・「グローバリズム」とは地球上の世界が一つになることを意味している。この本がその30年を題名にしているのは、典型的にはインターネットを指している。世界中が回線によって繋がり、瞬時のうちに情報のやり取りができる。その普及には「ウィンドウズ95」やホームページを閲覧できる「ブラウザー」やメールソフトの開発があった。だから当然、この本の狙いは、この30年の間に「インターネット」がどれほど進化し、その影響が世界にどれほどの影響や変化をもたらしたかを探ることにある。しかしこの30年に起きたことはそれだけではない。
・この30年は、日本では失われた30年と言われている。バブルがはじけて成長しない不況の時代が30年も続いているのだが、それは高度経済成長が終わって、GDPがほとんど停滞し、デフレで物価は上がらなかったが、国民が得た所得もほとんど上がらなかった、と言うよりはジリ貧だった30年でもある。かつては日本の独壇場だった家電製品が輸出品目から消え、わずかに車だけが残ると言った状況だが、逆にこの30年の間に世界中に広まったものとしてマンガやアニメがある。このマンガやアニメに誘われて日本にやって来る外国人の数もまた激増しているのである。
・この本はその30年の間に書かれた原稿を集めたものだが、各原稿の後には現状の分析が追記として加えられている。著者の予測が当たったものもあれば、外れたものもある。しかしその変容の比較を興味深く読んだ。日本がどれほど変わってしまったかを改めて気づかされたが、もちろん、この本は世界の変容にも目を向けている。
・2001年9月にニューヨークの貿易センタービルに旅客機が突撃するというテロ活動が勃発した。イスラム原理主義を掲げる「アルカイダ」の仕業と断定したアメリカ政府は、その根拠地であるアフガニスタンを攻撃し、続いてイラクに侵略してフセイン政権を倒した。その時の大統領はジョージ・ブッシュだが、彼の父は1991年にイラクのクウェート侵攻を阻止するために湾岸戦争をしかけている。その後のシリア内戦なども含めて、大量の難民がヨーロッパに押し寄せてEU各国に反移民感情と右翼政党の台頭を招くことになった。この移民の問題はまた、アメリカにトランプ大統領を誕生させる契機にもなった。つまり「グローバリズム」による世界共同体の誕生は、同時に世界の分断化をももたらしてしまっているのである。
・そしてこの分断化はそれぞれの国における富の偏在化をもたらした。アメリカではトップ1%が総資産の30%以上を占有していると言われるが、急成長した資産家の多くは、NetやIT、あるいはAI関連の成功者達である。そして富の偏在は、日本でも例外ではない。高度経済成長が終わる1992年時点での大企業の社長と新入社員の年収比は12倍ほどだったが、2014年時点では社長と一般社員の比率は44倍にも拡大している。派遣が大量に増えた現在では、その比率は桁違いに大きくなっているだろう。この本ではこのような経済格差を国立大学の授業料の高額化などを例に指摘しているのだが、大学進学率が現在ではOECDの中で下に落ちてしまったようだ。その学生達はバイトに忙しくて、ゼミの飲み会もできないのが現状だ。
・僕は著者の桜井さんと同じ大学で20年近くを同僚として過ごした。だからこの本に書かれたことには、あーそうだった、と思い出されることが多かった。この30年の間に、日本も世界もとんでもない方向に進んでしまった。そのことを改めて確認しながら読んだ1冊だった。


・今年の雨は植物にとっても過酷だった。ひょろひょろと細く伸びたコスモスはほとんど倒れてしまったが、それでも花を咲かせはじめた。野菜の多くは梅雨の時点で枯れてしまって、収穫できたのはキュウリとナスが2本、シシトウと万願寺トウガラシが少しだけだった。例外的にたくさん採れたのはミニトマトだが、鹿に葉や茎を食べられたジャガイモは、それでも去年と同じくらいの収穫だった。サツマイモはまだ葉が元気なので収穫はもうちょっと後にしようと思っている。
