1999年5月19日水曜日

加藤典洋『可能性としての戦後以後』(岩波書店) 『日本の無思想』(平凡社新書)

 

tenyo1.jpeg・加藤典洋が続けて2冊の本を出した。彼の文章はわかりにくいとか、同じテーマにくりかえしこだわりすぎるとか言われるが、ぼくにはそんなことあまり気にならない。というよりは、いつも教えられることがあって、新しい本を読むのが楽しみに感じられる。今度の2冊でおもしろいテーマは「タテマエ」と「ホンネ」。ただ2冊はほとんど同じことを論じていて、部分的にはほとんど同じ文章というところもあるから、興味がある人はどちらか一冊だけ買って読んだらいいと思う。
・「タテマエ」と「ホンネ」は日本人がよく使い分ける処世術で、日本文化の中に深く根ざすものだと思われている。「裏」と「表」「面従腹背」など、類似する意味のことばは少なくない。けれども、加藤は「タテマエ」と「ホンネ」や「表」と「裏」が、戦後の、それも特に70年代から、それ以前とは異なる意味で使われるようになったと言う。


タテマエとホンネという考え方は、1950年代には登場しているが、たぶん戦前にはなかった。それは当初、欺瞞的な考え方として正当につかまれ、主に知識人によって用いられる。しかしやがて否定的なニュアンスを払拭する形で高度成長の時期に社会に浸透を始め、1970年代に入ると、一気に、日本独自の古来からの考え方であるかに思われる形で、メディアなどの前面に現れてくるのである。
『可能性としての戦後以後』p.141

tenyo2.jpeg・「タテマエ」は原則であり、「ホンネ」は本心から出たことば。それは「公」と「私」のはざまで、自分の意に沿わなくとも、あるいは不利益になることであっても、自分を殺して「原則」や「大義」に従うという「滅私奉公」の姿勢から引き出されている。その意味では「タテマエ」と「ホンネ」は「公」と「私」、「表」と「裏」に共通することばとして理解することができる。しかし、いま使われる「タテマエ」には「表向きの原則」にすぎないというニュアンスがあり、「ホンネ」にも「言うことをはばかられるが誰もが暗黙の内に了解する本心」といった性格が強い。加藤はそれを政治家の「失言」問題を例に取りながら説明するが、このような感覚は、多くの人に共有されたものである。
「タテマエ」が「公」の原則に基づくものならば、「ホンネ」の土台になるのは「私」の「信念」である。当然、二つの間に挟まれた人はその二律背反的な使命のあいだで葛藤することになるはずなのだが、現在使われる「タテマエ」と「ホンネ」にはそのような苦悩は感じられない。二つは相対的なもので、対処の仕方も便宜的なものでしかない。きわめて安直に使われて、何となく了解されるように感じられるから、突き詰めて問題にすることだとは思われない。加藤は、そんな信念や本心の消滅を、敗戦による戦前と戦後の「切断」に見る。

一つは天皇との関係における「切断」です。もう一つは憲法との関係における「切断」です。また三つ目は、戦争の死者との関係における「切断」です。そして最後は、旧敵国との関係における「切断」ということになるでしょう。
『日本の無思想』pp.67-68

「公」の原則に対する不信と形式的な追随、そして「私」の中での「信念」の不在とまかり通る私利私欲の追求。このニヒリスティックな状況の打開について、加藤は「私利私欲」の上に「公」をどう築くかという視点で考察する。福沢諭吉の「痩我慢の説」、鶴見俊輔の「大夫才蔵伝」、あるいはカントの「啓蒙論」を駆使して彼が力説するのは、敗戦時に「切断」してうやむやのままに放置した問題に立ち返るということである。いつもながらの結論ではあるけれども、それだけに、ぼくには彼の「信念」の強さへの信頼と共感が感じられた。

1999年5月14日金曜日

場所と移動

 

