『占領の記憶 記憶の占領』青土社
・モダン・ジャズは、歌ったり踊ったりするのではなく、演奏だけの集中して聴くべき音楽である。日本では、そんな音楽が大学生などに好まれて、50年代の後半頃から、哲学や文学と同様の知的で高級な文化になった。ジャズ喫茶は、そんなモダン・ジャズのレコードをかける店で、町の盛り場や大学の周辺にはおなじみだったが、モダン・ジャズのわからないぼくには、ほとんど縁のないところだった。入っても音が大きすぎて話もできないし、本も読めない。それに何より、ジャズのわかる奴だけ入れてやるといった空気が入ることを躊躇させたからだ。
・ジャズ喫茶はアメリカから輸入されたホンモノのジャズを、高性能のオーディオで聴かしてくれる場所だから、そこでの客の姿勢には「集中的な聴取」が求められ、私語は禁止された。この本によれば、そんな聴き方はアメリカにはなかったようだ。そもそも、ジャズにかぎらず、レコードを専門にかける場がなかったようで、その理由を著者は、モダン・ジャズに興味を持った日本人の若者たちにとって、レコードの蒐集やオーディオ装置の購入が難しかったこと、アメリカには、ライブ演奏を聴くことができる場や、音楽ジャンルを限定して放送するラジオ局がいくつもあったことなどをあげている。
・そんな日本独特のジャズ喫茶には、時代によって変遷した特徴があって、それをこの本では「学校」(50年代)→「寺」(60年代)や「スーパー」(70年代)→「博物館」(80年代)とまとめている。つまり新しい音楽を学ぶ場、それを集中して聴取する場、多様なジャンルへの枝別れへの対応、そしてレトロとしての音楽と場という性格の変容である。僕が知っているジャズ喫茶は、確かに「学校」や「寺」といった雰囲気だったが、その後の社会や若者の意識変化と合わせて、いろいろ考えてみたくなる時代分けだと思った。
・他方で、日本の戦後のポピュラー音楽は米軍基地で軍人のために演奏をしたり歌ったりしたミュージシャンを核にして発展した。ジャズから出発した多くのミュージシャンは、やがて歌謡曲歌手になり、歌謡曲を演奏する楽団のメンバーになり、またテレビタレントになった。同じジャズでありながら、ジャズ喫茶は、そんな日本人のジャズやポピュラー音楽とは無縁な世界として発展した。著者はそこに、亜流(ニセモノ)の生よりはホンモノのコピーを求める日本人独特の傾向を見つけている。もっとも、ロカビリーやグループ・サウンズといった、より大衆的な音楽も、ジャズ喫茶から始まったと言われているが、この本ではそんなジャズ喫茶はほとんど扱われていない。
・沖縄には米軍基地が集中し、1972年の返還までアメリカに統治された歴史がある。当然、基地の周辺にはアメリカ兵相手の音楽空間がたくさん生まれたのだが、著者によれば、主流はロックであってジャズではなかったようだ。そしてもちろん、本土ではおなじみの「集中聴取」を基本にした「学校」や「寺」風のジャズ喫茶はほとんど皆無だった。アメリカ兵が集まるライブ・スポットでは、沖縄のミュージシャンががアメリカ兵の好む音楽をパフォーマンスして喜ばせた。そこにはアルコールやドラッグが不可欠で、また性欲の処理をする女たちがいた。沖縄について、主に文学を素材にして分析した同じ著者による『占領の記憶 記憶の占領』を合わせて読むと、音楽を含めた、戦後のアメリカ文化の入り方、受けとめ方、そして発展の仕方の違いがよくわかる。
・「占領の記憶」は本土の日本人にとっては敗戦後からのものである。しかし沖縄では、それは明治時代から始まるし、それ以前の薩摩藩や清による支配にまで遡るものである。そしてその意識は本土に復帰した後から現在にいたるまで継続されている。著者はアメリカの占領や米軍基地をテーマにした文学を「占領文学」と呼ぶ。それを代表するのは本土では、大江健三郎や野坂昭如などで、戦後から60年代頃までに特徴的な題材だったが、この本によれば、沖縄出身の作家には、現在でもなお中心的なテーマであり続けている。「占領の記憶」がほとんど忘れられかけている本土と、基地の記憶にいまだに占領され続けている沖縄の違いは、最近の普天間基地の問題に対する温度差でも明らかだろう。
・敗戦によるアメリカの占領は、一方で、日本人に民主主義や新しい生活を教えた。ジャズ喫茶とモダンジャズはその象徴の一つと言えるかもしれないが、現在では、その姿はすっかり風化してしまっている。というよりは、アメリカ文化はすでにすっかり溶けこんで、日本人の中に血肉化しているといった方がいいかもしれない。しかし他方で、アメリカは日本人にとっては異物としてあり続けた。これも本土ではほとんど自覚されなくなってしまっているが、沖縄ではなお、身近な存在としてあり続けている。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。