1999年2月25日木曜日

崔健『紅旗下的蛋』

 

tsui1.jpeg・昨年の秋頃から崔健のCDを探しているのだが、全然見つからない。で、アメリカ村の中古のCD屋さんまで出かけた。ここはワールド・ミュージックが国ごとに並んでいて、特色のある品揃えをしている。そこで、やっと一枚見つけた。『紅旗下的蛋』で英語の題名は"Balls under the Red Flag"。すでに4年ほど前に出た彼の三枚目のアルバムで映画『北京バスターズ』の中で歌っていた曲も入っている。
・歌詞は当然中国語だが、たとえば、アルバム・タイトルの「紅旗下的蛋」は次のような内容である。


突然の開放だ/実は突然でもないが
さあチャンスの到来だ/だが何をしたらいい
赤旗はまだひるがえり/くるくる向きを変えている
革命はまだ続いていて/老人たちは力を増している

現実は石みたいに硬い/精神はタマゴみたいにもろい
石は硬いけれども/タマゴには命があるのだ
お袋はまだ生きている/親父は旗ふりをやっている
俺たちは何なのだと聞くなら/赤旗の下のタマゴだと
橋爪他訳


tsui2.jpeg・崔健は中国の開放政策が生んだ反逆児だ。共産党による一党独裁体制を崩さずにいかにして資本主義化するか。中国の開放政策はきわめて矛盾に満ちたものだが、彼を生みだし、大きくしたのはまさにその矛盾に他ならない。橋爪大三郎がまとめた『崔健』は、インタビューを中心にした内容だが、崔健はそこで次のようなことを言っている。

人びとははっきりした生活の目的がない。はっきりした価値観もない。しかも、みんなこうした話題を恐れている。こうしたテーマから逃避しているんだ。
芸術を自由にしてやれば、若い人びとが何を考えているかをわかることもできる。若い人びとはいままで、自分を見る窓がなかったんだから。そのせいで彼らは、ますます盲目になり、ますます愚かになり、ますます未来がなんだわからなくなる。

・崔健はロックを自分の存在証明のためにやる。だから、どんなに不自由でも、外国から誘いがあっても中国にとどまり続けるという。「アイデンティティの音楽としてのロック」。ぼくはこれこそ、その源流からはじまって、どんなにサウンドや人や場所が変わっても伏流水のようにして流れ続けるロックの精神だと思う。
・つい最近、彼の新しいアルバムが出たようだ。香港やシンガポール経由で日本にやってくるのだが、熱心なファンが日本語訳をつけてアルバムに同梱したのだそうだ。もちろん注文したのだが、残念ながら、入荷したという連絡はまだ来ていない。

1999年2月17日水曜日

ABCラジオ体験


  • 2月15日にABCラジオの朝の番組「アベクジラ」に生出演した。以前にNHKラジオに出たことがあるが、その時は研究室で録音したから、スタジオで生というのは初めての体験だった。
  • DJの安部さんはプロ野球の実況で独特の浪花節的な味を出して人気のあるアナウンサーだが、立て板に水のように喋る人とうまく話がができるのか、実は非常に不安で、朝家を出るときから緊張していた。
  • 放送は10時20分頃から20分間ほどだから、10時までにABCまでお越しくださいという。放送作家の奥村さんと何度かメールをやりとりして、話しの内容をきめ、原稿もいただいていたのだが、直前の打ち合わせはしなくていいのかと、心配になった。で、遅れてはいけないと早めに出たのだが、放送局に着いたのは約束よりも30分ぐらい早い9時半。

