2016年12月31日土曜日

目次 2016年

12月

26日:区切りの年の終わり

19日:世界が壊れはじめている

12日:「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」

05日:Sting、Morrison、and Greenday

11月

28日:車の運転について思うこと

21日:ソローをまた読みたくなった

14日:あらら、トランプだ!?

07日:紅葉と薪割り

10月

31日:追悼 平尾誠二

24日:ハロウィンって何ですか?

17日:ディランとノーベル賞

10日:オリンピック批判の本

03日:雨、雨、雨

9月

26日:最近買ったCD

19日:さよなら、Docomo

12日:久しぶりの映画館

05日:文化としての食

8月

29日:オリンピックが終わって

22日:コロンブスは世界をどう変えたか

15日:また祭日が増えた

08日:経済、メディア、そして教育

01日:感情と勘定が世界を劣化させている

7月

25日:テレビをおもしろくした人たちの死

18日:『<オトコの育児>の社会学』

11日:アイルランドの若い歌手たち

04日:休日の散歩と自転車

6月

27日:EU を壊してはいけない

20日:桝添イジメで隠されたもの

13日:Apple のバッテリー

06日:『日本政治とメディア』

5月

30日:まだやるぞ

23日:日々のあれこれ

16日:おかしな世の中ですね

09日:「ブラタモリ」と熊本地震

02日:斜陽の国と認めなければ

4月

25日:野球の始まり

18日:春が来た

11日:Bob Dylan at Orchard Hall

04日:がんばれサンダース

3月

28日:本棚ができた

21日:高校生の政治意識

14日:ホームレスと難民

07日:室井尚『文系学部解体

2月

29日:壁一面の書架作り

22日:最近買ったCD

15日:公正中立とは政府に従うこと

08日:2016 という年

01日:『職業としての小説家』ほか

1月 

25日:ミステリーとファンタジー

18日:暖かい冬だけど

11日:今年の卒論

04日:ディラン前夜のグリニッジ・ヴィレッジ

2016年12月26日月曜日

区切りの年の終わり

 

woodcut.jpg

forest95-1.jpg ・2016年ももうすぐ終わる。歳を取るごとに1年が早く過ぎると感じるようになった。そして、あと3ヶ月で退職になる。定年よりは2年早い退職だが、もう十分働いたと思う。大学の専任になったのは40歳だったが、その前に30歳前から非常勤で働いてきたから、もう40年ほどになった。長かったなーと思うけれども、あっという間だったと言えなくもない。

・河口湖に住んで東京に車で通う。こんな生活も17年が過ぎた。片道100kmを1時間半ほどかけて運転して、いったいどれほど走ったのだろうか。車の走行距離から言うと、おそらく40万kmぐらいにはなるだろうと思う。地球から月までの距離とほぼ同じだし、地球の円周は4万kmだから10周したことになる。これはやっぱりすごい距離だと思う。

thesis.jpg・ゼミで教え、卒論の指導をした学生は、ざっと400名弱ぐらいだろうか。年ごとに並はあったが、大学生が本を読まなくなったこと、満足な文章が書けなくなったことは確かだと言える。手書きからワープロになり、パソコンになって今はスマホで書いている者もいる。ネットでの検索が簡単でコピペが当たり前になったせいだと思う。それに大学を就職予備校のように考える学生が多くなって、興味のあることに時間を費やすことをしなくなったということもある。当然だが、話の通じるおもしろい学生が少なくなった。

 

book.jpg・東経大での仕事は僕にとっては大学院が中心だった。コミュニケーション学部が大学院を作ったときに着任して、最初の10年ほどは毎年複数の学生を担当してきた。博士課程まで進んだ学生も10人近くいて、週一回のゼミには数年前まで毎回大勢の参加者があった。そのメンバーを中心に『コミュニケーション・スタディーズ』『レジャー・スタディーズ』(共に世界思想社)、『「文化系」学生のレポート・卒論術』(青弓社)といった本を出してきた。ただ勉強するだけでなく、一緒に生産しよう。そんなポリシーで続けてきた。

forest125-1.jpg ・ところで肝心の森の生活だが、できることは専門家に任せず自分でやる、といった信条はまだ続けることができている。ストーブの薪、家のメンテナンス、買い物などなどだ。山歩きはパートナーの病気で中断気味だが、数年前から自転車に乗るようになって、昨年ロードバイクに乗り換えてからは、天気のいい休みの日にはほとんど乗っている。退職したら準備をして富士山周辺を一回りしたり、五合目までのヒルクライムにも挑戦したいと思っている。
・研究室の本はもう8割以上、家に持ち帰った。春休みに作った書架はほぼ満杯になったから、いらない本や書類の整理もしなければならない。書斎や寝室は本でいっぱいだが、さて、晴走(工)雨読となるのだろうか。大学を辞めたら研究も辞め。今はそんな気分だから、本は積読状態になってしまうかもしれない。もっとも、ずらっと並んだ背表紙を眺めるだけでもいいかも、なんてことも思っている。

2016年12月19日月曜日

世界が壊れはじめている

 

・オバマ米大統領が広島を訪問したお返しなのか、安倍首相もハワイの真珠湾を訪問するという。日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争を始めたのは、75年前の12月8日だった。その戦争にいたる過程と現在の状況に、どこか似ているところがあるような、そんな恐ろしさを感じるようになった。

・アメリカはトランプが大統領になれば、「アメリカズ・ファースト」で対外的には政治的にも経済的にも強硬姿勢になると言われている。ヨーロッパでも極右政党が勢力を増して、政権を取る国が出るのではと不安視されている。オーストリアではきわどい形で緑の党が勝ったが、フランスやイタリアでは現実化するかもしれない。

・そんな傾向が強まってきた原因は、一つはシリアなどからの移民の流入に対する社会不安だし、もう一つはグローバル化による経済的な不安だろう。だから、どの国の人たちも外国人を排除し、国内の経済を活性化させ、自国の力を建て直すことに、ときに熱狂的なほどに賛同するようになってきた。協調や融和ではなく、対立と競争が前面に出れば、いつどこでどんな紛争や戦争が起きても不思議ではない状況になるかもしれない。

・そのシリアは政府軍が反政府軍が支配していたアレッポを制圧して、民間人を大量に虐殺しているといったニュースがあった。政府軍の後ろ盾はロシアで、空爆が激しく行われたようだ。現地はまるで地獄のようで、さらなる難民がトルコやギリシャに押し寄せるかもしれない。プーチンが来日した日ロ首脳会談では、その惨事は議題にならなかったようだ。もっとも4島どころか2島変換の話もなかったから、いったい何のための首脳会談だったのかと思う。

・第二次世界大戦の反省から生まれたEUが崩壊の危機に陥りはじめている。貧富の格差や人種や性、そして障害者に対する差別といった問題は、長い時間をかけて少しずつ改善されてきたものだが、これらに対する批判や逆行をあからさまに発言する声が強くなっている。ここにあるのは、何より理想の崩壊だし、建前が持つ節度の無意味化だろう。トランプの勝利はまさに、そんな立場の正当化にほかならない。

・その大統領選挙では票の集計に対する疑問や、民主党に対するロシアのサイバー攻撃が取りざたされている。Facebookを使った誹謗中傷や嘘の記事の拡散もあったと言われている。「正しさ」「真実」「事実」「正義」といったことばがほとんど無意味化し無力化しつつある。

・もちろん、理想を掲げ、その現実化に向かうためには、その正当さに異議を差し挟みにくい「余裕」の意識が必要だ。その「余裕」が大戦後に経済成長を遂げた先進国を先頭にして、さまざまな問題を是正しようとする動きを作り出してきた。そして今、その成果をことごとく否定する声や動きが強まりはじめている。「世界が壊れはじめている」と思うのは何より、そんな戦後の流れを否定して逆行させようとする動きが勢いを増していると感じるからだ。

・ところで日本はどうか。もう政治的にも経済的にも崩壊しかかっているのに、そんなことはないかのようにふるまっている。トランプ政権に反応してアメリカの株価が急騰している。日本の株価もそれに反応して去年の数字を回復した。「理想」ではなく「金」。そんな風潮が露骨に現れている。

・安倍首相は就任前のトランプに尻尾を振ったのに反故にされ、プーチンには馬鹿にされた。オバマは真珠湾でどんな態度を取るのだろうか。反対に天皇の要望には、手持ちの有識者を並べて冷たくあしらおうとしている。それこそ恥の上塗りだが、支持率は少しも下がらない。日本はとっくに壊れかけているのに、政治家もメディアも知らぬふりだ。

2016年12月12日月曜日

「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」

・NHKスペシャルが「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」を放送した。ノーベル文学賞を授与されて以降、さまざまに取りざたされ話題になっているし、CDや書籍にも、それを記念して新たに発売されたり、宣伝されたりしたものも多い。今さらとも思うが、新たに興味を持って、彼の歌を聴いたり、彼についての、あるいは彼が書いた本が読まれるのは悪いことではないとも思った。何しろ日本では、ディランは一部を除いて、ほとんど興味を持たれていないミュージシャンだと、ずっと思っていたからだ。

・そのディランは、受賞を拒否するのではとか、まったく連絡が取れないとか、先客を理由に授賞式を断ったとか、そんな話題ばかりが先行していたが、授賞式には、彼に代わって晩餐会にパティ・スミスが出て「激しい雨が降る」を歌ったというニュースを耳にした。主催者からの依頼のようだが、彼女にしてみれば、ディランに影響を受けて歌を歌い始めたのだから喜んでピンチヒッターになったのだろうと思った。

・番組はまず、デビューからヴェトナム反戦を訴える歌を歌って支持を得たこと、フォークからロックに転身してファンとの間に物議を醸したことなどを伝えた。その後で、彼が作品を作るときに書き残したノートや便箋、あるいはたまたま持っていた紙ペラなどが集められているオクラホマのタルサ大学に出向いた。それはディラン自身の意向によるもので、デビューから最近の作品に至るまで、膨大な量になるということだった。

・ふとフレーズを思いついたら、すぐに走り書きをして、後で何度も書き直す。それはレコーディング中でもお構いなしだから、参加したミュージシャンは長い時間待たされることになった。インタビューに答えたアル・クーパーは、「ディランは詩人だから、音楽以上にことばに時間をかけていた」と話していた。

・この番組の中心は、このタルサ大学に寄贈されたディランのノートやメモを巡ってで、インタビューや取材は、今回に限らず一切受けないと言われたことをあげ、どこにいるのかわからないその秘密めいた存在を強調していた。しかし、彼は「ネヴァー・エンディング・ツアー」と名づけたコンサートを1988年にはじめて、今でも精力的に活動を続けている。会いたければそのライブに行けばいいのだし、新しい作品も発表し続けている。僕もこの4月に渋谷で彼に会っている。

・それ以上に何をする必要があるのかといった姿勢が不思議に思えるのは、誰もがテレビや雑誌に登場することで、人気を維持し、高めたい、忘れられたくないと考えているからだ。その方がよほど不自然で姑息なのだということがわからないほど、今のメディアはやかましいし、依頼すれば誰でも喜んで応諾すると、偉そうにふるまいすぎているのである。

・ところで、この番組で僕が一番驚いたのは、2001年にあったニューヨークの貿易センタービルに旅客機を突っ込ませた「9.11」の出来事の一ヶ月後に、ディランがマジソンスクエア・ガーデンでコンサートを行ったことだった。それはもちろん、ライブ盤としても発表されていないし、僕自身はそのコンサート自体を知らなかった。番組で映されたそのライブのなかで、ディランは珍しく、演奏途中に歌ではなく、話を始めて、「僕の歌はニューヨークで始まった。で、今もニューヨークでアルバムを作っている。そんな大事な街なんだ」と言った。

・その映像は隠し撮りされたものだが、ディラン自身が許可をしてYouTubeで見ることができる。「01 11 19 D1139」と名のついた映像は2時間半にも及ぶもので、その日のライブをまるごと映している。 いつものぶっきらぼうで飄々と歌うディランと違って、動きも多いし、何より話をするのが珍しい。なぜ、これがライブ盤として出ないのか。ディランの意向とすれば、なぜなのかと疑問が浮かんだ。ネットで探しても、このコンサートに関連するものは多くない。YuTubeの視聴回数も2万回を超えた程度にすぎない。不思議なコンサートだ。

2016年12月5日月曜日

Sting, Morrison, and Greenday

 

Sting "57th & 9th"
Van Morrison "Keep Me Singing"
Greenday "Revolution Radio"'

sting4.jpg・スティングの「57th & 9th」は3年ぶりのアルバムだ。前作の「ザ・ラスト・シップ」は造船業で栄えた故郷の街を舞台にしたミュージカルをアルバムにしたものだった。不況で造船業を解雇される人たちやすさんだ街で、司祭が自分たちのために最後の船を作ろうとする物語だった。
・「57th & 9th」はニューヨークの通り名がタイトルになっている。セントラルパークに近い一角だが、この題名の歌はない。ただし、CDにはこの通りについての思い出を書いた文章がある。スタジオに出かけるときによく通った場所だったようだ。
・17年ぶりにロックのアルバムと言った宣伝文句があって、確かに「ポリス」時代の音を感じさせる曲が続いている。17年前というと「ブランド・ニュー・デイ」以来ということになる。最近のスティングのアルバムは、古楽を現代風にアレンジしたり、持ち歌を管弦楽にしたり、冬をテーマにしたアルバムだったりした。僕にとっては、家の中から雪景色を見るときに最適な音楽だった。
・それはそれでどれもよかったが、今度のアルバムは、原点回帰のようで懐かしさを覚えた。5万人の聴衆相手に歌った人の歌、考えずにはいられない人だったと歌った歌。最近続いて死んだミュージシャンのことだろうか、などと考えながら聴いた。それにしても今年は多くのミュージシャンが死んだ。

morrison10.jpg ・ヴァン・モリソンの「キープ・ミー・シンギング」はいつもながらのモリソンだ。70歳を過ぎているのに相変わらず精力的で、一度は生で聴きたいと思ってきた最後のミュージシャンだが、日本には来そうもない。4年前のアルバムは「歌うために生まれてきた」で、その4年前のアルバムは「シンプルのまま」だった。今回のは「歌い続けて」といったタイトルだ。
・「いつでも海を見る」とか「寒いところにまた出よう」といった日常を歌った歌が多い。その「思い出道」には次のような一節がある。

