2003年11月24日月曜日

Neil Young (武道館、2003年11月14日)

 

young8.jpeg・行こうかどうしようか迷っていたニール・ヤングのコンサートに行った。大学の行事が土曜日にあって出席しなければならなくなったから、金曜日も東京に泊まることにした。コンサートは7時からで、武道館には5 時半頃に着いた。当日売りのチケットを買おうと窓口を探していると、若いカップルが「チケット1枚あまっているんですけど,買ってくれませんか?私たちダフ屋ではないんです。」と言ってきた。チケット売り場はすぐそこで、わざわざ彼らから買う必要はないのだが、一応チケットを確認。偽物ではないようだ。席は2階の2列目で悪くはない。「値段は一緒でいいの?」と聞いたら「もちろん」という。少し不安は感じたが、買うことにした。

・開場まで時間があるのでカフェテラスに入って腹ごしらえ。サンドイッチとビール。コンサートの時はいつもこんな感じだったな、と思うが、最後に見たのは誰でいつだったか。このレビューのコラムで確かめると1999年4月のアラニス・モリセットとなっている。場所は大阪城ホール。4年半ぶりで、東京でははじめてということになる。

・入り口近くにテントがあって、そこでオフィシャル・グッズを売っているのだが、何と長蛇の列。パンフレットが3000円、Tシャツが 5000円。行列してまで何でこんな高い買い物をするんだろうと思ったが、目当てのものが変えた人は大喜び。武道館には駐車場があって無料だという。空きもまだあるようだ。だったら、今度来るときには車にしようか。

・会場に入って席を探すとど真ん中。なかなかいい席だ。アリーナを見下ろすと、客の世代がばらばらであることがよくわかる。禿頭、白髪、スーツ姿、年配のカップルもいれば、少年や少女もちらほら。これなら、最初から立ちっぱなしということはないだろう。ちょっと安心したが、座席が堅くて、背もたれがほとんどない。坐りつづけるのはちょっとしんどいかもしれない。武道館は全然改装工事をしていないんだろうか。近頃には珍しいひどい椅子だ。

young9.jpeg・開演は7時だがちっともはじまらない。2階席からはステージの横がよく見える。そこにたくさんの人が集まっている。コンサート前に楽屋にファンでも入れているのだろうか。音楽がやむたびに催促の拍手と口笛。コンサートが始まったのは25分も過ぎてからだった。舞台が明るくなると、右側に小さなカントリーハウス。そこに老人夫婦。おじいちゃんは新聞を読んでいる。左側には留置所。真ん中上には大きなモニターと小さな舞台。ニールヤングが登場して演奏と歌がはじまる。

・「グリーンデール」は物語仕立ての新しいアルバムだが、コンサートはそれを中心にした構成だった。アメリカの小さな田舎町に住む一家に起こる出来事。平和でのんびりした町で警察官が撃たれる。撃ったのは老人夫婦の息子ジェド。彼は町の留置所に入れられる。テレビが老人のところに取材に来る。彼は興奮して心臓発作を起こして倒れる。打ちひしがれる家族だが、孫娘が反撃に出る。

・こんなストーリーでステージは展開するのだが、残念ながら、詳しいことはわからない。僕はこのアルバムを買っていなかったので、聞く音もはじめてだった。ヤングの歌い方は淡々としていてバックもきわめてシンプル。僕は途中からあきてしまって早く終わらないかな、という気持になってしまった。しかし、話が終わったのは1時間半も経ってから。時間はもう9時になろうとしている。いったい聴きたい曲は何分やってくれるんだろうと、気持には早くも失望感が………。

・後半は1時間近くあって、ニール・ヤングも大熱演だったが、聴きたい曲はほとんどやらなかった。前日の朝日新聞の夕刊には大阪公演についての記事が載っていて「ライク・ア・ハリケーン」をやったと書いてあった。ヤング・ファンのサイトではダントツの聴きたい曲1位なのだが今日はなし。僕が聴きたかった「ヘルプレス」や「ロング・メイ・ユー・ラン」、「ハーベスト・ムーン」もなし。意外なのはディランの「オール・アロング・ア・ウォッチタワー」をやったこと。これはよかった。

・そんなわけで満足はしなかったが、とにかく一度は見ておきたいミュージシャンだったから、それだけでもいいか、という感じ。帽子を目深にかぶって顔もほとんどわからなかったが、一度その帽子が落ちて脳天のハゲがまる見え。うん、歳なのに2時間半もぶっ通しで歌い、演奏しつづける体力は素晴らしい。と、妙なところで感心。 (2003.11.24)