    番組は9時からはじまっていて館内にはその音が流されている。奥村さんとディレクターの魚谷さんの二人が迎えてくれて、控え室でうち合わせというよりは雑談がはじまる。気になったから「番組のスタッフは何人ですか?」と聞くとスタジオ内に今3人、スタッフが5人だという。ぼくの相手をしている閑があるのだろうか、などと心配になったが、考えてみれば、ABCは関西圏をカバーする大きな放送局なのである。そんなことをあれこれ気にするぼくの緊張を和らげるために、二人が音楽のことについて気さくに話しかけてくる。あーこれも大事な仕事の一つだな、などと、初体験のぼくとしては緊張の中にも感心することが多かった。やがて10時になり15分になっても、まだ雑談が続く。ぼくはDJの安部さんとはまだ顔を合わせていない。

    20分過ぎにに一つのコーナーが終わってCMが入る。そこでスタジオ内に入って出演者の方々とあいさつ。お茶が出されたが、ほとんど飲むまもなく放送開始。ぼくは今日、ロックについての話をするために呼ばれているのである。バックにE.プレスリーの「監獄ロック」がかかると、安部さんが中学時代にプレスリーに夢中になったといった話をしはじめた。彼はちょっと前まで解説者の花井悠さんとプロ野球のキャンプの話をしていて、10時過ぎからはニュースにつきあっていたのだが、今度は音楽の話。

    話題はロックンロールとロックはどう違うのかからはじまって、ボブ・ディラン、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、さらにはパンクにレゲエ、そしてラップとロックの歴史と続いて、最後は中国の崔健(ツイ・ジエン)の話。
    正直言って、ぼくには考えて喋っているという余裕はなく、話を向けられたらそれにあまり間合いを置かずに応えるという意識しか自覚できなかった。で、あっという間の20分。ぼくのコーナーが終わっても、もちろん番組は続いている。「お疲れさま」「失礼しました」といった言葉を交わしてスタジオを出ると、放送はもう別の話題で盛り上がっている。これが「ラジオの時間」。
  • ぼくはスタッフの方々にあいさつをして放送局を出た。10時50分。まるで夢の中の出来事のような、現実とも非現実ともつかないような20分間だった。いったい何を喋ったのかと思い出しても、はっきり思い出せない。何とも頼りない実感。しかし、ぼくのラジオ初体験は、とにもかくにも、ひどい結果にならずに終了できた。

    家に帰って録音してもらったテープを聞いてみた。「あのー」が多い。おそらく20分間に50回は言っている。もちろんぼくにはそんな自覚は全くなかった。たぶん講義とか講演会の時でも「あのー」が多いんだろうなと思ったら、急に恥ずかしさに襲われた。教師は人前で喋る商売だから、自分のした話を記録して、その癖やまずいところは自覚的になおした方がいい。そんなことをあらためて思い知らされてしまった。ただ、言うべきことは一応話している。早口だが、そんなに聞きにくくもない。そのあたりは経験というか、歳の功かもしれないと思った。
    事前に何人かの学生や卒業生に出演するとメールを出しておいたのだが、その夜、何通かのメールがやってきた。月曜日の午前中だから、録音を予約して仕事から帰って聞いた人が多かったようだ。そのほかに 車の中で聞いた人、録音に失敗して聞けなかった人、忘れてしまった人、それから無反応の人.......

    ボブ・ディランのサイトを作っている西村さんからは、連絡しなかったにもかかわらず、偶然聞いてましたという返事をもらってうれしくなった。「ロイアル・アルバート・ホールの野次入りRolling Stoneが朝からAM放送で聴けるとは驚きました(しかも仕事場で)。時間は短かったですが、面白く聞かせていただきました。」ラジオに出るのは躊躇したけれど、こんな聞き手がいたことがわかって、出た甲斐があったというものである。
  • 1999年2月10日水曜日

    『夫・山際淳司から妻へ』 (BS2)

     

