2003年10月27日月曜日

ジョニー・デップの映画

 

・最初に見たジョニー・デップの映画は『デッド・マン』(1995年)だった。ジム・ジャームッシュが監督をして音楽はニール・ヤング。サントラ盤のCDは買って音楽だけは聞いていたからずっと興味があった。けれども、見たのは何年もたってからだった。白人の若者がインディアンの世界に入りこんでさまざまな体験をし、さまざまな人と出会う。「若者の旅、肉体的、精神的になじみのない世界に入り込む物語」。デップは無口でセリフらしいセリフはなく、しかも喋っても小声でわかりにくかった。セリフのわかりにくさはジム・ジャームッシュの映画の作り方でもあるが、ちょっと癖のある役者だと思った。もちろん、第一印象は悪くなかった。
・ぼくはその時、おもしろい俳優を見つけたと思ったが、この映画が彼のデビュー作というわけではない。あらためて調べてみると、これ以前にすでに『クライ・ベイビー』(1990年)で主演していて、『シザー・ハンド』(1990年)や『エド・ウッド』(1994年)でも主演だ。『プラトーン』(1986年)は記憶にのこる映画だが、そこにも出ていたというが、まったく印象がない。1963年生まれだから現在40歳。20代の後半から主演してたのだから、気づくのが遅かったというほかはない。
・『デッド・マン』の次に見て面白かったのは『スリーピーホロー』(1999年)。18世紀末のニューヨーク近郊の村で起こる「首なし連続殺人」の捜査にやってきたデップが見た犯人は「首なしの騎士」。合理的な思考ではとらえきれない世界と遭遇して、臆病さと使命感のあいだで揺れ動くデップの心と行動。デップはもちろんだが、この映画はなかなかよくできていると思った。
・ジョニー・デップにはインディアンの血が流れているが、『ブレイブ』(1997年)では居留地で暮らす、仕事も夢もない若者を演じている。妻と二人の子どもがいて、盗みなどで何度も投獄されるという現状だが、殺人を実写する映画への出演の話を持ちかけられてひきうける。もちろん大金とひきかえで、映画は処刑までに残された7日間を家族や居留地の仲間と過ごす彼を映し出す。絶望や怒りをしまいこんだ寡黙な表情。マーロン・ブランドが共演した以外には派手さのほとんどない映画だが、デップ自らの監督ということもあわせて、アメリカ・インディアンの現状が虚飾なく描きだされていると思った。
・『ギルバート・グレイプ』(1993年)はデカプリオとの共演。しかし、話はやっぱり地味で、知恵遅れの弟(デカプリオ)と過食症の母、それに2人の姉妹の面倒を見る青年の役で、舞台がアイオワの田舎町だったこともあって、家族を支えるために夢を持てない、もってもどうにもならないジレンマをうまく演じていた。アメリカ中のどこにでも転がっていそうで、映画にはなりそうもない話。
・ そのほかに見ているのは前回紹介したばかりの『耳に残るは君の歌声』2000 年と『ブロウ』2001年。『耳に残るは君の歌声』はパリに住むジプシーで、ユダヤ人のためにロシアから逃れてきた少女と出会い、彼女を助ける脇役だが、パリを馬に乗って駆け回る姿は格好良かった。また『ブロウ』でのマリファナで大もうけする麻薬ディーラー役も、晩年の落ちぶれていく様子や、刑務所で娘が面会に来ることだけを信じて生きる姿が、肥満した体型とあわせて情けなくてよかった。
・デップは『ショコラ』や『パイレ-ツ・オブ・ザ・カリビアン』などで、影のある寡黙な青年とはちがう役どころを演じている。新作の『Once Upon a Time in Mexico』も公開前から話題になっていて、ビッグ・スターになりつつあるといった感じだ。ジャック・ニコルソンやロバート・デ・ニーロがそうであったように、年齢とともに役の幅を広げていくのは悪いことではないと思う。けれども、それは映画を通して彼が表現したいことや主張したいことが曖昧になることとひきかえになる。彼の持ち味は、マイノリティや日陰の存在を淡々と演じて、その存在を強く印象づけるところにある。これからもそんな役どころを演じる映画ができるのだろうか。
・デップは最近「アメリカは愚かで攻撃的な子犬だ」という発言をして話題になっている。「アメリカは間抜けだ。攻撃的で、周囲に危害を与える大きな牙を持った愚かな子犬だ」ときわめて率直だが、その後ですぐ「わたしは国を愛し、国に大きな希望を持つアメリカ人。だからアメリカについて率直に語るし、時には批判的な意見も言う」と釈明もしている。
・アメリカ人だがインディアンの血を受け継いでいること。映画俳優としてハリウッドで育てられたが、アメリカ以外の国で多くのファンを獲得したこと。現在はフランスに住んでいること。大スターになりつつある現状と合わせて、デップという俳優がこれからどんなふうになっていくのか、楽しみでもあり、また心配でもある。