2003年11月17日月曜日

同じ頃に同じ発想をした人がいた

J.メイロウィッツ『場所感の喪失・上』 (新曜社)

 コミュニケーションについて考える枠組みは大きく二つに分けられる。ひとつは一人一人が日常的にする対人的なコミュニケーション、そしてもう一つはマス・コミュニケーション。ただし前者は相互的なもので、後者は一方的なものという点で、まったくちがうものとして捉えられる。少なくとも、15年ほど前まではそのように考えるのが一般的だった。


僕は大学院では「新聞学」を専攻した。当然、履修した授業は「新聞学」のほかに「マスコミ論」「ジャーナリズム論」といったものが多かったが、それにはあまり関心がなかった。僕がやりたかったのは対人関係やパーソナルなコミュニケーション、それに自分が夢中になっていた音楽などの文化的な分野だった。


だから、卒業した後も対人的なコミュニケーションに関心をもって、ジンメルやゴフマンやガーフィンケルを読みながら、男女や親子の関係、仕事を通した人間関係、あるいは「私」という意識などをテーマにした。それは『私のシンプルライフ』(筑摩書房、1988年)としてまとめられたが、同時に、テレビを見たり、ラジオを聴いたりするときにも、人びとは対人的な関係の延長としてふるまっているのではないか、といったことが気になりはじめてもいた。編集者の人にその話をするととても興味をもたれ、他に電話や写真やウォークマン、あるいは読書や日記や手紙を書くことなどについても考えて『メディアのミクロ社会学』(筑摩書房、1989年)を書くことになった。


もちろん、このような発想は僕のまったくのオリジナルというのではない。関心をそのように向けさせたり、同じようなアイデアが散見された先行研究はいくつもあった。たとえば、R.バルトの写真論や映画論、佐々木健一の演劇論、外山滋比古の読者論、E.モランの映画論、あるいはベンヤミンやマクルーハンなどなど………。それに電話が手軽な日常の道具になりはじめていたし、ワープロやパソコンなどの新しいコミュニケーションの道具が普及しはじめてもいた。コミュニケーションをキーワードに分析できる状況は明らかに大きな変化を見せはじめてもいた。


最近翻訳されたJ.メイロウィッツの『場所感の喪失』は、そんなぼくの発想ときわめてよく似ている。原著の出版は1986年だから時期的にもほとんど一緒だと言っていい。『場所感の喪失』はゴフマンとマクルーハンを融合させること、それによって主にテレビを分析することを主眼にしている。翻訳されたのはまだ半分だが、似たような時に似たようなことを考えた人がいたことに親近感を覚えながら読んだし、また、いまだに古くさくなっていない、その視点のユニークさや確かさにも感心した。


メイロウィッツが考えているのは、ゴフマンの「表領域」と「裏領域」という区別をマクルーハンの「活字媒体」と「テレビ」の違いに重ね合わせることだ。私たちは日常の人間関係のなかで、公的な場や関係と私的なもの、きちっと演出されたものとアドリブ的なもの、あるいはタテマエ的な関係とホンネのつきあいを使い分けている。それが微妙に入り組んだ世界の分析はゴフマンの独壇場だが、そのような枠組みをメディアの世界に置きかえた時にわかるのは、活字媒体の公的で演出的でタテマエ的な性格と、私的でアドリブ的でホンネ的なテレビとの違いである。

印刷メディアから電子メディアへの変移は、フォーマルな舞台上もしくは表領域の情報から、インフォーマルな舞台裏もしくは裏領域への変移であり、抽象的な非個人的メッセージから具体的な個人メッセージへの変移である。(186頁)
ことば、それも活字はいわば意味のみを伝えるメディアだが、テレビはそのことばを話す人が表出するものすべてを伝えてしまう。しかも、あたかも目の前で自分に向かって話しているかのようにしてだ。テレビは擬似的な対面的相互行為を基本にする。だからテレビは、公よりは私、演出されたものよりは自然なもの、タテマエよりはホンネ、表よりは裏を好んで映し出すようになる。


もちろん、このような指摘は、今となっては衆知のことだ。けれども、電話を使って、メールを使って、あるいはインターネットの掲示板を使ってするやりとりが、今ここにはいない見知らぬ人との個人的で親密なやりとりであったりすることを考えると、もう一回、時計を20年ほど逆回しして、丁寧に考えなおしてみる必要があるのではないかという気にもなってくる。

