2006年1月30日月曜日

2005年度 卒論集『まるで女子大のよう』

 

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1. 「テレビCMにおける音楽の役割と課題」………………………………富田亜矢子
2. 「耳を澄まして音を聴いて環境を考える」………………………………菅 美沙子
3. 「北欧インテリア~ 魅力とその人気の真相~」…………………………太田夏子
4. 「女性とスポーツ」…………………………………………………………仲田美紀
5. 「髪ってなんだ?」…………………………………………………………小山奈津美
6. 「電子掲示板の影響力と可能性」…………………………………………加藤由子
7. 「ポイントカードと販売促進法」…………………………………………赤羽根孝子
8. 「中吊り広告が私たちに与える影響について考える」…………………佐藤麻美
9. 「個性派ストリート・ファッションの若者たち」………………………石井利枝
10. 「カフェヲタクのススメ」…………………………………………………森麻衣子
11. 「遅刻」………………………………………………………………………岩崎仁美
12.「『青春パンク』と日本における『パンク』とは」……………………今村 舞
13.「『ブーム』について」……………………………………………………池松絵里可
14. 「キャラクター研究- 日本人とキャラクターの関係」…………………田口 美沙

2006年1月24日火曜日

やっと雪

 

forest49-2.jpg・ものすごく寒い冬。ところが雪がほとんど降らない冬。今年はこのまま雪かき機も使わずじまいかと思っていたら、やっと降った。15cmほどでたいしたことはないが、それでも一面の銀世界は懐かしい。冬にはこの景色を眺めなければとさっそく、まだ止まないうちから雪かきを始めた。飛ばしがいのあるほどの量ではないが、久しぶりの感触で精出したせいか、両腕がなまって震えてしまった。
・もっともこの雪は茨城の水戸あたりでは数十年ぶりの大雪だったらしい。東京でも都心で9cmというからかなりのものだろう。転んでけがした人も数百人というから、キレイだと言ってばかりはいられない。東北や新潟の雪のことを考えたら、顰蹙ものだろう。
・とにかく今年の冬の天気はままならない。河口湖では零下10度の日が数日続いて湖面が全面結氷した。山中湖ではワカサギ釣りができるほどの厚さになって、数年ぶりに解禁ということになった。ところが、そのニュースが出た翌日から気温が急上昇して温かい春先のような雨。気温が12度まで上がったから、氷はあっという間に溶けてしまった。で、湖上のワカサギ釣りは延期。今年の天気はまったく意地が悪い。とは言え、暖かい雨でも、富士山にはたっぷり雪が積もった。今年は富士山に雪がないという話題も、テレビでくり返し放送されていて、「農鳥」の頭がかすかに白いといった程度でしかなかった。寒すぎると富士山には雪が積もらない、ということを発見した。そういえば、一年間で富士山が一番白くなるのは春先なのである。

 

forest49-3.jpg・天気の意地の悪さといえばもう一つ。河口湖では1月から2月のはじめにかけて土日に花火をやる。寒中花火で客が少ない冬のイベントとして定着させようとしているのだが、14日はどしゃ降りの雨で21日は雪だった。天気が悪いと花火は煙しか見えないからどうしようもない。このときばかりはからっと晴れて天の川がくっきりみえるような天気が望ましいのだが、今のところそんな日は平日ばかりで週末にはほとんどない。晴れて気温が下がった日は夕焼けもキレイだ。仕事からの帰りがけに遭遇して、思わず車を止めてシャッターを切った。あと10分ほど早かったら赤富士だったかも、と思ったら残念な気がしたが、それでも見とれるような風景だった。

・こんなことを夜中に書いて朝起きたら、新聞に香内三郎さんの訃報を知らせる記事が載っていた。何も聞いていなかったのでびっくりしたが、まだ74歳、北村日出夫さんにつづいて、また親しくしていた先生が亡くなってしまった。香内さんは去年『「読者」の誕生』(晶文社)を出され、その出版パーティなどもあって、お元気だと思っていたところなので信じられない気がしている。続編も執筆されていて、その変わらぬ姿勢に敬服するばかりだった。たぶん、まだまだ書きたいことがあったのだろうと思う。

2006年1月17日火曜日

団塊世代本に異議あり!