・原村のたてしな自由農園で栗を買って皮と渋皮を剥いた。出かけた目的は新しいクルマでの遠乗りと挽きぐるみ蕎麦粉を買うことで、栗は考えてなかったのだが、見つけて二袋も買ってしまった。去年の栗もまだ残っていたから、さっそく栗ご飯にした。新車にして1ヶ月点検も済ませたが、その間出かけたのは、他には箱根から沼津に行って、右回りに富士山を一周しただけだった。何しろ雨で、出かける気にならなかったのである。
・その新しいクルマだが、アウトバックと比べると外の音や、道路のでこぼこをちょっと拾う。EVの時にはエンジン音はしないのだが,その分エンジン音が気になったりもする。燃費は18km前後だからアウトバックよりは6kmほど改善されている。しかし、エンジンが動く時の燃費は悪いし、特に登り坂では3~4kmにも落ちるのが気になっている。運転支援システムはかなり改善されていて、渋滞時には手放しでほとんど何もしなくても、前のクルマについていくようだ。しかし、渋滞に嵌まっていないからまだ未確認だ。高速道路での車線変更はウィンカーを出すだけでいいのだが、何度か変更しかけて戻ることがあった。どうしてなのか理由は分からない。
・雨のために自転車も思うように走れなかった。それでも8月は週2回で河口湖を8周したが、9月は2回だけで、庭仕事もできないから運動不足にならざるを得なかった。雨に濡れた薪は表面が黒くなって、乾くどころかいつまでもじめじめしている。アルプス積みをしている場所を畑にするために薪の移動を始めた。そんな庭に小鹿が現れた。ジャガイモの葉も枯れて食べるものはあまりないはずだが、何かをあさっていた。ジャガイモで味をしめた奴かもしれないので、手を叩いて脅かしてやった。
・高市首相がニューヨークに専用機で到着した時にテレビはタラップで手を振る様子を映していた。一体誰に手を振っているのかと思ったが、実際には駐在員などの日本人が数名だったようだ。この光景は帰る時にも同じように映されていた。そんな寂しさは国連での演説でも同様で、その前に出たトランプの時とは比べるべくもないほどに閑散としていた。彼女は首相就任時に「世界の真ん中で輝く外交を」と宣言したが、実際には、世界の真ん中に行っても、その末席に控えただけだったのである。
・国分功一郎の『天皇への敗北』(新潮新書)は憲法を巡る安部政権と平成天皇との関係について論じている。日本の戦後は憲法の制定から始まっている。それは民主主義と立憲主義、そして何より平和主義に基づくもので、天皇はそこに国民統合の象徴として位置づけられている。民主主義は時の政権を選挙によって選ぶという行為に代表されるが、その権力はあくまで憲法が定める所から逸脱してはいけないとする立憲主義の制約を受けている。
・1993年にスバルのレガシーに乗ってから、現在のレイバックは5台目だ。30数年でクルマはずいぶん変わったが、カー・ステレオもその一つである。それは今回も同様で、乗り換える前のクルマでは聞くことができたCDもSDカードも使えなくなってしまった。音楽を聴くのはiPhoneをbluetoothでが簡単で、これは前のクルマでもできたのだが、今度のクルマについているカー・ステレオにはそれ以外の付属物はついていないのである。
・四台目のアウトバックは退職後ということもあって、四国遍路や九州一周をやり、北海道まで出かけました。どれも2週間の長旅でした。その他にも東北旅行を4年続けてやり、信州や北陸にも何度も出かけました。モデルチェンジの度に大きくなって、狭い道や林道などは走りたくなかったのですが、静かで安定した走りは長距離ドライブにはもってこいでした。ただしここ数年は夏が暑すぎることやインバウンドの影響で、長旅は控えるようになりました。もちろん、年齢による運転疲れということもあります。
・アウトバックはレガシーと名がつく最後のクルマです。僕が最初に乗ったレガシーは初代で1993年でした。キャンプに出かけるためというのが一番の理由だったと思います。子どもたちもまだ小学生でテントや寝袋を積んでよく出かけました。二台目のランカスターは車高が高くなってSUVと言われる車種の走りになりました。ちょうど2000年の河口湖への引っ越しと重なりましたから、雪道に強い4駆をというのが選択理由でした。こうなるともう典型的なスバリストです。クルマも2台いるということで、パートナーもやっぱりスバルのインプレッサになりました。
