『白い牙』(新潮文庫)
『犬物語』(スイッチ・パブリッシング)
アーヴィング・ストーン『馬に乗った水夫』(ハヤカワ文庫)
・ジャック・ロンドンの代表作は、日本では『白い牙』だろう。オオカミが主人公で、人間との関わりが物語になっている。犬の血が混じった雌オオカミが子どもを生む。そのオオカミが人間につかまり、闘犬にされたり、そり犬にされたりする。しかし主人公はそのオオカミだから、物語はオオカミの視点で進行する。ここでは人間もまた、オオカミと同じ動物の一種に過ぎない。むしろ勇敢さや気高さを持ったオオカミに比べて、登場する人間の多くは、ずるがしこく冷血で、信用できない者たちばかりだ。舞台はアラスカという極寒の地で、そこに集まるのはゴールド・ラッシュに心を奪われた者たちばかりなのである。
・だからオオカミは決して人間に心を許さないが、例外的に信頼できる男が現れる。オオカミとしての野生の血と、少しだけまじった犬の血が、さまざまな人間に対する微妙な距離感をつくりだす。このオオカミはその意味で自我を持ち、自分の判断に従って、自分の生き方をきめる存在だ。人間よりもはるかに高潔で、しかも思慮深い。
・『犬物語』はいくつかの作品を集めたもので、『火を熾す』と同様、柴田元幸が選んで訳し直したものである。その中で中心になるのは「野生の呼び声」と名のついたロンドンの動物文学の代表作とを言えるものである。この作品に登場するのはオオカミではなく、生まれた時から人に飼われていた犬である。セントバーナードとシェパードの血を継ぐ主人公が盗まれ、ゴールドラッシュに湧くアラスカに送られる。犬はそこから、オオカミに接触することで、やがて野性に目覚めていくことになる。
・この作品でも主要なテーマは野生の血と飼い慣らされた血の間に生まれる葛藤とせめぎ合いということになる。訳者が指摘しているように、ロンドンにとってオオカミは理想の自我を体現する存在であり、犬は飼い慣らされたものである。その間で揺れ動く主人公は、まさに作者であるジャック・ロンドンの生き様そのものだったようである。
・『馬に乗った水夫』はアーヴィング・ストーンによるジャック・ロンドンの伝記である。それを読むと、野生や自由に対する憧れと、名声や金へのこだわりとの間で大きく揺れ動き、生き急いだロンドンの人生がよくわかる。幼い頃から家計を助けるために働き、学校には馴染めないが図書館で本をよむことには夢中なる。冒険を好み、船に乗って大海に出て、アラスカに行って犬ぞりに乗る。そんな経験を元に小説家になり、稼いだ金をまた冒険や大農場に使う。そして家族はもちろん、多くの人をもてなすためにも金を稼ぎ、散財する。あるいは資本主義社会が出来上がりつつあるアメリカ社会を批判して、社会主義にもとづく世界を打ち立てることにも力を尽くす。彼はまた20世紀の初めに、アメリカにマルクス主義を根づかせることに奔走した人でもあったようだ。
・ジャック・ロンドンは40歳の時に自殺をしている。動物文学やプロレタリア文学の祖とも言われるが、それ以外にも残した作品は多い。それはいくつもの冒険を実践し、アメリカ社会への批判の目を持ち続けたからこそ書けたものだが、この伝記を読むと、書くことが彼にとって必要な金を手に入れるためのやむにやまれぬ活動であったことがよくわかる。彼の作品はほかにもたくさん翻訳されていて、さらには、まだまだ訳されていないものが数多くあるようだ。さて、もっと読もうかどうしようか。しばらく間をおいてから決めようと思っている。