2023年3月27日月曜日

WBCが終わって思ったこと

 

wbc1.jpg" WBCで日本が優勝しました。大谷対トラウトで終わるというマンガのような展開でした。まさに大谷の、大谷による、大谷のためのWBCだったと思いました。自分が望むヒリヒリするゲームを経験したでしょうが、見ている者にとっても、ハラハラドキドキや感嘆の連続で、見ていてぐったり疲れてしまいました。このままシーズンに入って、今年こそはポスト・シーズンでも活躍できるよう望むばかりです。

WBCはMLB(メジャー・リーグ機構)が主催する大会ですが、メジャーの各球団はこれまで決して積極的ではありませんでした。チームの看板選手を出して、ケガでもされたらかなわない。そんな考えで、これまでは一流選手の出場はかぎられてきました。しかし、今回はトラウト選手がいち早く参加を宣言して呼びかけたこともあって、多くの選手が参加する大会になりました。その意味では、日本の優勝は今回こそが真の世界一だといえるかも知れません。

そんな大活躍の日本チームの表の主役は大谷選手でしたが、裏で支えたダルビッシュの献身的な努力があったからこそ、というのも間違いないと思います。彼はパドレスのキャンプに参加せずに、宮崎キャンプに最初から参加しました。そして若い選手たちに投球の仕方はもちろん、練習の仕方や食事のとり方など、質問されれば丁寧に答えることを繰り返しました。国の代表であることに緊張する選手たちに、そんなことなど気にせず楽しくやろうと呼びかけ、食事会を何度も催したようです。

しかし、ダルビッシュ選手は最初からWBCに積極的だったわけではありません。彼は再婚ですが、オフシーズンには子供の世話やら家事をパートナーと五分五分でやっているようです。しかもその生活に十分満足しているのだとも言いました。それを犠牲にして参加を決めたのは大谷選手の強い誘いだったようです。参加するなら最初からとことんつきあってやる。そんな決断は決して簡単ではなかったと思います。栗山監督は、でき上がったチームを「ダルビッシュ・ジャパンだ」と言いました。

予選から決勝戦まで十分すぎるくらい楽しみましたが、中継をアマゾンがやってくれたのは大助かりでした。テレビはテレ朝とTBSが中継しましたが、我が家ではどちらのチャンネルも見られなかったのです。なぜメジャー中継をやるABEMAではなくアマゾンだったのか。理由は分かりませんが金銭的なものだったことは推測できるでしょう。ただ、スマホやパソコンからテレビに繋ぐと音声だけしか聞こえなかったのは残念でした。番組によってそうなるのはよくありますが、どういう規制が働いているのでしょうか。

WBCの収益金はすべてMLBに入ります。どれだけのお金かは発表されていませんが、その大部分がMLBに行って、満員の東京ドームで予選を行った日本にはわずかしか返ってこないようです。収益金の多くを野球の世界振興のために使うといった大義名分があるとも聞いていませんから、このことははっきりするよう、日本のプロ野球機構は問いただすべきだと思います。日本チームの選手は強いメジャー選手にも気後れすることなく立ち向かって王者になりました。プロ野球機構の従順さはもちろんですが、日本の政治家や官僚たちにも、今回の日本チームの頑張りを見習って、アメポチといった屈辱的な姿勢を改めるきっかけにしてほしいと強く思いました。もちろん、そんなふうに思う政治家や官僚はほとんど皆無だろうと思っての願いです。

2023年3月20日月曜日

沢木耕太郎『天路の旅人』(新潮社)

sawaki1.jpg 第二次大戦中に満州鉄道で働いていた西川一三には、西域地方に対する強い憧れがあった。チベットのラサまで行くには歩くしかないが、その旅程で必要な荷物や食料を買い、それらを運ぶラクダを手に入れるにはかなりの金が必要になる。で、密偵として西域地方を探るという使命を軍に申し出て受け入れてもらった。そこから砂漠や沼地、山岳を越える過酷な旅が始まるのだが、旅立ちの日から猛吹雪に襲われることになる。

沢木耕太郎の『天路の旅人』は蒙古人のラマ僧に扮してラサまでたどり着き、ヒマラヤを越えてインドまで行った西川の旅を、極めて忠実に再現したドキュメントである。暑さや寒さ、渇きや空腹、あるいは盗賊に襲われるということはあるが、旅の記述は極めて単調な日々の連続といっていい。600頁近い大著で、眠る前にベッドで少しづつと思って読みはじめたが止まらない。一日一章と決めて半月ほどで読了した。おもしろかった。

密偵といっても、特に探らなければならない任務があるわけではない。強いて言えば、中国の力がどの程度西域に及んでいるかといったことぐらいだった。もちろん、西川にとっても、旅の目的はそこにはなくて、未知の地に到達することにあった。密偵としての報告も、たまたま満州まで行くというラマ僧に出会った時に手紙を託すといった程度だった。もちろん、資金はすぐに尽きてしまうのだが、後は托鉢をしたり、寺に居候をしたり、行商人になって稼いだりと、極めてたくましく、インドで釈迦にまつわる地を訪ねる時にはほとんどが無賃乗車だった。

日本が敗戦したことを知った後も、もっと旅を続けるつもりだったのだが、日本人であることやスパイであることがわかり、強制送還されて旅は終わる。その経験は西川本人が『秘境西域八年の潜行』と題して本にし、ベストセラーにもなったのだが、沢木耕太郎は、その旅を自らの手で再現しようとしたのである。