・前述した通り二台目は27万キロ走り、3台目のアウトバックも17万キロ走って、通勤の足として働きました。パートナーも2台目のXVに乗り換えて、4台目のアウトバックまでスバルばかり6台乗り続けたのです。で、今度もやっぱりスバルということになりました。他社のクルマに乗っていませんから比較はできませんが、スタイルや走り、そして乗り心地には満足してきました。ただし燃費を考えて電気自動車にするのも選択肢の一つだと思いました。スバルは二種類のEVを出しています。しかしトヨタが開発したものをスバル風にアレンジしたもので、アウトバック以上に大きいですから食指は動きませんでした。
・選んだのは7月に発売されたばかりのハイブリッドのレヴォーグ・レイバックです。レヴォーグはレガシーの大型化に伴って、国内販売に特化したレガシーの後継車でした。レイバックはその車高を上げたSUVですが、購入したのは少しだけ車高が低くなっています。アウトバックと同じ赤と思いましたが派手だったので青色にしました。手放したアウトバックはもちろん、今でもしっかり走ります。もったいないことこの上ないですが、どこか外国に行って走り続けるのではと思います。乗り換える時にはいつもそうですが、ありがとうの感謝と、元気でいてと願ってのさよならでした。

・野菜も長雨でほとんどダメになった。ただミニトマトとサヤインゲンはよく取れている。後は小さなナスとピーマンがちょっとだけで、カボチャは枯れたし、ジャガイモも元気がない。ミョウガも去年ほどには取れていないから、すっかりやる気を無くしている。要するに放りっぱなしなのである。ただし来年はもっと日当たりのいいところに新しい畑を作ろうと、いろいろ策は練っている。
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庭仕事をしないから、早朝の自転車はがんばっている。ただし最近では20kmほどの湖畔一周コースを50分切るのもしんどくなった。かなりがんばったと思っても49分ぎりぎりで脚力が落ちたなとつくづく思う。何しろベスト・タイムは42分台だったのである。もちろん歳のせいだが、山歩きをしなくなったせいもあるだろう。動かなければどんどん衰える。そんなことを実感しているが、暑くて日中は何もする気にならない。
・梅雨が長く、明けても天候不順の日が多かったから、雲ばかりで何も見えないことが多かったのだが、時には富士山や富士五湖がくっきり見える日もあって、それはなかなかの風景だった。それに出かける時によく通るいくつかの交差点や河口湖駅前などもあって、今日の人出は、交通量はなどとチェックすることもできるようになった。だから見たい番組がない時には、ケーブルテレビにずっと合わせておくことも少なくない。ちょうど景色が変わる一つの窓が増えた感じなのである。
・翻訳者の伊藤明己さんからこの本をいただいた時の反応は「スロー・メディア」って何だ?というものだった。「ファースト・メディア」なら何となくわかる。スマホやタブレット、それにPCといったものと、それを使って利用するインターネットのことだろう。だとすると、「スロー」は新聞や雑誌、あるいは番組編成で規制されるテレビやラジオのことだろうか。そんなふうに思って読みはじめたのだが、それほど単純な話ではなかった。
・イブラヒムが積極的に音楽活動の中に「反アパルトヘイト」の姿勢を見せたのは1970年代の中頃からである。「マネンバーグ」が初めてアルバムとして発表されたのは1974年で、ケープタウン郊外に作られた非白人達が強制的に移住させられた土地の名を冠したものだった。その後イブラヒムはアフリカをテーマにしたアルバムをいくつも作り、1985年にはマンデラという名の曲も作っている。「アパルトヘイト」に対する国内はもちろん、国際的な批判が強まる中で、マンデラは解放運動の象徴的な存在となっていった。ネルソン・マンデラは1990年に釈放された後、1994年に全人種参加選挙が行われて大統領になっている。
