・ウッディ・アレンの映画は監督・主演で、彼自身の素顔を覗かせる手法がほとんどだが、最近の彼の映画ではますます、そこが強調されるようになった。ぼくは彼の映画のなかでは『アーニー・ホール』が一番気に入っているし、共演している女優も、ダイアン・キートンが好きだ。だから、ミア・ファーローが出るようになってからの映画は必ずしも熱心に見たわけではなかった。けれども、彼女との離婚騒ぎあたりからの映画はまたおもしろく見ている。
・あの歳で、あの貧弱な体で、なぜあんなに女好きでセックスにこだわるのか。ぼくはいつでもあきれながら見ているが、いっこうに収まらない欲望に振り回されてうろたえ、どもってしまう彼の姿は何とも滑稽で、また悲しい。それに「いい女を見たらいまだに裸を想像してしまう」などといい、「大統領だって、これほどではない」などとつぶやくようにちゃかしてしまうウィットがいい。彼の映画を見ていると、逆に、まだ若いくせに枯れてしまったようにふるまったり、実際そう思いこみはじめている自分の方がだらしなく思えてくるから不思議だ。
・『地球は女で回っている』ではウッディ・アレンは作家で登場する。自分の女遍歴はもちろん、親や兄弟の私生活を題材にして、すべてをさらけだしてしまう小説を書いている。だから、別れた妻たちや不倫相手が、「あの小説のあの登場人物のあの場面のあのせりふはひどいじゃないの」といって主人公を問いつめる。小説は現実そのもののようでもあり、またフィクションでもあるのだが、実際のところそれは、主人公にも見分けがつかないほどにこんがらがってしまっている。
・夫や父親としてはまるでだめだが、作家としては評価されている。放校になった大学から表彰されることになって授賞式に出かける。うれしくはないが、社会的な役割は果たさなければならないし、名声にも箔がつく。しかし、行く気にはならないから、一緒にいってくれる人を探す。で、たまたま出会った売春婦と、友人、それに今は一緒には住んでいない小学生の息子を通学途中に無理矢理誘拐してつれていくことにする。ところが、大学に着く直前で友人は心臓麻痺で死んでしまう。授賞式と葬式、それに警察が彼を誘拐犯で逮捕。ストーリーと言えるものはそれだけなのだが、途中に彼が書いた小説の登場人物たちが現れて、彼の過去を再現する。その展開のさせ方は、いつもながらおもしろい。
・ウッディ・アレンの現在の恋人は、ミア・ファーローの養女だったスン・イー・プレヴィン。父と娘が男と女の関係になる。裁判沙汰になって大きなスキャンダルとして話題になったが、彼はそんなことまで、映画作りの肥やしにしてしまう。欲望と嫉妬のどろどろした世界は一歩間違えばグロテスク劇だが、それが彼の手にかかると、ニューヨークの風景とジャズ、それに、知的な会話によって、洗練されたコミカルな世界に変身してしまう。ぼくはつくづくアメリカの大統領や日本の民主党の代表より、映画監督の方が得だと思ってしまったが、しかしやっぱり、自分をここまで素材にして表現活動をすることはできそうもない。
・ところで、ウッディ・アレンの映画は、もう一つ『ワイルドマン・ブルース』も公開中である。それに人気のアニメ『アンツ』の主人公の声もやっている。ポール・オースターの『ルル・オン・ザ・ブリッジ』や『ベルベット・ゴールドマイン』もロードショー中だ。とても全部を見に行く時間はないから、どれにしようか迷ってしまう今日この頃である。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。