2001年11月26日月曜日

マルコヴィッチの穴

 

・“穴” というのは不思議な場所だ。閉じた空間にできた裂け目、あるいは未知の世界への通路。どんな穴でも、ふとそんなことを連想させる。家の近くに「風穴」とか「氷穴」と呼ばれる洞窟がある。富士山が噴火したときにできた大きな穴で、一年中冷たかったり、逆に暖かかったりする。地中深くの穴で風を感じるということは、どこかにつながっているということ。一説では、相模湾に通じるなどといわれるから100km近い長さがあるということになる。そんな話を聞いただけで、穴の奥の闇、あるいはその向こうにつながる世界に、想像をかき立てられてしまう。


・村上春樹の小説には、そんな不思議が、装置としてしばしば登場する。壁の穴、エレベーター、井戸、あるいはダンキン・ドーナツ。それらが必ず異世界への通路になって、二つの世界を行き来する物語を可能にさせている。世界には、そして人の心には、明るい自明の世界のほかに、暗い闇の部分がある。あるいはだれでも、今ここではない、もう一つの「生きられる世界」の可能性を信じたり、夢想したりするが、そこへ通じるはずの道はまた、ブラックホールのようにも感じられる。

・テレビの番組欄で『マルコヴィッチの穴』という奇妙な題名を見た。“穴”と聞いただけで、もう見ずにはいられない。Wowowでの放映時間が待ち遠しかった。
・主人公は操り人形使い師。大道芸をやっているがなかなか思うようにはいかない。自分のやりたいものと客の望むもののズレに悩んでいる。同居している女性はペット・ショップをやっていて、家にも何種類もの動物がいる。二人の関係は今ひとつしっくりいっていない。


・彼は新聞で見つけた求人広告をたよりに出かけてみる。そこはビルの7階半にあって、天井の高さも半分しかない。エレベーターもちょうど 7階と8階のあいだで緊急停止させてバールでこじ開けなければならない。何とも奇妙な場所で、よく分からない仕事をはじめる。ちょっと気になる女性。そしてたいへん気になる穴の発見。それは書類棚の後ろにあって、先が見えないほど暗くて深い。彼が思いきって先に進むと、扉が閉まって、急に真っ逆さまに落ちていく。底についたら、目の前に視野が広がっていた。

・新聞を読む、珈琲を飲む、シャワーを浴びる、鏡の前で身繕いをする。どうやら誰かの中に侵入したようだ。俳優でマルコヴィッチというらしい。他人の中に入って、その世界を感覚するという奇妙な経験。しかし15分たったらニュージャージーのターンパイク近くの土手に落とされた。


・彼はそのことを気になる女性に話す。彼女はそれを商売にしようと考える。「一瞬だけ他人になれる経験をしてみませんか」というわけだ。入り口には長蛇の列。彼はそのことを同居人にも喋る。彼女は男の中に入ることで、すっかり意識変革してしまう。入っているときにちょうど、マルコヴィッチは気になる女性とセックスをはじめたのだ。彼女は、自分は実は男で、女性が好きだったのだと思ってしまう。


・彼は彼で何度かくりかえすうちにマルコヴィッチを制御する術を見つけだす。入っている時間もだんだん長くなる。そしてマルコヴィッチに俳優を辞めて操り人形使い師になると宣言させる。それはたちまち話題になって、引っ張りだこになる。人形を操るのはマルコヴィッチだが、その技術は主人公のもので、彼はマルコヴィッチ自身をも人形のように操ってしまう。

・わたしたちは他人の経験を直接経験することはできないし、私の経験を他人に直接経験させることもできない。だからそれをコミュニケーションで理解させたり、想像力で補ったりする。しかし、なかなか他人のことは分からないし、自分のことを他人に分かってももらいにくい。だから、たがいがその経験を直接共有できるというのは人間関係の究極の形だといえる。理想にも、夢のようにも思えるが、しかしそれはまた、たがいが直接コントロールしあえたり、自他の境界をなくさせたりすることにもなるから、必ずしも幸せなこととはかぎらない。


・そう考えると、わたしたちの経験はたがいに閉ざされている方が気楽だということになる。ただ、たがいのあいだに時に通じあう穴、つまり通路がなければ、人は本当にバラバラな存在になってしまう。まるで一緒になっても生きられないし、バラバラでも生きられない。そんなことを考えると、穴の魅力と恐ろしさの意味が納得できるような気になってくる。

2001年11月19日月曜日

秋深し、隣は………

 

forest12-2.jpeg・最低気温が零下になった。欅は一本が完全に落葉し、もう一本も黄色になった。庭が茶色の絨毯のようで、それをかき集めると山になった。近くで咲いていた向日葵やコスモスの種を大量に収穫したから、来年はそれを庭に植えて、花畑をつくろうと思っている。落ち葉はその堆肥にするつもりだが、うまくいくかどうか………。



forest12-4.jpeg・秋深し、隣は………。ムササビは繁殖期になったのか、しばらく帰ってこない。恋の季節にはやっぱり外泊なのかもしれない。もちろん、帰ってきたとしても、落ち着くのは屋根裏であって、ぼくが作った巣箱ではない。空き家の巣箱は葉が散ってしまうと、余計に寂しそうに見える。ストーブ用に薪は家をぐるりとするほどで、備えは万全だ。