しばし立ち止まって、見知らぬ人に尋ねた
ここは「思い出道」と呼ばれたところですか
どこにいるのか、どこへ行くのかわからないのです

greenday3.jpg ・グリーンデイの「レボリューション・ラジオ」は「アメリカン・イディオット」以来、久しぶりに買おうかと思った。うるさいけれども案外メロディがきれいで、歌っている内容も興味深い。そんな感じだった「アメリカン・イディオット」以来の傑作といった批評もあった。確かに悪くない。
・ドラッグやアルコールで自分を見失う。忙しさにかまけて夢を置き忘れる。殺伐とした事件が頻発する。生きにくい社会。自分のことでもあり、今のアメリカで生きる人々のつぶやきや叫びでもある。ただ乗りのいい景気づけだけのロックではないところが、このバンドの魅力である。

2016年11月28日月曜日

車の運転について思うこと

 ・高速道路の逆走とか,アクセルとブレーキの踏み違いで起こす高齢者の事故が大きなニュースになっています。確かに事故は増えているのだと思います。しかし高齢者の人口も急増しているわけですから、高齢者の運転が急におかしくなったというわけではないでしょう。とは言え、どうしたらいいかは個人だけではなく,社会全体で考えなければいけない問題になってきたのは間違いないでしょう。

・僕の家には車が2台あります。一人一台で、公共の交通機関がほとんどないところに住んでいますから、これがなければ,引っ越しを考えなければならなくなります。僕は通勤に片道100kmほどを運転しています。1年の走行距離は3万キロ前後で、仕事帰りの夜道はさすがに目が疲れて,運転がきついと思うようになりました。もうすぐ退職ですから、こんな状況から解放されますが,しかし、運転はまだまだ当分続けなければなりません。

・所有する車には1台、自動のブレーキやアイドリング・ストップ、あるいは車線のはみ出しを警告する装置がついています。便利と言うよりは邪魔くさいと思うことが多いですが、歳を取れば必要な機能だろうと感じています。アクセルを踏んでも,目の前の障害物や人を感知すればブレーキが作動する。そんな装置もすでに実現されているわけですから、免許証の自主返納を声高に言う前に、高齢者が乗る車として広報をし、税金の軽減や購入の支援をすべきだと思います。

・高速道路で最近一番気になるのは、軽自動車のスピードです。100km前後で走行車線を走っていると、次々軽に追い越されるのですが、果たして危険な運転だと,どれだけの人が自覚しているのでしょうか。軽はその名の通り、軽量にできています。事故を起こせばすっ飛んでしまうかもしれないし、ぺしゃんこになってしまいます。高速道路を100kmを超えて走るようにはできていないのです。ですからターボをつけた軽は、僕には凶器(狂気)のように思えてしまいます。

・その速度ですが、実は車の速度メーターは実測よりは7〜10%程度高く表示されます。100kmで走っていても,実際には90〜93kmほどしか出ていないのです。高速道路の制限速度を部分的に120kmにし始めていますが、実測表示にしないという国の指導自体をまず改めるべきではないでしょうか。あるいは中央道は全線80kmに制限されていて、きつい坂道やカーブも3車線の広い道も一律です。長年走っていて、おかしな制度だと感じてきました。

・なぜ、道路状況に合わせて、細かく変更しないのか。3車線ではどの車もスピードを速めます。覆面にとってはまさに捕まえどころで、罰金を取りやすくするためではないかと勘ぐりたくなります。違反で言えば、ここ数年で2度捕まりました。ひとつは車線変更禁止、もう一つは右折禁止という軽微なものです。警察官が待ちかまえていて、もっともらしい説教をされましたが、反則金稼ぎが見え見えで、腹が立ちました。

・さて、僕はいつまで運転するのでしょうか。認知症などにならなければ80歳までは続けたいと考えています。その時はおそらく、今住んでいる家を離れて、出入り自由な老人ホームで暮らすことになるのでしょう。もっとも車の進化はめざましいですから、90歳になっても運転できるかもしれません。もちろん、それまで元気に生きていればの話ですが。

2016年11月21日月曜日

ソローをまた読みたくなった

 

今福龍太『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』みすず書房

imafuku.jpg・ヘンリー・D.ソローは僕にとって灯台や北極星のような人だ。けっして近づくことはできないが、自分の位置を確認するためには欠かせない。都市生活を辞めて田舎暮らしを選んだのも、彼の『ウォルデン』を読んだことがきっかけだった。いつかは実現したい。そんなふうに思ってから20数年経って夢が叶った。そこからまた20年近く経って「森の生活」も板についてきたが、とてもとてもソローには及ばない。実際、森や山や川、あるいは湖の近くに暮らしてはいても、ソローの生き方とはずいぶん遠いところにいる。そんな思いをますます強く実感するようになった。

・ソローは19世紀の前半から中頃を生き、ボストン近郊のコンコードに住んで、森を散策し,湖で暮らし、街ではなく自然の中を旅して、いくつもの著作を残した人である。ただし、彼が書籍として書いたのは、ウォルデン湖の畔で過ごした記録とメイン州を歩いた『メインの森』の2冊だけで、後は死後に刊行された講演記録や、彼が残した膨大な日記である。その日記は彼が死んでから120年も経ってから出版されはじめて、21世紀になってもまだ、新しいものが出されている。

・今福龍太の『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』はその日記を含めて、ソローの残した記述のほとんどを素材にして,ソローという人の生き方や考え方を描き出している。著者のソローに対する姿勢は信奉にも近いものである。

・ごく短い教師の経験と,家業であった鉛筆製造の仕事を一時期手伝ったことを除けば、ソローは人生を通してほとんど仕事をせずに過ごした。結婚をせず、居候をして自分の家も持たなかった。彼が人生を通して熱中したのは自然の中に入ることで、コンコード周辺の野山を歩き、ウォルデン湖に小屋を建てて住み、マサチュセッツ州やメイン州を旅して回ることだった。

・なぜ、何のために歩いたのか。著者は「自分自身を既存の社会秩序から自立するための特権的な方法であった」と言う。それは「教会」「国家」「人民」の外にある「野生」というもう一つの世界である。


自然のなかに感知されるすべての神聖なものの顕れを待ちかまえ,それについて書き記すこと。私の仕事は,自然のなかに神を見いだすためにいつも注意深くあることだ。神の隠れ家を知り,自然のオラトリオ劇やオペラに立ち会うことである。

・ソローはもちろん,既存の社会を見限った世捨て人ではない。彼は奴隷制の存続やメキシコ侵略に抗議して人頭税の支払いを拒んで留置されている。そのことを「市民政府への抵抗」と題して雑誌に寄稿し、その主張はまたガンジーやマーチン・ルーサー・キングの「非暴力的な抵抗」の指針になった。あるいはまた、歩きながら見つけたインディアン(先住民)の矢尻などから、その生活の仕方や世界観を読みとり、移民たちが持ち込んできた自然に敬意を払わない言動を批判した。

・ソローに光が当てられたのは1960年代に発生した,若者たちの「対抗文化運動」のなかだった。環境を破壊し資源を収奪して,物質的な富を追求する。そんな世界の趨勢を批判し,拒絶する行動だった。それから半世紀経ってまた、ソローが残した思想が輝きはじめている。そんな感想を持ちながら本書を読んだ。何しろ今は、理性や正義ではなく、一時の感情や欲望、そして刹那的な楽しみが支配する傾向が増している。それが個人的なものから一国、或いは世界の動向を左右する動因になっている。

・ソローが描く世界は、アメリカを取り戻すと公言して大統領になったトランプには,まったく見えていないものだろう。それだけに、もう一度強い光があたって欲しいと思う。

2016年11月14日月曜日

あらら、トランプだ!?

 ・接戦とは言え,最後はやっぱりヒラリーだろう。そんな話がほとんどだったのに,蓋を開けたらトランプの勝利で、メディアも市場も大混乱といったところだ。僕も開票速報を気にしながら、あらら、おやおやといった気持ちになったが、意外とは思わなかった。ひょっとしたらという思いが強くあったからだ。

・暴言やスキャンダルが何度露呈しても、公開の討論会ですべて負けだと判定されても、トランプの支持率は大きく下がらなかった。それだけ根強い支持があることの証明で、米国の状況に詳しい人からは、「隠れトランプ」がかなりいて世論調査は当てにならないといった話も届いていた。

・今回の大統領選挙は最低と最悪の対決で、少しでもよりましな方をという選択だった。だから今回の結果には直前のFBIの発言が大きかったという声もある。ヒラリーはトランプよりはちょっとまし、といった程度の支持が多かったということかもしれない。開票時に大暴落した株価も翌日には反発して、元に戻っている。トランプは意外なほど真顔で,発言も慎重だったし、オバマとの円満な引き継ぎ交渉も行われた。

・トランプを支持したのは白人層の男たちだと言われている。アフリカ系のオバマ政権が8年続いた後に、女の大統領になったのではたまらない。しかもヒラリーは大企業や金持ちを支持基盤にしていて、貧困や失業に苦慮する人たちの味方にはならない。民主党の候補選びで善戦したサンダースを熱狂的に支持した若者たちも、ヒラリーよりはむしろトランプにといった流れが強いという指摘もあった。

・もっとも世代別に見ると、今回の18歳から25歳までの投票行動は圧倒的にヒラリーで、その投票だけであれば選挙人の数は504対23になったという分析もあった。その意味では白人対有色、男対女以上に若者対大人の対立だったということができるかもしれない。これはEU離脱を可決したイギリスの国民投票とまったく同じ現象で、世界の流れは、これからの担い手になる若者たちの意思や希望を挫くことばかりだということになる。さっそくニューヨークやロサンジェルスといった大都市で,若者を中心にしたデモが連日続いている。

・トランプ勝利を歓迎しているのはロシアのプーチンやEU各国の極右政党だし、中国だと言われている。一方でドイツのメルケル首相は「宗教や肌の色、ジェンダーに関係なく民主主義や人権の尊重に基づいた価値観をもとに緊密な関係を築きたいと」といった発言をした。ところが日本の安倍首相は、緊密な関係を作るためにすぐに会いに出かけるといった発言をした。主人が代わっても「アメポチ」であることが何より大事だといった姿勢である。

・トランプ以上に暴言を吐いて物議を醸しているフィリピンのドゥテルテ大統領は,その反米的な姿勢の理由として、人間なのに犬のように扱われたといったことを言っている。それを聞いてすぐに思ったのは、安倍に代表される日本の支配層は、まるで人間扱いされて喜んでいる犬だな、ということだった。

・アメリカがごり押しをしたTPPがアメリカによって否定されているのに、自民党は衆議院で強行採決をした。トランプが明確に否定しているのだからほとんど意味のわからないことだが、気候変動を抑制するための「パリ協定」の批准をほったらかしにしての行動だから、ますますわけがわからないというしかない。もっとも、どんな失態をやらかしても、メディアは黙ったままだし,支持率も下がらない

・トランプになったアメリカはどうなるのか,といった心配をする前に、この国のダメさ加減にもっと怒るべきだと思う。アメリカがどうなっても、それに翻弄されないこの国の方針を考えることが,何より大事だろう。東京オリンピックまで安倍政権が続いたら、日本は確実に沈没するはずなのだから。

2016年11月7日月曜日

紅葉と薪割り

 

hakuba2.jpg

hakuba1.jpg・パートナーの誕生日を祝って白馬に出かけた。といっても山登りをしたわけではない。栂池公園からゴンドラリフトとロープウェイを乗り継いで栂池自然園まで行き、そのコースを6kmほど歩いた。今年の紅葉は遅いとは言え,自然園の木々の多くは葉を落としていた。ただしリフトとロープウエイから見える景色は紅葉真っ盛りだった。自然園の先まで行くと白馬岳の大雪渓が目の前に見えた。おそらくもうすぐ雪山に変わる。その姿を思い描きながら眺めたが、いつか夏の山に登りたいなとも思った。

momiji1.jpg・今年の紅葉は遅れている。ロープウェイの添乗員もそんな話をしていたが、河口湖の紅葉もなかなか進まなかった。ところがここ数日、最低気温が下がって、2度とか1度になってきた。こうなると紅葉は一気に進む。河口湖は1日から紅葉祭りが始まっていて、テントの屋台が並び,紅葉回廊がライトアップをし始めた。紅葉はまだ三分か四分といったところだが、すでに道路は渋滞し、観光客で溢れている。

・お陰で自転車が乗りにくくなった。車に気をつかい、道ばたで写真を撮っている人を避け、レンタル自転車を追い越して走らなければならないからだ。寒くなったから一番暖かい午後に走りたいが,その時間が一番混み合ってしまう。だから河口湖一周は避けて西湖へと思うのだが、日にちを置くと急坂の登りはきついし、下りは車に煽られてしまう。このあたりの紅葉はなかなかだと思うが、早く散って誰もいなくなって欲しいとも思う。

2016woodcut.jpg・もっとも薪ストーブに火を入れたのを期に、原木を4㎥買い,その玉切りと薪割りもはじめた。自転車と薪割りを一日でやる元気はないから,今日はどちらにしようかと考えて、曇り空や風が強ければ,薪割りということになる。チェーンソーでの玉切りはもう済んで、後は薪割りを少しずつやることになる。雪が降る前の12月中にはもう4㎥を買っておかなければならないから、1ヶ月ぐらいで割って,積み上げなければならない。調子の悪かったチェーンソーはエアークリーナーを分解して、詰まった木粉を取り除いたら威勢が良くなった。チェーンも新しいのに代えたから、玉切りは予想以上に早く済んだ。

momiji2.jpg ・今年の木は素直なものが多いから薪割りは比較的楽だ。しかし、玉切りした木を持ち上げ,斧を振り下ろし,割った薪を運んで,チベット積みにするのはなかなかの重労働だ。一日2時間と思っていたが、30分もやっていると息が上がり、手も腰も足も鈍ってくる。さて今日は薪割りと自転車のどちらにしようかと考える。天気がいいから,あるいは悪いから、気温が高いから、あるいは低いから、風が強いから,と判断材料はいろいろだが、何よりからだとの相談が一番だ。もちろんここには、休日や祭日は自転車を避けるといったこともある。

2016年10月31日月曜日

追悼 平尾誠二

 「平尾誠二VS.松尾雄治伝説の名勝負」

・平尾誠二の死というニュースは,あまりに唐突だった。まだ50代前半の若さで、闘病中などといったことも知らなかった。ラグビーのワールド・カップで日本が活躍したのに、その指導的役割としてなぜ彼が表に出てこないのか疑問に感じていたが、体調のせいだったのかと改めて納得した。

・NHKのBSで「平尾誠二VS.松尾雄治伝説の名勝負」という番組が急遽再放送された。2011年1月2日に放送されたもので、内容は1985年1月15日に今はない国立競技場で行われた、ラグビー日本選手権の同志社大学対新日鉄釜石の試合を二人の話を交えて再現したものだった。6時から始まり9時前に終わる長い番組だったが、個人的な思い出もあわせて,いろいろ考えながら見た。