 

堺屋太一『団塊の世代「黄金の十年」が始まる』(文藝春秋),残間里江子『それでいいのか蕎麦打ち男』(新潮社),林信吾、葛岡智恭『昔、革命的だったお父さんたちへ』(平凡社新書)

dankai1.jpg・団塊世代が話題になっている。定年退職が始まる2007年が危機なのだそうだ。一気にやめて職場に穴があく。年金受給者がいっぺんに増える。ぼくはこの世代に属しているが、定年はまだだいぶ先だから、他人事のように受け取っている。しかし、同世代のことだから、気にはなる。で、何冊か読んでみた。結論を言うと、どれも読んで強烈な違和感をもった。一言で言えば不愉快。
・ぼくは何より「団塊」ということばが大嫌いだ。確かに生まれたときからずっと「世代」として注目され、いろいろに名づけられてきた。「ベビーブーム」から始まって「全共闘」「ビートルズ」とつづき、それがやがて「団塊」で定着した。名付け親は堺屋太一だが、話題になったのは70年代の後半で、この世代はすでに30代になろうとしていた。
・もう充分いろいろ名づけられてきたのに、こんな時期になってまた何で、団子の塊なんて言われなきゃならないのか。そんな気持ちだったから、話題になった堺屋の小説を手にする気にもならなかった。
・『団塊の世代「黄金の十年」が始まる』は、題名通りこの世代に期待を込めて書いている。将来に不安を持つ必要はないという論調は一見明るい気持ちにさせるが、要するに、それは日本の経済についての話であって、当の世代の立場に立って考えているわけではない。第一に作者は、ぼくらの世代を「サラリーマン」としてしかとらえていない。彼によれば「団塊」とは「企業戦士」「経済大国化のエンジン」として日本の戦後を支えてきた世代で、「既につくられた制度や社会条件によく順応できる器用さと従順さを身につけながら、新しい豊かさに適した発想と人生観を創造してきた」人たちと言うことになる。企業の中ではそういう人たちが目立ったのかもしれない。しかし、そうだとすると、60年代の政治や文化に対して僕らの世代がした問いかけや新しい動きは何だったのか。著者にとっては、それはふれる必要のない些細なことのようである。
・彼によれば、消費社会は大阪万博を契機に始まったのであり、それはまた団塊文化の出発点だったということだ。カジュアルな服装、テイクアウトの食事、あるいはコンビニまで万博が最初というのだからおそれいってしまう。手前味噌の自慢話をここまではずかしげもなくされると開いた口がふさがらない。ほとんどはやりもせずに死語になった「知価革命」がくり返し出てくると、もう勘弁して欲しいという気になってしまう。

