2025年7月28日月曜日

鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』中公新書

 

イスラエルのパレスチナ破壊と虐殺が続いている。すでにガザ地区の8割以上の建物が壊され、5万5千人以上が殺されたと報道されている。人々はテント生活で食料は配給に頼るしかないのだが、その配給体制が妨害されたり、配給所に爆撃や発砲が行われたりしていると言う。あまりのひどさに鬼か悪魔の仕業かと思う。そんなイスラエルの暴挙に対しては、世界中から批判の声が挙がっているし、イスラエル国内でも反対運動が起きている。

僕はユダヤ人から多くのことを学んできた。それはたとえば、哲学者のW.ヴェンヤミンや精神分析学者のS.フロイトであり、社会学者のE.ゴフマンやZ.バウマンであったりする。他にも作家のP.オースターもいれば、ミュージシャンのB.ディランなどもいて、あげたら切りがないほどたくさんになる。こういった人たちから受けた影響は、僕の中で血や肉になって、僕自身を形作ってきた。しかし、ユダヤ人がどういう民族で、どのような歴史のなかで現在に至っているのかや、イスラエルという国がどういういきさつで生まれたのかについてはあまり知らなかった。

jewish1.jpg 鶴見太郎の『ユダヤ人の歴史』に興味を持ったのは、題名ではなく著者名だった。僕が強い影響を受けた鶴見俊輔の息子がユダヤ人の研究者になったのか。そう思い込んで購入し、読んだのだが、実際には同姓同名の別人だった。しかもそのことに気づいたのは、あとがきに著者の父や母のこと、そして同姓同名の別の研究者がいることが書いてあったからだった。そう言えば鶴見俊輔とは文体も発想の仕方もずいぶん違う。読みはじめてすぐに、そんな印象も持っていたのだが、疑うまでには至らなかった。ちなみに、もう一人の鶴見太郎は柳田国男などを研究対象にする民族学者である。

この本は新書だから、一般向けに書かれているのだが、ユダヤ人の歴史の詳細さと文献の多さに感心し、また辟易としながら読み進めた。いちいち確認したり、覚えていたりもできないから、古代から中世にかけては、ただ読み飛ばすような読み方をした。ユダヤ人の祖先、ユダヤの王国、ユダヤ教の成立、そしてギリシャやローマ帝国、キリスト教との関係、さらにはアラブの王朝やイスラム教のなかでの身の処し方や生きのび方等々である。イスラム世界の中で、そこに共存しながら同化せずに独自の民族性を保つ。そんな方策は近代化とともにイスラム世界からヨーロッパに移動した後も生かされることになった。

しかし、その場に同化しながら同時にユダヤとしての独自性も維持していくやり方は、農村から都市への移動によって弱まっていくことになる。革命によるロシアからソ連への変化やヒトラーの登場が、反ユダヤ主義と「ポグロム」(反ユダヤ暴動・虐殺)を起こし、ホロコーストになる。ユダヤ人の新天地としてのアメリカヘの移動を加速化させるが、同時に、パレスチナにユダヤ人の民族的拠点を作るという「シオニズム」を生むことになったのである。「シオニズム」はヨーロッパではなくソ連の中で発展した思想である。だからイスラエルには「キブツ」のような共産主義的な政策が取り入れられた。

1939年のユダヤ人口が1700万人で、600万人がホロコーストで殺され、450万人がアメリカに移住した。建国当時のイスラエルにおけるユダヤ人の人口は72万人に過ぎなかったが、1947年の国連によるパレスチナ分割決議で、人口としては3割に過ぎなかったイスラエルに土地の6割が与えられた。それが建国と同時に始まった第一次中東戦争の原因になるが、イスラエルが勝利することによって、分割決議以上にイスラエルは国土を拡大させることになった。

その後もイスラエルの人口は増え続け、パレスチナの土地を侵食するようになる。その結果がパレスチナのハマスによる攻撃であり、その報復が現在も続く破壊と殺戮である。現在のイスラエルの人口は700万人を超えているが、アメリカにはそれに負けないほどの600万人のユダヤ人がいて、イスラエルを強固に支えている。国が滅び2000年以上も流浪の民として生きてきた人々が、今度はパレスチナの人々を追い出しにかかっている。どんな主張をしても決して許されない蛮行だと思う。

2025年7月21日月曜日

差別が大手を振る世界になった

 

