2024年6月17日月曜日

観光スポットに異変あり!

 

journal4-249-2.jpg今、河口湖周辺は外国人観光客で大賑わいだ。最寄りの富士急行線河口湖駅に行くと、一体ここはどこの国かと思うほど、多様な外国人で溢れている。その駅近くにあるコンビニの上に乗っかるようにして富士山が見えるというので、それを写真に撮ろうと大勢の人が集まっているようだ。道に出て、あるいは向かいの歯科医の駐車場から撮ろうとするから、交通の妨げになるし、クルマも駐車できなかったりする。町は撮影できないように黒幕を貼ったが、そこに穴を開ける人が続出しているようだ。それが全国に報道されているから、知人からのメールの話題になったりしている。

journal4-249-1.jpg 外国人観光客がたまたま撮ってSNSに載せた画像がきっかけで、観光スポットになった最初は、河口湖周辺では隣の富士吉田市にある忠霊塔から写した富士山だろう。右の景色はなるほど絵になっていて、外国人にとっては行って見たいという気にさせると思う。しかし、ここはそれ以前には、桜の季節以外には、訪れる人もまばらで、僕も一度行っただけだった。周辺には駐車場はないし、バスも通らないところだったのである。

journal4-249-3.jpg 富士吉田市は河口湖町と違って、観光客などほとんど来ないところだった。ところが忠霊塔をきっかけにして、他にも富士山を写すスポットが発見され、それがまた、交通や騒音、そしてゴミなどの問題を引き起こしているようだ。その一つが商店街の真ん中にそびえる富士山の画像らしい。おかげでほとんどシャッター通りだった商店街に観光客が目立つようになったのだが、それで店が繁盛するようになったわけではないようだ。富士吉田市はかつては富士山の登山口で、浅間神社があり、御師(おし)の宿もたくさんあった。

journal4-249-4.jpg もっとも、そんな流れに乗ったあざとい狙いも目立っている。たとえば、三ツ峠に上る登山道にある母の白滝近くの山の上に、右のような鳥居が突然できた。以前はそこも、訪れる人もまばらなところだったが、わざわざ歩いて登ってくる観光客を見かけるようになった、それだけではなく、付近の森を伐採してキャンプ場が出来たりしたから、細い山道をクルマや人が行き交うようになった。河口湖周辺では他にも、斜面にキャンプ場が造られたりして、反対運動も起こっている。この町に住んで四半世紀になるが、周辺の景観の変わりようにはがっかりすることが多いのである。

forest179-7.jpgがっかりといえば、何と言っても新道峠から見た富士山の景色だろう。ここには下から歩いて登るか、御坂峠や黒岳から尾根伝いに歩くか、あるいは芦川村経由で林道をクルマで行くかのルートがあった。僕はここが富士山を見る一番のスポットで、あまり知られていないことが何よりもいいと思っていた。ところが、芦川村が笛吹市と合併し、町おこしの一環として、ここに展望台を作ったのである。

forest179-8.jpg ツインデッキと名づけられたこの地には、それ以降、一般のクルマは行けなくなって、専用のバスに限られてしまった。ところが、訪れる人が増えて費用が嵩んだことで、笛吹市はその料金を往復400円から1800円に値上げしたのである。市はこの件について、年間3700万円の赤字が出ていることを理由にしているが、これほど人気のスポットになるとは予想しなかったのだろう。

forest179-6.jpg こんなふうにして、周辺が急激に様変わりしている。クルマや人が多いのは週末に限らなくなっているから、出歩くことも時間や場所を考えてということになっている。実は富士山を眺める、ほとんど僕だけの場所がもう一つあって、そこには家から30分ほどの時間で登ることが出来る。いつ行っても誰もいないところだが、最近熊の出没が相次いでいるから、登るのを控えている。観光客とは違う困った客だが、熊にとっては自分の縄張りにやってくる人間の方こそ迷惑なのかもしれない。とは言え、我が家の周辺をうろつくことはやめてほしいと願っている。

目次 2024

6月

17日 観光スポットに異変あり! 

10日 見事な伐採作業!  

3日 とんだ1泊旅行だった  

5月

27日 田村紀雄監修『郡上村に電話がつながって50年』クロスカルチャー出版  

20日 SNSはもうやめた  

13日 ポール・オースターを偲ぶ  

6日 いろいろと忙しい日々  

4月

29日 地震対応に見るこの国のお粗末さ  

22日 散々な一日  

15日 エドワード・E.サイード 『オスロからイラクへ』『遠い場所の記憶 自伝』  

8日 大谷騒動とメディア  

1日 ライブの記録はいつからOKになったのか 

3月

25日 春よ来い! 

18日 株だけが高いのはなぜ?  

11日 「山を歩く」は意外なこと 

4日 深澤遊『枯木ワンダーランド』築地書館  

2月

26日 TVにもの申す市民ネットワークを  

19日 小澤征爾逝く  

12日 原木入手と倒木騒ぎ  

5日 国政を改革する法律は国会議員には作れない  

1月

29日 災害対応のお粗末さに想うこと  

22日 中村文則『列』(講談社) 

15日 お正月に見た映画  

8日 ビリー・ジョエルが東京ドームでやるそうだ  

1日 また一つ歳をとった


2024年6月10日月曜日

見事な伐採作業!

