律だといった弁解もなされているが、第三号の「特定有害活動」は「有害」であることを誰が決めるのか、第四号の「テロ活動」も何を指して「テロ」というのかが曖昧なままにされているのが問題だと言われている。

・その点の怖さがあからさまになったのが、石破自民党幹事長がブログに書いた、国会議事堂周辺で行われていたこの法案に対する反対行動をさして、「単なる絶叫戦術のテロ行為」と批判したことである。この時期にデモをテロと言ったことは、この法案の目的がどこにあるのかを明確にしたと言えるが、反対の声に対して「聞く耳を持たぬ」といった態度にも底知れる怖さを感じさせた。

・国家が重要な秘密を守るための法律は多くの国が持っている。「特定秘密保護法案」の必要性を説く大きな理由だが、それはまた、「情報公開」や個人の「表現の自由」と両立させなければ、国家による国民の一方的な押さえつけになってしまうものである。しかし、「情報公開法」が施行された時に、各省庁で都合の悪い文書を事前に廃棄してしまったり、重要な会議の議事録がなかったりといった不祥事が露呈したのは記憶に新しいことで、「情報公開法」は不整備のままである。

・「特定秘密保護法」は実際に機能させることよりは、秘密の漏洩や国家批判を事前に押さえつける役割の方が強いという指摘がある。疑いをかけて捜査をしやすくすることができるし、公務員はもちろん、国民を萎縮させる働きがある。橋下市政の大阪では、すでにそのような空気が蔓延しているという指摘もあった。

・マスコミの動きが遅かったのも怪しいが、民主党政権の時には頻繁にしていた内閣支持率の調査が、最近ではあまり行われていないのも何とも不思議な気がする。安倍内閣の支持率は大きく下がるだろうが、法案が通ってしまった後では何の役にも立たないだろう。消費増税が決まり、社会保険制度が改悪された。しかし諦めずに、この政権を倒すために大きな声をあげ続けることが大事で、そうしなければますます、息苦しい世の中になるばかりだと思う。

2013年12月2日月曜日

JFK暗殺から50年

・アメリカ大統領だったケネディが暗殺されて50年になる。アメリカではその記念行事がおこなわれ、日本ではちょうど娘のキャロライン・ケネディが駐日大使になったことで、いろいろ話題にされた。NHKのBSが放送した、J.F.ケネディをテーマにしたドキュメントを続けて見て、僕も改めて50年前のことを振り返ってみた。

・ケネディがテキサス州のダラスを遊説中にライフル銃で狙撃されたのは1963年11月22日午後1時のことである。僕はそのニュースを23日の朝刊で知った。なぜ覚えているかというと、勤労感謝の日の朝で高校受験のための公開模試を受けるために家族より早く起きて、最初に新聞を読んで、驚いて家族を起こしたからだった。このニュースに対する驚きはもう一つ、日米間の衛星中継の最初の放送が、この暗殺というニュースだったことにある。事件が起きたのは日本時間の午前3時で、実験放送は午前5時から20分間、午前8時58分から17分間行われ、ケネディの暗殺が報じられたのは2回目だったようだ。

・僕がテレビでこのニュースを見たのは模試を終えて帰宅した後の夜のニュースだったと思う。大統領暗殺というのもショックだが、それが瞬時に衛星中継によって狙撃シーンまでが放送されたのも驚きだった。ケネディ大統領に対しては、その格好の良さや説得力のある演説、そしてキューバ危機をめぐるソ連のフルシチョフ首相との緊迫したやりとりと、第三次世界大戦が始まるのではといった不安について、中学生ながら関心を持っていた。米ソは保有する核爆弾の量で競い、有人宇宙ロケットで争っていたが、僕は断然ケネディ支持だった。

・BSでは「ダラスより速報 午後1時ケネディ死す」からはじまり、「ケネディ大統領への背信 強硬派との対立」「ケネディ大統領への背信 キューバ危機 そして反転攻勢へ」「リンドン・ジョンソン〜ケネディの後を継いだ男〜」「秘密映像 忘れ得ぬJFK 」「ケネディ家 宿命の子どもたち(前・後編)」「コールド・ケース "JFK"〜暗殺の真相に迫る〜」といった題名のドキュメントが2週間にわたって放送された。

・1963年は日本では東京オリンピックの1年前で、名神高速道路が一部開通し、東海道新幹線もオリンピック開催に合わせて開業するという状況だった。年10%を超える経済成長で所得が倍増すると言われた時代だが、世界では、米ソが衝突する一触即発の危険状態にあったし、米ソに中国そしてフランスなどが行った核実験は福島第一原発事故以上の放射能を世界中にまき散らしてもいた。あるいはヴェトナムに介入したのもケネディで、その戦争を拡大したのは副大統領から大統領になったジョンソンだが、彼はまたケネディのもとではなかなか進展しなかったアメリカの黒人達が主張する公民権法を成立させた人でもある。

・自分の記憶と、これまでに読んだ何冊かの本を思い出しながらドキュメントを興味深く見た。ケネディを英雄視する見方は今でもアメリカでは強いようだ。暗殺についてのCIA陰謀説やマフィアの関与は今のところ否定されているということだった。放送されたドキュメントの中ではケネディ家に続いた悲劇を扱った「ケネディ家 宿命の子どもたち(前・後編)」が、フランス製作ということもあって、距離を置いた描き方をしていて一番おもしろかった。

・その生き残りとも言えるキャロラインがこの時期に駐日大使として日本にやってきた。日本では歓迎ムード一色だが、日米間に生じている問題にどう取り組もうとしているのか。彼女の言動からはまったく読み取れない。TPPや秘密保護法、そして沖縄の基地問題などが、彼女の笑顔でうやむやにされたのではたまらないという気になった。