参議院選挙の期間になって、テレビや新聞の報道が今までと違うことに気がついた。安部政権以降選挙になると沈黙していたのに、今回はにぎやかに報道したのである。しかも特定の政党の公約を批判したりしている。自民党の力が弱くなって、やっと元に戻ったなと思う。けれどもそれで新聞やテレビの影響力が増したかというと、決してそうではない。今回もまた投票に与えるネットの力が再認識されたのである。

ネットが選挙の結果に影響を与えるようになったのは、2024年6月に行われた東京都知事選挙からだった。選挙での演説がSNSにアップされ、それが支持者によって拡散されて、何万、何十万、何百万と受け取られる。食いつきやすい、印象に残りやすい話が、その真偽が確かめられぬままに広がっていく。こんなネットを駆使したやり方をした候補者が、当選した現職知事に次ぐ票を獲得したのである。人気もあり、強い組織もあって対抗馬と思われていた候補者を破ったことで、大いに話題になったのはまだ記憶に新しいことだろう。

このような現象は、辞職した県知事が立候補して、まさかの再選を果たした兵庫県知事選挙でも繰り返された。知事のパワハラなどが内部告発されたことに対して、告発者が逆に追いつめられて自殺した。そのことが問題となって辞職をしたのだが、間違ったことはしていないという知事の主張が拡散されて、まことしやかに受け取られての再選だった。この問題は県の百条委員会の調査報告書でもその非を告発されたが、知事は知らぬ顔を決め込んでいる。

先月行われた東京都議会議員選挙には、都知事選で次点になった候補者が「再生の道」という新党を立ち上げて42人を立候補させた。都知事選の結果から大いに注目されたが、全員落選という結果だった。党としての政策はなく、候補者個々に任せたといったやり方が支持を得なかったのだが、これはSNSさえうまく使えば支持を得られるわけではないことも明らかにした。

そして参議院選挙である。はじめはそうでもなかった「参政党」が期間中に支持を急速にあげて、野党で3番目の議席を獲得した。既成政党を蹴散らしての躍進の理由は「日本人ファースト」というスローガンだったと言われている。トランプが掲げた「アメリカ・ファースト」と似ているが、「日本」ではなく「日本人」と限定しているところに、この党の特徴がこめられている。

トランプ大統領のやり方は、自分があたかも地球を支配する帝王であって、他の国々は自分の命令に服従して当然だとするものである。しかし、アメリカの産業を復活させるために輸入品に高い関税を課すといったやり方自体が、アメリカの凋落を示すものだから、どんなに強く出たって、アメリカの衰退をさらに進めるだけだろうと言われている。そもそもトランプを支持するのは、オバマ以後に現れた白人以外の勢力や、LGBTQのような多様性を支持する人たちの拡大に恐れる保守的な白人層なのである。ここには明らかに人種や性別、そして宗教にまつわる根強い差別意識がある。

では参政党はどうか。その主張は国内に向いていて、日本人以外の人たちを差別して当然だと考えている。そのためには外国人が日本人より優遇されていることをあげつらえばいい。単純に言えばそんな主張だが、その根拠になるものはほとんどが、誇張や嘘であった。この党には天皇制を基本にした「ナショナル」な一面が強烈だが、他方で、オーガニックなものの大切さを説くという「ナチュラル」な一面もある。ポスターや広告のセンスの良さが、若者層に受ける理由だとも言われている。

弱い者を攻撃して溜飲を下げる。その非をあげつらって自己正当化をする。訴える力があればどんなに誇張したって構わないし、嘘でもなんでもいい。SNSはそんな無政府状態のとんでもない世界になっている。受け止める側の知識や姿勢が試されるが、そんなメディア・リテラシーはまったく育っていない。最近の選挙で何より痛感したことである。

2025年7月14日月曜日

ブライアン・ウィルソンについて

 

brian1.jpg ブライアン・ウィルソンが亡くなったという記事を見つけて、そう言えば「スマイル」というアルバムを買ったな、と思い出した。ブライアン・ウィルソンはビーチボーイズのリーダーで、楽曲のほとんどを作っていた。1960年代の前半の頃で、陽気なサーフィン音楽で人気があった。僕はほとんど興味がなかったし、ボブ・ディランやビートルズに興味を持って以降、彼らの存在はほとんど忘れてしまっていた。

「スマイル」は2004年に発表されている。ビーチボーイズには何の興味もなかったのに、なぜこのCDを買ったのか。多分この作品とブライアン・ウィルソンをテーマにしたドキュメントを見たからだと記憶している。もともとこのアルバムはビーチボーイズとして1967年に発売される予定だった。それが未発表になったのは、ブライアンが思うようなサウンドに仕上げることができず、精神的に悪化して完成させることができなかったからだ。