・イブラヒムはその後も積極的に音楽活動をしていくつものアルバムを発表したが、僕が気になって購入したのは「Senzo」と「Mukasi」という日本語のタイトルがついたものだった。そこに修められた曲は日本と直接関係するものではなかったが、そのピアノソロの曲に心が洗われ、落ち着くような印象を持った。それはほぼ即興で作られたもののようで、どこかキース・ジャレットにも通じる音楽だった。ジャズには疎いのだが、この二人は、僕にとって大事なピアニストで、また一人、馴染みのミュージシャンが亡くなってしまったことをとても残念に感じた。
・思い出せば、最初に応援に行った時、孫は三振するたびにべそをかきました。チームメートに慰められるのを見て、泣き虫だなと呆れましたが、悔しくて泣くのは悪くないと弁護する人もいました。チームには当然、親達のサポートが必要です。ほぼ毎週末のように試合をやり、練習もするので、子どもたちの特徴は誰もがよくわかっているのでした。子どもたちも大変だけど、親はもっと大変だな。応援に行くたびにそんな感想を持ちました。
・野菜を植えてしばらくは好天が続いたから、どれも順調に育っているように見えた。しかし、ある朝見に行くとジャガイモの葉や茎が頭からなくなっている。多分鹿に食われたのだろうと、ネットで調べると、ジャガイモの葉や茎は鹿の大好物だとあった。これ以上被害に遭わないようにとさっそくネットを張った。ネットの中にはカボチャとサツマイモもある。実りはじめたら今度はイノシシに荒らされるかもしれない。収穫時にはもっと強固な柵を作らなければならないだろう。



・前回も書いたがクルマのサンルーフから入った雨の被害は、さらにひどくなった。運転席のピラーが濡れることはなくなったのでもう大丈夫と思っていたのだが、「ドアが開いている」という表示が消えなくなった。ディーラーに持っていくと、荷室のスペアタイヤが水で濡れていた。どうしてここに溜まるのかは整備士の人でもよくわからなかったようだが、ネットで調べるとやはりサンルーフが原因のようだった。水は座席の下にも溜まるようになったから、キャンプに使うタープで屋根を覆い、サンルーフのまわりをガムテープでふさいだ。雨ばかりの梅雨には本当に参ってしまった。クルマはまだ9万キロほどだが10年に近いから、乗り換えようか、という気になっている。
・もっとも、毎試合見ているドジャースの試合では、日本の広告ばかりが目立っている。試合の中継はNHKがやっているのだが、バックネットには大谷選手と契約しているメーカーの広告がよく載っている。「おーいお茶」を背景に大谷選手の打撃を見るのは、もうほとんど日常的な風景である。今年からこの球場は「ユニクロ・フィールド・アット・ドジャースタジアム」という名称になった。このパートナーシップは5年で1億2500万ドル(200億円)で看板は外野のフェンスやバックネット、それにスコアボードの上などに設置されている。
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またドジャースのブルペンには今年から毛筆で大きく「不動産を超えてゆけ」と書かれた広告がある。SAMTYという大阪の不動産会社で山本投手と契約しているようだ。バックネットの「おーいお茶」と合わせて、何とも奇妙な感じがする広告である。ちなみにネット裏の広告は1イニングで1000万円以上もするようだ。しかも、実際に球場でも見られるのではなく、TV中継のために合成して貼りつけられているのである。NHKはなぜ許しているのだろうか。考えればおかしな話である。これはドジャースが遠征する球場でも同様である。
・鉄道の発達は蒸気機関の発明から始まる。それが馬車に取って変わる機関車になり、荷物の運搬から人の移動手段として発達するようになる。そうなった時に人々が驚いたのはその早さだった。馬車に比べて三倍ほどの速度だったが、それは空間や距離、そして時間の抹殺として実感された。その早さは乗客の感覚をも狂わせる。窓から見える景色が流れるように変わっていったからである。この本の面白さは、当時の人々の声を丹念に拾っているところにあるが、やがて鉄道網が全国的に普及するようになると、その移動の仕方は当たり前のものになる。