・平尾が大八木と共に同志社大学にいた当時は、大学ラグビーは同志社の天下で大学選手権を3連覇した。日本選手権では新日鉄に3連敗したのだが、その最後の試合では,前半同志社が先制して,もしかしたら勝てるかもといった期待を抱かせた。新日鉄釜石はその年まで社会人の選手権に7連覇し、日本選手権でも6連覇してきた最強のチームだったのである。

・その試合は結局、後半風上に立った新日鉄が逆転して7連覇を達成し,主将の松尾が引退をしたが、ラグビーを牽引するスターが松尾から平尾に受け継がれた試合にもなった。平尾が就職した神戸製鋼は1988年から94年までの7年間、日本選手権で優勝したが、ラグビーの人気はJリーグに押され,彼が引退した後は凋落の一途を辿ることになった。

・僕が夢中になってラグビーの試合を見たのは、松尾から平尾に続く70年代中頃から90年代初めにかけての頃だった。大学選手権や社会人選手権が暮れから正月にかけて行われて,それは年越しや新年の一番のスポーツ・イベントだった。正月の新年会に集まると、話題はラグビーのことに集中して、勝った負けたと大騒ぎになる。80年代の前半は特にそうだったなと、番組を見ながら懐かしく回想した。

・しばらくラグビーを見ない間に,ラグビーは試合の仕方もユニフォームも様変わりした。それが昨年のワールド・カップを見ての第一の印象だった。ジャパンに外国籍の選手が多かったこと、体格が一段とがっちりしたこと、ぶつかり合いが激しくなったこと、そして何より白い襟のジャージーとは似ても似つかぬユニフォームになってしまったことなどである。昔ながらのジャージーは、今では山歩きしたときに見かける服になっている。

・社会人チームに外人選手が多数入ったせいか、大学は社会人に歯が立たず、日本選手権も社会人と大学のチャンピオン同士というのではなく、それぞれの上位チームが出場するトーナメント戦になって、決勝はもう20年近く社会人チーム同士で戦われている。2014年からは国立ではなく,秩父宮球技場で行われ、テレビの花形番組ではなくなってしまった。

・僕は今でも,球技としてはサッカーよりはラグビーの方がおもしろいと思っている。その意味では日本で開催されるワールド・カップには興味がある。しかしまた、新国立競技場や周辺の再開発を巡るうさんくさい政治的な動きにはうんざりもしている。またなぜ、松尾や平尾といった人たちを前面に出して、ラグビーを再建しようとしなかったのか。平尾誠二が亡くなってから、彼を惜しんでももう仕方がないことなのである。

2016年10月24日月曜日

ハロウィンって何ですか?

 


halloween_img.jpg・街中に出かけることがほとんどないからいつの間に,という感じだったが、ハロウィンが日本でもすっかり定着したらしい。先日研究室に訪ねてきた卒業生が持ってきたお土産がハロウィンのヨックモックで、そんな季節かと思った。クリスマスは家族、バレンタインは職場の同僚の間の行事としておなじみになったが、ハロウィンはSNSで呼びかけた知らない者同士の仮装パーティやパレードになっているという。「キモカワ」の仮装祭りの聖地は渋谷が一番にぎやからしい。

・ハロウィンはケルトの祭りで、暦の最後の日を祝う行事だったと言われている。アイルランドからアメリカに移住した人たちによって収穫祭として広まったが、盛んになったのは第二次世界大戦後だったようだ。キリスト教とは無関係の祭りだが、カトリックはそれを取り込もうとし,プロテスタントは拒否したという経緯があるという。子どもたちが仮装をして地域の家々を回り、お菓子をもらう行事で、日本で話題になったのはアメリカに留学した日本人の高校生が射殺された事件だった。

・そんな異世界の怖い祭りが日本で浸透するきっかけになったのは「キティランド」とも「ディズニーランド」とも言われている。若者たちの間で流行りはじめると、100円ショップやネット通販で関連グッズが売られるようになり、お菓子のメーカーが乗って、ハロウィンを冠した商品を売り始めた。カボチャのお化けは収穫物の代表で、仮装は異界の扉が開いて悪霊や精霊がやってくるという祭りの趣旨に由来するようだ。

・SNSで拡散して渋谷などに集まってパレードやパーティをするというのは、反原発や戦争法案、あるいは憲法改悪に反対する行動と共通する、新しい動きだと思う。けれども裏に商魂たくましさがあるという点では、クリスマスやバレンタインデーのくり返しでもある。クリスマスを家族のパーティと親から子供へのプレゼントの日にしたのは,アメリカで発展した消費行動の結果だったし、赤い服を着たサンタクロースはコカコーラのキャラとして登場したものだった。バレンタインデーを日本で定着させたのがチョコレートを売るお菓子メーカーだったことは今さらいうまでもないほど有名だ。

・にぎやかになりはじめたハロウィンの市場規模が1000億円を超え,バレンタインを上回るようになったという報告もある。この祭りに好意的な人も多く,できれば仮装をして参加したいと思う人もたくさんいるようだ。外から入ってくるものには寛容で、中味には無関心で形だけ取り入れるといった特徴はハロウィンでも変わらない。それは何しろ、奈良や平安の昔から日本人が見せた大きな特徴の一つである。しかしそれはまた、本来の意味を換骨奪胎させて魅力的な商品にするという,きわめて現代的な経済行為でもある。

・若者の仮装好きはすでにコスプレで常態化していて、「クール・ジャパン」を代表する特徴にもなっている。それは逆に日本から世界に拡散してそれぞれ独自の発展をしたりもしているようだ。だとすると、なぜ若者たちはこれほど仮想に魅惑されるのかといった疑問も生じてくる。現実の世界や自己からの逃避だろうなどと言いたくなるが、それだけのことなのかどうか。今のところ説得力のある分析には出会っていない。

2016年10月17日月曜日

ディランとノーベル賞

 ・ボブ・ディランがノーベル文学賞を取った。村上春樹同様、何年も前から候補者に上がっていたから、それほど驚きもしなかった。そもそも、ノーベル賞自体に対して、「物理」や「化学」、そして「生理学・医学」は別にして、「文学」はもちろん、「平和」や「経済」については、いろいろ疑問があった。たとえば「平和賞」は佐藤栄作がとった時から信用しなくなったし、「経済学」があってなぜ、「哲学」や「政治学」、あるいは「社会学」がないのか、「文学」があってなぜ、「美術」や「音楽」がないのかといった疑問もあった。何より、取った、取らないで大騒ぎのメディアには,もう何年も前からうんざりしてきた。

・ノーベル賞はノーベルがダイナマイトなどで得た財産の使い道を遺言に残して生まれたものである。「人文科学」や「芸術」の分野が「文学」一つというのは、ノーベルの意思であるし、20世紀初頭の状況を表していたのかもしれない。その意味ではきわめて限定された個人的な賞に過ぎないと言える。しかしそれは今、科学(自然・社会・人文)の領域で最高の栄誉であるかのように扱われている。

・ディランの「文学賞」はそのちぐはぐさを如実に示したように思われる。その是正を意図して、「文学賞」が「文学」を超えて「思想」や「哲学」、あるいは「政治」や「社会」に広げはじめた結果だと言えるかもしれない。そう言えば,昨年の受賞者はチェルノブイリ原発事故を取り上げたジャーナリストだった。同様の傾向は「自然科学」の分野にも現れているという。平和賞などはとっくに迷走状態だが、であれば、「経済学賞」の狭さばかりが目立つということになる。いっそ「社会科学賞」に変えたらどうかと思う。

・ところでディランだが、ディランの作品に「文学性」はあるのかといった批判があるようだ。そう考える人にとって「文学」は活字になって本として発表されたものに限られているのかもしれない。しかし、「文字の文化」の前には「声の文化」があって、「文学性」は声(口承)から文字へという形で「文学」に凝縮されたという歴史がある。ところが20世紀になってレコードやラジオ、そしてテレビといった新しいメディアが相次いで登場して、「声の文化」が再生したのである。現在では「文字の文化」が隅に追いやられつつある。良し悪しは別にして、そういう流れは否定できないことなのである。

・ディランはフォーク・シンガーとしてスタートした。その先人はウディ・ガスリーでアメリカ中を放浪し、大恐慌の際に労働者や農民、あるいは浮浪者の中に入って、蒐集したり作った歌を歌って人々を慰め、鼓舞をした。その手法がピート・シーガーなどに受け継がれ、1960年代に新しいフォーク・ソングとして開花した。その先端にいたディランはやがてギターをエレキに変え、ロックというジャンルが生まれるきっかけを作った。そのうえで、労働者の音楽と差別されたフォーク・ソングやガキの音楽と馬鹿にされたロックが「文学性」「や「音楽性」、「政治」や「思想」、「哲学」を表現できるものであることが認知されたという経緯があった。ディランがその過程の中心に位置づけられた存在だったことは間違いない。

・ディランはこれまでに「芸術文化勲章」(仏1990年)「ピューリッツァー賞」(米2008年)や「大統領自由勲章」(米2012年)、「レジオンドヌール勲章」(仏2013年)を受賞している。グラミー賞は10回を超え、アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞の受賞歴もある。「ノーベル賞」を取って,取れるものは全て取ったという感じだが、本人はいつでも冷めている。おそらくノーベル賞も、サルトルのように辞退することはないだろう。「辞退」や「拒絶」はまたそれなりに強い意思表示だが、自分のあずかり知らないところで決まったことには謝意もしないし無視もしない。おそらくそんな態度だろうと思う。

・僕は高校生の時以来もう50年もディランを聴き続けている。彼は75歳になってなお精力的なコンサート活動をしていて、僕も4月に彼のライブに出かけた。ほとんど何も喋らないパフォーマンスで、昔懐かしい曲はほとんどやらなかった。ちょっとがっかりといった気持ちがなかったわけではないが、今のディランの姿には十分に満足をした。彼は今でも数年おきにアルバムを出していて、その都度、意外性に驚かされてきた。そこには何より、昔の俺など追い求めるなといったメッセージが込められてきたと言えるからだった。

・僕の人生はディランに出会わなければ今とは違っていただろうと確信できる。「文字の文化」を職業にし、始末に困るほどの書籍に囲まれているが、それほどの影響力を「文学」や「哲学」「思想」、そして「社会学」や「政治学」から受けた人はいない。そんな人であるだけに、僕にとってはボブ・ディランはアカデミーの「文学賞」に価するかどうかなどという判断をはるかに超えた存在なのである。

・もっとも今の彼は20世紀のポピュラー音楽を丁寧にふり返って、衛星ラジオで多くの曲を紹介したり、スタンダード・ナンバーを自ら歌い直したり、新曲を集めたアルバムに古いサウンドを取り入れたりしている。そこには何より、商業化されすぎてどうしようもない状況にある音楽や歌の現状に対する批判や抵抗の姿勢が強くある。それを一人のミュージシャンとして今でもステージで訴え続けている。こんなメッセージをどれだけの人が本気で受け止めているのか。少なくとも今の日本では、きわめて少数に過ぎない。だからオリンピックの金メダルのような調子の大騒ぎには,とてもついて行けない。

2016年10月10日月曜日

オリンピック批判の本

 

アンドリュー・ジンバリスト『オリンピック経済幻想論』ブックマン社

小笠原博毅・山本敦久編著『反東京オリンピック宣言』航思社
小川勝『東京オリンピック』集英社新書

olympic2.jpg・リオ五輪が終わって,次はいよいよ東京だという世論誘導が目立ちはじめている。けれどもまた、五輪にまつわる醜聞や不始末が続いている。『反東京オリンピック宣言』はスポーツやメディアをはじめ、都市や社会政策、科学技術、あるいは文芸批評を専門にする人たち16名の、オリンピック反対の声明文を集めたものである。ここには住処を追われたホームレスとして発言する人の文章もある。

・それぞれが注目する点は、タイトルやサブタイトルを列挙しただけでも多様だ。「スポーツはもはやオリンピックを必要としない」「災害資本主義の只中での忘却への圧力」「貧富の戦争が始まる」「メガ・イヴェントはメディアの祝福をうけながら空転する」「『リップ・サービス』としてのナショナリズム」等々。短文の寄せ集めだから読みごたえがあるとは言えないが、書かれている主張には僕も賛同する。

・3.11の復興が進んでいないし,福島原発は「アンダー・コントロール」どころか混迷状態だ。主会場を初めとした競技施設にまつわる不手際や醜聞にはうんざりしているし、安倍マリオには反吐が出る思いだった。最近のオリンピックにはどこでも、かなり強い反対運動が伴っていたから、本書やここに書かれている主張が多くの賛同者を得て,反対運動に盛り上がればいいのにと思う。しかしマス・メディアは例によって、そんな意見をほとんど取り上げない。何しろ読者や視聴者を増やす絶好の機会なのだから。

olympic3.jpg・『オリンピック経済幻想論』には「2020年東京五輪で日本が失うもの」という副題がついている。しかし内容は主に、商業主義に変わったロス五輪以降の各大会についての経済的な結果についての分析である。ロス五輪は、主催都市や支援する国家に多額の借金を残したモントリオールの失敗を是正するために、商業主義を前面に出して準備し開催した最初の大会だった。そこから、開催地として立候補する都市が増え、種目の増加や開・閉会式の派手さが目立つようになった。あるいは都市の再開発や、グローバル化に乗った観光都市を目指す目的が強まり、また国家が前面に出て,国威発揚といった特徴も強くなった。

・しかし、本書が指摘しているように、オリンピックを開催して残ったのは、「経済効果」ではなく、やっぱり借金であったり経済不況であったのである。唯一の例外として取り上げられているバルセロナは、開催後に世界的な観光都市として発展した。ただし、著者はそうなる資源が眠っていた例外的なケースに過ぎないという。同様に資源としては十分にあったアテネは国家の財政が破綻する状況に追い込まれたし、リオは開催前から経済成長が頓挫し、国政問題が噴出した。北京とソチは国威発揚を目的に巨額な費用を使ったが、それに伴う効果がもたらされたわけではなかった。ロンドンは市東部の再開発を目的にして、それなりの成功がもたらされたと言われている。しかし、かかった費用は当初の予算を大幅に超えたし、再開発によって貧民層が追い出されるという結果が起きている。

olympic1.jpg・『東京オリンピック』が問うのは,そもそも「オリンピック憲章」に書かれていることと、大会の現状があまりに乖離しすぎている点にある。オリンピックは都市が開催するものであって,国家が表に出るものではない。だからメダルを国単位で争う最近の風潮は憲章から逸脱しているし、そもそも、栄誉は参加し,勝利した個人に与えられるべきものであって、国の代表としてではない。憲章に従えば、表彰式で国旗を掲げ国歌を演奏することもすべきでないし、オリンピックに経済効果など求めてはいけないのである。