・4月から勤務先である大学が変わった。大阪から東京。しかし、いくつか理由があって相変わらず京都に住み続けている。だから、毎週のスケジュールは大学への出講日にあわせて水曜の朝に京都から新幹線に乗って、その日の午後と木、金と仕事をして、また新幹線で深夜に京都に帰る、ということになった。で、そんなパターンで1ケ月以上が過ぎた。「大変ですね」と言われるし、ぼくも最初はそう思ったが、今のところ、しんどさよりはおもしろさを感じることが多い。
・今さらながらに驚いたのは、早朝、あるいは夜更けの新幹線が満員であること、その大半が中年のサラリーマンであることだ。朝の新幹線は完全に関西から名古屋への通勤列車になっているし、金曜の夜は家に帰る単身赴任のお父さんらしい人で一杯だ。職住近接とかSOHOといったことばがはやっても、仕事のための移動に多くの時間を使う人が多いのは相変わらずのことなのである。今までほとんど電車にも乗らなかったぼくにとって、そんな通勤での体験は新鮮だ。
・毎週1000kmの移動をしているわけだが、もちろん旅をしているのだという感覚はほとんどない。片道4時間ほどをウォークマンで音楽を聴きながらの読書で過ごしている。これがなかなか集中できて、研究室よりもはるかに本が読めるから、かえって読書量は増えそうである。そんなふうにして読んだ今福龍太の『クレオール主義』に「場所と移動」についての記述があって、新幹線の中で読んだせいか共感する部分が多かった。

たとえば、ある場所に「住む」という経験について考えてみる。「定住」は従来から「移動」に対立する概念としてしばしばこれと対照させられてきた。しかし現代社会のなかで、「住む」ことは「移動する」こととますます「経験」として区別できなくなりつつあるように見える。......中略.......現代は、移動の論理の上にたってようやく危うい定住の形式を手に入れているにすぎない。

・今福はこのように書いたあとで、「私たちの日常の『生活』が、移動機関の内部から<場所>を眺めるかたちで遂行されている」と言い、移動手段を、日常を描く筆記用具にたとえて話を展開している。「たしかにそうだ」とぼくは思い出したように新幹線から外の景色を眺め、それから、ぼくが住むところ、働く場、生活の場所を思い浮かべた。「いったいぼくは、どこにいるんだろうか?どこから来て、どこに行こうとしているのだろうか?」
・ぼくは人生の半分ずつを関東と関西で生活してきた。だから学生にはずっと東京弁の先生と言われてきたが、東京で、関西弁の先生と言われてしまった。自覚がないわけではなかったが、関東弁と関西弁がチャンポンになっていて、聞き手はその聞き慣れないことばの方に関心を向けるのである。もちろん、だからといって「故郷喪失者」や「デラシネ」などといった心持ちになるわけではない。むしろ、今福の言う「クレオール主義」の実践者のような気になった。
・「クレオール」とは移動や交易によって生みだされた、一種の簡略化された言語で、ブロークンなものとしてみなされることが多いが、それはまた母語として、主要な表現手段としても使われている。そのさまざまな言語や文化の交差から生まれたという特徴に、今福は偏狭なナショナリズムや民族主義、あるいは定住への固執がもたらす弊害を乗り越える道を求めている。それほど大げさなものではないが、ぼくの使うことばや、文化的基盤には今、疑似クレオールと呼べるものがたしかに実感できる。
・だから、「ぼくはどこにもいない人」(nowhere man)ではなく、ここにも、あそこにもいる人。アイデンティティにこだわりながら、いつまでもそれを未成のままにしておきたい人。こんなことを勝手に考えている間に、「ひかり」は東京に着いてしまった。ひとときの同乗者たちがホームに降りて、それぞれに散っていく。ぼくは中央線に乗って国分寺へ、3講目に「社会学」の講義をしなければならないし、そのあとは2年生のゼミだ。研究室にテレビとコンポをいれて、早く居心地のいい部屋にしよう。(1999.05.14)

1999年5月6日木曜日

野茂の試合が見たい!!

 

・プロ野球が開幕して1ケ月が経った。今年はキャンプ前から話題は松坂と野村。巨人と長島さんはいつもながらだが、限られた話題に集中するメディアの悪癖にはうんざりしてしまう。そんなものは無視してメジャー・リーグと行きたかったが、今年はそれも、イチローのマリナーズ・キャンプ参加一色だった。野茂は、吉井は、伊良部は今年はどうなんだろう、と気になったが、そんなことをこまめに教えてくれるスポーツ・ニュースはほとんどなかった。