2003年11月10日月曜日

紅葉のにぎわい


forest29-1.jpeg・紅葉真っ盛りで、河口湖畔には人がいっぱいだ。河口湖美術館から久保田一竹美術館にかけての通りには、真っ赤に色づいて長持ちのする木が植えてある(何かはわからない)。夜にはライト・アップもするから、大学からの帰りに通ると綺麗だが、ぞろぞろ歩く人が結構いるから驚いてしまう。屋台なども出て、夏休みとゴールデン・ウィークにつぐにぎわいだ。


・山中湖でペンションを経営する友人のところに、時々倒木を拾いに行っている。春からぼちぼち運んできたが、まだまだたくさんある。急がないと雪が降ったらまた来年の春になってしまう。とは言え、山中湖までは片道30kmもあるし、天気のいい平日にかぎられるから、ほんとにたまにということになる。

forest29-2.jpeg・先日久しぶりに出かけると、友人が、「最近では河口湖の方が人気で山中湖はさっぱりだ」と言った。山中湖に来ても、行くところがない、することがない。そう言うお客さんが多いらしい。たしかに、山中湖は昔からの別荘地で、ホテルは少ないし観光名所もない。だからこそ、富士山や湖を見てゆっくり時間を過ごしたい人には人気だったはずで、団体客でにぎわう河口湖とは客層が違うのは昔からなのだが、最近はそうでもないらしい。何かすること、出かける場所を用意してもらわないと、何をしていいのかわからない、どこに行ったらいいのかわからない、時間がつぶせない。そんな訪問者が増えてきたらしい。

forest29-3.jpeg・河口湖町はもうすぐ富士河口湖町に変わる。近隣の勝山村、足和田村、上九一色村と合併するのだ。新しい役場もできて新しい出発という雰囲気だが、町長はこれまでにも町の活性化に積極的だった。野外のコンサートホール(ステラ・シアター)を作って、イベントの企画にも熱心だし、湖畔にラベンダーを植えて7月の「ラベンダー祭」も定着させた。「河口湖美術館」のある北岸には「オルゴール美術館」「久保田一竹美術館」、木の花美術館、円形劇場、それに「猿回し劇場」などがあって、観光客でいつでもにぎわう場所になってきたし、紅葉する樹木をライトアップもして紅葉祭もはじめた。

forest29-4.jpeg・もちろん、釣り客も多い。入漁料収入で駐車場やトイレの施設も整備している。湖岸にサイクルロードを作っているから、湖畔をサイクリングしたり、ジョギングしたりする人も増えるだろう。奥河口湖にはトンネルを二つ工事中で、車の往来も便利になりそうだ。「富士急ハイランド」や天神山スキー場も山中湖よりは河口湖からの方が近いし、高速道路や電車の交通の便も河口湖の方が断然いい。富士河口湖町になって富士五湖のうちの四湖は同じ町に含まれることになったから、これからは西湖や精進湖、それに本栖湖の活性化もはかるのかもしれない。そうなると、山中湖だけがますます孤立することになる。

・もっとも住人としては、観光客が増えるのはけっしてのぞましいことではない。交通渋滞は起きるし、人の多さにうんざりするし、あとにはゴミがいっぱいのこる。静かな山中湖の方がずっといい。ぼくも家探しをしたときに、そのことを考えた。環境としては山中湖だと思った。ただ、海抜が300mも高い山中湖は冬の寒さも一層厳しくて、永住の場所としてはちょっとつらい。自衛隊の演習場も近くて大砲の音がしょっちゅうする。だから河口湖にした。その判断は間違っていなかったと思うが、それにしても、最近の人の動きは極端だ。


・紅葉の季節が終わると河口湖も閑散とする。湖畔のライトアップや寒中の花火大会などイベントに工夫はしているが、春先までは静かな季節になる。外で長時間過ごすのには寒すぎるし、車もスノー・タイヤが必要になる。旅館や観光施設にとっては、あるいは町の財政にとっては、冬の閑散期に客を呼ぶのが次の課題だが、住人としては冬だけは静かなままであってほしいと思う。

2003年11月3日月曜日

キャロリン・マーヴィン『古いメディアが新しかった時』 (新曜社)