・しばらくぶりにカヤックにのった。雨上がりの快晴。富士山はもうすっかり雪化粧。ここのところ忙しくて、家に持ち帰る仕事も多い。翻訳も気になっているから、外に出ることもままならなかったのだが、出ればやっぱり、ほっとした気持ちになる。

forest12-5.jpeg・渡り鳥が何種類も、北からやってきている。年中居着いているものと区別がつきにくいが、頭が緑色の鴨は新しい。ほかに白や灰色の大きな鳥。カヤックで近づいて写そうと思うのだが、決まった距離まで近づくと逃げてしまう。で、後を追ってやっとものにした。鷺かな?



forest12-10.jpeg・今年も紅葉はきれいだ。赤と黄色と緑、それに空の青と湖の藍色。それが縞模様になって、絶妙の色合いを描きだしている。観光船もそんな景色の前では一休み。日差しが強いからまだ寒くはないが、カヤックのゴム底一枚で接する水は冷たい。これからは足に寝袋でも巻いてのることになりそうだ。(2001.11.19)

2001年11月12日月曜日

T.ギトリン『アメリカの文化戦争』(彩流社)

  • トッド・ギトリンはぼくと同世代で、60年代にはアメリカの学生運動組織であるSDSのリーダーだった。その後、ニュー・レフトを代表する社会学者として精力的に仕事をしてきている。『アメリカの文化戦争』(原題は"The Twilight of Common Dreams")はヴェトナム戦争以後のアメリカの文化や政治の状況をふりかえって見つめ直すといった内容で、前作の"Years of Hope, Years of Rage"(邦訳は『60年代アメリカ』<彩流社>)の続編といった内容である。
  • 『60年代アメリカ』は、自らの学生運動の経験や少年から青年に至る成長のプロセスをドキュメントのように、あるいは物語のようにつづっていて、ぼくは日米のちがいを越えて、共有する経験の多さに喜んだり、そのラディカルな言動に驚いたり、あるいは、時代や社会状況をふりかえって見つめる目の確かさに感心しながら読んだ。アメリカでは10年刻みで時代をひとくくりにしてまとめるのが一般的で、それぞれいくつもの本が出ているが、『60年代アメリカ』はD.ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』(新潮社)と並んで、その種の本の最良のものだと思う。
  • 『アメリカの文化戦争』は『60年代アメリカ』のように、読みながら興奮を覚えるといったものではない。それはしかし、ギトリンのせいではなく、アメリカの変容が原因である。アメリカが世界でもっとも豊かな世界になったのは50年代だが、60年代には、はやくもその栄光が揺らぎはじめる。ギトリンによれば70年代以降のアメリカは、特に白人にとっては、かつての栄光とそれにつづく衰退のプロセス、あるいは理想や正義の形骸化と、それでもそこにしがみつこうとする意識のズレに悩まされた時代だった。なぜアメリカは、それが独りよがりであることが明白であるにもかかわらず、なお理想や夢、あるいは善なるもの、正義や正直さに執着するのか。これはなにより、貿易センタービル破壊に対する国を挙げての報復行為とその意味づけについて、アメリカ人以外の人たちが持つ違和感だと思う。
    国家を「夢」といった実体のないものと同一視することは全く例外的なことである。夢は何ものかを喚起し、照らし出し、美しく、恐ろしくもある。しかし夢は既成事実では決してありえない。証明すべき実体をもたない。ただ修正だけがきく。もともと曖昧なものであるがゆえに、いろいろに解釈されるようにできている。夢とはあらゆる経験の中で、もっとも個人的で不可視なものである。
  • ギトリンは、それをアメリカが「自由な人間が平等に生きるという理念」をもって生まれ、世界中にそのような期待をいだかせ、またそれを実現しして見せることを運命づけられた国だからだという。それは「国家というよりは一つの世界」「一つの生き方」といったものである。アメリカは誰もが夢を持てる国、もたなければならない国。アメリカの魅力は何よりそこにあるが、しかしまた、アメリカ人が抱える不幸やアメリカの怖さもおなじところから生まれる。夢は基本的には個人的なものだから、他人とは違う夢、異なる価値として持たなければならないが、それは他者を尊重しないという方向にも働く。
  • アメリカはその栄光が揺らぎはじめた70年代から、人種的なマイノリティや女たちが自らの声を出し始めた。夢を持つのが白人の男の特権ではないことが主張されるようになった。そのような傾向は80年代、90年代、そして21世紀へとますます強くなっている。ギトリンは音楽やスポーツに顕著なほどには、マイノリティの持つ夢は実現していないという。しかし、アメリカ人であれば誰でも、何らかの夢を持って生きること、その権利が当然視される時代になったことはまちがいない。
  • けれども、それは同時に、たがいがそれぞれ勝手に生きるバラバラな社会が到来したことを意味する。アメリカ人とは一体何者なのか?アメリカのアイデンティティはどこにあるのか?それがこれほど不確かになった時代は未だかつてなかったとギトリンはいう。
  • この本を読みながら、ぼくは今現在のアメリカの精神状態に気がついた。アメリカを襲う大きな危機、それがもたらす不安と憎悪。それによってバラバラな人たちが、アメリカという国、アメリカ人としてのアイデンティティを自覚する。テロの被害者、それに立ち向かう正義の戦士。それは一方でアメリカ人の心を一つにする働きをする。けれども、その心は同時に、アメリカ以外の国や人びとの思いに対する想像力を遮断し、彼らの生きる権利やその主張を無視する結果ももたらす。
  • その心の偏狭さに気づくのが、アフガニスタンで数万、数十万、あるいは数百万の犠牲者が出た後になるのだとしたら、それは恐ろしい悪夢だとしかいいようがない。
  • 2001年11月5日月曜日