戦後盛岡で化粧品店を営んでいた西川に沢木が会ったのは、今から四半世紀も前のことである。何度も出向いて取材を重ねたが、なかなか本にまとめることができなかった。その間に西川が死に、その後で会うことになった西川の妻も亡くなった。あとがきで沢木は、すでに本人が書いた本があるのに、なぜ彼の旅を描くのかと自問したと書いている。そして旅そのものではなく、旅をした西川を描くのだという結論を導き出す。

沢木耕太郎には多くの著作がある。ノンフィクションの作家として、人物や事件を客観的に描くのではなく、自分がそこに関わることを特徴にしている。デビュー時には、そのスタイルが「ニュー・ジャーナリズム」という呼び方をされたりもした。僕はあまり歳の違わない彼の初期の著作を熱心に読んだが、『深夜特急』以後については興味をなくしていた。売れっ子になってしまったと思ったのかもしれない。ただし、久しぶりに彼の本を読んで、若い頃と変わらない、その描こうとする対象に向かう真摯な姿勢と、強くて軽やかな筆致を再認識した。

2023年3月13日月曜日

ジョニ・キャッシュの最後のアルバム

 
Joni Cash "American IV : The Man Comes Around"
AmericanV : "A Hundred Highway"

ジョニ・キャッシュはカントリーの大御所で、2003年に亡くなっている。ディランと一緒に「北国の少女」を歌ったのが、彼を知るきっかけだったが、その後も特に興味を持つことはなかった。ホアキン・フェニックスが主演した『ウォーク・ザ・ライン』はキャッシュの半生を描いた映画で、面白かったが、それでも,キャッシュのCDを買う気にはならなかった。同じカントリー・ミュージシャンのウィリー・ネルソンのCDを買ったのも4年ほど前で、僕がカントリーミュージックにいかに無関心だったかが、今さらわかるのである。

フォーク・ソングと重なるジャンルなのになぜなのか。単調で明るいサウンドと、保守的で右翼的な歌が多いという印象が強かったのかもしれない。対照的に、ディランに代表されるように、フォーク・ソングは政治や社会を批判するミュージシャンがリードする音楽ジャンルだった。しかし、実際には、二つの音楽ジャンルは、それほど単純に二分できないものだったようだ。実際、ジョニ・キャッシュは民主党支持で、反逆のイメージがあって、刑務所でコンサートをやったりもしている。

cash1.jpg" YouTubeでたまたまジョニ・キャッシュの ”Hurt" という歌を見つけた。その年老いた顔に惹かれて聴いて、CDを買いたくなった。収録されているのは"American IV : The Man Comes Around"というタイトルで、IからVIまで出ているが,キャッシュが存命中に出たのはIVまでである。

”IV"は2002年に発売され、”Hurt" はプロモーション・ビデオとして2003年度のMTV Video Music Awardsで最優秀撮影賞を獲得している。ナイン・インチ・ネイルズのカヴァー曲だが、自身の人生を切々と振りかえるような内容で、キャッシュの墓碑銘だとも言われているようだ。

cash2.jpg" この『アメリカン』のシリーズは著名なプロデューサーであるリック・ルービンが、晩年のキャッシュを追いかけて作ったものである。録音は小さなライブや自宅で10年以上もかけて撮りだめしたものだから、それ以前のキャッシュとはずいぶん違う歌声が聞こえてくる。張りのある低音ではなく、しわがれてか細い声で、楽器もギターだけだったりする。収録曲も自作ばかりではなく、他のミュージシャンのカバー曲が多い。

"IV" にはサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」やビートルズの「イン・マイ・ライフ」、スティングの「アイ・ハング・マイ・ヘッド」が入っているし、"V" にはスプリングスティーンの「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」が収められている。他のアルバムにはU2やレナード・コーエン、トム・ウェイツ、トム・ペティ、そしてシェリル・クロウの曲を歌っている。ジャンルを超えて彼が気に入った歌を、プライベートな場で歌う。その歌声に聞き惚れてしまった。

2023年3月6日月曜日

春が早く来た!

 

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forest190-2.jpg立春を過ぎたら本当に暖かくなった。マイナスにならなかったら薪ストーブはつけない。そんな日が2月にあったのは何年ぶりかのことである。3月になったら、もう何日もつけない日が続いている。このまま春になれば薪がかなり残って、来冬の分も何とか行けそうだということになる。

暖かくなる前に、毎年行っている母の白滝に凍った様子を見に行った。例年通りだったが、途中の道にキャンプ場が造られ、富士山を鳥居越しに見られる場所も作られた。中国人と思われる観光客が列をなして山道を歩いているのには驚いた。


forest190-4.jpg スーパーに出かける以外に外出の必要がないので、週一回ぐらいは出かけようと田貫湖に出かけて、湖を歩いて一回りした。3kmほどを40分、雲って富士山は見えなかったが気持ちよかった。

翌週は熱海に梅見物に行った。月曜日なのに大勢の人出で、久しぶりに人混みを経験した。梅園は広大な斜面にあって、一番奥にある枝下梅は見事だった。それにしても河口湖から熱海に行くのは大変で、行きは箱根の芦ノ湖経由で、帰りは三島まで出て折り返すように帰った。

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forest190-6.jpg 雪が降らないから自転車にも乗っている。この時期、周囲が白くなっていないのは何年ぶりだろうか。ただし、久しぶりにぎっくり腰になったから、天気が良くても走れない日が2週間ほどあった。3月になったら湖畔には車が増えて、観光客も多くなっている。

コロナが収まったので東京に出かけた。小学生になった孫の野球試合を応援するためで,何と3年ぶりである。これほど長い期間東京に行かなかったことはなかった。東京マラソンの日だったが,道は空いていて,スムーズだった。一年、二年生が懸命にプレイする試合は、プロの試合とはまた違って、おもしろかった。