・このように原点に立ち返ってオリンピックの現状を見れば,その矛盾点の多さや大きさは明らかである。しかももたらされると期待されてきた経済効果が幻想に過ぎなかったこともはっきりしてしまっている。東京オリンピックは沈滞している経済の活性化や東京の再開発を目的にして実施されようとしている。しかし、そのプロセスはここまでお粗末なものだし、経済も活性化どころか大不況を招くとさえ予測されている。その点は2年後の平昌(韓国)でも同様のようだ。

・オリンピックは今、明らかに大きな曲がり角に来ている。一度は開催地に立候補をしても,反対にあって辞退する都市が続出しているし、テロに伴う警護費用の拡大や、安全性に対する不安などで,開催地が見つからない状況が現実化している。実際、2022年の冬季五輪では立候補した都市が次々辞退をして、わずか2都市が残り、北京に決定したといういきさつがある。僕は今からでも遅くないから、東京オリンピックは辞退すべきだと思う。オリンピックのあり方は今、根本から見直す必要がある。この3冊を読んで,そんな気持ちをさらに強くした。

2016年10月3日月曜日

雨、雨、雨

 

forest136-1.jpg

・今年は空梅雨で河口湖の水量が減ったと話題になっていたのに,8月になると雨が降る日が多くなった。台風も連続してきて、過ぎた後も一過とはならずに秋雨前線が停滞した。家の中はかび臭いし、薪にはカビやキノコができてしまっている。バルコニーの椅子もすっかり腐ってしまった。こんな天気が10月になっても続いている。お陰で自転車に乗る日も飛び飛びで,遠出も一度もできなかった。

・パートナーのリハビリにと毎週プチ山歩きをしてきたが、せっかくの夏休みなのに8月は裏山の黒岳,9月も篭坂峠を歩いただけだった。リハビリの帰りに一人で登っていた羽根子山にもあまり行けない日が続いたようだ。8月の末に義兄の別荘がある那須に出かけたが,天気はやっぱり雨で、せっかくだからと「平成の森」を歩いた。歩くのも自転車に乗るのも、精一杯とはとても言えない,不満足な夏だった。

・他には隔週で両親が住む老人ホームと孫の顔を見に都内に出かけた程度だった。孫は寝返りを打つようになり,お座りやハイハイするようになった。人見知りをして、近づくとじっと見つめて泣かれてしまうようになって,気軽にだっことはいかなくなった。会うたびに成長している様子には,改めてびっくりしてしまう。

・他方で、母親の物忘れがひどくなっていることや,父親がことばを話せなくなってきていることなど、衰えもまた確実に進んでいることも実感した。父は一週間ほど入院して,また老人ホームに戻ってきたが,食事をほとんどしていないようで、ちょっと心配な日が続いてる。先日はたまたま帰りの車で運転しながら食べようと買ったホットドッグを食べたがった。ホームの食事よりはそんなものを食べたがるのなら,何でも食べたいものを調達したらいいのだが、毎日行くわけにはいかない。

forest136-3.jpg・今年は訪ねてきたのも甥一家の一組だけだった。ただしもうすぐ3歳になるY君は活発で、一緒に遊んですっかりくたびれてしまった。電車や自動車が好きで、おもちゃをいっぱい持ってきたし,我が家にある積み木やスバルのチョロQ、それに沖縄ですっかり気に入った歌をまねて、ギタレレをもって熱演をした。普段は二人だけの静かな暮らしの中に、超弩級の嵐が吹き荒れた数日だった。

・大学の仕事が始まって,いよいよあと半年ということになった。最後でもやっぱり、新学期が近づくと登校拒否症状が現れた。ゼミの4年生は夏休みが終わっても卒論の途中経過を持ってこないし,3年生が書いてきた夏休みの宿題も、一生懸命やったのものはほとんどない。天気の悪いのと蒸し暑いのが重なって、いらいらが募ってしまう。

・『レジャー・スタディーズ』(世界思想社)のメンバーを中心に企画した「特別講義」が始まった、トップバッターは薗田碩哉さん。板書を交えた話に200名弱の学生が熱心に耳を傾けた。「はじめに暇ありき」をことばの語源から解き明かしたお話は,学生にとって目から鱗の話だったようだ。

forest136-2.jpg・冬に向けて風呂場の洗い場を床暖にする工事をした。タイルの上から床暖のパイプを張り、モルタルで埋めて、御影石を貼りつけた。大工さんをはじめ、床暖、水道、タイル、そしてコーキングと,それぞれ専門の人が代わる代わる来て,手際よく1週間ほどで仕上げてくれた。仕事から帰ると毎日現場が変わっていて,見るのが楽しみだった。ただし、その間は風呂は使用不能で、ゆっくり身体を温めることができなかった。寒くなってもひんやりすることもなく、服を脱いで風呂に入ることができる。もちろん、パートナーの身体を考えての修復工事だが、僕ももう若くはない。

2016年9月26日月曜日

●最近買ったCD

 

Damien Rice "Live From The Union Chapel"

Lisa Hannigan "At Swim"
Van Morrison "It's Too Late To Stop Now"
Radio Head "A Moon Shaped Pool"'
Neil Young "Earth"

rice4.jpg・前回取り上げたダミアン・ライスの3枚のアルバムが気に入って,しょっちゅうかけている。YouTubeで見られるライブの様子も良かったので、CDのライブ盤を買った。"Live From The Union Chapel" 。場所はロンドンの教会で、たくさんの人が入れるわけではない。しかし、ここでのライブ盤を出しているミュージシャンは少なくない。もちろん、教会だからロックなどの大音響ではなく、アコースティック・ギターをメインにしたものだ。
・このライブ盤ではもちろん、ストリングスなどのバックはない。ライスの弾くギターが中心で、リサ・ハニガンとのデュエットが目立つ程度である。しかし、アルバムよりもずっといいと思った。

lisa3.jpg・そのリサ・ハニガンが新しいアルバムを出した。" At Swim" アイルランドの歌姫とか女神などと言われて、今一番注目されている女性シンガーの一人になったようだ。日本でもテレビのCMにも使われるようになって、人気が出始めているのかもしれない。とは言えもう35歳。実力が認められてはじめて人気が出る。ヨーロッパの音楽状況は今でも健全だな,と改めて思った。
・で、この新作だが、前の2枚よりももっといい。「秋」や「雪」などの季節感、海や森などの自然を歌ったもの、あるいは「死にゆく者への祈り」などが静かに歌われている。

morrison5.jpg ・前記二人と同じアイルランド出身の大御所、ヴァン・モリソンが1974年に発表したライブアルバム "It's Too Late To Stop Now"は、持っていないという理由で買った。2枚組みで一箇所ではなく複数のライブから編集されたものだ。このCDは2008年にリマスター盤として売り出されている。一番精力的に活躍していた時期のライブだから、懐かしいというよりは元気はつらつさが心地いい。
・実はもうすぐ新しいアルバムが出る。”Keep me singin'"というタイトルで、70歳を超えても健在だ。一昨年出したアルバムのタイトルは「歌うために生まれた」だった。死ぬまで歌うという宣言にも聞こえてくる。

radiohead1.jpg ・ラジオ・ヘッドのアルバムは5年ぶりになる。"A Moon Shaped Pool"'。初期のアルバムに比べて今ひとつという作品が続いたが,本当に久しぶりにいいな、と思った。タイトルは「月の形の水たまり」でジャケットもそう言われればそれらしく見える。しかし、内容的にはタイトルに関連するものはない。ただし、繰り返し聴いても飽きないが、また,印象に残る曲もほとんどない。車を運転しながら聴くのにちょうどいい。朝ではなく仕事帰りの夕方や夜で、「あー疲れた」などと思うときに聴きたくなる。

young7.jpg ・最後はニール・ヤング。反モンサントのアルバムが出たばかりだが、この"Earth"はライブ盤で、主に2015年のライブから選んだようだ。バックは前作の"The Monsant Years"同様、「プロミス・オブ・ザ・リアル」で、若者たちに負けずにがんばっている。ただし2枚組みで、ライブ音に被せて,カエルや鳥の声、蜂の羽音、犬の遠吠え、鯨の鳴き声、そして風の音などが入っている。タイトルは"Earth"。その名の通り、地球環境をテーマにして,全体が一つの作品になっている。彼もまた70歳を超えているが、メッセージを前面に出したアルバム作りで、その健在ぶりを示している。

2016年9月19日月曜日

さよならdocomo

・iPhoneを使い始めて2年が過ぎました。縛りが解けたところで、長年契約していたdocomoをやめてOCNに移行することにしました。理由は電話もあまり使わないし、ネットはほとんどWiFiで、パソコンやタブレットが主だったのに、そういうコースがなくて、毎月6000円ほども払わされていたからです。OCNのコースなら、おそらく毎月2000円程度で済むはずで、縛りが解けるのをずっと待っていました。

・で、例によって腹の立つことがいくつも起こりました。まず2年縛りですが、iPhoneを買って2年でしたが、そもそもdocomoとの契約が4月に自動更新されていて、そちらの解約料を1万円近く請求されました。その他移行の手数料や何やかやで2万円近く必要だと言うことで、「ぼったくりだね、汚いことするな−」と対応した人に毒づいてしまいました。

・OCNにするとスマホを使ってパソコンをインターネットに繋ぐテザリングができなくなります。SIMロックがかかっているせいで、その解除を最寄りのdocomoに出向いてお願いすると、できるのはiPhoneの6以降で5sはダメだと言われました。もちろん機種そのものが原因ではありません。総務省の指導でSIMロックの解除が行われるようになった時点で発売されていたものはokだが、それ以前に売られたものは解除する義務はないというのがdocomoの方針だったのです。これもえげつないほどひどい話です。

・スマホに設定された料金は、とにかくスマホを十二分に活用する人をモデルにしています。学生を見ていると、あの小さな画面でネット検索やメール、それにゲームなど、あらゆることをやっていて、その分、パソコンを使わなくなっている気がします。そんな使い方なら、毎月6000円でも高くないのかもしれません。しかし、使い方はもっと多様で、それにあわせたコース設定が必要なはずで、格安スマホを売りにするところがたくさん出ているのもうなずけます。

・僕のスマホ歴はブラックベリーからで、これを5年使い、途中で機種を買い換えました。docomoにとってはあまり売る気のない機種で、しかも故障が多くて幾度か修理に出しました。しかし、小さくてもキイボーを使ってメールが打てるので、ずいぶん重宝しました。その2機種目のブラックベリーがまた故障した時にdocomoがiPhoneを扱いはじめたので、機種変更をしたのですが、仮想のキイボードがやりにくくて、メールを出すことはほとんどしなくなりました。ところが、毎月の料金は本体の分割も含めて3倍にも跳ね上がったのです。

・ちょうどこんな手続きをしているときに、アップルが新しいiPhone7を発表しました。手持ちの機種と交換すると格安で手に入れることができると、各社が宣伝しています。スマホは高額な商品ですが、それを格安で提供して使い捨てを勧めているのです。僕はずっとマッキントッシュだけを25年以上も使い続けていてアップル信奉者と言える時期もあったのですが、アメリカ資本主義の権化と化した最近の体質にはうんざりしています。

・すでにこのコラムで書いたように、僕は今使っているiPhoneの電池交換を自分でやりました。わずか1000円ほどの電池なのに、アップルに頼むと1万円もして、しかもdocomoでは対応せずに、自分でアップルに手続きする必要があったからです。ものすごくやりにくくて、カメラが一部使えなくなりましたが、買い換える気など少しも起こりませんでした。これが壊れたら、電話とメールだけに使える格安の機種を探そうと思っています。さよならdocomoですが、OCNもNTTなので、気持ちはちょっと複雑です。アップルにうんざりとは言っても今さらウィンドーズに変える気にもなりません。

2016年9月12日月曜日

久しぶりの映画館

・地元に映画館がなくなって、もう10年ぐらいになる。だから、映画館で映画を見ることもほとんどなくなってしまった。最近ではアマゾンで見たいときに見たいものが見られるから、わざわざ遠くの映画館まで出かける気にもならなくなった。ここにはもちろん、新作とは言ってもどうしても見たいと思うような作品がないという理由もある。とは言え、アマゾンで探すと、気づきもしなかった作品が結構あって、時折、映画鑑賞の時間を楽しんでいる。

・そんなことをしながら気づいたのは、邦画がずいぶんたくさん作られているということだった。もちろん、映画収入で邦画が洋画を抜いてからずいぶん経つことは知っていた。あるいはジブリなどのアニメが国内だけでなく、海外でもよく見られていることもわかっていた。しかし、映画館のある街をぶらついて、上映中の映画について関心を向けることもなかったから、ほとんど興味も持たなかった。

・ところが、ツイッターやフェイスブックでいろいろな人たちが『シンゴジラ』について、絶賛に近い感想を寄せていて、ちょっと興味が湧いてきた。『ゴジラ』映画について、これまでほとんど興味がなかったが、それなら見に行ってみようかという気になった。一番近い映画館は甲府のイオンモールにある。今まで一度も行ったことがないから、ショッピングモールの見物とあわせて出かけて見ようということになった。映画館にはシニア割引があって、1800円が1100円になる。そんなこともまた、新たな発見だった。

・で、肝心の『シンゴジラ』だが、評判ほどの映画だとは思わなかった。この映画はゴジラが主役ではなくて、それに対応する政府の動きやアメリカとの関係でストーリーが作られている。ゴジラは単に東京を壊滅させるだけでなく、やがて世界中を崩壊させる脅威を持っている。だから核攻撃をしてでも退治しなければならない。こんなアメリカと国連の決定に、将来を嘱望されている若い政治家が中心になって、冷凍させる作戦に打って出る。東京が広島、長崎に続く被爆地になることを避けるための必死の行動がクライマックスになる。

・しかし、映画を見ていて気になることがいくつもあった。なぜ、ゴジラが東京湾に出没したのか。謎の研究者がゴジラの卵を東京湾に落としたのかもしれないが、そのことは暗示的で、詳しくは語られていない。また、幼いゴジラはガラス玉のような目で、いかにも作り物でしかないし、変態を繰り返して成長するのだが、大きくなったゴジラもまた、生物と言うよりは作られたものにしか見えないものだった。そもそもゴジラがなぜ、火を吹いたり背中からレーザー光線を出したりするのだろうか。そんなことを思いながら見ていたから、映画に没入することは全然できなかった。