2003年10月20日月曜日

『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』への反応

  

『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』が出版されてから1カ月近くたちました。まだ書評などはでていませんが、メールやハガキでの反応は届いています。すべて献呈した方々からのもので、内容にふれたものはほとんどありません。またBBSにも何人かの方に書き込んでいただきました。
反応があるというのはうれしいものです。すぐに返事をくれる方には感謝!感謝ですが、実は、ぼくは本をもらっても返事を出さないことの方が多いのです。おもしろそうなものなら読んでから、ひょっとしたらレビューの材料になるかも、などと思いつつ時間がたって返事をしそこなう。申し訳ないと思いつつ、このパターンをくり返しています。ですから、献呈して返事が来ないからと言って、腹を立てたりもしません。こちらが勝手に送りつけたのですから、返事はないのが当たり前。ただ、じぶんが送り手になるたびに、たとえ読みそうにない本でも、すぐにお礼のハガキやメールを出さねばと戒めることにはしています。今回もそんな気持を新たにしました。

この頃の学生さんにうまく受け入れてもらえるかしら、と気になりますが、なにはともあれお仕事一段落されたことお目出とうございます。(S.N.)

ハードからポップまでの議論がバランスよく配置されつつ、深味もあって、読み応えがありそうです。学生さんへの紹介というよりは、まずは自分が読みたいという感じです。(M.F.)

理論的な入門書として、たいへん便利な本のように思われます。ありがとうございました。(S.I.)

なかなか出ないので、なにかあったのかと心配していました。最初と最後を読み、目次をながめ、索引や文献案内を見ながら、丁寧にお仕事をされたことを感じました。このようなテーマで卒論を考える学生さんはおおく、彼らにとってはとても役に立つ文献だと思います。(T.H.)

文化論の本は、ジャンル別概説、総論カットみたいな本が多く、この書物はそういう不足を補う本として、全国の大学で活用されることになると思います。私も来年文化社会学の講義を担当するのですが、そこで活用させていただくつもりです。(M.I.)

私のゼミには音楽をはじめとするポピュラー文化の研究で卒論を書きたいという学生が、毎年なぜか多いのです。いつも先生の著書を勧めているのですが、また一冊が加わり、助かります。というか、学生ではなく私も少しこの分野を勉強しないと、指導が苦しくなりつつあるのです、とほほ。(K.N.)

原書を読んだことがあったのですが、取り上げられた素材についての理解がなかなか難しく、面白かったのですが、少々難渋した覚えがあります。さっと拝見したところ、「なるほど、そうだったのか」と、感じたところがいくつかありました。これから、しっかりと拝読して、勉強させていただきます。(N.K.)

新刊案内で見かけ、購入しようと思っていただけに、非常にうれしく思っております。(M.M.)

メディア・スタディーズを学ぶうえで不可欠な1冊ですので、翻訳していただいたことを心から嬉しく思っております。多くの学生の人たちに読んでほしい本ですから。私のところでも、さっそく、院生の人たちとのゼミで一緒に読んでいくことに決めました。(M.S.)

早速後期の基礎ゼミ(1年向け)でテキストに指定しました。生協に注文してきました。今ぱらぱらとめくってみたのですが、1年生にはちょっと難しいかもしれません。 頑張って読ませます(笑)。(Y.N.)

