・テレビのアナログ放送停止まで一ヶ月を切った。地デジ対応化していないのは50万世帯ほどだという。日本全国の総世帯数は5000万近くだから、残り1パーセントという計算になる。ここまで来れば、もういいじゃないかと思うのだが、テレビは一日に何度も、地デジ対策を急ぐよう、警告を発している。残り1パーセントのためにこれほどうるさく言うのは、いったい誰のため、何のためなのかと、今さらながらに腹が立ってくる。
・実は僕の家はまだ、地デジには未対応だ。以前から繰りかえし書いているが、テレビを見るのはBSがほとんどで、見られなくなったって、ほとんど困らないと思っているからだ。つまらない番組ばかりなのはずいぶん昔からだが、大震災と原発事故の後は、地上波には不信感ばかりが強くなった。おかげで、知りたいことは自分でネットを使って探すといった態度が、すっかり身についたのである。
・原発事故の推移について、テレビが、その深刻さを伝えはじめたのはいつ頃からだったろうか。ネットを通して一番信頼していた京大助教の小出裕章さんのコメントがテレビに頻繁に出るようになったのはごく最近のことで、一番最初はCS放送の「愛川欽也パックインジャーナ(5月7日)」だったように記憶している。もっとも僕は、この放送もYoutubeで見た。その小出さんが参議院の行政監視委員会(5月23日)で発言した様子も、総理が元気づけられたと言われる、官邸での「自然エネルギーに関する『総理・国民オープン対話』(6月17日)」もUstreamが生中継をした。
・テレビをはじめとしてマスメディアの報道が、原発事故や東京電力に対して及び腰だったのは、東電をはじめとした電力会社が広告収入源として楯突くことができない企業だったからだと言われている。そのテレビや新聞に、小出さんのコメントが毎日のように出るようになって、彼の発言を、まるで自分たちの主張のように利用するようになった。それはまた、ソフトバンクの孫正義が旗を振って菅総理を後押ししている「電力買取り制度」などでも同様だ。あるいは、発電、送電の分離といった議論についても、マスメディアは総じて賛成の立場を取っていると言っていい。
・「電力買い取り制度」にしても「発電・送電の分離」にしても、これまで国会で議論になっても、その都度、電力業界とそれに繋がる議員(政党)の反対にあってつぶされてきた。その抵抗勢力が表に出てこないのは、福島原発の深刻さに、世論が脱原発に大きく流れを変えたからである。僕は、この新しい法律が国会で承認されることに大賛成である。けれども、そのことについてテレビや新聞が業界と政界の癒着を指摘して批判することには、強い違和感を持ってしまう。
・電力が巨大な原発を所持する巨大企業に独占されていて、自由な競争が排除されてきたという構図は、新聞やテレビと言ったマスメディアにもそのままあてはまる。特にテレビは国の免許によって放送できる制度が確立されていて、ケーブルや衛星といった新しい技術が導入されても、その特性を生かした新しい放送局は育たなかった。と言うよりは、そんな芽が出ないように、次々と摘み取られてきたのが現状である。そして、地デジ化も、既得権を何より重視して、新しい可能性を試みようとはしていない。
・このことについては、すでにこのコラムでも何度も書いてきた。(→) そして、既得権を第一にして、新しい技術の可能性をつぶしてきたという歴史や現状については、当然ながら、テレビも新聞も、ほとんど発言をしてこなかった。そもそも、新聞とテレビが経営的にも業務的にも強い関係にあるという仕組み(クロス・オーナーシップ)は、欧米にはない日本独特のものなのである。電力会社の独占体制と、情報を隠す体質を批判するならば、まず我が身のことを正してからなのだが、そんな自省の心を持ち合わせているとは思えない。マスメディアは電力会社以上に信用のおけない存在で、そのことはすでに多くの人に見透かされてもいるのである。
・巨額の費用をかけ、国民に負担を強いて実現させた地デジ化は、それと同じことが、すでにあるケーブルや衛星放送、さらには光ファイバーでもできるものでしかない。そのとんでもない無駄をなぜやったのか。そのことをきちんと説明する人は、今のところマスメディアには誰も現れない。