dankai2.jpg・残間里江子の『それでいいのか蕎麦打ち男』は同世代による「団塊世代」論である。だから、自分自身や周辺で思い当たる点も少なくない。かなり重要なポイントとして納得できるのは、価値観や生活スタイルの大きな変わり目を生きてきて、その古い部分と新しい部分をかかえこんでいるから、一人ひとりがそれぞれに、葛藤やジレンマに悩まされてきたというところだ。だから当然、団塊以前の世代とはもちろん、以後の世代とも違う特色を持っていて、しかも、世代の中でも価値観や生活スタイルは一様ではない。もしこの世代を論じるとすれば、ここが基本になるはずなのだが、この本の話題は、作者の交友範囲に限定されてしまっていて、雑誌の編集者や広告マン、あるいはテレビ関係者などばかりである。
・しかも、狭い範囲の経験を「団塊男」「団塊女」はと簡単に一般化するから、話はかえって焦点ボケしてしまう。「旅が好き」「雑誌好き」などというのは世代に関係ない共通の傾向だし、「群れるのが好き」はヒルズ族にまで言える日本人の変わらない性格でしかない。「愛」」や「友情」が人間関係の基本に入り込んできた最初の世代だから、そのことを口にすることは多いのかもしれない。けれどもそれはこの世代に限られたことではなく、以後の世代にも継続したものである。問題にするとすれば、古い地縁や血縁の関係との間で揺れ動いた点にあって、その対処の仕方でずいぶんと違う人生を歩いてきているはずなのである。
・題名になっている「蕎麦打ち男」は仕事を辞めた後の「アイデンティティ」探しの一例である。だから、ここには「陶芸」や「NPO」への参加などといった例も出される。あるいは生活の場を変えて田舎暮らしといった話もある。しかしこれも、この世代に限られたことではなく、数が多くて退職の時期が近づいているから目立つということにすぎないのではないかと感じる。仕事以外に自分で夢中になれるもの、楽しく過ごせることをもつ。それは世代を超えた願望で、むしろ若い世代の人たちの方に強く見受けられることのようにも思う。例えば、河口湖には大勢の釣り客が来るが、目につくのは若いカップルや友人グループで、それはパートナーのところに陶芸の体験に来る人たちにも共通している。

dankai3.jpg・『昔、革命的だったお父さんたちへ』は10歳ほど若い人による団塊世代論である。内容はこれまで一番耳にした世代批判で埋められている。何でこんなに語気強く、あるいは皮肉や嫌みたっぷりに攻撃してくるのだろう、と思ってしまう。そんなこといわれる筋合いはこちらには全然ないのに、自覚なしに横暴に振る舞ってきたのだろうか。たぶん上司や先輩にイヤなやつがいて、表面上は平静に対応してきたが、内心では腹が立ってしょうがない。内容から伝わってくる著者たちの思いはこんなものなのだという感じがする。
・そんなことはあるのかもしれないと思う。しかし、この本に書かれた現実認識はまた、ずいぶん偏見や思いこみに満ちたひどいものである。彼らによれば団塊世代は学生時代には社会を激しく批判しながら、就職すると企業戦士に変身した節操のない輩だし、消費社会を煽り、またそれに乗ってバブル時代を招いた元凶だし、ニートや引きこもりを招いた親失格の世代だということになる。そういう問題を自分のこととして考える必要はもちろんあるのだと思う。けれども、それはわずか数年にまたがるだけの世代に特定されて責任を問われることではないはずである。
・この本に限らないが、ちょうど一世代ほど下の人たちが言う団塊世代批判には、屈折した嫉妬心を感じてしまう。この本の前半は長い学生運動史になっている。団塊世代を語るには長すぎるし饒舌すぎるが、学生運動を語るにはまた、不十分で一面的にすぎる。それは「本当はそこに自分も参加したかった」と言っているかのようである。「遅れてきた青年」の悲哀などと言ったら、また一層感情的な批判をされてしまうだろうか。

・いずれにせよ、「団塊世代論」に一番強く感じる違和感は、世代に属する人間を一色に塗って納得してしまうという解釈の仕方だ。それは血液型や星座で性格や運命を診断される時に持つうさんくささや違和感に通じている。団塊世代は1947年から49年にかけて生まれた600万人超を指したり、 51年あたりまで拡大して1000万人だとされたりする。ここにはもちろん、同じ時代を生きてきたことによる共通した「社会的性格」を見ることができるだろう。ただしそれは、一人ひとりの人間のごく一部に見受けられる共通性として理解すべきもので、その一部分があたかも全体であるかのように解釈されてはたまらない。