2013年11月25日月曜日

古典を読もう

・大学生が本を読まなくなった。こんな感想はもう珍しくないが、大学での勉強が本を読むことを基本にしているのは今でも変わらない。講義を聞くだけでは、その時理解できたとしても、身につかずに右から左に流れていってしまう。だから、講義内容に準拠した教科書を作って、予習と復習の必要を毎回くり返して話すのだが、さてどのくらいの人たちが、自覚をしているのだろうか、と思う。

・そんな思いは多くの教員に共有されていて、何とか学生に本を読ませようとそれぞれ工夫をしているのだが、なかなかうまくいかない。で、学部の教員が集まって「コミュニケーション」に関連する書籍を集めた「ブックガイド」を作ろうということになった。一冊を見開き2ページほどで紹介するもので全部で100冊ほど、僕はその中の四冊を受け持った。どれも出版されてから、年月のたった、いわば古典と言われるものばかりだった。

classic1.jpg・D.リースマンの『孤独な群衆』は大学生の時に買って読んだ本である。個々人ではなく一つの社会に生きる人たちに共通して見られる性格(社会的性格)を「近代」を中心に「前近代」「現代」と分けて、その違いを詳説した内容は、読んだ当時も目から鱗といった感じだったが、今でも必要な概念だと思って、講義でも話題にし続けている。

・現代人に共通した「社会的性格」をリースマンは「他人指向型」と名づけた。自分の良心や信念に従って行動するのではなく、他人の言動に注意を向け、他人の反応に自覚的になる。そんな特徴は、リースマンが指摘した時代以上に、現代では顕著になっている。その一番の理由はパソコンやケータイ、そしてインターネットといった情報機器の発達とそれに頼る人の増加だが、僕は最近の分析よりははるかにおもしろいし有益だと思っている。もっとも日本人にとっては「内部指向型」の時期はほとんどなかったから、「伝統指向型」から「他人指向型」への変化ということになる。

・その『孤独な群衆』が最近復刊されていることを知って、買い直すことにした。上下二冊本になって、それぞれ3300円と高額で学生に買えとはとても言えないが、図書館で借りて読んで欲しいと思う。トッド・ギトリンが解説していて、僕はこの文章だけでも、買い直す価値があったと思っている。

classic4.jpg・D.ヘブディジの『サブカルチャー』はカルチュラル・スタディーズ初期の代表作と言えるものだ。70年代にイギリスで台頭したパンクやレゲエは、労働者階級や植民地からの移民の中から生まれた若者文化だった。70年代のイギリスは、英国病と言われて不況にあえいでいたが、パンクとレゲエは一方では、社会の最下層で争う関係でありながら、他方では音楽的に影響しあってもいた。
・社会に対する不満や反抗の叫びとして生まれる「サブカルチャー」は時に、大きな支持を得て、世界的な広がりを見せることがある。二つの音楽はその好例だが、それはまた路地裏の悪魔が大通りの天使に変身する過程でもある。音楽を社会や政治、そして経済の関係から読み解くことのおもしろさを教えてくれる一冊である。

classic2.jpg・J.メイロウィッツの『場所感の喪失』は、以前にこのコラムで取り上げたことがある。メディアを送り手の側からでなく、受け手の側からとらえるとすれば、どうしたらいいか。ケータイやパソコンの利用が普及した現在では、当たり前の視点だが、それらが登場する以前の時代には、気づきにくい発想だった。メイロウィッツはそれをマクルーハンとゴフマンを統合することで試みた。
・テレビはまるで目の前にいる人と直接対面しているかのようにして視聴する。だから活字メディアとは受け取り方が違ってくるし、今自分がいる場所の実感が怪しくもなってくる。ケータイやパソコンは、そんな無場所感を桁違いに増殖させるメディアだが、今では、そんな感覚も当たり前になって、誰も不思議だと思わない。だからこそ、原点に立ち返って考え直すために読む価値がある本である。

2013年11月18日月曜日

紅葉と冬支度

 

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forest111-2.jpg・最低気温が10度以下になった10月末から薪ストーブを燃やし始めた。半年ぶりの暖かさに体がほっこりした。これから来年の五月初旬まで、また半年間、ストーブを燃やし続けることになる。

・ストーブをつける目安は気温だけではない、家から見える御坂山塊が尾根から色づき始めて、だんだん下に降りてくる。それが我が家の庭にやってくるのだが、そんな毎年の景色に、また感動して、ストーブの季節を思い出すのである。

forest111-3.jpg・薪を燃やし始めれば、次の年の薪を用意しなければならない。で、原木を注文した。一年で8㎣使うが、まずは半分の4㎣。これを暮れまでにはチェーンソーで玉切りして、斧で割らなければならない。半年ぶりにチェーンソーを動かしたが、なかなかエンジンが始動しない。もうこれだけで腕がなまり、汗が出てきた。ガソリンもチェーン・オイルもすぐなくなってしまったから、一日目は一時間ほどでおしまい。

・毎年の仕事で、楽しい反面、年々しんどい思いも増している。いくつまで続けられるか。無理は禁物だが、体力はつけておかなければならない。

forest111-4.jpg・夏の北海道旅行でプロトレックが壊れたから、新しい時計を買った。フィンランドのスントというメーカーだ。知らなかったが、標高はもちろんGPS機能がついていて、パソコンにつなげば歩いたルートを地図上で確認できるというので決めた。結果は右図の通り。道の登り降りと歩いた速度が細かくチェックできる。トレッキングだけでなく、ランニングやサイクリング、カヤッキング、そして高速道路を使ったドライブも記録できる。

・数字フェチとしては、おもしろい道具で、これがまた歩いたり漕いだり乗ったりする気を起こさせる。カヤックや自転車は寒くなるとつらくなるが、記録を残したいからとがんばるかもしれない。