サーフィン音楽でヒット曲を連発していたビーチボーイズに転機が訪れたのはビートルズの出現だった。その新鮮なサウンドに刺激を受けたブライアンは、それに負けない新しいサウンドを作りたいと思った。それは音を重ね合わせる「ペットサウンド」としてビーチボーイズに新しい側面をもたらしたが、それで必ずしも人気が増したわけではなかった。今までと同じものを作ってほしいというレコード会社の要求に逆らって、ブライアンの作り出す音楽はますます複雑なものになっていった。

それはロックンロールがロックになり、アルバムがヒット曲の寄せ集めではなく、1つのテーマを持った作品として見なされるようになった60年代後半の音楽状況にはあっていたが、ブライアンの周囲の人たちとは相いれない部分が多かったようだ。うまく作品ができないことと、バンドのメンバーや周囲の人たちとの軋轢などがあって、彼の心は壊れていったのだった。

「スマイル」はそこから40年近くたって完成した。もちろん、収録されているのはブライアン一人で歌ったものである。その中には「グッド・ヴァイブレーション」のように、ビーチボーイズとして60年代後半にヒットした曲もある。ビーチボーイズ自体はメンバーの変更や分裂などにもかかわらずブライアンの死まで続いていたようだ。彼の死によって改めて探すとアマゾン・プライムに「ブライアン・ウィルソン  ソングライター ザ・ビーチ・ボーイズの光と影」というドキュメントがあった。2012年に作られたもので、3時間を超える長編だが、ブライアン・ウィルソンが歩いた、起伏の大きな歩みがよくわかった。

2025年7月7日月曜日

加湿と除湿

 

journal5-221-1.jpg真冬に零下10度ぐらいまでになる我が家では、11月の末から4月の初めぐらいまで薪ストーブを炊いています。この季節は当然湿度も下がりますが、家の中を20度前後に暖めるとその分、強力に加湿する必要が出てきます。40~50%を維持しようと思えば、ストーブの上にいくつも鍋ややかんを乗せる必要がありますし、これ以外に加湿器を3台置いてほぼフル稼働にしなければなりません。外と中の寒暖差は大きい時で30度にもなりますが、湿度の差も30%以上になるのです。

その加湿器の1つが壊れて新しいものを買おうということになりました。なるべく強力で、しかも静かなものをと探しましたが、どうせなら除湿もできるものはないかと思うようになりました。我が家にはエアコンはもちろん、数年前まで扇風機もありませんでした。真夏に30度を超えることなどめったになくて、その必要性を感じなかったのです。ところが暑さに我慢ができない日があって、扇風機を2台購入しました。それで何とか暑さをしのいできたのですが、年々暑さがひどくなって、そのうちエアコンが必要になるかもと思うようになりました。

我が家は松や欅の大木に覆われています。それで直射日光を避けて温度も低いのですが、その分湿気がたまります。毎年梅雨の季節になると家の中がかび臭くなって、何とかできないものかと思ってきました。エアコンをつければ除湿もやりますが、それは30度超えが当たり前になってからの話です。そこで加湿と除湿が強力にできる機種を探すことにしました。いくつかあって音が小さくて強力だという製品を購入することにしました。別売のフィルターなどと合わせると14万円もする、思い切った買い物でした。

journal5-221-2.jpg 3月末に購入してしばらくは、その日の天気や湿度に合わせて加湿だったり除湿だったりしましたが、5月になると、せっせと除湿をするようになりました。梅雨の前触れで雨の日が続きましたが、湿度は60%前後で推移して、例年ならかび臭くなる時期になってもその気配がありませんでした。6月になると真夏のような温度になり、我が家でも30度を超える日が数日ありました。その時、天気予報を見て、湿度は温度の上昇とともに下がることに気づきました。そこで日中の数時間は窓を開放して風を入れることにして、夕方から朝にかけては窓を閉めて除湿器を使うことにしました。これで何とか60%台後半の湿度を保たせることができています。

マニュアルにはフル稼働で1日9リットルの除湿をするとありますが、タンクは3リットルですから8時間で満杯になるということになります。5~6時間置きに空にしますが、たまった量には驚くばかりです。まるで我が家に泉ができたように感じてしまいました。もっとも冬場はその何倍もの水をストーブの上に置いていますから、空気中にはかなりの水分があることはわかっていました。しかしそれでも、吸い取った水の量には改めて驚いてしまいました。