・この種の映画には、そんなけちをつけてもしょうがないのかもしれない。しかし、一方でゴジラに立ち向かう政府や自衛隊の描き方は、きわめてリアルなものだった。おそらく東日本大震災のときの動きはこんなものだったのだろうと思わせるようなシーンがいくつもあった。この荒唐無稽さとリアルさが奇妙に混在した映画を楽しむためには、怪獣映画やアニメのファンであることが前提になるな、と思ったのが見終わっての感想だった。

・とは言え一つだけ納得できるセリフとシーンがあった。東京の中心部が破壊され、政府の首脳の多くが死んだ状況から、もう一度リセットして日本を復興させることを主人公が決意するところだ。確かに日本の現状はリセットでもしなければ、身動きが取れないような状況にある。古い考えや目先の利害に囚われた政治家や企業家ばかりが幅をきかせている。未来を見据えた国作りを目指す発想は、まったく影を潜めている。

・3.11でもダメだったのだから、ゴジラにというのがこの映画のメッセージだったのかもしれない。しかし、それはまたゴジラに頼まなくても、首都直下地震がいつ起きてもおかしくないと言われていることからすれば、荒唐無稽な話ではないとも思った。であれば、ビルが崩壊したり、鉄道や道路が寸断されたりして、多くの人々が逃げ惑う姿は他人事ではないだろう。3.11の経験を思い起こしたり、明日の我が身を想像しながら見た人がどのくらいいたのだろうか。実際僕は、東京に出かけるときにはよく、地震があったらと、思うことがよくあるのである。

2016年9月5日月曜日

文化としての食

  飽食と飢餓

・コミュニケーション学部では「現代文化論」を担当しています。「現代文化」というと学生たちは音楽やスポーツ、あるいはマンガやゲームのことを思い浮かべるようですが、僕が授業で主に話すのは「衣食住」と「ライフスタイル」に関連したことです。「文化」は「カルチャー」の訳語で、その語源には「耕す」という意味があります。つまり「文化」とは、基本的には「食べる」ことを含めて、人間が生存のためにしてきた独自の工夫の集積を表すことばなのです。で、「食」も数回にわたって話すことにしてきました。

・今は飽食の時代です。飢える経験をした人は日本ではほとんどいませんが、逆に食べ残したり、賞味期限切れだと言って捨ててしまったことは誰にでもあるでしょう。日本の食糧自給率は半分以下で、毎年5500万トンの食料を輸入していますが、また年間1800万トンを廃棄しています。金額にすると11兆円で、その処理にまた2兆円を使っています。他方で世界には飢餓のために死亡する人が年間1500万人もいて、その7割以上が子どもだと報告されています。これは私たち日本人が「食」を考える上で、避けることのできない問題だと言えるでしょう。アフリカから始まった「MOTTAINAI」キャンペーンは世界共通語を目指していますが、肝心の日本では「もったいない」はすでに「死語」と化しているのが現状です。

 食と人口の爆発
・ところで、現在の世界人口は70億人を超えましたが、その増え方はどんなものなのでしょうか。たとえばコロンブスがアメリカ大陸にたどり着いた頃の人口は3億人程度で、その半分以上はアジアに住んでいて、4分の一がアメリカ大陸、5分の一がヨーロッパだったようです。それが3世紀後の1800年には10億人に増え、1900年には20億に達し、2000年には60億人を超えました。このまま増えていくと2050年には90億人を超え、今世紀の終わりには100億人に達すると予測されています。

・この500年で人口が24倍に増えたのは食料生産技術の進歩によりますが、それ以上に大きいのは、食料にする植物や動物が、もともと生存していた地域を越えて「食料」として世界中に広まったことによります。チャールズ・C.マンの『1493』(紀伊國屋書店)は、それを「コロンブス交換」と呼び、アメリカ大陸からヨーロッパやアジアにもたらされたり、逆にヨーロッパやアジアから世界中に拡散した動植物を詳細に分析しています。

 食のコロンブス交換
・たとえば南米からジャガイモ、中米からはトウモロコシがヨーロッパにもたらされ、サツマイモが中国に伝わって、そこからさらに各地にひろがりました。これらは主に貧民層の食料として必需品になっていき、飢餓を減らし、人口を増やす原因になりました。またサトウキビはアジア原産ですが、適した土地がアメリカ大陸で探され、ブラジルやキューバに大規模なプランテーションが作られました。このように原産地から離れて新たな生産地が求められたものにコーヒー、カカオ(チョコレート)、バナナ、椰子などがあります。

・あるいは牛や馬、豚、羊、山羊などが家畜としてアメリカ大陸に持ち込まれてもいます。アメリカ映画を代表した西部劇には大量の牛を移送する馬に乗ったカウボーイが出てきますが、馬も牛も移民が持ち込んだものでした。あるいはイタリア料理には欠かせないトマトは南米原産ですし、キムチや焼き肉に使うトウガラシも同様です。今ではすっかり嫌われものになっているタバコも、この交換によって世界中にひろまったもので、ここには煙を吸うこと自体が、特にインテリや芸術家、あるいは文学者等が好んだ新しい嗜好の仕方だったという特徴もありました。

 食文化とグローバル化
・今日本では居ながらにして世界中の食べ物が食べられます。あるいは寿司や天ぷらといった日本食が、世界各地でブームになっていると言われています。まさに食のグローバル化ですが、しかし、世界各地の固有の料理も、その食材を吟味してみれば、上記したように、「コロンブス交換」以後に普及したものが少なくないのです。と言うことは、どんなものも人類の歴史の中ではほんのわずかに過ぎない数百年程度のものだということになります。

・あるいは和食を代表すると言われている天ぷらは室町時代にポルトガル人が持ち込んだ料理法だと言われています。庶民の大衆料理になるのは江戸時代で、その理由は江戸が侍にしても町人にしても圧倒的に男が多い偏った人口構成だったことにありました。手軽に食事を済ます「屋台」が普及したのですが、寿司も蕎麦も天ぷらもここから広まったのだと言われています。

・私たちが今日常的に食べている洋食や中華料理は明治以降に入ってきたものです。しかしカレーライスはインドのものとは大違いですし、スパゲッティ・ナポリタンはイタリアのナポリに行ってもありません。同様に中華丼や天津飯も中国では注文できないメニューです。これらはあくまで、日本人の好みにあわせて作り上げられた和洋折衷の日本食と言えるものなのです。

 食から文化全般へ
・海外旅行を何度か経験して、あちこちでその地の食べ物を口にしてきました。カレーやパスタ、あるいはパンやチーズなど、日頃食べているものとの違いを実感しましたが、けれどもまた、外から入ってきた食文化を、日本人ほどうまく日本文化に取り入れた国民はないとも思いました。そしてこのような特徴は「食」に限らないことだということにも気づきました。外から入ってきたものを自国に合うように手を加えることこそ、日本文化の大きな特徴で、そのことはすでに多くの人によって指摘されています。

・たとえば小さく、しかも高性能にするという特技は、第二次大戦後の経済成長を牽引した家電製品や自動車に見られた特徴でした。しかしまた、この特技が携帯に代表される「ガラパゴス化」の原因だとも言われています。漢字を輸入してひらがなやカタカナを作り出した日本人はまた、明治以降に流入した外来語をカタカナで表記して、独特の使い方をするようになりました。もちろんそれは有効に機能した側面を持ちますが、カタカナ語はまたもともとのことばとは似て非なるものになって、日本人以外には通用しないものにもなっているのです。日本人にとってグローバル化が必要だとすれば、そのことの自覚からはじめる必要があるかもしれません。

 マルサスの罠を乗り越えるために
・ところで、最初に述べた飽食と飢餓にもどって、今回の話を終わりにしたいと思います。「コロンブス交換」が人間の数を飛躍的に増大させたと言いましたが、イギリスの経済学者として有名なマルサスは、たとえ食料の供給量が増えたとしても、結局は人口増加が食料の供給量を追い越して、貧困や飢餓がもたらされるだけだと言いました。この「マルサスの罠」は、70億人を超え、やがて100億にもなろうかという人間をまかなう食料生産は不可能だという議論と共に、最近よく見かけることばになりました。

・日本は人口の減少を問題にしていますが、これから急増するのはアフリカだと言われています。貧しい国が豊かになろうとするのは当然ですから、増加を抑制するのは難しいでしょう。だからこその「MOTTAINAI」キャンペーンで、捨てる無駄をどうやってなくすかといったことや、食糧にするもの自体の新たな発見や改良が、そう遠くない未来に差し迫った課題になると言われています。ここにはもちろん、農薬や遺伝子操作などがもたらす問題も含まれます。あるいは「新自由主義」的な政治や経済がもたらしつつある先進国における格差の問題を、世界大のレベルでどう克服していくのかといった難問もあるでしょう。

・地球に住む人間がすべて、衣食の足りた生活を送れるようになるといった理想が現実化できるのかどうか。やがて人口増が抑えられて「マルサスの罠」が取り越し苦労に終わる世界になるのかどうか。21世紀が抱える最大の課題であることは間違いないでしょう。

 <東京経済大学コミュニケーション学部ブログ「トケコミ」から再録>

2016年8月29日月曜日

オリンピックが終わって

・いったい開催されるのだろうか、と心配されたリオ五輪が無事終わった。日本人選手の活躍で、NHKはスポーツ・チャンネルと化し、新聞はスポーツ新聞になった。いつもながらという以上にオリンピック一辺倒だったようだ。もちろん、400Mリレーのように息詰まるレースに拍手喝采したものもあったし、卓球やバトミントンのラリーに、改めてその面白さを実感した種目もあった。50Km競歩はまるで行者の苦行のようで、見ている方も苦しくなった。けれどもやっぱり、オリンピックには問題が多いなとも感じた。

・予選や決勝の日程がアメリカのテレビ時間にあわせて行われていたのは相変わらずで、オリンピックがテレビの放映権を第一の収入源にしていて、すべてがそれを基本に仕組まれているからだった。また8月開催がアテネ(2004)からずっと続いていて、それは次の東京でも変わらないようだ。かつては64年の東京と68 年のメキシコは10月、88年のソウルと2000年のシドニーは9月だった。なぜ東京が9月や10月にできないのかというと、ヨーロッパのサッカーリーグやアメリカのバスケット・リーグのオフシーズンに合わせるからだ。

・もっともそれで、サッカーに一流選手たちが出場したわけではない。あくまで人気スポーツ・イベントを避ければ8月しかないということなのだ。それはもちろん、放映権料に関係してくる。ちなみにリオとソチあわせて日本は全部で360億円(円建て)で、東京、平昌は660億円になる。一方アメリカはリオ、ソチ、東京、そして平昌すべてで3500億円の契約をした。アマチュア・スポーツの祭典ではなくなったのはとっくの昔だが、スポーツビジネスの色彩があまりに強くなりすぎているのである。

・日本は女子レスリングの金メダルラッシュに熱狂したが、そのレスリングは廃止の危機に立たされてもいた。ギリシャ以来の伝統種目なのに、ポピュラーではないという理由で廃止されかかったのである。その代わりに今回もまた、えっと思うような種目がいくつもあった。たとえばモトクロス自転車だし、ゴルフは有名選手の多くが辞退して期待外れになったようだ。冬期のスノウボードはすでに人気種目になったが、東京ではサーフィンやスケボー、あるいはスポーツクライミングなどが追加されるらしい。

・オリンピックに新種の人気スポーツが次々追加されて、地味な種目が隅に追いやられたり消えたりしていく。それもこれも一番の理由は、観客動員数やテレビの視聴率にある。これでは商業主義化と言うよりは巨大ビジネスそのもので、オリンピック精神などはどこにいったかという姿になってしまっている。メダルを国別で競う風潮も強くなっている。そんなオリンピックの開催に、日本の政府は国の浮沈をかける覚悟のようだ。けれども思いつくのは否定的な側面ばかりだろう。

・東京の8月は猛暑だし、今年のように台風がきて荒れ模様になるかもしれない。第一直下型地震がいつ起きても不思議ではないともいわれているのである。しかも、簡素な五輪といった約束とは裏腹で、何兆円もかかるのではと言われはじめてもいる。そのお金の使い道がはっきりしないという問題もある。オリンピック景気を当て込んでいるようだが、目算通りに行くあてはないし、その後のオリンピック不況の恐ろしさを予測する人も多い。

・僕は今でも辞退すべきだと考えている。そんなことしたら世界の恥さらしだと言う人もいるだろう。しかし恥は一時だが、開催することによって生じる負債は、その後日本を長く苦しめることになる。辞める勇気が必要だが、これはまた、日本人が一番苦手な決断でもある。

2016年8月22日月曜日

コロンブスは世界をどう変えたか

 

ジャック・アタリ『1492』ちくま学芸文庫

チャールズ・C.マン『1493』紀伊國屋書店

1492.jpg・1492年当時の地球には約3億人の人間が生きていた。その半分以上はアジアで、4分の一がアメリカ大陸、そしてヨーロッパにいたのは5分の一にすぎなかった。ジャック・アタリの『1492』はこんな書き出しで始まっている。


西ローマ帝国が崩壊すると、ヨーロッパは多くの支配者によって鎖に繋がれほぼ1千年の間眠る。それから偶然とも必然とも言えようが、あるときヨーロッパは自分を取り囲む者たちを追い払って世界征服に乗り出し、手当たり次第に民衆を虐殺し、彼らの富を横領し、彼らからその名前、過去、歴史を盗み取る。(p.12)

・イスラムの王国を崩壊させ、ユダヤ人を追放し、キリスト教を浸透させる。活版印刷術が発明され、聖書をはじめさまざまな書物が出版される。武器や道具、そして船の技術革新が進む。かつてはシルクロードを経由して細々と届いていたアジアからの産物が、ビザンチン帝国の崩壊によって、海上ルートを探さざるを得なくなった。アフリカへの探検競争と大西洋を西に向かってインドへ辿るルートの探索が始まる。そして、ヴェネチア、ジェノヴァ、ナポリ、リスボン、セヴィーリヤといった港町が栄えるようになる。「ルネサンス」が起こり、「個人」「芸術」「自由」「責任」「創造」といった新しい考えが登場する。

・『1492』は三部構成になっていて、I部が1492年に至るまで、II 部が1492年の一年間、そしてIII部がその後となっている。どの章も現在形で書かれていて、物語のようにして読める。1492年はキリスト教ヨーロッパによる世界の植民地化の始まりの年で、アメリカ大陸やアフリカ大陸の植民地化を巡って各国がしのぎを削り、また争うことになる。またプロテスタントが新興勢力としてカトリックに対抗するようになり、近代化が進展し、産業革命が起こることになる。