2013年11月11日月曜日

「ソロモン流:上原浩治」

・このコラムは前回もメジャーリーグが話題だった。ちょうどシーズンが終わったところで、これからプレイオフが始まるので、今シーズンを振り返ったのだが、その後の10月は、もう試合のことが気がかりで、家にいる時は必ず中継を見て過ごした。注目したのはもちろん、上原投手と彼が所属するボストン・レッドソックスである。

・上原は今年テキサスからボストンに移籍して、最初は中継ぎだったが、クローザーが不調で、6月からずっと、試合の締めくくり役を務めてきた。今シーズンの成績は4勝1敗21セーブで、防御率は1.09、73試合に登板して74回1/3を投げた。特にすごかったのは6月の末から9月にかけて、点を取られないどころか、四球も出さないし、ヒットもあまり打たれなかったことだ。直球のスピードは140キロちょっとのピッチャーがなぜ打たれないのか。不思議な感じがしたがプレイオフで何試合も見て、その理由がよくわかった。

・彼の持ち玉は直球とフォークの2種類だけだそうだ。ただし、そのフォークが時に右に、左に曲がって落ち、直球は打者の手許で浮き上がるように見えるようで、強打者達がくるくると空振りしてしまうのである。ボストンの相手は、最初はタンパベイで、次がデトロイトだった。相手チームの監督は打てないのはしょうがないと諦めていて、勝つためには上原を出さないことだと言っていたが、先行してもボストンに逆転される試合が多く、上原が出てくれば、ファンはもう勝ったも同然という感じになった。

・テレビ東京の「ソロモン流」がその上原に半年密着取材をした番組を見た。彼は2009年にボルティモア・オリオールズに入団して2年半を過ごしている。家も購入して家族と一緒に暮らしていたのだが、テキサスにトレードされ、今年はボストンと契約したから、ここ数年は単身での生活を強いられている。ボストンではけっして高級ではないホテル住まいで、試合が終わって部屋に戻ると、一人でマッサージをし、テレビを見ながら食事をする。カメラにそんな様子を写されながら、体の調子やチームの雰囲気、メディアの対応と日本での報道のされ方、そして家族のことなどを話すのだが、彼のことばはきわめて正直で、時に辛辣だ。

・メジャーリーグでプレイする日本人選手は今年も10人を超えている。ただし、試合の結果や成績が報じられるのは、イチローとダルビッシュばかりで、地味な黒田や岩隈のことはすこしだけになるし、上原のような中継ぎ投手は、ほとんど話題にされることもなかった。「5試合に1試合しか出ない先発より、毎試合準備していつでも出られるようにしなければならない中継ぎの方がずっとしんどい。」そんな彼の気持ちは、メディアではほとんど語られない。

・実際、メジャーリーグの中継も、レンジャーズやヤンキースが中心で、レッドソックスなどは数えるほどしか放送しなかったから、上原の活躍は、ぼくもプレイオフになるまでほとんど見ることはなかった。ただし、彼は毎日のようにブログを更新していて、出場した試合で対戦した選手への配球と狙いや結果をメモしている。さらにツイッターもやっていたから、調子の良さはずっとフォローしていた。「ソロモン流」ではホテルの部屋でスマートフォンを使ってツイッターやブログに書き込みをする様子も映していた。

・おもしろいのは、スポーツ新聞などが、そのブログやツイッターを借用して記事を書いていたことで、彼は番組の中で、そのことについて、「取材もせんとよう書くわ」と憤慨していた。昨年までいたレンジャーズでは、大勢の日本人の取材記者がダルビッシュを取り囲んでいて、上原には知らん顔といったこともあったようだ。それが、今シーズン後半からワールドシリーズまでの活躍で、手のひらを返したような取り上げ方に変わった。

・上原は自ら「雑草魂」と言う。巨人のエースだったからスター選手であったことは間違いないのだが、メジャーリーグに来てからは地味な存在でしかなかった。もらうお金もイチローやダルビッシュの比ではないし、CMなどの声もかからない。そんなやつらを見返してやる。この一年は、そんな気持ちが実現した、彼にとっては最高のシーズンだったのだと思う。ただし、すでに来年度の契約は済んでいるから、今年の活躍が反映されて大幅アップということにはならないようだ。

2013年11月4日月曜日

秘密、嘘、謝罪

・嘘が平気でまかり通る。そんな現状に腹が立つというより、絶望感にとらわれるばかりです。阪急・阪神ホテルのレストランが食材を偽ってメニューに並べていたというニュースを耳にしました。これはもう悪質な詐欺行為ですが、欺す意図のないミスだったと言い逃れをしているようです。中国産のウナギを愛知県産と偽る業者が後を絶たないようですし、福島県産であることを隠して売られている農産物も多いようです。クール宅急便が猛暑のなか外に放置されていたことも明るみに出されました

・みずほ銀行が暴力団関係者に融資を続けてきたことの発覚も、嘘と謝罪のくり返しでした。最初はトップは知らないことと言っていましたが、頭取をはじめ誰もが承知の上で行ってきたという訂正がなされたのです。嘘がばれると一同勢揃いして、テレビカメラの前で謝罪をする。そんなニュースが毎日テレビに映し出されます。醜悪な光景に反吐が出る思いです。

・見つからなければいいのだから、都合の悪いことは隠しておけばいい。そんな態度を代表するのは、もちろん、東京電力です。会社の存続のためにはどんな嘘もつくし、知られたくないことは徹底的に隠したままにする。最大の秘匿データは地震発生から津波が襲ってくるまでの間に原発に起きたことで、元東京電力の技術者だった木村俊雄さんが、そのデータの開示を強く求めて、福島原発はツナミではなく地震で破壊されたことを主張しています。