例年にない早い梅雨明けで、全国的には猛暑が続いています。おそらく我が家でも30度超えの日が当たり前になることでしょう。その暑さを除湿器で乗り越えることができるか。毎年悩まされていたカビを克服することができるか。それはまた、夏の終わりに報告することにします。もうひとつ、この機種には洗濯物を乾かす機能もあって、その威力は何度か試しましたが、早々と梅雨が明けたので、しばらくは使う必要がなくなりました。

2025年6月30日月曜日

大相撲について気になること

 

豊昇竜に続いて大の里が横綱になって、大相撲が活況を呈している。照ノ富士一人だった4年間から、一気に二人ということになり、日本生まれの横綱が稀勢の里以来7年ぶりに誕生したのである。その大の里は幕下付け出しからわずか2年で最高位まで昇りつめている。すでに4度の優勝をしているから、白鵬以来の大横綱になるのではと期待されている。

そんな大相撲だが、他方で白鵬(宮城野親方)が相撲協会を退職して話題になっている。弟子の暴力問題で部屋が閉鎖され、その謹慎期間が1年経っても解除されないというのが理由だった。相撲協会のこの処置については厳しすぎるのではという批判も起こっていて、同じ理由で相撲協会をやめた貴乃花の件も合わせて話題になっている。

現在の理事長は横綱北勝海の八角親方で2015年からの長期政権である。その間に八百長問題があり、コロナ禍での無観客場所もあって、大きな難局を乗り越えてきたと評価されている。しかし大横綱で将来の理事長と目されていた貴乃花や、優勝回数や通算勝利数で歴代一位の白鵬を退職に追い込んだことで、その政治的な野心も批判されている。現在62歳だから65歳の定年まで理事長を務めるのではないかと言われているし、定年延長さえもくろんでいるといった批判も起きている。

そういった内実は僕には分からないが、そもそも彼が理事長になる前の千代の富士との間にも確執があったようだ。北の湖理事長のあとは当然千代の富士と言われていたのになぜ、弟弟子の北勝海だったのか。そこには千代の富士の傲慢さに対する協会理事たちの批判や不信があったようだ。北の湖理事長の急死で北勝海が理事長になり、まもなくして千代の富士も亡くなることになったのである。

もちろん、理事長になろうとする意欲は貴乃花にも白鵬にもあった。と言うよりありすぎたと言った方がいいかも知れない。そのために協会の理事たちの信頼を勝ち得ることはできなかったと言われている。それは大相撲の世界の旧態依然とした古さのせいだと言うこともできるだろう。とは言え、千代の富士が北の湖の後の理事長になり、その後を貴乃花が引き継いで現在に至っていたとしたらどうだろうか。もっと良くなっていたか、悪くなっていたかはわからない。

ところで、テレビ中継に解説者として出る親方たちが例外なく連発することばに「やっぱり」がある。気になって「うるさい」と言いたくなるほどだし、ほとんど例外なく誰もが使うから、親方同士はもちろん、親方と力士、そして力士同士の間でも良く使われているのだろうと思う。「やっぱり」は「やはり」から変化したもので、思った通りとか予測通りといった意味で、結局は同じ結果になるさまに使われることばである。このことばが相撲界で良く使われるということは、昔から言われてきた伝統の正しさやそれに従うことの当然視が骨の髄までたたき込まれているのでは、といった疑問を感じてしまう。

そう言えば解説者としての北の富士から、「やっぱり」を聞いた記憶はない。なろうと思えば理事長になれたかもしれなかったのに、親方も辞めて解説者になった。そんな旧態然とした相撲界とは距離をとった彼と、弟子だった八角理事長との関係はどうだったんだろう。そんなことも気になってきた。ともあれ大相撲は新しい時代になりつつある。華やかな土俵の裏に闇の世界があるとすれば、「やっぱり」ではなく、時代の変化に合わせて変えていってほしいと思う。

2025年6月23日月曜日

丸太富士と野鳥の巣箱

 

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伐採した松の木を薪にした後に残った大木をどうするか(下左)。あれこれ考えて、富士山を作ってみることにした。一番細い木をまず、一人で起こせる110cmの長さに切って、その3本を中心に置き、後は細いものから太いものへ90cm、70cm、50cm、30cmと刻んで、まわりに並べていった。丸太の間はおがくずや皮で埋めて完成。早速パートナーが山登りをした。我が家の海抜は850mほどあるから、丸太富士の頂上は851mということになる。ほんのわずかだが、上に登ると景色が変わって見えるから不思議だ。