1493.jpg・チャールズ・C.マンの『1493』は、コロンブス以後の世界の変容について、主に「交換」をキイワードに詳細に分析をしている。この本も同様に物語風に現在形で書かれていて、小説を読むように読み進むことができた。コロンブス以後にヨーロッパとアメリカ、そしてアジアやアフリカの間で「交換」されたものは貴金属や作物ばかりでなく、動植物や細菌にまで及ぶ多様なものである。


いまやイタリアにトマトがあり、フロリダにオレンジが育ち、スイスでチョコレートがつくられ、トルコやタイでトウガラシが使われている。生態学者にとってコロンブス交換は、恐竜の絶滅以来最も重大な事件なのだ。(p.34)

・交換された作物はもちろん他にもたくさんある。南米からジャガイモ、中米からはトウモロコシがヨーロッパにもたらされ、サツマイモが中国に伝わる。これらは主に貧民層の食料として必需品になっていく。タバコが伝わると多くの人を虜にして、大規模な生産がおこなわれるようになった。サトウキビはアジア原産だが、適した土地がアメリカ大陸で探された。その他にコーヒー、カカオ(チョコレート)、あるいは牛や馬、羊、山羊といった家畜など……。

・「交換」はアジアとの間でも起きた。フィリピンのマニラを中継地にして明(中国)との間にも貿易が盛んになり、大量の銀の他に、サツマイモやトウモロコシ、トウガラシ、ピーナッツ、そしてたばこなどが、太平洋を渡って明に送られ、逆に絹や陶器、そして香料などが明から輸出された。

・このような「交換」によって世界の人口は1700年代には10億人を超えた。しかし、ヨーロッパやアフリカからアメリカ大陸に持ち込まれた病原菌(マラリア、天然痘、インフルエンザ、黄熱病など)が多くの先住民を死に追いやった。たとえば中米を侵略したコルテスの残忍ぶりはひどいものだったが、天然痘によって人口は3分の一に減ったという。またアフリカから奴隷としてアメリカ大陸に送られた人は1170万人でヨーロッパから移住した人の3倍にもなった。そして現在地球の人口は70億人に達している。520年で23倍になったのである。

・この本の帯にあるように本書を読むと「この世界のありようは欲望の帰結だ」ということがよくわかる。欲のためには殺人はもちろん、自らの死も恐れない。ひどい話だと思ったが、それは現在の「グローバル化」の状況下でまた繰り返されていることでもある。ヨーロッパやアメリカは近代化を達成したが、中南米やアフリカは今でも貧しい状態が続いている。リオ五輪の様子を横目で見ながら本書を見たせいか、人種の混交や貧富の格差の原因と結果を目の当たりにした気がした。

2016年8月15日月曜日

また祭日が増えた

 

forest135-1.jpg

・8月になって大学もやっと夏休みになった。と、ホッとした途端に熱が出て、数日爆睡が続いた。疲れだから寝れば治る。これは僕にとってはよくあることだ。今年の夏は暑いが、河口湖は夜になれば涼しくなって、寝苦しいことはない。また午前中も涼しいから、自転車はもっぱら朝のうちに乗っている。さすがに汗びっしょりになるが、バルコニーのハンモックで身体を揺らしていると、心地いい風に包まれてほてりが取れてくる。ケヤキや唐松の林越しに青い空と白い雲が見える。

・家の周囲は雑草が生え放題だが、いろいろな花が次々と咲いている。そのヤマユリがいつになく大量に咲き誇った。細い幹に白くて大きな花が咲くから、重すぎて垂れてしまう。野生なのにどうしてなのか、何かそれなりの理由があるのだろう。だから細い竹竿をつけてまっすぐにしてやろうかと思ったがやめにした。そのヤマユリが消えたらウバユリが咲き始めた。これもまた例年になく多い。どうしてなのだろうか。そう言えば、この時期に来てユリの花を食べる猿の群れを今年は見かけない。猿や鹿、猪の害が深刻で駆除をしていると聞いているせいかもしれない。

forest135-2.jpgforest135-3.jpg

・ところでお盆休みに引っかけてまた祭日が増えた。お盆休暇が一日長くなるのはいいことかもしれない。しかしそれはまた、国が休日を増やしてあげなければ休めない風潮が少しも改まらないせいでもある。先進国で日本ほど祭日の多い国はないが、また日本ほど個人の意思で休暇(有給)が取れない国もないのである。権利として認められているのに取らないのは、企業のせいだったり、同僚に気兼ねしたりするためだ。

・多くの人が同じ時に同じ程度の休みを取って、同じような過ごし方をするから、観光地は混み、高速道路は渋滞する。河口湖の湖畔には観光客と車が溢れているし、富士山は登山者が行列をなしているようだ。数年前から中国などのアジアからの訪問者が激増しているから、今年は特にすごい混みようだ。住人にとっては迷惑千万でいいことは何もない。

・富士山は入山料をしっかり取って、登山の装備もチェックすべきだと思うが、山小屋や土産物屋を気遣ってか、任意の入山料で装備や服装のチェックもない。湖畔の道路には狭いところがいくつもあるが、大型の観光バスが走るし、センターラインのない道の真ん中を走る車が多いから、危ないと感じることが少なくない。そこをレンタサイクルでのんびり走る人や、ロードバイクで飛ばす人が行き交うから、事故が起きないのが不思議なくらいだ。

・それにしてもお盆の時期の帰省ラッシュはすごい。東京にはそれだけ地方出身者が多いということだが、それは戦後の高度成長期からずっと続いている。人口の東京集中を裏づける現象で、以前は長男が残って後を継いでいたのだが、今は少子化だから、子どもが出てしまえば、田舎には老人しかいない。消滅する市や町、そして村が増えるのは当然のことだろう。

・狭いところに住み、安い給料で休みもなく働かされ、国が恵んでくれた祭日や年中行事に同じように休暇を取る。豊かな社会とは名ばかりの、心にゆとりのない世界になったものだとつくづく思う。

2016年8月8日月曜日

経済、メディア、そして教育

・参議院選挙で改憲勢力が3分の2を超えました。いよいよ憲法に手をつけるのではと言われています。自民党のとんでも改憲案がいきなり登場するわけではないでしょうが、(アメリカに追随して)戦争ができる国になることが憲法上も認められる危険性はかなり大きいと言えるでしょう。しかし恐ろしいのは憲法改悪に限りませ

・安倍首相は選挙演説で「アベノミクスをさらにふかす」と繰り返しました。さっそく20兆円を超える経済対策を打ち出しましたが、財源は借金ばかりで,最大の目玉がリニアモーターカー、生活保護費の削減をすでにやりながら、低所得者に一人1万5千円を配るようです。福祉給付金や子育て給付金、また障害者年金を削減したり廃止しておきながら、保育士・介護職員の給与を上げることなど、矛盾の多い,支離滅裂なごまかしの対策だと言えるでしょう。

・「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が2015年度に5兆円を超える損失を出しました。年金の株での運用率を倍増させた結果ですが、ここには国家や地方の公務員が加入する共済組合年金は含まれていません。また日銀はマイナス金利を実行し、さらに「ヘリコプター・マネー」というお金のばらまきをするのではないかと言われています。日本経済の実態以上に株価を高くするのは政府の強い要請によるのですが、目先の政権維持が目的ですから,将来的には破綻の道を後戻りできないほどに進んできてしまっているのです。

・政府の思いのままというのはメディアも同様です。上記した政策に対して海外メディアは辛らつな批判を浴びせていますが,日本のメディアは黙っているか、申し訳程度の批判しかしていません。「選挙期間中の報道は中立公正に」というお達しに、新聞もテレビも参議院選挙や都知事選の争点をほとんど取り上げませんでした。ところが終わった途端に、その結果について大騒ぎをしています。今の日本には御用新聞と御用テレビしかないのです。テレビに出ている人気者は御用タレントである限りは安全ですから、政府に批判的な発言が出てこないのは当然でしょう。

・他方で教育に対する文科省の姿勢もますます強権的になっています。高校に「公共」という科目が新設されるようです。選挙権の引き下げに伴って生徒が主体的に政治や社会に関心を持つことを狙いにするとされています。しかし一方で、高校生の政治活動については制限をする動きがありますし、ここでも「中立公正」な授業が求められますから、高校生の主体性を育てる教育などはできないのではないかと思います。

・そもそも日本の教育には欧米では当たり前の「ディベート」の授業がありません。それこそ小学校から、多様なテーマで生徒たちに自由に調べさせ、考えさせて議論し合うことが何より必要で、それがなければ、早期に英語教育をはじめても、ほとんど身につくことはないのです。英語は何より自己主張を基本にして、相手と戦うことを求める言語ですから、それなしの語学教育などは「ガラパゴス」そのものに過ぎないのです。

・最近、20歳代のパスポート所持率がたったの5.9%だという実態が明らかにされました。海外に関心がない若者の増加は、自民党を支持する若者の増加と無関係ではないはずです。戦前回帰の志向を強める政権にとって「グローバル化」が何を意味するのか。弱者を切り捨てておきながらの一億総活躍、財政再建と言いながらのヘリコプターマネー、主体性を育てると言いながらの自由の制限、今のことや過去への回帰しか考えないのに未来チャレンジ内閣……。醜悪な素顔を隠した厚化粧なのに、それを言ってはいけないような空気が蔓延しています。

2016年8月2日火曜日

感情と勘定が世界を劣化させている

・相模原市の障害者施設で19人の入居者をナイフで殺害する事件が起こった。犯人の言い分は「社会に無用な人間はいなくなればいい」というものだったようだ。この施設で働いていた時に思ったのかもしれない。それは老人ホームで働いていた職員が,入居者を殺した事件に共通している。

・確かに,有用性から見れば、障害者にしても,老人にしても,手間がかかりお金もかかるばかりで,社会にとっては無駄だと言える側面はある。こういう施設で働いている人も,あるいは家族の人にとっても、そんな思いをふと感じることもあるだろう。しかし、そうではないと打ち消す強い気持ちも同時に感じるのが普通のはずである。

・人にはいろいろな側面がある。優れたところも劣ったところも、それをひとつの個性としてつき合うところに、人間同士の親密な関係やかけがえのなさが生まれてくる。もちろんそこには、どんな人も皆平等に人権を保障されるべきだとする近代社会以降に確立した考えがある。これは法律上だけでなく、倫理の問題としてすべての人に分け持たれるべき思想でもある。

・しかし今、こういった倫理をないがしろにする、きわめて一面的な知識に基づいた感情的な発言が目立っている。差別意識を露骨に公言するヘイトスピーチが各地で起こったりするのは好例だが、それを正当化する政治家の発言も少なくない。批判や非難が起こっても,同様の発言が繰り返されるから,もうすっかり慣れっこになってしまっているし,逆に選挙運動での発言が注目されて,支持を増やしている例なども少なくない。

・その代表はアメリカの大統領候補として共和党から指名されたトランプだろう。理想(建前)をないがしろにしてきわめて感情的な発言(本音)を強調するのは、今の社会や自分の置かれた現状に不満を感じている人たちを引きつけやすい。アメリカが強くなること,それを牽引するのが白人の男であることといった訴えが、中流以下の白人に受けている。ここには人種や性別に関する露骨な差別主義があるし、アメリカのことしか考えない傲慢さや,他国を見下す意識がある。

・同様の傾向は最近の参議院や都知事の選挙でも見られた。野党が統一候補を立てたことには「自公」の連立を棚に上げた「野合」「民共合作」などといった非難が浴びせられたし、都知事選でも野党統一候補には何年も前の未遂と思われる「不倫報道」が週刊誌で取り上げられた。ところが肝心の政策に関する論争に対しては、メディアは「中立」に名を借りた政府の圧力によって、ほとんど何も取り上げずじまいで、それこそ一時の感情によるイメージ選挙に終始した。

・政府は沖縄で敗北すると、その翌日に機動隊を動員して、高江のヘリポート建設に反対する住民を暴力的に排除する行為に出た。県民の意思を無視した暴挙だが、メディアに大きく取り上げられることはなかった。弱者切り捨ての方針は明確だが、沖縄に冷酷に対応すればするほど,強者であるアメリカへの追従が明らかになる。また首相はこの時期にリニア新幹線を目玉にした28兆円の経済対策を表明したが,その裏で生活保護費や福祉給付金、子育て給付金、障害者年金、介護報酬、障害者事業者報酬などを削減、半減、廃止する政策も出している。まさにやりたい放題の犯罪的な行為だが、取り締まるどころか支持率が上がっているのだから、どうしようもない。

・感情と勘定が日本はもちろん世界中を劣化させている。ひどい時代になったもんだとつくづくと思う。

2016年7月27日水曜日

テレビをおもしろくした人たちの死

・癌で長いこと闘病生活をしていた大橋巨泉がなくなった。永六輔が亡くなってまだ日が経っていなかったから、一層、時代の変わり目を感じた。二人ともテレビで活躍し、テレビの面白さを作り出した人だったからだ。最近のテレビのつまらなさのひとつは,この二人のようなパーソナリティが皆無なことにある。そんなことを改めて感じた。

・大橋巨泉はジャズ評論家だったが、彼が有名になったのは「11PM」の司会だった。夜11時からの深夜番組で、1965年から始まっているが,巨泉の司会は翌年からだったようだ。競馬や釣り、そして麻雀といった娯楽や性風俗を取り上げたり、裸に近い若い女の子を登場させたりしたが、また政治や社会の問題を取り上げて、高校生だった僕には,ずいぶん刺激的で見たい番組になった。しかしもちろん、見ればいつでも親に怒られた。

・巨泉は他にも「巨泉X前武ゲバゲバ90分」(1969〜1971)、「クイズダービー」(1976〜1992)、「世界まるごとハウマッチ」(1983〜1990)などの番組に企画段階から参加して、テレビ番組の形を作りだしている。そう言えば,のちに「11PM」の司会をした愛川欽也や「ゲバゲバ」の前田武彦も今は亡き人である。ちなみに「ゲバゲバ」は当時の学生運動の中で使われていた「ゲバルト(暴力)」から来ていて、バラエティ番組が当時は社会や政治に目を向けていたことがわかる名前でもある。

・永六輔は「上を向いて歩こう」の作詞で知られている。しかし彼もテレビ番組の構成に関わり、出演もして、あるべき形を作りだした人でもある。「夢で会いましょう」(1961〜1966)、「遠くへ行きたい」(1970 〜)などがあるが、彼はラジオ番組にも多く出演していて、「誰かとどこかで」(1967〜2013)、「永六輔の土曜ワイド」(1970〜1975、1991〜2015)など、最近まで続けていた。巨泉や欣也同様、政治や社会に対する歯に衣着せぬ発言も多く、オピニオン・リーダーとしての役割は,ごく最近まで大きかったようだ。彼はまた野坂昭如や小沢昭一と「中年御三家」を結成(1974)してコンサート活動なども行ったが、野坂も小沢もすでに他界している。