・ただし、この主張をマスコミはほとんど無視しています。3.11の地震と津波以降、新聞やテレビの報道がきわめて意図的に操作されていることが明らかになりました。自ら不利益になることは隠したり、無視したり、歪曲したりする。このような姿勢は、メディアが公共の報道機関であるよりもまず私企業であることをあからさまにしました。そんな危機意識からフリーのジャーナリストや評論家が自前で開設した「デモクラTV」は、僕にとって何より信頼できる情報ソースになりました。

・しかし、秘密と嘘ということでは安倍首相が一番でしょう。何しろ世界に向けて、福島第一原発は完全にコントロールされていて、海には放射能は流れ出していないと大嘘をついたのですから。消費税を上げるのは社会保障財源のためではないし、TPPや秘密保護法も国民のためではありません。憲法改悪もふくめて、日本の政治権力や経済を牛耳る人たちにとって好都合な制度に変えようとしているのですが、そんなことはもちろん隠したままですし、明るみに出れば嘘八百でごまかしたり、機密事項だといって無視したりするばかりです。

・2020年に東京でオリンピックが開かれます。しかし、これはいつか来た道の再現になるのではないか。そんな予感すらしてしまいます。東京オリンピックは1964年以前に、40年に開催される予定でした。ヒトラーがその権力を誇示したベルリン・オリンピックの次に開催することが決まったのですが、中国侵略を狙った日中戦争に対する各国の批判によって、返上したのです。福島原発の処理が進まない中でまた大きな地震が起こったりする危険性や、中国や韓国との緊張関係など、現実に今の日本は、すでにオリンピックどころではない状況にあるのですから、この危惧は、けっして考えすぎではないのだと思います。

2013年10月28日月曜日

Danny O'Keefe

"O'Keefe"

" Good Time Charlie's Got The Blues"

O'Keefe1.jpg・ダニー・オキーフの"O'Keefe" は1971年に発売された彼の2枚目のアルバムだ。その中に入っている’Good Time Charlie's Got The Blues’がプレスリーにカバーされてヒットして、一躍注目を集めた。町から人びとが次々出て行ってしまって置き去りにされた男の物語だ。


勝った奴もいれば、負けた奴もいる
いい時もあったチャーリーだって、憂鬱になるさ

・オキーフはジェームズ・テイラーやジャクソン・ブラウンといったフォーク・シンガーより少しだけ年上で、デビューも早かったが、それ以後のアルバムはほとんど注目されなかった。’Good Time Charlie”は道楽者とか落ちぶれた者といった意味の慣用句だから、たった一つのアルバム、その中のたった一曲だけヒットした「一発屋」の自分を予言したような歌だが、その後も音楽活動は続けていて、アルバムも出している。

O'Keefe2.jpg・その一つだけのヒット曲を題名にしたアルバムはオキーフが1970年から2000年の間に発表したアルバムから選んだベスト・アルバムである。ヒット曲名をタイトルにしたのはビジネス上の理由なのかもしれない。けれども、地味で気取らないいい曲ばかりが集められた傑作だと思う。2000年にリリースされた”Runnin' From the Devil”からはディランとの合作の'Well, Well, Well'が収められた。


水を盗んだ男は永遠に泳ぎ続けるだろう
だが、けっして黄金の岸辺の大地にはたどり着けない
ぼんやりした白い明かりが彼の心をとらえる
闇の中でたった一つの思い出をなくすまでは

・オキーフの歌は、たまたま読み始めたエリック・ホッファーと強く重なり合う部分がある。放浪と出会い、そして別れ。一攫千金とは無縁だが、アメリカ人の開拓者魂を持って、何かを探し続けている。アメリカは祖国を追われ、あるいは捨てた放浪者達が作った国。フォークやカントリーには、その魂がくり返し歌われている。そんな典型の’The Road'は’Good Time Charlie”同様、この2枚のアルバムに入っていて、ジャクソン・ブラウンもカバーしている歌だ。

遠くから電話がかかってきた
何してたかって
失ったものを忘れ
勝ち取ったものを誇張する
ここで足を止めたのは
ただたまたまのこと
道の途中の一つの町っていうだけ

・Youtubeでも彼の生の歌を聴くことができる。'Good Time Charlie's Got The Blues'''Well, Well, Well'、そして'The Road'。オキーフは21世紀にになってからもアルバムを出し続けている。最近はどんな歌を歌っているのか、聴きたくなった。

2013年10月21日月曜日

秋の山歩き

 

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9月になっても山歩きをする気にならなかったのは暑さのせいだった。ところが、涼しくなってもあまり行く気にならない。やはり、こういうことは続けていないと、億劫になってしまうものである。で10月になって前から行こうと思っていた宝永山に登ることにした。快晴の朝で富士山もくっきりとよく見えた。さぞかしいい眺めになるだろうと思ったのだが、富士宮口の五合目に着くと、霧が立ちこめ始めて、宝永火口まで歩いた頃には、濃い霧で何も見えなくなった。宝永山に登る時には風も強くなったから、頂上まで行ってすぐに引き返した。本当なら、上の画像のようなところだったのだが、何も見えなかった。
とは言え、一度歩けば弾みはつく。パートナーの誕生祝いに昨年は木曽御嶽山に登った。スイスのアルプスを歩いた勢いで、3000m級の山に挑戦したのだが、今年はもっと楽な所ということで池ノ平湿原にした。2000mほどの所だが山は白く薄化粧をしている。台風が過ぎて急に冷え込んだせいだろう。台風の影響で池ノ平に行く林道は車はもちろん、歩くのもだめだということで、篭の登山(かごのとやま)に登ることにした。



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篭の登山には他に東と西がついた三つのピークがある。歩いたのは2000m弱の高峰温泉から東篭の登山までで登ったのは300m弱だったが、木々は凍りついていて、岩場の多いルートも滑りやすくて慎重に歩かざるをえなかった。崩落箇所も多かったが、尾根づたいに歩くと、東には浅間山、西にははるかに槍ヶ岳が望めたし、北には志賀高原も見えるなかなかの風景だった。南側に雲がかかっていなければ、八ヶ岳や富士山も見えたはずで、まさに360度のパノラマの風景を満喫できるコースだった。
 
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2013年10月14日月曜日

「大丈夫です」って何?