・2月の朝日新聞の小さなコラムに、日本からの取材がイチローに集中していて、野茂は例年になくのんびりとキャンプができているという話題を読んだ。それはいい、と思ったが、練習試合での投球は不安定のようだった。何より四球が多い。先発をはずされるのではと心配していたら、3月末にいきなり「メッツ解雇」というニュースが飛びこんできた。で「カブスとのマイナー契約」。去年は、中4日のローテーションで投げる野茂と吉井、それに伊良部の衛星中継を見るのに忙しかったのに、今年はかろうじて吉井が先発に残っただけ。その吉井も調子が悪くてローテーションをはずされそうだ。深夜の時には録画をし、大学に行く日はMLBのHPとReal Playerでのラジオ中継のチェックをしていた去年とはまったく違って、今年は何とも寂しいシーズンになってしまった。

・野茂は結局カブスともメジャー契約できず、最新のニュースではブリュワーズと再度マイナー契約を結んだようだ。いったいいつになったらマウンドに立つことができるのか、ぼくは今自分のことのように心配している。何と言ったって、彼は周囲の抵抗や批判を押し切ってメジャーに飛び込んで、新しい世界を見せてくれたのだから。豚饅頭のように太った顔でちゃらんぽらんにやっている(ように見える)伊良部や、野茂の切り開いた道を追いかけた他の選手とはその存在の意味は全然違うのである。それに、活躍していたときにはウンカや蠅のようにつきまとったくせに、今では知らん顔か無責任な中傷記事を書くスポーツ・ジャーナリズムには、あらためてうんざりしてしまう。というよりは、日本にスポーツ・ジャーナリズムなどというものは存在しないのだとあらためて実感させられた。

・ぼくは、今回の経緯は決して野茂の力が落ちたことが主な原因ではないと思う。コントロールが悪いのは昔からで、ボールになる決め球のフォークをバッターが空振りしなくなったのが一番の原因だろう。もちろん、ストレートの威力は年齢からいっても衰えはじめていることはまちがいない。だから野茂の将来は、カウントをとれ、緩急がつけられるボールを武器にすることができるかどうかにかかっていて、ぼくはそれは十分に可能だと感じている。

・確か野茂は今シーズンの契約を3億円近い額で済ましていたはずだが、ブリュワーズではその1割に減らされたようである。ぼくは、その契約のシビアさに、あらためて日本とアメリカの違いを思い知らされた。かつての同僚のピアザは今年からメッツと7年で100億円の契約をした。自分の力や魅力を商品価値としていかに高く評価させるか、それを代理人を介して有利に交渉し、成立させていくか。それは逆に、雇う側からすれば、マイナス材料を理由にどれだけ買いたたけるかということになる。

・野茂は3年間ドジャーズで目を見張るような活躍をした。爪を割ったり体調を崩しても、とにかくローテーションをはずれずに投げた。特に3年目の後半は明らかに変調を感じさせていたのに彼は優勝のためにと投げ続けた。そのひたむきさはアメリカ人にも賞賛されたが、オフに肘の手術をしたことから考えれば、あまりにきまじめにすぎたのではと思う。レギュラー・クラスの選手が半月から1ケ月程度故障者リストに入って休むことは珍しくはない。悪ければ無理をしない。それはたぶん選手に与えられた権利なのだ。そしてチームに迷惑をかけたなどとも感じないだろう。そうしなければ、いつ値を下げられたり、首になったりするかわからない。だから野茂に大事なのは、何より、力を保たせながら、いかに長くメジャー・リーガーでいつづけるか、それを第一に考えるという発想の転換なのである。それからもうひとつ、ことばの問題だ。現在の野茂の境遇に多くのアメリカ人が同情しないのは、彼がアメリカにとけ込んでいないと見られているせいだと思う。日本語でも口数少ない彼には、この方がもっと難しいのかもしれない。

・野茂がカブスを解雇されたとき、近鉄は野茂の復帰には前向きだが代理人交渉はしないと発表した。日本では相変わらず年俸交渉は球団と選手とのあいだでおこなわれる。「悪いようにはしないから、ごねるな」という慣習がまかり通っている。「タテ社会」とか「甘えの構造」として指摘された日本的な人間関係に典型的な特徴だが、それが、一歩国の外に出ればまったく通用しないものであること、閉ざされた世界だからといって当たり前のものではなくなりつつあることを、日本のプロ野球も、それに寄生するスポーツ・ジャーナリズムも全然気づいていない。野茂が苦闘する状況は、明日の日本や日本人にのしかかる問題でもあるのだ。
# とにかく野茂にはカムバックして、来シーズンの契約交渉を自分の思うとおりに運べるよう、がんばってほしいと思う。