  • 山際淳司は僕と同年齢だが、4年前に胃ガンで死んだ。46歳。直前までNHKのスポーツ・キャスターをしていて、その異常なやせ方に驚いた記憶はいまでもよく覚えている。ちょっときざだが小気味よいトークで、僕は彼の出る番組をよく見ていた。BS2で放送した『夫・山際淳司から妻へ』 は、彼の奥さんである澪子さんの話を中心に山際淳司と彼の死後に彼女や息子さんが経験したことの意味を考えたドキュメントだ。
  • 山際淳司は本を出すと必ず、その裏表紙に感謝の気持ちを書いて奥さんや息子さんに贈呈していた。「おかげでこんなにしゃれた本ができました。ありがとう。」息子をスタジアムや取材現場に連れていき、一緒にスポーツもよくやった。だから、星司君は父親に理想の男像を見つけだし、奥さんも、夫の影になることに自分の生きがいを感じた。そんな心を共有し合う家族の中から、突然大黒柱の夫、そして父親である山際淳司が消えた。
  • かけがえのない夫を失った妻、理想の父親を失った息子。ドキュメントはその二人が新しい自分と生きる方向を見つけだすために過ごした4年間を追いかけている。僕は見ながら目頭を熱くさせて、もしこれが自分だったら、などと思ったとたんに溢れ出す涙をこらえきれなくなった。完全に同一化して見てしまったためだが、もちろん、僕には、彼のような理想的な夫や父親を演じてきた自覚は全然ない。
  • 彼女は山際淳司が死ぬ間際に「君はひとりで生きてちゃいけないよ」と言われる。しかし、そのことばの意味を模索しながらも、支えを失った現実を直視することができなかった。ぽっかりと空いた大きな穴をふさぐのはいつでも、思い出としてよみがえる夫の姿。しかし、同じように心に空洞をあけられた息子は、ひとり、中学からのイギリス留学を決断する。寄宿制のパブリック・スクール。今15歳になった彼は、年齢からすると驚くほどに大人の口調で、しっかりと父親のこと、母親のこと、そして自分の過去や現在や将来のことを語った。僕の息子どもと比べて何と違うことか。
  • 彼女はその息子にしっかりしろと叱責される。変わる努力をしている自分とは違って、夏休みに帰って見た母親の姿が昔のままだったからだ。彼女は出版者の依頼を受けて、山際淳司の思い出をまとめはじめる。で、最近『急ぎすぎた旅人・山際淳司』が出版された。
  • いろいろ考えさせられた僕は、彼の本を読み直そうかと思ったが、本棚を探しはじめて1冊もないことに気がついた。で、あわてて本屋に行って文庫を数冊買って読み始めたのだが、残念ながら全然おもしろくない。それであらためて、沢木耕太郎の作品は全部読んでいるのに山際淳司に関心が向かなかった理由を考えた。
  • 山際の作品はダンディズムを基調としている。ゲームを見ていたのではわからない世界を垣間見させてくれるが、それはあまりに美しくて、生身の人間が放つ匂いが感じられない。嘘やごまかし、嫉妬や怨念のないすがすがしい世界。スポーツの中に自分の思いを映し出そうとする山際と、スポーツを素材にして人間を描き出そうとする沢木。簡単に言えば、そんな違いなのかもしれない。言うまでもなく、僕は後者の世界に惹かれる。
  • そんな風に考えると、また、後に残された妻や息子の前に立ちはだかった壁や、それを乗り越える努力の程度もはっきりしてくる気がする。山際淳二は格好よく生きることにこだわって、しかも急ぎすぎた。澪子さんは、夫と共に生きるために執筆を続けるという。彼女はそれを「思い出の中に孤独を追いつめる」と表現した。僕は、残された二人が同じ轍を踏まないでほしいと願わずにはいられない。急ぎすぎず、理想を追い求めすぎず.......。
  • 1999年2月3日水曜日

    2月03日 A.プラトカニス、E.アロンソン『プロパガンダ』〔誠信書房)

    「この不景気を何とかしなければ」というのは、今、誰もが同意するかけ声だろう。景気が良くならなければ、学生は就職もままならないし、職を持っている人だっていつリストラされるかわからない。勤め先そのものが倒産する危険は、中小企業だけのものではない。だから政府は商品券を配ってまで、消費行動に弾みをつけようとする。しかし、一度きつくなった財布の紐はなかなかゆるみそうにない。


    今考えてみれば、バブルの時期に人びとがなぜ、やれ家だ土地だモノだと買いあさったのか不思議な気がする。そして、今こんなにまで消費が落ち込んでいる理由だって実際のところは、奇妙な現象なのだ。時に人は無理な借金をしてまで金を使いたくなるし、時にまた人は持っている金をしっかり握りしめて使おうとしなくなる。いったいどうしてなのだろうか?