 ・「コーヒー飲む?」って聞いた時に「大丈夫です」という返事が返ってきて、ちょっとむっとして「飲むの、飲まないの?」と聞き返した。ほんの数ヶ月前のことだが、ところがその後、違う人から同じ返事を何度も聞いた。また変なことばがはやり始めたようだ。

・コーヒーについて、「大丈夫です」という返事が意味を持つのは「コーヒー飲める?」と聞かれた時だろう。ところが現実には、飲めないとか、いらないの意味で「大丈夫です」と言う。なぜ、そうなるのか、使う人には自覚があるのだろうかと疑ってしまう。だから、「大丈夫です」と答えてきたら、「それどういう意味?」としつこく問い詰めることにしている。

・もちろん、意味がわからないわけではない。はっきり言わずに、婉曲的に答える。それが相手に対する心遣いだという風潮は、言い方を変えて、もう何年も前から続いている。最初は「語尾上げ」で、断定を避けて判断を相手に委ねる言い方だったと思う。ジェンダー論的な言語学では、英語でも典型的な女ことばとされてきて、批判の矢面に立ってきたが、日本では女も男も「語尾上げ」なんて時期があった。

・次にはやったのは「〜じゃないですか?」「〜でありません?」といった付加疑問や、「とか」「みたいな」で、その後に「かなかな虫」が鳴き始めた。「かなかな」については2年半ほど前に、このコラムでも書いたことがある。付加疑問は断定を避けて相手に判断を委ねる、一種の社交的な言い回しだが、「とか」や「かな」は、相手の反応を意識してと言うよりは、自信のなさの表明に聞こえてしまう。

・他にもあると言うわけではないのに、最後に「とか」を入れる。はっきりしたことなのに、最後に「かな」と言う。こういう言い方がはやるのは、もちろん、自信のなさに共感してというのではないのだと思う。自信過剰な人、強引な奴、そして上から目線の輩(やから)などと思われたくない。そんな人間関係における用心深さが、こんな言い方を次々生んで、あっという間に世間に広まる原因であることは容易に察しがつく。

・ただし[大丈夫です」はいただけない。そこまで意味を曖昧にしたのでは、ことばのやりとりが意味をなさなくなってしまう。「コーヒー飲む?」の返事になっていないのに、[大丈夫です」と言って、何もおかしいと思わない。その感覚に対する違和感は、語尾上げや「とか」や「かな」に感じたものとはちょっと異質な感じがしたからだ。

・「大丈夫」とは語源的には「立派な男」のことを言う。そこから「しっかりした」、そして「間違いない」という意味に転じてきた。そのことばになぜ「ノー、サンキュウ」に似た丁寧な断りの意味が出てくるのだろうか。ことばは変化するものだから、「日本語は大丈夫なの?」と言うつもりはないが、曖昧さもここまでくると、人間不信きわまれりと言いたくなってしまう。もっと素直に、正直に、ことばを使ってつきあいたいものである。

2013年10月5日土曜日

エリック・ホッファーについて


『波止場日記』
『エリック・ホッファー自伝』
『魂の錬金術』
『人間とは何か』

hoffer1.jpg・働くことと暇な時間を過ごすこと。その関係についてずっと考え、何冊もの本を読んでいて、エリック・ホッファーがたびたび登場することに気がついた。で、名前は知っていたけれど、今まで読んでなかったホッファーの本を読むことにした。

・エリック・ホッファーはまったく学校に行っていない。7歳で失明し、15歳で奇跡的に回復した。18歳の時に父親が他界した後、放浪と日雇いの仕事を続け、40歳を過ぎたころから65歳までサンフランシスコで沖仲仕の仕事をした。その間、暇な時間は読書と思索という暮らしをずっと続けた人である。

・『波止場日記』は1958年6月から59年5月までの日記をまとめたものである。次々やってくる外国の船の荷揚げ作業のこと、一緒に仕事をしている仲間のこと、つきあっていて子どももいるが結婚しないリリーのこと、そして時事的な問題に対してや読んでいる本について、さらには考えていることと著作作業について等々、といったことが綴られている。

hoffer2.jpg・ホッファーの最初の著作『大衆運動』(紀伊國屋書店)は1951年に出版されている。1902年生まれだから49歳の時である。沖仲仕をしながら思索をしながら文章を書く。そんな存在に興味を持った雑誌の編集者との出会いがきっかけだった。学校に行かず、放浪と日雇いの仕事を生活のスタイルにしたホッファーにとって、「大衆」とは、彼自身が出会ってきたさまざまな人びとのことである。そして、移民によってできたアメリカという国はまさに「大衆」が作った国だった。『エリック・ホッファー自伝』には放浪と日雇い仕事の生活の中での人びととの出会いが語られている。

・「ホッファー自伝』と『波止場日記』を貫いているのは、何より汗して「働くこと」の重要さだ。それがあって初めて、暇な時間を有意義に過ごすことができる。彼にとってはもちろん、読書と思索だった。だから、肉体労働とは無縁で、ただ頭だけで何事も理解する知識人に対しては、彼は一貫して辛辣な批判を投げかける。

hoffer3.jpg・それは人との関係についても言えることである。放浪と日雇い生活の中での出会いは、気取りのない素顔の人間同士のぶつかり合いになりがちだ。それが時には生き死にに関わることも少なくない。そんな出会いと別れの中で彼が示す「思いやり」は、知識人には持ち得ないものだと言う。

