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たけしの映画には暴力がつきものというけれど、一つだけほとんど暴力とは無関係な映画がある。『あの夏、いちばん静かな海』。聾唖の若いカップルの物語。湘南の海岸とサーフィン。テレビでメチャメチャやってるたけしが、こんな静かな映画を作るのかとびっくりしながら見た。
・『HANA-BI』には暴力と静寂さの両方がある。主人公の刑事(元)は映画の中ではほとんどしゃべらない。黙っていて、抑えきれなくなると、いきなりパンチをとばす。血飛沫が上がって、見ているだけでも痛さが伝わってくるような描き方をする。後輩の刑事のあっけない死。撃たれて下半身が動かなくなった刑事は家庭崩壊。生きる支えにとたけしは絵を描くことを勧める。その元刑事が描く絵が、映画の中では重要な役割を演ずるが、実際に描いたのはたけしである
・主人公の妻は岸本加世子が演じているが、彼女もほとんどしゃべらない。彼女もまた子どもを失って傷ついている。それに治る見込みのない病気にもかかっているようだ。彼女がセリフらしいことばを発するのは最後だけ、たけしに向かって「ありがとう」というところだけだ。静かさとこらえていて時折暴発する怒り。見た第一印象はそんなものだった。
・ビート・たけしのテレビ番組をぼくはあまり好きではない。ほとんどアドリブの悪ふざけ、悪態、毒舌。小気味よく感じることもあるが、ちょっと長く見ているとうんざりしてしまう。超売れっ子の彼がまめに映画を作りつづけている。そんなにヒットするわけではないから、テレビで稼いだ金を映画に貢いでしまっているのかもしれない。そんな彼を見ていると、息苦しくなるほど生き急いでいるように思えてしょうがない。そんな風に考えると、彼のテレビでの言動にはまた違った意味あいを見つけたくなってくる。彼は映画とテレビの両方で、いったい何を表現しようとしているのだろうか。
・子どもたちが突然切れて、とんでもない暴力を振るう事件が続発している。断定できるものではないが、ぼくは小さい頃から暴力はいけないと教えられて内面化した抑圧が問題なのではないかと考えている。暴力というよりは「怒り」をコントロールすべを知らないのだ。あるいは、日頃つきあう大学生たちが「友だちがほしい」といいつつ、仲良くなるきっかけをつかめないでいたり、互いに意見を言い合ったり批判をしたりすることに極端に慎重であることも気になっている。触れあうことやぶつかりあうことができないのだ。そして大人達はといえば、相変わらず、暗黙の了解が通じる社会に安住したがっている。実際には、そんな関係はすでに
・ビート・たけしの主張は、こんな社会の現状や、そこで何の声も上げようとしない人びとへの恫喝、あるいは暴露なのかもしれない。そのために彼はエネルギーと時間を極限まで使って、自らをさらけだそうとしている。『HANA-BI』を見てしばらくしてから、そんなことをふと考えてしまった。