    『プロパガンダ』は我々の生活の中で日常化している「説得」の本質を解き明かそうとする本である。「宣伝」「広告」「キャンペーン」「CM」「デマ」「噂」「口コミ」「洗脳」「教化」........。「説得」ということばで表される行動はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌といったマスメディアはもちろん、より直接的で個人的なコミュニケーションの中にも含まれている。
    「説得」とは自分の考えを人に理解させたい、自分の思い通りに人を動かしたいと考えてする行動だが、それはもちろん強制する形でおこなわれるものではない。むしろ、人に自発性を

    自覚させるものである。だから、「説得」には魅力的で鮮明な「イメージ」がなければならないし、人に「夢」や「欲望」を感じさせなければならない。セックス・スキャンダルで大騒ぎになっても演説上手なクリントン大統領の人気は衰えないし、良いおじさんといわれることはあっても、「ボキャヒン」の小渕首相の支持率は一向に上がらない。


    『プロパガンダ』は政治家の言動やニュースの論調、それからもちろん新聞や雑誌の広告からテレビCMまでをふくめて、その説得のレトリックを社会心理学的な視点から分析する、なかなか面白い本である。けれども、これを読みながらぼくは、逆のことを考えてしまった。つまり、不況のような深刻な状況の中では、どんなに工夫を凝らした宣伝も広告も、空々しく見えたり聞こえてしまうのだな、ということである。


    しかしそう思いながら、こうも考えた。今が不況だという認識は、やっぱりどこからか宣伝としてやってきたイメージなのではないのか。イメージの実体化をD.J.ブーアスティンは「疑似イベント」と読んで、そこのマス・メディアの本質を指摘したが、景気とイメージの関係はまさにそれの好例だろう。


    スチュアート・ユーエンの『PR』はアメリカ人エドワード・バーネイズへのインタビューからはじまっている。ユーエンによればバーネイズはPRのパイオニアとも呼べる人だが、彼はそのPRを「環境創造」の科学として考え、実践した。出来事は上演されるもので、「ニュース価値」を持つよう計算されるものだが、同時にそれが脚色されていることは明らかにされてはならない。新聞が大衆化し、映画やラジオが人々の関心を集めるようになった20世紀初頭は、PRによって社会を動かすことが本格化した時代でもあった。


    ユーエンの『PR』はその20世紀前半のメディアの成長とそれを使った「説得技術」の熟練を描き出した好著で、『プロパガンダ』とあわせて読むと、我々が日々無自覚のうちに、考えや行動、あるいは感覚までをいかに説得されているかをも思い知らされる。ユーエンは『欲望と消費』『浪費の政治学』(いずれも晶文社)ともに面白い本で、なかなか力のある人だと思う。『PR』もぜひ翻訳されて多くの人に読まれて欲しいのだが、不況の波は出版にも押し寄せていて、なかなか実現は難しいようである。


    ついでに「浪費」ということから言えば、ぼくは景気の悪いのはむしろいいことではないかと、最近特に感じている。用もないものなど買うことはない。それで経済がおかしくなるというなら、それは社会の仕組みの方が悪いのだと。しかし、経済が悪くなると、現実には必要なものほど手に入りにくくなったりする。出版の世界は特にそのような傾向が強い。これは困ったことだと思うが、それもやっぱりプロパガンダやPRの力の差なのだろうか。