・移民の国アメリカが世界の大国になったのは20世紀のことで、1902年生まれのホッファーは、まさにアメリカの成長と変貌と共に生きてきたと言える。第二次大戦後のアメリカは、まさに豊かな国を実現させた。その豊かな生活の中で成長した若者達が起こした60年代の反乱に対してもまた、ホッファーは手厳しい。働くことを軽視するその態度に対しては次のようなことばをぶつけている。

若者の革命は体勢に向けられているのではなく、努力、成長、そしてとりわけ見習いという慣習に向けられている。彼らは学びもせずに教えたがり、働きもしないのに引退したがり、成熟もしないのに腐敗したがる。彼らは努力しないことが自由であり、刹那的充足が努力だと考えている。(『人間とは何か』113p.)

hoffer4.jpg・ところがホッファーはこの時代の若者に支持されるという一面も持った。それは彼の思想の中に、働くこと以上に遊ぶことの楽しさや重要さに注目する視点があり、自分や他者に対する愛の大切さを説く発言が多かったからだ。そして何より、当時の若者にとって、放浪と日雇いという生活スタイルを貫いた人生が魅力的だったことはいうまでもない。

・ホッファーは「実用的な道具はすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある」と言っている。60年代の甘やかされた若者達が、仕事を拒否して遊びに惚けたなかで生みだしてきたものには、音楽、ファッション、そしてパソコン等々いろいろある。それらが70年代以降から現代にいたる文化産業の興隆はもとより経済や政治のシステムまでも変えてしまったことは言うまでもない。今の仕事の多くを支配しているのは、その遊びの中で生まれたものである。働くことと遊ぶことの関係の難しさとおもしろさ。ホッファーの本を読んで感じるのは、何よりその関係である。

2013年9月30日月曜日

メジャーリーグと日本人選手

・今年のメジャーリーグはなかなかおもしろかった。黒田、岩隈、ダルビッシュが好調で、3人そろって自責点のトップ5に入ったりしたから、先発の日には結果が気になった。レッドソックスでは田沢と上原がゲームの締めくくりにつかわれるようになったし、ブリュワーズの1番に定着した青木の奮闘ぶりなど、毎日チェックする選手の数が多かった。

・特に注目したのは岩隈と上原だ。二人とも剛速球を投げるわけではない。ストライク先行でバッターを追い込んで、フライやゴロで討ち取る。それに案外三線も多い。見ていて、なぜ打たれないのか不思議に思うほど、どうと言うことのないボールなのに、バッターは空振りしたり、打っても内野フライかゴロ。へえー、すごい!と感心するけど、何試合見ても、打たれない理由がわからないほどだった。

・他方でダルビッシュは力でねじ伏せる投球を見せる時もあれば、フォアボールを連発して長打を打たれることもあって、こちらは以前の松坂を見ているのと同じだった。たまに勢いがあるのは岩熊や上原にはないもので、力があることはすぐわかるのだが、メンタル面がすぐに投球に現れるから、見ていられなくなって辞めてしまうことも多かった。

・NHKの中継は今年もやっぱりヤンキースとレンジャーズ中心で、岩隈が投げる試合を放送するようになったのは、彼が好投を続けたシーズン後半で、黒田やダルビッシュが出なくて岩隈が投げてる日でも、中継やヤンキースやレンジャーズということもあった。イチローは出たり出なかったりだから、今さらながらにNHKの中継方針には疑問を持った。

・青木が所属するブリュワーズの試合は、いったい何回中継しただろうか。彼は1番バッターとしてチームの牽引役だった。4番のブラウンが薬物問題で今シーズンの出場が停止されたこともあって、チームは負け越しているが、青木は3割を超えて打つ時期もあって、ネットでチェックしながら、中継したらいいのにと思うことが何度もあった。

・まったく無視されていたのは松坂だろう。トミー・ジョン手術からの回復時期で、今年はインディアンスのマイナーで投げていて、8月下旬にメッツに移籍した。マイナーで好投しての移籍で、最初はやっぱり乱調で、ニューヨークのメディアにはぼろくそに批判された。しかし、3試合目から変身して、以降は安定した投球をしている。おもしろいのはダルビッシュではなく岩隈に通じる投球をして好投している点で、この調子が継続できるなら、来年の松坂は大活躍するかもしれないと思った。

・シーズンが終わって、これからポスト・シーズンになる。一番の注目は上原と田沢のいるレッドソックスだろう。去年はチームが崩壊するほどメタメタだったのに、今年は見違えるような強さで、しかも、大金をはたいて取った選手がいるわけではないから、監督やコーチの手腕やGMのチーム作りのうまさの結果だと言えるのかもしれない。レッドソックスがワールドシリーズまで勝ち進んだら、見ずに入られなくなる。

2013年9月23日月曜日

千客万来の夏

 

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・今年の夏はお客さんがたくさん来た。河口湖もいつになく暑かったが、それでも来た人たちは口をそろえて、涼しいと言った。30度を超える日が珍しくなかったが、下界に比べたら7〜8度は低かったのだから、やっぱり避暑地なのだろうと思う。けれども、やっぱり、今年は暑かった。富士山が世界文化遺産になって登山客で混雑したようだ。富士山は登る山ではなく、眺める山。我が家の裏山に登れば、こんな景色が眺められる。→


