2003年4月7日月曜日

ドイツからの便り

  つい最近、懐かしい人からメールが飛び込んできた。タイトルは「お久しぶりです。同志社の院でお世話になったMです」。M君は10年ほど前に同志社の大学院で非常勤をしたときに受講した人で、勉強熱心ではなかったが、おもしろいパーソナリティの学生だった。何年か留年して退学したはずだが、その後の消息はわからなかった。その彼からのメールはドイツから。なぜドイツにいるのか、何をしているのか、といった説明などはなく、米英軍のイラク侵攻について、ドイツでの関心の高さと日本から届くメールの能天気さの対照に驚き、腹を立てるという内容のものだった。

でもね、昨日とか、涙出てきたんですよ。日本からくるメールとか見てて。ぼくらって「インベーダー」でしょ?………自分らのオカズが一品減るのがイヤで人殺しを「支 持」した。あのね、日本から「花見がどうの」とかメールが来たり、新聞社のサイトで「松井がどうの」ってのを見てたりすると、「本当は戦争なんか起こってない」と思うほうが自然なんですよ。ありえへん。
ご立腹はごもっともだが、日本でも各地でデモが起きている。戦争に反対する人の声はあちこちから聞こえてくる。もちろん、国としてブッシュの戦争に反対するドイツとは空気が違うのは確かだろう。ドイツにはユダヤ人もいれば、アラブ人もいる。自分の問題として考えざるを得ない状況で、その日本との落差は大きいはずだ。大学生の反応はどうか、という質問があったから、僕の掲示板に書き込んで、直接反応を確かめたらどうかと、ちょっと冷たい返事をした。


もちろん、日本人の多くは、この戦争がとんでもない愚行であると感じているはずだ。第一に侵攻を正当化する理由がない。「独裁者フセインからイラク人を解放する」などという理由が根拠のないものであることは、イラク国民の反応を見れば一目瞭然だ。国外に逃げる人がいない。逆に国外から戻ってくる人たちが多いという。空爆のなかでサッカーの試合をしている。商店街も店を開け始めた。こんなニュースを耳にすると、それでもバクダッドに攻め込もうとするブッシュの姿勢が正気の沙汰ではないように思えてくる。500万人の人が生活する大都市でゲリラ戦が起こったら、いったいどれほどの人が死ぬか。その地獄図を想像すると空恐ろしい気になる。
ブッシュは、イラクが大量殺戮の破壊兵器を隠し持っているから攻撃するのだという。しかし、アメリカがこの戦争ですでに使った兵器は、いったいどれほどの量になるのだろうか。ほとんど反撃らしいこともできない国に攻め込むのは、侵略以外の何ものでもないだろう。フセインを始末した後にはアメリカ主導の暫定政権を作るのだという。アメリカの意のままになる傀儡政権で、どの国にも、国連にも口出しはさせないという姿勢だ。 


アカデミー賞の授賞式で「ニセの大統領選挙で選ばれたニセの大統領が、インチキな理由をタテに戦争を起こしている。その恥を知れ!」といったメッセージをした人がいた。まったくそのとおりで、インチキ大統領に世界を滅茶苦茶にされたらかなわないと思う。M君の熱いメールには、「まあ、ちょっと落ちついて」と水を差すような返事を書いたが、僕もアフガニスタン侵攻の時からブッシュとアメリカの姿勢には腹が立っているし、本当に怖いのはイラクでも北朝鮮でもなくアメリカなのだと感じている。

「来年、再来年」とかが普通に来ると思えるの?それがすっごく不思議。
「終わりの始まり」やんねえ?
そのとおり。だからM君が言うように、この戦争は「許せへん!」とも思う。アメリカのエゴ、ブッシュの横暴。北朝鮮が脅威だからアメリカを支持するというのは日本のエゴだが、支持するから危険が増すのだということもできるだろう。「終わりの始まり」。文字どおり「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だ。


けれどもまた、僕の気持ちは、そう言ってすっきりできるわけではない。彼が嘆くように、僕はイラクの様子と同じように野茂のメジャー・リーグに関心があって、戦争の報道以上に熱心に追いかけてしまっている。何しろ、野茂は開幕ゲームでランディ・ジョンソンに投げ勝って、完封をしたのだ。テレビも新聞も「松井!」でうんざりだが、M君から見れば、僕の態度だって目くそ鼻くそだろう。言うまでもないが、その野球はアメリカで行われていて、ゲームの開始前には国歌、7回には「ゴッド・ブレス・アメリカ」をやって愛国心に訴えるから、その度に、水を差されるし、野球を楽しみ、愛国心の高揚に応えるアメリカ人を目の当たりにするのも複雑な気持ちを感じさせる。


世界が終われば、自分の世界も終わる。だから、今は日常のプライベートな関心を離れて、世界に目を向けるべき時なのかもしれない。けれどもまた、この戦争に反対するとしたら、その理由は、自分の小さな日常を壊されたくないからだとも言える。アホなインチキ大統領にぼくの世界を滅茶苦茶にされたらかなわない。一人の人間が強く主張できるのは、このことをおいてほかにはないはずだし、死の危険にさらされているイラクの人たちが一番強く訴えるのも、何よりそこにあるはずだ。「なぜアメリカに、自分の生活や命を奪われなければならないのか。」その切実な訴えに動揺しながら、なお複雑な思いにもじもじしている自分がいる。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。