 

media2.jpeg・学生の卒論から若手の研究者の業績まで、携帯電話やインターネットをテーマにするものが多い。それだけ身近なものであり、また注目に値するものであることは否定しない。けれども、そのあまりに近視眼的な発想や関心の持ち方にうんざりすることも少なくない。彼らの主張は要するに、携帯電話やインターネットが人間関係やコミュニケーションの仕方を根底から変えてしまった、あるいはしまいそうだということにつきる。確かにそういう一面は目立つのだが、だからこそ、さまざまなコミュニケーション手段の開発のたびに同じような指摘がくり返されてきたことを、歴史を辿って見直してみるべきだと言いたくなる。

・目新しいものを見るときには、かえって古いものに目を向けて新旧の比較をしてみる必要がある。最近そんな思いをますます強くしているが、本書はそのような関心にぴったりの本である。それは何よりタイトルに示されている。『古いメディアが新しかった時』。明解でしかも好奇心をそそる題名だと思う。著者のキャロリン・マーヴィンはアメリカ人で、彼女が注目するのは一九世紀末に普及した電気とそれを使ったさまざまな技術である。電信、電話、電灯、映画、あるいは蓄音機………。この本を読んでまず気づかされるのは、百年前の人びとが新しい技術に出会ったときにもった驚きや疑問、あるいは考えや行動が、現在の携帯やインターネットのそれに奇妙なほどに類似していることである。

・たとえば、今ここにいない人の声を聞くことができたり、人やものの動きがスクリーンに映し出されることに驚く人はすでにいない。しかし、持ち運びできる小さな電話の出現やパソコンの登場、あるいはインターネットの普及に際して感じた驚きや疑問や不安は、多くの人に共通した経験として今なお進行中のことである。その間にすぎた百年が示すのは、技術の進化であって、人びとが実感する、新しいものに対する驚きや疑問、あるいは不安ではない。この本を読んで感じるおもしろさは何よりそこにあるし、新しいメディアの研究には、古いメディアが新しかった時代を知ることが不可欠であることをあらためて教えてくれる。

・パソコンの普及時によく見られたのは、パソコンの知識や技術による階層化だった。コンピュータのハードやソフトの専門家がいて、それを雑誌や新聞でわかりやすく解説する人がいる。次にいるのはそのような知識をもとにいちはやくパソコンを自分の道具として使いこなす人だし、その外側には使いたいけどむずかしそうと、しり込みする人たちがいた。そしてさらにその外側には、拒絶する人や無関係な人がいる。そんな階層化のなかで人びとがする議論や吹聴や言い訳がおもしろかったが、この本の中でも、一九世紀の末には電気や科学技術をめぐっていくつもの階層化が出現したことが指摘されている。

・耳慣れない専門用語とそれを翻訳することばによってできあがった区分けを、この本では「テクスト共同体」という用語で説明している。専門用語をめぐるエリート層の形成とその大衆化の関係、いちはやくそのノウハウやリテラシーを身につけた者の優越感と得体のしれないものに対して不信感をつのらせる者。今では古くなってしまったメディアや技術が新しいものとして登場したときに与えた衝撃は、最近のITの比ではない。膨大な資料から掘りおこした多くの実例を読むと、そのことがよくわかる。

・本書には電信や電話、電灯、ネオンサイン、あるいは電気そのものについて、作り話ではないかと思わせるような笑い話がいくつも紹介されている。色恋沙汰のうわさ話が電話によって村中にあっという間に広まる話。モールス信号をつかったひそひそ話。病気が電話で感染するのではという恐怖。階級や家庭の垣根をたやすく越えるという不安感。電気カクテル。ボトル詰めされた電気砲弾。街や遺跡や商店のライトアップ。あるいは月面への光の投射や宇宙人との交信………。

・電気技術がもたらす豊かなコミュニケーションが世界中の争いごとを解決する。こんな予測もまことしやかに語られたようだが、二〇世紀には二つの大戦があり、ナショナリズムやイデオロギーの対立が続いた。あるいは、映画、ラジオ、テレビのようなマス・メディアが発達し、メディア研究もマスに偏重しておこなわれた。そこからさらに、イデオロギーの終焉やボーダレス化が指摘され、携帯やインターネットがメディアの主役になろうとしている現在に続く。この本を読むと、そんな長い時間でメディアを考え直してみたくなるが、それだけに、一九八八年に書かれたこの本は、できればもう少し早く、携帯やインターネットが普及する前に翻訳してほしかったと思う。
 
(この書評は『図書新聞』の依頼で書いたものです。) (2003.11.03)