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・夏休みに入って最初の客は、中国人の留学生たちとカルタイを一緒にやったYさん、それからゼミの古株Sさん。中国人の留学生Sさんが何とか前期で修論を書き上げた。前から来たがっていたので、そのご褒美として招待した。女ばかり4人も来ると、何ともにぎやかで、男一人では居場所がない感じになってしまう。夜は河口湖の湖上祭の花火を見に、湖畔まで歩いた。隣家のツリーハウスに登ってご満悦。→


forest110-4.jpg・翌週には息子とパートナーがやってきた。正月以来で久しぶり、天気も良かったから西湖でカヤックを楽しんだ。実はカヤック自体が久しぶりで、組み立てるのにかなりの時間がかかってしまった。骨組みはアルミのパイプで組み立てるのだが、パイプをつないでいるゴムがいくつも切れていて、細切れのパイプを合わせるのに苦労したからだった。で、家に帰ってから、パイプにテープを貼って色分けをした。


forest110-5.jpg・8月の後半は北海道の利尻・礼文島に出かけたが、その礼文島を歩いている時に京都の庭田さんから電話があった。で、帰るとすぐに河口湖に来たいという電話。庭田さんはフランス哲学の研究者で、彼が書いたものは難解でよくわからないが、話はものすごくおもしろい。次々と話題を変えて楽しい時間を過ごした。彼は青森の出身だが、先祖が下北半島に国替えさせられた会津藩の家臣だったことを初めて聞いた。『八重の桜』を見ているから、余計に驚いてしまった。

forest110-6.jpg・9月に入ってすぐに3年生のゼミ合宿をやった。生徒の希望で河口湖でやることになって、大学が提携しているホテルに泊まった。あいにくの悪天候で、カヤックも自転車も山歩きも何もできなかった。で、我が家で陶芸体験をしてもらい、一緒に食事を作った。吉田のうどんとかき揚げ天ぷら、それにカスタードクリームをはさんだそば粉のガレット。楽しく過ごせて何よりだったが、帰りがけに学生が「おじいちゃん、おばあちゃんの家に来たみたいだった」と言ったのには、「そうか、もうそういう歳か」と思って、がっかりしたり、納得したり。

forest110-7.jpg・で、先週は京都の友人の娘のKちゃんがやってきた。彼女はニュージーランドに住み着いてもう何年にもなる。環境省で働いていて、ガイドなどもやっているようだ。アウトドア大好きで、一緒にカヤックや自転車、それに山歩きもした。ニュージーランドは行きたい国の一つで、景色のすばらしさはもちろん、捕獲した山羊の皮をはいだり、肉を切り分けたりなんて話も聞いた。来年の春に行けたらいいな。そんな気持ちになった。

2013年9月16日月曜日

Bob Dylan "Another Self Portrait"

 

dylan13.jpg・ボブ・ディランが『セルフ・ポートレイト』を出したのは1970年で、僕は大学生だった。アルバムのジャケットも自画像で、あまり似ていないと思ったが、レコードをかけてまず感じたのは、ディランらしくないという印象だった。しわがれた以前の声とは違って澄んだ甘い声とプレスリーを思わせるような歌い方に強い違和感を持ったことを今でもよく覚えている。もっともそのような変化は、前年に発売された『ナッシュビル・スカイライン』からで、メッセージ性よりは音楽そのものを楽しむ方向がより強調されて作られたものだった。自分で作ったものではない曲を歌っているのもデビュー盤以来で、それについても、ずいぶんびっくりし、がっかりもした。

・『アナザーセルフ・ポートレイト』はアルバムから漏れた曲、アウトテイクやデモ・テープを集めたもので、2枚組で35曲収録されている。『セルフ・ポートレイト』だけでなく、その前の『ナッシュビル・スカイライン』と次作だった『ニュー・モーニング』録音時のものも入っていて、60年代の終わりから70年代初めにかけてのディランの変化がよくわかる内容になっている。このアルバムもジャケットはディラン自身が描いた自画像で、割と最近の作のようだが、やっぱり全然似ていない。

・ディランの歌は公式盤の他に、その何倍もの量の海賊版が出されてきた。中には伝説となっているライブを録音したものもあって、音の悪さに関係なく貴重品扱いされたりもした。そんな市場に応えて「ブートレク(海賊版・シリーズ」が公式に出されるようになったのだが、『アナザー・セルフ・ポートレイト』はその10作目に当たるものである。CD2枚組と4枚組の2種類があって、4枚組にはイギリスのワイト島で1969年に行ったフェスティバルのライブ録音と『セルフ・ポートレイト』のリマスター盤が収められている。どちらを買おうか少し迷ったが、4枚組は値段が15000円もするので、2000円の2枚組にすることにした。

・このようなアルバムは、ディランに特別の関心や愛着がなければ意味のないものかもしれない。しかもこの時期は、プロテストソングの旗手として注目され、ロックギターに持ち替えてフォークロックというジャンルを築いたディランが、交通事故以降沈潜していて、表だって注目されることもあまりなかった頃である。ディランがザ・バンドをバックに精力的なコンサート・ツアーを行い、それが『偉大なる復活』という名のライブ盤として発表されたのは1974年のことだった。

・けれどもだからこそ、この時期のディランはおもしろいとも言える。音楽的にも生き方においても、新しいものを探してあれこれ模索をする様子がうかがえるからだ。カントリー音楽を取り入れたり、プレスリーの真似をしたり、ザ・バンドとのセッションを重ねたりして、揺れ動きが大きい分だけ、ディランの多様な面を垣間見ることもできる。歌詞の面でも同じことが言える。直接的なプロテストや批判ではなく、自分にも問いかけるような視点を持った曲が多くなった。

・そんなディランの模索がまた、若いミュージシャンの指針になったことは、この時期にデビューしたミュージシャンに共通の特徴を見たらよくわかるだろう。ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウン、ジェームズ・テイラー、ジョン・プライン、ライ・クーダー、エミルー・ハリス、スティーブ・グッドマン等々……。今はもう死んでしまっていたり、あるいは大御所になっていたりして、たくさんのアルバムを出している人ばかりだ。そう思ったら、ここに上げた人たちをまた聴きたくなった。iPodではなく、久しぶりにCDで、というよりはレコードで聴いてみようか。