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野菜畑で順調なのはスナップエンドウだけで、これはもうおいしくいただいた(左上)。プチトマトやキュウリも花が咲いて小さな実がつきはじめているから、もう少ししたら食べられるかも知れない(右上)。アスパラガスは細いのが数本出てきたが、1年目はそのままにして根を育てた方がいいようだ(左下)。ジャガイモはひょろひょろと背丈が伸びてしまっている。調べると栄養過多とあった(右下)。アンデスの痩せた土地で育ったのだから、次から日当たりのいい所に肥料を入れない畑を作ろうと思う。

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先週紹介した『僕には鳥の言葉がわかる』に触発されて巣箱を二つ作って松と欅につけた。もう子育てが済んでいるから入らないと思うが、一度だけ覗きに来たのを見かけた。来年のためにもっと作ってみようか。シジュウカラの入り口は28mmとあった。他の野鳥のために、大きさもいろいろ変えてみようと思っている。

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2025年6月16日月曜日

鈴木俊貴『僕には鳥の言葉がわかる』小学館

 

森の中に住んでいるから、いろいろな野鳥の鳴き声が聞こえてくる。だんだんうまくなるウグイスのホーホケキョーやホトトギスのテッペンカケタカは楽しいが、身体の大きいヒヨドリや籠脱け鳥のガビチョウはやかましいだけだ。そんなふうに勝手に聞いているだけだったが、その泣き声に意味があって、鳥同士でコミュニケーションをしているという指摘には驚かされた。

bird3.jpg シジュウカラやヤマガラは我が家でもよく見かける野鳥である。その鳴き声は良く聴いていたのだが、それに意味があるとは思わなかった。ところがこの本によるとシジュウカラの「ピーツピ」には「警戒しろ」、「ヂヂヂヂ」には「集まれ」の意味があって、「ピーツピ・ヂヂヂヂ」で「警戒して集まれ」になるという。何か餌になるものが大量にある時などに、仲間に知らせるために鳴くというのである。この鳴き方はもちろんタカやカラスなどが近づいた時にも使われるようだ。

著者の鈴木俊貴は現在では世界的に著名な動物言語学者で、シジュウカラの観察を20年ほど前の大学生の時から始めている。学部の卒論を書くために軽井沢にある大学の山荘に3ヶ月間滞在し、ヒマワリの種を置いてシジュウカラを集め、その鳴き声を記録し、その行動を観察したのである。その最初から「ピーツピ・ヂヂヂヂ」が「警戒して集まれ」になることはわかったのだが、それを実証するための観察が、その後大学院に進学し、博士論文を書き、動物行動学の雑誌に投稿する作業として十数年も繰り返されたのである。

多くの事例を得るためには巣箱をたくさん作り、毎年出かける必要がある。それは大変な作業だが、それを何より楽しんでやってきたことが、この本を読むとよくわかる。シジュウカラは街中でも良く見かける野鳥だが、それを見つける術もだんだんうまくなり、軽井沢に行かなくても観察できる機会が増えてくる。いやいや、ここまで来ると完璧なオタクだが、観察結果を逐次論文にして投稿し、それが次第に世界的な注目を集めるようになっていったのだから、読みながらもう感心するしかなかった。

しかもすごいのは、この研究の価値が単に野鳥の鳴き声の意味に限定されるものではないことだった。そもそもことばはギリシャのアリストテレス以来、人間しか話さないものだとされてきて、それは動物行動学においても自明の理だった。動物が鳴いたり吠えたりするのはことばになる以前の感情表現であって、そこには意味を伝える意図などはないとされてきたのである。著者はそこに疑問を呈して、シジュウカラがことばを使ってコミュニケーションをしていることを、豊富な観察記録から実証して見せたのである。

だから著者はその専門分野を「動物言語学」としているが、これは彼が命名し、最初に名乗った領域である。これが鳥類だけでなく、他の動物の研究にも応用されていく可能性があるはずだから、それがすごい発見であることは間違いない。そうであれば「動物言語学」が、日本でも盛んな霊長類研究などからなぜ生まれなかったのか不思議だが、「ことばを話すのは人間だけ」が邪魔をしたのだろう。もう一つ、この本がすごいのは、そんな最先端の研究なのに、ごく軽い読み物になっていることである。