・その理由をいくつか書いておこう。「団塊世代」=学生運動としてとらえられるが、その時代の進学率は2割ほどでしかなかった。また「団塊世代」=企業戦士(とりわけ大企業)としてとらえられるが、その世代に占める割合はさらに小さなものだ。だから「学生運動→企業戦士」というコースを歩いた人は、この世代の数%にすぎなかったはずである。ところが「団塊世代」というと現実的にはここにばかり注目が集まってしまう。ここで紹介した3冊もその点では共通している。
・経験的に言えば、そういう変身をした者もいたが、同時に、社会の傾向に反対する運動に関わって生活してきた人たちもいて、「経済大国」や「消費社会」や「バブル」だけではなく、「公害」「環境」「フェミニズム」といった問題を確立させる力にもなってきている。あるいは文化的な側面でも、メディアに登場したりビジネスとして成功した人ばかりが注目されるが、音楽にしてもアートにしても、商品化に批判的な姿勢を持って活動した人の数も少なくない。その多様さに注目しなければ、この世代が歩いた道筋を見定めることはできないはずである。

2006年1月10日火曜日

正月のテレビのお粗末さ

 

・もう毎年のことだから、書いても意味はないかもしれないけれども、年末から正月にかけてのテレビ番組のお粗末さにはあきれてしまった。それでも視聴率がかなり高かったりするから、結構楽しんでいる人が多いということなのだろうか。
・なぜ、大晦日に格闘技を見るんだろうか。それもデブデブの元横綱と奇妙な日本語を話して人気のあるナイジェリア人のタレントなどという組み合わせはもちろん茶番だが、元オリンピック代表の柔道選手同士の対決だって、そんなに大騒ぎするほどのことではないだろうと思う。こうやって、あおって人気者にするから、プロレスラーが次々国会議員になったりするんじゃないか。「ファイアー」と「挨拶しろ」としかいえない議員なんて税金泥棒以外の何者でもないはずなのに、次は「ハッスル」議員の誕生なんてことになりかねない。
・もっとも、大晦日に歌謡曲を聴く風習だって、考えてみればもう何の根拠もないだろう。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言われていた時代には、その年のヒット曲を聴いて一年を振り返るといった意味があったのかもしれない。しかし、最近では何百万枚売れても聴いたこともない歌がたくさんある。そんなのを一緒くたにして長時間の番組をつくったって、おもしろがってみる人がいるとは思えない、と感じるのだが、NHKは受信料不払い率を減らすためか、国民的行事だと印象づけるためにしつこく事前のPRをしていた。その甲斐があったのか視聴率は前年より上がったようだが、見ていた人は本当に満足していたのだろうか。
・三が日をふくめて、ぼくは地上波の番組はほとんど見ていない。だから、これは、番組を視聴しての批判ではなく、新聞の番組欄を眺めての感想にすぎない。バラエティの特番が多いのは毎年だが、それにしても、同じタレントが同じような趣向で時間をつぶすといったものばかりで、ちょっとひどすぎるのではないかと思った。去年はフジテレビとTBSが乗っ取り騒動で話題になった。そのたびにテレビ局の経営者はテレビの公共性やジャーナリズム性を理由に、儲け志向のネット業者の参入を拒絶した。しかし、作っている番組を見ると、本当にそうだろうかと首をかしげてしまう。視聴率とそれに連動するCM収入のことしか考えていないのではないか。であれば、どこに買収されたって、中身に変化はないのではないだろうか。
・ただし、救いもある。ぼくはBSの番組をいくつか見たが、再放送のものに見応えのあるものがずいぶんあった。NHKや民法も時間と予算を使ってかなり多くのドキュメントや海外取材の番組を作っている。ところが、それはBSでしか放送しないというものが結構ある。視聴者の数は地上波に比べたら桁違いに少ないはずで、それなのにこれだけのお金や時間を投資できることが不思議な感じがする。意地悪な見方をすれば、その場限りの馬鹿騒ぎだけんお地上波の番組にはBSとは桁違いの予算を使っているということなのかもしれない。そう考えると、そのくだらなさにますます腹が立ってくる。視聴率、つまり視聴者数は力ということなのだろうか。
・地上波デジタル放送が都市部ではかなり普及しているようだ。ネットでのテレビ放送も現実化しそうな様子である。テレビのハードの方は多チャンネル化と多様な番組放送という方向にどんどん進んでいる。なのに相変わらず10,20,30%という視聴率を巡る競争して、そのために画一的で、時間つぶし的な番組ばかり作るという姿勢には、ハードとソフトの関係をまったく考えていないのではないかと言いたくなってしまう。番組が多様化しないのは、視聴者がそれを望まないからだという理由がつけられるかもしれないが、実際には、他に見るものがないから仕方なく見ている人が多いのではないだろうか。