渡辺さんって、カルスタだったんですね。(C.U)

ずいぶん分厚い本なんですね。翻訳もさぞかしご苦労なさったことと思います。授業の参考に使わせていただきます。(M.S.)
このほかに、BBSに直接書き込んでくれた方もありますし、学会その他で直接お会いしたときにお礼のことばをかけてくださった方もあります。個人的な文面だけの方もいましたが、今回は載せないことにしました。それから、僕はカルスタではありません。読めばわかりますが、著者のストリナチもカルスタにはちょっと距離をおいたところに自分を位置づけているようです。目新しい「知」を上っ面で囃し立ててすぐに使い捨ててしまうのが日本の特徴ですが、ポピュラー文化を考える上で必要な理論をきちっと整理したものが必要だと思いました。
なお、BBSでは、この本の製作過程を編集者の中川さんとのやりとりで紹介しています。関心のある方はぜひ、お訪ねください。

2003年10月13日月曜日

Neil Young "Are You Passionate?"

 

・ニール・ヤングが武道館でコンサートをやる。去年の「フジロック」に来ていたから1年ぶりだが、単独でのコンサートは久しぶりだろう。残念ながら、僕はこれまで一度も彼のコンサートには行っていない。だから、今度ばかりは無理をしてでも行こうかと思っているのだが、例によって、帰り道のことを考えると気が重くなってしまう。ルー・リードの時も直前まで、行こうかどうしようか迷っていて、結局くたびれるからやめようということになってしまった。あとでコンサート評などを読むと、かなりよかったようで、行けばよかったかな、と少し反省している。

・もっとも、コンサートに行くときにはだれであれ、予習をするのがこれまでの習慣になっていて、ルー・リードもこの間あらためてずいぶん聴いた。で今はニール・ヤングを聴き始めている。この習慣は、ディランが最初に日本に来たときからだと思う。一曲も聞き逃してはいけないと、歌詞やメロディを頭にたたき込むようにして聴いた。それでも、アレンジを気ままに変えるディランのコンサートでは、何の曲だかわからないものがいくつもあった。

・ニール・ヤングはいつでも同じように歌うから、知っている曲はわかるだろうと思う。ただし、バックのクレイジー・ホースとギンギンに乗ってしまうと何がなんだかわからなくなることもあるかもしれない。僕は彼の歌は断然、ソロで生ギターでやるのが好きだ。最近ではニューヨークの惨事のあとにしたテレビの特番で歌った「イマジン」が今でも忘れられないほど印象深く残っている。あとは『フィラデルフィア』のエンディング・テーマとか、MTVでやった「アンプラグド」のコンサート盤などは、部屋や車のなかで時折聴いている。だから、武道館という会場が「絶対行こう」と思えない大きな理由でもある。

young6.jpeg・来日が近いせいか、古いアルバムが何枚も新装されて発売されたり、予定されている。9月に2枚組の新作"Green Dale"も出たようだが、まだ買っていない。僕がもっているCDで一番新しいのは"Are You Passinate?"だ。彼の歌には二面性があって、高音で鳴くように歌う静かなものと、クレイジーホースをバックに絶叫するものがある。静かなものは「ロンリー」とか「ヘルプ」といったことばがよく出てきて、聴いていて情けない気になってしまうが、"Are You Passinate?"は全曲がそんな感じだ。

・曲名も「失望さん」「やめろ」「家に帰ろ」「旧友」「癒し人」といかにもで、彼の歌はデビューの頃から一貫して変わっていない。メロディにはどことなく演歌くさいものもあって、そこにテンガロン・ハットで泣くように歌う彼の姿をかぶせると、日本人に受ける理由がよくわかる気がする。頭ははげて、ずいぶん太ったから、けっして格好いいとは言えないが、雰囲気と声は若い頃のままで、それはディランとは対照的なところでもある。歌が変わらないからいいともいえるし、年相応という面がないから不満だとも言える。

young7.jpeg・以前にぼくのHPに興味をもった人が大学に会いに来て、その時に自分がプロデュースしたCDをもってきた。中身はニール・ヤングへのトリビュートで、ヤングの歌を何人かの人たちが集まって歌うというものだった。他にもあるのかもしれないが、ミュージシャンを志す人にとってニール・ヤングが根強い人気をもっていることを示すアルバムだと思った。ちなみにこのアルバムのタイトルは"Mirror Ball Songs"で、問い合わせ先はwww.elesal.com。