 

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すでにこの欄で書いたように、隣地を購入して、生えている松の大木を伐採することにした。新しい土地に何かを作ろうというのではなく、松の枝が折れて落ちて屋根に当たったりして危なかったからだ。それに、別の隣地の赤松が強風で折れてしまったこともあった。伐採には、ストーブを購入して、原木を運んでもらっている木材屋さんにお願いした。松は20m以上あるから、ただ切って倒すというわけにはいかない。家もあるし、大きな欅の木もある。それで大型のレッカー車を使うことになった。当日やってきたレッカー車の大きさにびっくり。よくもまあ、ここまでの細い道をやって来れたものだと感心した。

forest201-2.jpg 作業はレッカーに吊るした檻のようなものに乗って松の上まで行き、ワイヤーをかけるところから始まった。そうしておいて根元からチェーンソウで切り、宙づり状態にしてブルドーザーと連携して少しずつ寝かせて、4mほどの長さに刻んでいった。最初の松を20分ほどで片づけたが、他の木を傷つけぬようにして行うその手際の良さにびっくりした。レッカー車を操縦する人、ブルドーザーを操る人、そしてチェーンソウで木を切る人。三人の連携が見事だった。

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forest201-7.jpg 伐採する松は全部で6本、それに栗の大木と、別の場所の桜の木が2本だった。伐採した木は作業の邪魔にならないように、置き場所を次々変えて行く。そして次の木にとり掛かる。記録係としては、iPhoneを持って、あっちこっち動き回って忙しい限りだった。もちろん、邪魔にならないよう細心の注意を払いながらである。切った後の切り株の大きさにまたびっくり。一番の大木は4.5トンもあったということだった。作業はほぼ午前中で終わり,レッカー車はすぐに退場した。昼休みをはさんで,午後に桜の木を切り、松の木を一ヶ所に積み上げて終了,ご苦労様でした。

forest201-8.jpg さて、栗と桜の木は薪にするとして、積み重なった松はどうするか。考えていることはいくつかあって、それはまた、この欄で紹介しようと思う。いずれにしても,枝だってバカにならない量で、山のように積み重なっている。片づくのは果たしていつのことになるやら。明るくなったところには新しい木を植えようと思うが,これも何にするか。林檎などの実のなる木がいいのだが、鹿はともかく,熊が来たら困ってしまう。実際、家のまわりをうろついた形跡があるからだ。いずれにしても大変やら楽しいやらの出来事だった。

2024年6月3日月曜日

とんだ1泊旅行だった

 
花畑が見られる時期に伊吹山に行こう。これは何年も前から考えていたことだった。で、今年こそと実現しようとしたのだが、とんでもない天候で行くことが出来なかった。庭の松の木の伐採が終わったら伊吹山に行こうか。そんな話をして宿の予約をしたのは半月ほど前だった。1週間ほど前の天気予報では雨マークがついていたが、何しろ僕ら夫婦は晴れ男と晴れ女で、めったに雨に降られたことがない。そう思って予報の変化を期待していたのだが、2日ほど前になっても雨は変わらなかった。それどころか大雨の予報である。さて、どうしようか。ちょっと高い宿を予約したからキャンセル料がもったいない。そんな気持ちも働いて決行することにした。

最初の旅程は家から新東名に出て名神の関ヶ原インターで降りて伊吹山ドライブウェイを山頂まで行き、しばらく散策して郡上の山奥にある宿まで行くというものだった。2日目は高山から松本に帰るとしていたのだが、翌日が晴れだったから、伊吹山は2日目に行くことにした。宿までのコースだが、松本から高山を考えて、中央高速で出かけた。最初はそれほどの雨ではなかったのだが、諏訪湖に近づくあたりから土砂降りになって、これは高速を使った方がいいと思い、そのまま中央高速を走り、東海環状道から東海北陸道で郡上八幡で降りた。雨は断続的に土砂降りになり、時には前が見にくくなるほどだった。

gujo1.jpg 郡上八幡は一昨年に能登に行った帰りに通過したが、訪れるのは初めてだった。長良川と合流する吉田川沿いの谷間に出来た街で、雨にも関わらず観光客が大勢歩いていた。そば屋で自然薯入りの蕎麦を食べて、せめてお城ぐらいはと、傘を差して歩いたのだが、背中も足もびしょぬれになるほどの雨だった。そこからかなり早かったが、宿に向かい、2時前にはチェックインして温泉につかった。晴れていれば満天の星が見えるはずだったが、大雨で、すぐ近くも何も見えなかった。夕食時から警報を告げるチャイムが何度も鳴った。通って来た道路も通行止めになったようだった。

翌日は天気が回復して、伊吹山に行けると思ったのだが、カーナビで行き先をセットすると100 km先に通行止めがあるいう。ちょうど伊吹山の辺りで、スマホで調べるとドライブウェイで土砂崩れがあって終日通行止めと出てきた。それでは仕方がないと、高山経由で帰ることにした。時間的に余裕があるから下道を北上すると、長良川最上流の夫婦滝という表示を見つけた。水量が多くて豪快な滝だったが、普段は二つに分かれていて、だから夫婦滝というのだということだった。そのすぐ先には太平洋と日本海(富山湾)に別れる分水嶺があった。小川とも言えないほどの小さな流れで、それが左右に別れている。本当かどうか疑わしいほどの流れだが、きっとそうなのだろうと思うことにした。

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fallenbirch.jpg で、高山の町を通り抜けて、上高地から松本に出て、中央道で家まで帰った。走行距離はおよそ700kmで、何のことはない、ドライブしただけの旅行だった。ところが帰宅すると、あたりに枝が散らばっている。それどころか、庭の白樺の木が根こそぎ倒れて、工房に寄りかかっていた。留守中にものすごい風が吹いたことがわかる有り様だった。知らぬが仏だが、こんな日に出かけるとはいい歳をして何と無茶なと、反省するばかりだった。しかし、伊吹山には絶対行きたい。そんな気持ちもますます強くなった。