    シンポジウム「ビートルズ現象」

    11月2日に大津の龍谷大学社会学部で「ビートルズ現象」というタイトルのシンポジウムがあった。ぼくはパネリストの一人として出席するために、前日に車で河口湖を出た。快晴、紅葉、雪をかぶった富士山、と気持ちよく出発したのだが東名に乗ったとたんにしまったと思った。10月22日から11月2日まで集中工事。さっそく清水から静岡までの20kmたらずで1時間以上も渋滞したから、もうお先真っ暗である。確か中央高速は11月5日から集中工事だとあちこちに掲示がされていた。確認しておけばよかったと悔やんでも、もう遅いし、今さら中央高速に乗り換えるわけにもいかない。


    シンポジウムは翌日だからその心配はないのだが、追手門学院大学で同僚だった田中滋さんと琵琶湖でカヤックをやる約束をしていたのだ。出発したのは9時半。予定では4時間、余裕を見ても5時間あれば十分と思っていた。ところが、1時近くになってもまだ浜松。しかも掲示板には、岡崎まで2時間で名古屋は空白になっている。おもいきって浜松で降りて浜名バイパスと1号線を使う。再度岡崎から東名に乗って名古屋をすぎたのが3時。カヤックをする約束の時間である。しかし、着いたのは4時半で、せっかく積んでいったカヤックはやらずじまいだった。


    がっかりしたし、ついていないとも思ったが、今回の目的はシンポジウムである。目的を公私混同してはいけない。それに、久しぶりに田中さんと会って、ワインを飲みながら楽しく話した。琵琶湖畔のいいホテルに泊まって疲れもとれた。午前中に一人でカヤック、と思ったが、話すことをメモを取りながら確認して時間を過ごした。
    シンポジウムの仕掛け人は亀山佳明さん。今年は何かと彼と一緒に仕事をすることが多い。3月には「スポーツ社会学会」のシンポジウムに一緒に出たし、夏休みは井上俊さんの退官記念論集の原稿を書いた。そして「ビートルズ現象」。彼は最近、いろいろな企画の仕掛け人になっている。それからもう一つ、桐田さんの葬式でも一緒になった。

    シンポジウムは、ぼくが、ビートルズの登場した時代のイギリスについて、その社会背景を話した。それから、東芝EMIの水越文明さん。彼は昨年出して300万枚の大ヒットになった「ビートルズ1」の宣伝担当の責任者で、その戦略を披露した。そして最後は和久井光司さん。彼もまた昨年暮れに『ビートルズ』(講談社メチエ)を出している。ミュージシャンでもあることは知っていたが、ギターをもってきて歌うということを聞いて驚いた。ビートルズの話を歌いながらしたし、ロックミュージシャンらしく、おとなしい学生をあおったりもしたから、ただ話すだけのぼくは全然かなわないなと思った。しかし、シンポジウム自体は、なかなかおもしろいものになった。

    ビートルズに代表されるポピュラー音楽が20世紀後半の文化を代表することは明らかだ。ぼくはそのことを『アイデンティティの音楽』に書いた。その意味で、ロックはすでに歴史の対象になったといってもいいのだが、今でも若い人たちが一番好む文化であることはまちがいない。ところが今の音楽状況は、一方でミリオンセラーを連発するミュージシャンが多数出て活発なようにも見えるが、レコード会社やメディアによってつくりだされる傾向が強い。他方で、40年も前の音楽がもてはやされたりする。「既成の枠組みや固定観念を破るのがロックで、それをなくした音楽はだめ(和久井)」「メジャーが状況を支配する時期は音楽にとっては沈滞期(渡辺)」「いい音楽が生まれてくるためにも、インディーズにがんばってほしい(水越)」と、それぞれ立場は違いながら、音楽の現状にたいしては批判的な見方で一致した。


    それにしても、どこの大学に行っても、学生たちの目に輝きを感じない。希望に溢れるわけでもなく、不満に怒りを爆発させるわけでもない。管理が行き届きすぎたのか、幸せになりすぎたのか。教師としては面倒がなくて楽だが、かなり物足りない。