・この世代は第二次大戦中に少年時代を過ごし、青年期に進駐軍の占領時代を経験している。そこから戦争の悲惨さや軍国主義への回帰の愚かさや恐ろしさを説き、表現の自由の大切さや,個人として生きる権利の正当さを主張してきた。そんな人たちが次々いなくなって、つくづく時代の変わり目を感じるようになった。折しも今は戦前回帰と経済成長の時代を一緒くたにした安倍の悪政の時代である。テレビは萎縮して自制し、政権のご機嫌伺いばかりでジャーナリズムの役目を放棄している。バラエティ番組は救いがないほどのアホな内容ばかりだ。

・永六輔や大橋巨泉、そして愛川欽也が残した遺産は、今ラジオには受け継がれている。Podcastを使えば、全国のラジオ番組が聴取できて、おもしろいものが少なくない。荒川強啓や大竹まことといった同世代だけでなく、荻上チキや津田大介といった若い人たちがキャスターとして政治や社会の問題を話題にしている。あるいはネットの動画番組にも「デモクラTV」や「Videonews」など、硬派でも視聴者の増えているものが多くなった。

・参議院選挙の期間中にはろくに報道しなかったテレビが,選挙当日に各局一斉に特番を組んだ。番組開始と同時に当選確実が大量に出るといった現状では、面白さは半減以上だし,結果が出てからとやかく言ってもしょうがないわけで、ジャーナリズムとしてのテレビの無力さを露呈するばかりだった。もちろん僕は、そんな番組はまったく見ていない。

2016年7月18日月曜日

「イクメン」を当たり前に

 

工藤保則/西川知享/山田容編著

『<オトコの育児>の社会学』ミネルヴァ書房

・「イクメン」ということばが流行語になって、確かに小さな子どもを連れた男たちを見かけるようにもなった。しかしまだまだ珍しい。実際、男が「育休」を取る割合は,現在でも2%程度で、「イクメン」にはほど遠いのが実態のようだ。だから「イクメン」には、もの珍しさというニュアンスが強いのかもしれない。何とも保守的な日本の男たちだが、共働きが当たり前になった現在では、「育児は女に」などと考える男は結婚の資格なしと駆逐されるべきだし、「育休」を渋る企業は名指しで批判してやるべきだとも思う。

・ こんなふうに思うのは、僕自身こそが「イクメン」の第一世代だったと自負する気持ちがあり、そんな風潮が生まれかけたにもかかわらず,同世代の男たちにはほとんど無視されたという経験があるからだ。団塊世代の僕は70年代の後半に結婚して二人の子どもを育てた。ちょうど「ニューファミリー」ということばが流行し、その本来の意味に共感して実践を試みたのだが、日本では、新しい消費スタイルを宣伝するマーケティング用語に変質してしまったのだった。その同世代は今、退職して新しい生活の仕方に戸惑いを見せているという。食事も洗濯も掃除もできずに,家でごろごろしている男は「企業廃棄物」として女たちからは嫌われる存在でしかないようだ。

・ もちろん僕は、家事のすべてを分担し,その他に冬の暖房用の薪割りや家のメインテナンスに欠かせない大工仕事を引き受けている。けっして自慢ではなく,それこそが生活の楽しさを実感する基本になることを、子育てからずっと確信し続けてきたからだ。

ikuji.jpg ・ 『<オトコの育児>の社会学』の執筆者は全員男である。年齢は違うが誰もが、育児をした自分の経験から書き始めていて、章構成が「けいけんする」「ひろげる」「かんがえる」「ふりかえる」で統一されている。そして多くの書き手が,初めて経験する育児に対する戸惑いや失敗を語り、そこから個別に与えられたテーマに広げて考えている。I部では「近代家族」「しつけ」「性別役割分業」「夫婦関係」を問い、II部ではオトコの育児について,「遊び」「文化資本」「人生儀礼」「レジャー」を考察した上で、III部では「待機児童」「育児不安」「医療」「子育て支援」「育休」といった問題を男の側から論じている。

・ 僕はこの本を大学生に読んで欲しいと思う。もちろん男だけにというのではない。家族といった狭い領域ではなく、社会学でもなく,もっと広い範囲で、大学生が自ら考えるテーマにすべきだろう。今の学生は就職のことで頭がいっぱいで、採用してもらえるならと、企業に迎合的な姿勢を取りがちだ。そんな彼や彼女たちに、これからの人生を考える上で、結婚や家事、育児について、その現実的な問題に無関心なままで社会に出て行って欲しくないと思う。

・ 大学の教員は企業に勤める人に比べて,自由に使える時間に恵まれている。また、どんな生活の仕方をしたって、とやかく言われることが少ない恵まれた境遇にある。だから社会学者に限らず、家事や育児を共有する男たちも少なくないはずである(と思いたい)。今大学は就職に役立つカリキュラムの実践に力を入れている。それはもちろん、そのようなニーズに応えての対応だが、若い人たちにとって本当に必要なのは、結婚や家族の作り方、家事や育児の共有の仕方と、そこから仕事や地域といった社会へ、あるいは経済や政治へと考えを広げていくための知識の獲得と,あらたな認識なのだと思う。

2016年7月11日月曜日

アイルランドの若い歌手たち

 

Damien Rice"O" "9" "My Favourite Faded Fantasy"

Lisa Hannigan" Sea Saw" "Passenger"
Wallis Bird "Architect" 'Bird Song"'

rice1.jpg・アイルランド出身のミュージシャンにはずっと聴き続けている人がたくさんいる。ヴァン・モリソン、U2、シニード・オコーナーなどで、その他にもケルト音楽としてチーフタンズ、アニューナ、エンヤ、ジム・マッカン、アルタン、そしてカルロス・ニュネスなどがいる。音楽ジャンルとしてはそれぞれ違っているが,誰にも共通した雰囲気や主張があるなと思って聴いてきた。行ってみたい国だったから、紛争が落ち着いた2005年に出かけ、パブでギネスを飲みながら音楽を聴いた。

rice2.jpg・アイルランドはケルトというヨーロッパに古くからいた民族を基本にした国だ。スコットランドやウェールズも同様だが、アイルランドだけがイギリスから独立している。しかし、隣の強国に押さえつけられて苦難の歴史を辿らされてきた。そのことを強くメッセージしてきたU2のボノやシニード・オコナーなどもいるし、古くから歌われている歌に思いを込める人もいる。僕が一番好きなのはヴァン・モリソンとチーフタンズの『アイリッシュ・ハート・ビート』と言うアルバムだ。

rice3.jpg・最近続けてアイルランドの新しいミュージシャンを知った。その一人、ダミアン・ライスは6月に日本に来たようだ。デビューは2002年だから、僕のアンテナも頼りない限りだと思った。最初が"O"で2枚目が"9"という何とも意味不明なアルバムタイトルだが、歌そのものはメロディアスでオーソドクスなものが多い。ただし言われなければアイルランド出身だとは思えない。アルバムではバックもつけ,ストリングスなども入れているが、ステージではギター一本で歌うことが多いようだ。それで何千人もの聴衆を釘付けにするほどの訴求力を持っていて、それが何よりの魅力のようだ。

lisa1.jpg ・リサ・ハニガンはダミアン・ライスのバック・コーラス、と言うよりはデュエットのように歌うメンバーだったが、独立して2枚のアルバムを出している。で、彼女のオリジナルで構成されたアルバムは、ダミアンのとはまるで違う感じに仕上がっている。ジャケットにさいころのパッチワークが使われているが,これは彼女の自作のようだ。経歴にはダブリンのトリニティ・カレッジで美術史を専攻したとある。ハスキーで静かに歌う様子は,ケルト色を薄めたエンヤのようでもあるし、棘のないシニードのようでもある。

lisa2.jpg ・ダミアン・ライスにしてもリサ・ハニガンにしても、すでにヨーロッパでは有名なミュージシャンで,コンサートをやれば大きな会場のチケットがすぐに完売するほどのようだ。ケルトの臭いがないのは僕にとっては期待外れだったが、EU以後に登場して人気者になったミュージシャンであれば,それも当然だろうな、とも思った。たぶん彼や彼女にとってEU圏内は国内と一緒だという感覚なのかもしれない。ライスはデビュー前に一年間、EUをストリート・ミュージシャンとして放浪したようだ。イギリスの離脱がいかに時代に逆行したものかがわかる話だと思った。

bird1.jpg ・リサはその清楚さと知的な容姿が魅力になっている。しかし、もう一人ウォリス・バードはエキサイティングなロック・ミュージシャンだ。ネットには、ロンドンでデビューしたがポップな歌を強要され、ドイツに移って自由に音楽作りができる環境を見つけたといったコメントがあった。その圧巻のパフォーマンスが日本公演でも一部で話題になったようだ。その場所が吉祥寺のスター・パインズ・カフェだったと聞いて、日本での知名度の低さに驚いた。オールスタンディングでも300人ほどしか入らない小さなところだったからだ。もっともライスのライブもけっして大きくはないEX シアター六本木だった。

bird2.jpg ・音楽的には三者三様でアイリッシュであることやケルト音楽を意識させない。しかしコマーシャリズムや流行に迎合しないでやりたいことを自由にやるという姿勢は共通している。YouTubeでライブを見ると、アルバムよりはずっといいパフォーマンスをする実力派のようだ。こんな魅力的なミュージシャンが続出するのは羨ましい限りだが、日本ではきわめて限られたファンしかいないのは残念というほかはない。その日本に来ての熱演は僕も是非聴きたいと思うのだが,オールスタンディングの狭い会場では,とてもついて行けない。

2016年7月4日月曜日

休日の散歩と自転車

 

forest134-1.jpg

forest134-2.jpg
・今年の梅雨は雨の日と晴れの日がはっきりしている。しかも仕事に行く日に雨が多く,休日に晴れが多い。だから毎週2〜3日は自転車に乗り、もう一日はパートナーの散歩につき合っている。2kmで高低差は200mほどを目途に5月の甘利山、帯那山、6月の富士山馬返しから一合五勺、御坂山塊の新道峠周辺、河口湖天上山、そして富士山の麓の大室山と歩いてきた。上の新道峠からの富士山は、雄大な独立峰であることが一望できる一番の眺めだと思う。特に登った日は雨上がりで、てっぺんに笠雲がかかった富士は息を飲むほどの美しさだった。

・パートナーの左足は腿があげにくくて,足首やつま先が思い通りにならない。だから歩く時には右足を軸に左足を回すようにして前に出すし,足首が内側に折れがちになる。それを意識するために,散歩の時にはいつも,僕がビデオカメラを回している。なかなか良くならないが,歩く距離が伸び、上り下りができるようになった。僕が自転車に乗る時には,家で、MacBookを前にYoutubeで世界中の道を眺めながら、エアロバイクを漕いでいる。もう2ヶ月も続けているから,かなり筋肉がついてきたようだ。

forest134-3.png・僕の自転車も4月の中旬から雨でなければ土日月と続けている。コースは河口湖(20km)、西湖(24km)、あるいは両方(33km)などで、最近平地では平均30kmの速度で走れるようになった。続ければこそで、休めばすぐに足も弱くなるし息も上がる。だからしんどくても出かけるし,走り出せばついついがんばってしまう。土日には走る人も多いし早い人もいるから、競争心も涌いてきてしまうのだ。言われるまでもなく年寄りの冷や水を自覚しているが、この歳になっても記録が伸びればやる気が増すというものだ。

forest134-4.jpg・富士山の5合目まで自転車で走るヒルクライムが今年も開かれた。僕は出るつもりはないが,一度は5合目までスバルラインを走ってみようと思っている。Youtubeで見ると料金所から五合目までは25kmで標高差は1270m、平均勾配は5%程度のようだ。ヒルクライムの制限時間は3時間15分だからそれが目標になる。疲れたら休んで登っても,たぶんいけるのではないかと思う。マイカー規制のある8月か、涼しくなった9月を目標に、走り込むことにしよう。

・それにしてもここ数日は暑い。河口湖でも30度を超えたから,もう梅雨が明けて真夏という感じだ。今年の夏は猛暑だという予測もある。ところが大学はまだ7月末にならないと休みにならない。最後の1年だからと思って,もうひとがんばり。

2016年6月27日月曜日

EUを壊してはいけない

・英国が国民投票でEUからの離脱を選択しました。世界中の株価が暴落し,円が急騰して、もっぱら経済的な大事件として扱われています。リーマンショック級の出来事だとも言われますが、僕はそれ以上に大変なことではないかと思いました。EU(欧州連合)は2度の世界大戦で疲弊したヨーロッパ諸国の人びとが、もう戦争はごめんという反省のもとに作られた制度だからです。アンソニー・ギデンズの『揺れる大欧州』(岩波書店、2015)は1946年9月にチューリッヒ大学で行ったウィンストン・チャーチル英国首相の次のような演説からはじめています。


・奇跡によってすべての光景が変わるような救済、ヨーロッパ全土で大多数の人々がみんなで選び取れば、常に救済はある。……この至上の救済とは何だろうか。それは、できる限り、ヨーロッパの家族を再び創造し,平和や安全、自由の下で暮らせる仕組みをつくることである。われわれはヨーロッパ合衆国のようなものをつくらなければならない。

・EUは強い反省のゆえに奇跡的にできた、国家を統合する組織です。既存の国家はそのままに国境を緩やかにして行き来を自由にし,ユーロという新しい貨幣を造りました。国家間には経済格差がありましたから、インフレに苦しむこともありましたが、経済成長を促すための資金援助をして、平和で安全で自由な豊かな大欧州を目指したのでした。

・英国の離脱の理由は、シリアなどからの移民の流入やドイツ中心で官僚的な体制に対する批判、あるいはかつての大英帝国復活を願うナショナリズムにあるようです。残留を支持したのは都市に住む高学歴で国際的な経験があり,比較的高収入の人と若者層で、離脱支持者には地方の労働者階級でEUの恩恵を感じられない人や高齢者たちだと言われています。

・イギリスの離脱によってスコットランドが独立の国民投票をもう一度やろうと言いはじめてますし、北アイルランドでもアイルランドとの統一の気運が高まりそうだと言われています。他にも離脱する国が追随すると、たとえば、スペインにおけるカタルーニヤやスペインとフランスにまたがるバスクのように、国を分裂させて独立する動きが起こるかもしれません。EUの崩壊は同時に、既存の国の分裂を起こしかねないのです。

・EUにはすでに財政の破綻したギリシャだけでなく、不況の続くスペインやポルトガル、そしてイタリアをどう建て直すかといった難問を抱えています。新しく加入した東欧諸国との経済格差の解消も解決しにくいテーマでしょう。これほど経済力の違う国々を単一の通貨、ユーロで統一させていくのが無理なことなのかもしれません。

・今回の国民投票で唯一明るい光のように見えたのは,若い世代の多くが残留に投票したことでした。ウルリッヒ・ベックはそのことを『ユーロ消滅?』(岩波書店、2013年)の中で次のように指摘しています。


・若いヨーロッパ人はまず自らの国籍を通じて,それからヨーロッパ人として自己規定するのである。国境がなく共通の通貨をもつ欧州は,かつてなかったような移動のチャンスを彼らに提供している。そしてこの移動は、きわだつ文化的な豊かさ、言語、歴史、美術館、博物館、食文化等の多様性をもった社会空間において行われるのである。(86p.)