2013年9月8日日曜日

福島、シリア、そしてオリンピック

・福島第一原発の汚染水問題が大きく取りざたされている。東電が発表したのは参議院選挙後で、メディアもまるで最近出てきた問題であるかのよう扱っている。しかし、地下水が汚染されて海に垂れ流される危険性は、事故当時から指摘されていたことだった。小出裕章さんは事故直後から、原発の周囲と底を分厚い鉄板で覆う必要性を強く主張していたが、東電も政府も本気で取り上げようとはしなかった。費用の問題だったようだ。危険性の回避を最優先するという原則のなさが、事故以前だけでなく、現在までもずっと続いている。責任の所在を曖昧にする態度が、結局は事故の対応をいい加減にしていることは明らかだろう

・原発を冷やすために注入した汚染水が周辺のタンクに貯められている。次々増えているが、ここからも水漏れがあいついでいる。いい加減なつくり方をしたせいだが、この汚染水についても小出さんは、大型のタンカーを用意して柏崎の原発まで運んで処理をすべきだと言っていた。事故当時なら緊急事態として、海外からも了承されたと思うが、今では輸送時の放射能流出の危険性などから、反対されてできないだろうと言われている。場当たり主義的で、何の展望もない事故対策に、政府がやっと介入する姿勢を見せているが、その政府にだって、どうすべきかについて根本的な原則があるわけではない。

・シリアの内戦で政府軍が化学兵器を使ったことが報道された。オバマ大統領が即刻反応して、人道的な理由からシリア政府に対する攻撃の必要性を力説した。それではブッシュと一緒ではないか。そんな感想をもったが、イラク攻撃の時とは違って、イギリスは議会が反対したし、ロシアや中国をはじめとして、シリア攻撃に対する批判の方が強いようだ。アサドの圧政は批判すべきものとしても、反政府軍の方にも非人道的な行動はあって、目には目、歯には歯というハムラビ法典の世界だなと思う。それだけに、一方を悪玉にして攻撃するのは、あまりに短絡的に過ぎるといわざるを得ない。

・武力介入したってうまくいかないことは、イラクやアフガニスタン、そしてリビアなどでくり返されているのに、なぜオバマはこれほどに積極的なのだろうか。結局、誰が大統領になっても、世界中を管理する警察としてのアメリカの役割について、疑問を呈することができないのだと思うと、世界の現実はもちろん未来について、悲観的になってしまう。今までオバマに無視されていた安倍首相が、いち早くオバマ支持を打ち出したことで、ロシアで行われたG20ではいの一番に会談をして、支持を要請したようだ。相変わらずのアメポチかと思うと、うんざりしてしまう。

・その安部は、ロシアに行った後、G20を中座して、政府専用機でアルゼンチンのブエノスアイレスに出かけて、2020年オリンピックの東京招致に向けて後押しをしたようだ。専用機に乗って世界中を飛び回るのがこれほど好きな首相も珍しい。日本の原発を売り込んだり、東南アジアに中国包囲網を作ろうとしたりと積極的だが、原発事故の現状や対中国、韓国との関係、あるいは東南アジア各国との関係について、いったいどう考え、何をしようとしているのか。これほど危なっかしい首相もいないという気がする。

・メディアはオリンピックの東京招致に向けた応援番組や記事が目についた。一方で、G20の席に安倍首相がいなくても、それを批判的に取り上げるメディアは皆無である。3.11以降の大政翼賛会的姿勢がますます露骨になって、うんざりするやら、ぞっとするやら。オリンピックにうつつを抜かしている時ではないだろう。そう何度も呟いてしまった。だから、2020年のオリンピックが東京に決まったというニュースを見たときには、中止になった戦前のオリンピックの時代の再来かと、暗澹たる気持ちになった。

2013年9月2日月曜日

北海道の旅

 

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礼文島最北端のスコトン岬、その向こうはトド島

・北海道を10日間旅をした。と言っても、前回の「利尻と礼文から」で書いたように、6日間は二つの島にいて、後は稚内、旭川、札幌に一日づつだったから、利尻・礼文の旅とした方がいいのかもしれない。よく歩き、よく食べた6日間だった。利尻と礼文はウニと昆布の産地だし、北海道と言えば、鮭とイクラ、ホッケ、アワビ、イカ、車エビなどうまいものはたくさんある。ただし、利尻も礼文も、米はもちろん野菜も肉も牛乳も何も生産していない。ホテルなども5月の連休から9月中旬までしか営業しないところがほとんどのようだ。やせた土地と厳しい気候であることを実感したが、滞在しているときも天気はめまぐるしく変わった。

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・島を歩いて見かけた草花は河口湖でも見る高山商物が多かった。ただ八月なのに植物は秋そのもの。とは言え、春夏秋が短いから夏の名残もずいぶん見かけることができた。ただ動物の気配はほとんどなく、シマリスを一匹見かけただけだった。ヒグマはもちろんエゾシカもキタキツネもいない。野鳥は渡り鳥がいるようだが、見かけることはあまりなかった。

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・動物が少なかったからと言うわけではないが、以前から行きたいと思っていた旭川の旭山動物園に行った。檻の中に閉じ込めるのではなく、自然を模した遊び場を作ったことで話題になった動物園である。おかげで閉館の危機から来園者が上野動物園を上回ったこともある有数の動物園になった。出かけた日も平日にもかかわらず、子ども連れでにぎやかだった。暑さのせいで動物たちは寝てばかりだったが、おもしろい様子を見ることができた。

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