2009年7月20日月曜日

テレビと政治

・政治ドラマにやっと区切りがつきそうな情勢になった。だらだらと続いた三文芝居のようなお粗末さで、とっくに愛想は尽きていたが、一方で、現実の社会はすっかりがたついていて、人びとの心には不安や不満が一杯だ。テレビはそんな空気を後ろ盾にして政党や政治家を批判するが、こんな状況をつくり出した原因のひとつがテレビであることにはまったく無自覚だ。それは、実はわが身の保身にしか興味のない政治家と同じレベルの意識だから、ニュースを見るのもうんざりしてしまう。

・テレビがいつも注目してくれると、自分が国民の支持を得ていて、きわめて影響力のある政治家だと勘違いしてしまうらしい。しかも、それが錯覚であることに気がつかない。宮崎県知事のそのまんま東はテレビが作った虚像だが、それだけに、宮崎県の広告塔としては、ずいぶん大きな効果を発揮してきた。ニュースだけではなくバラエティ番組にも頻繁に登場し、宮崎の宣伝に努めたから、宮崎県やその産物の知名度もずいぶん上がったと思う。しかし、それはあくまで、知名度やテレビへの露出が果たしたおかげであって、政治家としての手腕の結果ではない。

・自民党からの衆議院選挙への出馬というニュースは、彼の知名度に頼って得票数を何とか増やそうとした自民党の計算と、自分の政治家としての力を過信したそのまんま東とのズレが生んだ茶番劇だった。「総理候補にするなら出馬する」という発言は、その気がなければ、強烈なジョークとして、自民党をさらにおとしめ、彼の人気を高めた結果に終わっただろう。けれども、本気だったから、自民党も反発し、世論も呆れて見限った。その浅はかさは、やっぱり所詮は権力欲にとりつかれた芸人にすぎないことを暴露させたが、改めて、自分が政治家として実力も人気もあると思いこませたテレビの力に怖さを感じた。しかも、当のテレビには、そんな力を自省する意識はまるでないから、相変わらず、持ち上げては落として捨てるといった扱いを繰りかえしている。

・「有名人は有名だから有名なのだ」と言って、テレビが実体のない虚像をイメージだけでつくりあげることを指摘したのは、D.J.ブーアスティンで、テレビがまだ揺籃期だった半世紀も前のことだった。その『幻影の時代』(東京創元社)では見栄えのいいケネディが、はじまったばかりの大統領選挙のテレビ討論会で人気を博して当選したことが例にあげられたが、20年後には、ハリウッド・スターのレーガンが、その格好よさと演技で、大統領らしさを見事に演じて人気を得た。

・今年のMLBのオールスター・ゲームで、イチローがオバマ大統領と話をするところがニュースとして流された。オバマのサインをもらい、憧れのスターを目の前にした少年のように緊張していたイチローの姿がおもしろかった。彼はそのカリスマ性に圧倒されたようだった。オバマはアメリカ初の黒人大統領だが、それだけではなく、その演説のうまさと人を引きつける雰囲気をもっていることで人気を得て、支持された。アメリカの大統領として、世界をリードする責任を自覚して、ブッシュの時には敵対的だった国やその指導者の姿勢も変えさせてきた。

・一方で、そういった政治家の出現を目の当たりにすると、日本にはそれをせめてイメージだけでも感じさせる政治家やその候補さえいないことを思い知らされる。国民の反応である世論が大事で、そのためにはテレビに出て、愛想を振りまくことが必要だ。そんなことしか頭にない政治家ばかりが目立っている。国民はわがままで、気ままなのに、そこに自分の政治哲学や政策をぶつけて、人びとを納得させようと考える人がいないから、政治家も政治もテレビの無責任な取りあげ方に翻弄されることになる。この国の政治がダメなのは今に始まったことではないが、経済も社会も破綻しかけているから、その不信感は未曾有(みぞう)のもので、それを政治家もテレビも自覚しないから、怖い世の中になったなと、つくづく感じてしまう。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。