・EUは発足してすでに20年になる。若い世代の人たちにとってEUは、自らの国と同様にアイデンティティの拠り所になっているのです。この「コスモポリタン的自由」(ベック)を国民国家主義者の不法な介入から守るにはどうしたらいいのか。ヨーロッパ人であることを血肉化した若い世代の動きに期待したいものです。

2016年6月20日月曜日

桝添イジメで隠されたもの

・桝添東京都知事が辞任をした。外遊の多さや公費を使った贅沢三昧の話題が出た時から、奴ならやりそうなことという感じで、聞きたくもない話だと思っていたが、テレビもラジオも新聞も連日、桝添一色になった。ことの重要性よりは桝添のせこさと言い訳の面白さが過熱の原因だったようだ。視聴率が上がったのだからやらないわけにはいかないといった弁明も聞こえてきた。

・お陰で隠れてしまった問題は数知れない。国会が閉幕した途端に甘利が退院をした。検察も不起訴という結論を出した。甘利も検察も、アマリに見え透いた態度だが、テレビはもちろん,新聞も話題にしない。桝添に隠れたというよりは、メディアが政権に遠慮しているというほかはないだろう。その証拠に,桝添が辞任しても,次は甘利だという声はほとんど聞こえてこない。

・安倍首相の消費税増額の延期の弁明もひどいものだった。アベノミクスは順調だが世界がリーマン・ショック前夜にある。サミットでは反論されて引っ込めたのに、「危機(クライシス)」を「危険(リスク)」と言いかえて、「新しい判断」として延期を決めたと発言した。前回延期をした時には,経済状況にかかわらず実行すると大見得を切ったのにである。

・消費税再延期の理由が日本の経済状況の悪さにあるのは明白である。安倍首相は中国や新興国の経済状態の悪さを理由の一つに挙げたが、中国やその他の新興国の経済成長は鈍化したとは言え続いている。サミット諸国の経済の現状や予測もわずかではあるがプラスである。ただ日本だけがマイナスになっているのだから、理由はアベノミクスの失敗にあることははっきりしているのだが,そのことを正面から批判するメディアは皆無だ。

・だから安倍内閣の支持率は相変わらず下がらないままである。立法府の長だという信じられない失言をしても、誰も騒がない。内閣総辞職に値する失言や失政を何度やればいいのだろうか。おそらく、このまま参議院選挙になれば、自公は大勝ちしないまでも負けるということはないだろう。と言うよりは大勝ちされたら大変なことになる。何しろ安倍にとっては憲法を代えることが最大の目的で、参議院で3分の2を取れば,すぐにでもそれに取り組むつもりなのだから。しかし、今度の参議院の争点として,そのことはほとんど触れられていない。

・この手法は前回の参議院選挙や衆議院選挙と同じ戦術である。争点を隠して「秘密保護法」や「安保法制(戦争法案)を成立させてきたのだから、今回もその魂胆は明白だが、それもまた、大きな話題になって争点化することはないだろう。メディアへの圧力とそれを利用した露骨な大衆操作がこれほどうまくいっていることに僕は呆れるが、この先の日本の状況を考えると絶望的にもなってしまう。

・「パナマ文書」はどうなっているのか。五輪誘致のための裏金問題はどうなるのか。保育所の問題はと、消えてしまった話題はまだまだたくさんある。

2016年6月13日月曜日

Appleのバッテリー

・Appleの製品は、どんなものでもバッテリ交換が簡単にできない構造になっている。だから交換はAppleストアに持ち込むか,送るかしてやってもらわなければならない。ぼくはiPodを二つの他にiPhoneとiPadを持っているが、そのすべての電池がダメになってしまった

ipod1.jpg・最初に買ったiPodは2004年のもので、二つ目は2008年である。どちらも電池がダメになった時には交換もできないことになってしまっていた。とはいえ、家や車で電源に繋いでおけば聴けるから,両方とも今でも使っている。不便だけど使えるからいいかと思っていたが、買って2年弱のiPhoneのバッテリーがダメになった。

・Appleストアに持っていくのは遠くて面倒だし、送って交換してもらうと何日もスマホなしになってしまう。そこでネットで調べて、Amazonで工具つきの電池を買うことにした。交換してもらうと一万円ほどかかるが,電池は工具つきでも1600円ほどで、YouTubeでみると,やさしくはないができないこともないと思った。

ipod.jpg・交換作業は難しかった。しかも、蓋をしてスイッチをオンにすると画面に縦縞が出てタッチ操作がまったくできない。そこでまた開け直してやり直した。何とか元に戻ったので、ついでにIPod(Classic)も交換することにした。しかし,こちらは,専用工具を使ってもまったく蓋が開かず、無理にやったから傷だらけになってしまった。とにかく聴けるようにはなったが、無残な姿である。もう持ち運びはできない。

・電池は数年で使えなくなるのにAppleはなぜ、簡単に交換できるよう作らないのだろうか。最近Appleから所有するiPhoneを下取りに出して最新の機種を割引で売るというメールが来て、要するにそういうことかと納得した。新しいモデルが出るたびに買い換えさせるための商法だということだろう。

・僕のパソコン歴はもう25年になるが、買ったのはほとんどマッキントッシュである。その使いやすさやデザインの良さ、そして何よりカウンター・カルチャー的な成り立ちが気に入ったからだった。そのマックもすでに10数台も買い換えている。進化のスピードに追いつくためには仕方がなかったのだが、iPodは電池さえ交換できれば、買い換える必要はなかったはずである。しかも今はiPhoneとそっくりで容量の少ないiPhone touchしか売っていない。Appleはすでに創業時の精神を忘れて,その対極にある。しかしやめるわけにいかないのが何とも癪にさわる。

・iPhoneは欲しくて買ったわけではなかった。キイボードの着いたBlackberryを気に入って使っていたのだが、Docomoが扱わなくなって、故障した時に仕方なくiPhoneに買い換えたのだった。そのblackberryは電池交換が簡単にできたから,いつも予備の電池も持ち歩いていた。月々の料金もそれほどでもなかったが、iPhoneにしてから毎月の使用料金がずいぶん高額になった。電話は滅多にかけないし,ネットはパソコンでやるから、ずいぶんばからしいと思ってきた。

・というわけで、2年縛りが終わる数ヶ月先に電話はガラケーに代えて、iPhoneは音楽専用機として使おうかと思い始めている。さてiPadはどうしようか。 Nexus7もバッテリーがへたり気味だ。、必要以上に道具ばかりが多いから、もうそのままにしておこうかと思うが、引き出しを見れば,もう使わなくなった機器がごろごろしている。

2016年6月6日月曜日

逢坂巌『日本政治とメディア』中公新書

 

ohsaka.jpg・安倍首相がサミットで今の世界状況をリーマンショック前夜と似ていると発言して、海外から批判を浴びている。消費税率を10%にあげるのを再延期する口実に利用したからだ。その再延期の会見は夕方のテレビで長々と中継された。もちろん本人の口からアベノミクス失敗によりという説明はなかった。理由はあくまで外因によるというものだった。

・そのサミットやオバマ大統領の広島訪問もまた、テレビでは大きく報じられた。いったいサミットで何が決まったのかよくわからないし、広島での演説はオバマの格調の高さに比べて安倍のお粗末さが目立つばかりだったが、政権の支持率は急上昇した。消費税率引き上げ再延期の発表にはもっともいい機会で、最初からこの機会を狙っていたのは明らかだろう。で、いつものように、メディアから強い批判の声が起こることもなかった。このまま参議院選挙運動に突入して、与党の勝利という筋書き通りに進むよう、メディアは協力を惜しまないのかもしれない。

・逢坂巌の『日本政治とメディア』は第二次大戦後の日本の政治とメディアの関係を,詳細に追った好著である。この本を読むと、日本のメディアと政治の関係がなぜ,現在のような形になったのかがよくわかる。とりわけ重要なのは,戦後に始まったテレビを政治がどう扱い、利用してきたかという点だろう。

・日本のテレビは1953年から始まった。そのテレビと同時期に開局した民放ラジオに注目して積極的に利用したのは、吉田茂に変わって政権の座に着いた鳩山一郎からである。ただし、彼が重視したのは普及率の低いテレビよりはラジオだった。電波メディアが政治にとって重要であることは、アメリカにおけるメディアの役割から学んだものだった。その利用はテレビの普及と共に、その後に首相になった石橋湛山、岸信介によって強化されていった。

・自らの言動が記者によって記事になる新聞よりは、直接画像と音声で伝えることができるテレビの方が、自分の意図を国民に理解してもらえる。もっと言えば、思うとおりに世論を誘導することができる。記者を排除してテレビの前で退陣会見をした佐藤栄作はその好例だが、今太閤と言われて人気者になった田中角栄は,その気取らない言動が,きわめてテレビ受けする初めての政治家でもあった。また、その時期にはテレビタレントが多く議員に転出した。政治家として適任かどうかではなく、有名性や人気が投票行動を左右するようになったのである。

・テレビやラジオは国の認可によって放送が認められている。最初はGHQの指導によって、内閣から独立した電波管理委員会によって設置が検討されたが、GHQから独立するとすぐに、吉田政権下で郵政省の管轄下に置かれた。新聞社とテレビ・ラジオの経営体が同じだという「クロス・オーナーシップ」は既得権になって、UHF局開設時にも,地方新聞が経営体になることで拡大され、BS放送にも援用された。テレビやラジオはもちろん,新聞社と政権の間には、このような根本的な癒着関係があるのである。

・テレビは報道よりは娯楽に適したメディアである。と言うよりはすべてを娯楽化するメディアだと言った方がいい。報道を娯楽化した番組、娯楽番組に政治家を登場させる番組。そんな傾向が政治家によりイメージ管理の重要性を認識させ、イメージのいい政治家を出現させることになる。もちろん、ここにはテレビが何よりCMのメディアだという特徴も付け加えておかなければならない。だから、イメージを損なうような報道には,免許権の剥奪を脅し文句に使ったりもするようになった。本書を読むと、最近に至るメディア統制の道筋が,改めてよく見えてくる。

・安倍政治はすでに破綻している。アベノミクスの失敗はもちろん、それを誤魔化す嘘や失言も日常化している。しかしそのことを正面から批判する声はマスメディアからは,まだ聞こえてこない。それは現政権のメディア統制の結果だが、それ以上に、現状をあまり変えたくないというメディア自体の保守性にある。本書を読んで思うのは政権によるメディアの抑圧よりは、メディア自体の露骨な保身術の方である。

2016年5月30日月曜日

まだやるぞ

 

ボブ・ディラン"Fallen Angels"
エリック・クラプトン" I Still Do"
トラビス"Everything At Once"
マーク・ノップラー"Altamira"

Dylan.jpg・ディランは1ヶ月に及んだ日本公演を無事済ませて帰国したようだ。その元気さにただただ敬服したが、75歳の誕生日に新しいアルバムが発売された。といっても新曲ではなく、前回同様ジャズのスタンダード・ナンバーを集めて歌ったものである。タイトルの「フォーレン・エンジェル」はカード・ゲームの名前で、ジャケットにもトランプ4枚持った手が使われている。ただし同名の曲はない。スタンダードと言っても、知っている曲はひとつもなかった。前作の『シャドウ・イン・ザ・ナイト』を聴いた時とは違って、ライブでもおなじみの歌い方や演奏だから、もうすっかりなじんでしまった感じだった。原曲通りに、わかりやすく歌うのを聴いていると、オーチャード・ホールで見た姿が浮かんでくる。

clapton5.jpg ・エリック・クラプトンは引退宣言をしては復活する。だからもうアルバムが出ても買うのはよそうと思っていた。しかし、ジャケットの絵とタイトルの「アイ・スティル・ドゥ」が気になって買ってしまった。直訳すれば「まだやる」だし、描かれたクラプトンは髪を刈り込んだ爺さんだったからだ。ネットで調べると「アイ・スティル・ドゥ」は好きなおばさんの口癖で、昔はかわいがってもらったと言った時に出たことばだとあった。だからその文脈では「今でもそうよ」といったニュアンスになるのだろうが、アルバム名としては「まだやるぞ」といった宣言に近いのかもしれない。"We shall overcome"にそっくりの"I'll be Alright"が気になった。調べてみると本歌のようだ。

travis6.jpg ・トラビスの『エブリシング・アット・ワンス』は2年ぶりの新作である。その前が5年ぶりだったから、今度は「もう出たの」という感じだった。聴いた感じは前作の『ホエアー・ユウ・スタンド』について書いたのと同じで「相変わらずのトラヴィス節で、以前のアルバムと続けて聴いたら、どれがどれやらわからないほどだ」となるだろう。バンド名の由来はヴィム・ヴェンダース監督の『パリ・テキサス』の主人公名だったと記憶している。妻子を捨てて失踪した男がテキサスのパリという街で再開する話だ。あるいはマーチン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』で主演したロバート・デ・ニーロが演じた男の名もトラヴィスだった。しかし、このバンドが作る音楽はどちらとも無縁で優しく暖かだ。

altamira.jpg ・最後はマーク・ノップラーの『アルタミラ』。映画のサントラ盤で、アルタミラ洞窟を発見した人物の物語のようだ。学校の教科書でもおなじみの壁画だが、僕は一昨年に出かけて見た。実物は損傷がひどくて閉鎖されていて、今はそのレプリカが展示されている。発見者はマルセリーノ・デ・サウトゥオラ侯爵の娘で、アマチュアの考古学者だった侯爵が1880年に旧石器時代のものだと発表したが、相手にされなかったようだ。肝心の音楽だが、スペインにケルトが混ざったような感じに、アルタミラよりはガリシアを思い浮かべた。できれば映画も見てみたいものである。