1997年6月10日火曜日

学生の論文が読みたい!!

 

  • このホームページには一日平均10名ほどの人がアクセスしているようだ。多くないような気がするが、しかし1年間にしたら4000名弱になる。これはけっして小さな数字ではない。その中から、メールを送ってくる人は、週に一人といったところだ。これも1年にしたら50名ほどになるから、かなりの数になる。けれどもこの程度なら、返事を出し、注文に応えることは苦にならない。
  • メールの中で一番多いのは、何といっても学生の卒論についてである。特定の論文を指定したメールが、これまでに9通来た。しかし、すぐには送らない。誰が、どんな目的でその論文を読みたいと思っているのか?そこを確認してから、送るようにしている。単なる冷やかしで請求されたらかなわないし、ちゃっかり借用して、自分の論文として提出してしまおう、などというヤカラがいないとも限らない。
  • で、最初に来たのは、九州の女子大学に勤務する新米の先生からだった。メールには「大学で教えはじめたところでゼミの運営の仕方も論文の指導法もわからず困っています。」と書いてあった。考えてみれば、小中高の先生になるためには教職課程の授業があるし、教育実習もあるのに、大学の先生にはない。冗談ではなく、教え方や学生とのつきあい方を習う機会がまったくないのである。大学の先生の授業がおもしろくないはずだと、あらためて考えてしまった。最近の学生には、指示待ち人間が多いから、ほっておけば何とかするというわけにもいかない。ぼくはさっそく、卒論集のバックナンバーを郵送した。同じようなメールが他に1通あった
  • 学生からの注文は、基本的に断ることにしている。かわりに、テーマについての文献をわかる範囲で紹介する。これが4通ほど。しかし、以前に書いたミネソタ大学の学生からの依頼の時には、例外的に論文を送った。
  • 残りの3通は、最近の若い人の考えていることを知りたいというものだった。これについては、簡単な自己紹介をしてもらった上で、注文に応えることにした。その際、是非感想をお寄せくださいと書いたのだが、今のところ、こちらの希望に応えていただいたのは一人だけである。彼女が希望したのは『鴻上尚史論』である。
  • 実はこの論文は、けっしていいできとは言えない。どうも、できのよくないものにばかり注文が来る傾向があって、困っている。けれども、おもしろがって読んでくれる人があることには、感謝しなければならない。メールはもちろん、今のゼミ学生にも伝えているが、「よし、はりきろう」というよりは、「やばいゼミに入ってしまったな」という反応の方が多くて、ちょっと拍子抜けしてしまう。

  • ところで私は、現在、J女子大学に在学しております。一度社会に出ておりますので、年齢は、いわゆる新人類後期世代にあたるかと思います。
  • 私もかつて演劇をやっていたことがあります。そして、鴻上尚史を敬愛しておりました。今年、2月に5年ぶりの「第三舞台」の代表作、「朝日のような夕日をつれて」の再演があり、楽しみにしておりました。(私は85'の「朝日………」から「第三舞台」の作品は欠かさず見ております)が、私としては、鴻上が変わっていてくれなければもう「第三舞台」からは、卒業かもしれない、とおもっていました。それだけ、時代は変わっていると言うか、自分も変わっているからです。
  • あんのじょう予想どうりでした。それでは、若い「第三舞台」支持者はどう思っているのだろう、と思いました。そこで、この論文を読んでみたいとおもったのです。
  • 論文を読むと、今の若い子も、自分が若かったときと同じような気持ちで、「第三舞台」を見ているのだということがわかりました。きっと、今のような不透明な時代がつづくかぎり、鴻上の作品は、若者たちにとって普遍的なテーマとして生きつづけるのでしょう。
  • 卒業と言いながら、やっぱり鴻上は気になります。今度、国からの要請で、イギリスに留学するそうです。帰ってきてからの新作に期待したいと思っています。(H.K.)
  • 0 件のコメント:

    コメントを投稿

    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。