2006年1月2日月曜日

Coldplay他

・あけましておめでとうございます。2006年の最初のレビューです。今年もよろしくお願いしいます。

coldplay1.jpg・昨夏にイギリスに行ったときに先ず目に入ったのは、ヒースロー空港での"Coldplay"の大きな広告だった。イギリスに来たという感じがしたし、売れ過ぎなのにまだ売りたいの、という皮肉も言いたくなった。去年のグラミー賞も意外だったが、"X&Y"のヒットはもっと驚いた。デビューの頃から静かな感じときれいなメロディが気に入っていて、”Travis"とあわせて聴く機会が多かった。ちょっとうるさいが” Stereophonics"もじっくり聴くといい曲で、最近の若いイギリスのミュージシャンには好感を持っている。
stereophonics1.jpg・"Coldplay"のヴォーカルはクリス・マーティンで風貌もけっして派手ではないのだが、女優のグイネス・バルトロウと結婚していて、女の子が一人いるのだということを、つい最近知った。バルトロウは好きな女優なのに何度聞いても名前を覚えられなくて、かえって印象が強い人だが、クリス・マーティンとはどうしても結びつかない。彼はどう見たって、どこにでもいる兄ちゃんで、ハリウッドの売れっ子女優とは合いそうもないからである。一方のバルトロウは両親とも映画関係の人で、ブラッド・ピットとの関係が話題になったりして派手だ。
・クリス・マーティンについて、なんか意外ということがもう一つある。彼は「トレード・フェア」のキャンペーンに積極的に関わっていて、ハイチやガーナといったアフリカの最貧国を訪れたりしている。「トレード・フェア」とは公正な貿易のことで、発展途上国の貧しさの原因は第一に、豊かな国との間で行われている不当な貿易に原因があると主張して、その改善をもとめる運動が存在するのである。その運動を進める「Oxfam」のサイトには、彼の他に"REM"のマイケル・スタイプスやアラニス・モリセットなどの名前もある。この種の運動ではマイケル・スタイプスは以前から活動的で、ほかにU2のボノなども有名だ。

wallflowers1.jpg・話が横道にそれてばかりだが、"X&Y"はもちろんすごくいい。去年のベスト・アルバムといっていいかもしれない。 "Coldplay"はこれまで3枚のアルバムを出していて、どれもいいのだが、心配なのは傑作を出してそれが大ヒットすると、後しばらくだめになってしまうケースが多いことだ。古くはU2の"The Joshua Tree"の後、"REM"の"New Adventures in Hi Fi "の後、そしてRadioheadの"Ok Computer"の後……。一方でそれほど話題にならなくても、堅実でいいアルバムを出した人たちもいる。"Stereophonics"の "Language,sex,violence,other?"や"The Wallflowers"の”Rebel,sweetheart"などだ。

morrison1.jpg・去年もずいぶんたくさんのCDを買った。その多くは古い人たちが出した新しいアルバムで、相変わらずの精力的な活動や尽きない創造力に感心させられることが多かった。ボブ・ディラン、ヴァン・モリソン、ニール・ヤング、ブライアン・ウィルソン……。そう言えば、死んだ人も多かった。高田渡、ウォーレン・ジボン……。同世代の人が死んでいくニュースは、寂しい限りだが、歳をとっていくのだから、これは避けられないことでもある。もっともあきれるくらい元気な人たちもいる。ローリングストーンズは今年も東京ドームでやるようだ。新しいアルバムがいいわけでもないのに、どういう分けか、例外的に彼らを好きな日本人は多い。商売上手なのか、日本人好みなのか。ぼくは嫌いではないが、アルバムもコンサートチケットもあまり買う気がしない。