・このコラムで取り上げるミュージシャンはどうしても、ぼくと同世代かちょっと上の人たちが多くなってしまう。それは僕の好み、聞き慣れた音楽に対する愛着という点からも仕方がないのだと思う。けれども、ロックの第一世代のがんばりがずーっと目立ってきていることも確かだろう。この一年で僕がとりあげたもののなかにもスプリングスティーン、パティ・スミス、トム・ウェイツといった人たちばかりが目立つ。

dylan7.jpeg・ 前回紹介したルー・リードのアルバムは意欲的に新境地を開拓しようとしたものであることがわかるし、ディランはまた映画作りに参加して"Masked and Anonymous"というサントラ盤を出した。映画のできはひどく不評だが、アルバム自体は結構おもしろい。「ライク・ア・ローリング・ストーン」がスペイン語のラップに作り直されていたり、他のミュージシャンが歌う「セニョール」や「珈琲をもう一杯」などにはあっと驚くほどの新鮮みがある。他にもスティングのニュー・アルバムももうすぐ出るようだ。ロック音楽は完全に行くところまで行ってしまって、なかなか先に進む道が出てこない。新しい方向を探るのは若い世代の使命だと思うが、還暦を過ぎた、あるいはそれに近い人たちばかりが目立つのは、ちょっと見通しが暗いと言わざるをえない気がする。(2003.10.13)

2003年10月6日月曜日

野茂のMLB


・今年のMLBが終わった。プレイ・オフの最中で、ヤンキースの松井もがんばっている。僕ももちろん関心がないわけではない。けれども、野茂のゲームが終われば、そこでシーズンも終わる。これは彼が米国に行ったとき以来変わらない感覚だが、今年はその気持ちが一層強かった。ドジャースがプレイ・オフに出られなくて悔しかったし、チーム力のなさが歯がゆかった。そこで防御率2点台でずっとがんばった野茂のひたむきな投球には、毎年のことながら感心し、感激した。

・16勝(6位)13敗、防御率3.09(5位)、三振数177(9位)、投球回数218.1(6位)、被打率0.223(4位)。日米通算で3000個の三振を奪い、シーズンはじめに100勝をして通算では114勝、日本での勝利数と合わせると192勝で、来年には200勝を越える。野球は記録のスポーツで、記録は積み重ねのうえに成り立つが、野茂の残した数字がいよいよすごいものになってきた。名実ともに、日本はもちろん、メジャー・リーグを代表する投手である。

・野茂は今年13敗したが、そこでドジャースがあげた点は13点。ちょうど一試合に1点で、これでは勝てるわけがない。ドジャースのピッチング・コーチはチームがもっと援護をしていれば20勝以上をあげてサイ・ヤング賞の候補になったはずといったが、たら、れば、はいくら言っても仕方がない。しかし、見ていてじりじりする試合の何と多かったことか。相手に先に1点とられたら負け。そんなプレッシャーのなかで、よくもまあ、我慢して投げたものだと、今さらながらに思う。

・野茂は今年35才になった。もう若くはない。というよりは、あと何年できるだろうかという年齢になってきた。速球派で熱投型だから、力が衰えたらもたないだろうと思ってきたが、今年は投球術の巧みさに驚いたシーズンでもあった。コントロールがよくなった。ストレートも速さを微妙に変え、フォークでストライクがとれるようになった。球速は並みだが打者は振り遅れたり当たり損ないだったりと、見ていて不思議な感じがした。もう完全に技巧派で、彼は不器用だとばっかり思っていた僕には、ちょっとした驚きだった。で、これなら40才までいけるだろうと確信もした。