・前回ビートルズを取り上げて、次は誰かと思案していたら、ローリングストーンズが新しいアルバムを出すというニュースが飛び込んできた。それなら次はやっぱりローリングストーズだなと思ったのだが、発売は7月になるという。それでは間に合わないからと、手にする前に取り上げることにした。アルバムのタイトルは"Foreign
Tongues"で「外国語」という意味だが、辞書には神がかり的な状態で話すことばである「異言」という意味もあるという。こちらの方がこのグループらしいがどうだろうか。


・先週も書いたが強風でカラマツが折れて2mほどが残った。洗濯干しに使っていて、そのロープの部分は残っているので、これからも使えるが、腐っているからどのくらい持つかわからない。先日は大量の羽アリが中からわいて出た。倒れた10mほどの部分は玉切りにして、そのうち割って積もうと思っている。気温がかなり上がって薪割り仕事にはつらいが、枝を細かく切って積む仕事も残っている。それにしても倒木が母屋と工房の間で、どちらにも当たらなかったのは奇跡に近いと思った。
・風だけでなく強い雨も何度か降った。クルマのドアを開けると水がぼとぼと落ちて、運転席側のピラーが濡れていた。雨漏りかと思ってディーラーに行くと、サンルーフが開いてませんかと言われ、その通りだった。それで引き上げたのだが数日後にまた雨が降って、やっぱり雨漏りがした。ネットで調べるとサンルーフには溜まった水を流すホースがついていて、それが詰まることがあるとあった。我が家は森の中にあって、落ち葉や花粉や実が落ちてクルマを汚している。時々掃除や洗車をしているのだがサンルーフの中までは気がつかなかった。ディーラーに行ってホースの詰まりをきれいにしてもらって流れるようになったのだが、とんだ騒ぎだった。
・驚いたことはもう一つ。雑草が伸びてきたので草刈りをしていると、川に面したところに生えているモミの木に爪痕を見つけた。最近のものではないから、2年半ほど前に工房にでかい糞を残していった熊だろうと思った。しかし、いつ出てきてもおかしくないから気をつけねばと改めて思った。そう言えば鹿には何度も出くわしていて、野菜の苗を食われないように、最初だけ網を掛けたりもしたのである。以前は猿の群れがよくやって来たのだが、最近はほとんど見かけない。おそらく駆除をしたのだろうと思う。けれども、鹿は間違いなく増えているし、熊情報だって時々ある。庭にいる時はよくまわりに注意してと戒めている。
・しかし、地デジを見るためには新しくアンテナを付け替えなければならない。腹が立つから役場から始まって総務省まで引っ張り回されて電話で文句を言って、やっと半年間だけBS経由での視聴が許可された。ただし見えたのはやっぱり4局だけで、その半年が過ぎると何の知らせもなしに、映らなくなった。仕方がないからアマゾンで見つけた高感度の大きなアンテナを買って、自分で2階の屋根につけることにした。意地でもケーブルと契約などするかという気持ちだったのである。それで映るようになったのは、間にブースターを二つかませてからだったが、日によって映りが良かったり悪かったりするのはアナログ時代と変わらなかった。
・映りが悪いのはBSも一緒で、夏は茂った木の葉が邪魔をしたし、冬は雪が降るとアンテナを凍りつかせた。インターネットを光にして、BSも見えるようになったが、地デジは強い風が吹くと枝がアンテナに当たって見えにくくなった。その度に屋根に上って位置を調整して見えるようにしたのだが、最近は歳とって屋根には上らないことにしていた。テレビを見る時間はそんなに多くないので、まあいいかと思っていたのだが、先日の強風でアンテナが大きく動いて、ほとんど見えなくなってしまった。何しろ枯れはじめたカラマツが2メートルの高さからぼっきり折れてしまうほどの風だったのである。
・そのチョムスキーの本をアメリカがイラクを侵略した直後に読んで、紹介したことがある。『すばらしきアメリカ帝国』(集英社)で印象に残ったのは、アメリカのイラク侵略を「国際法に根拠のかけらさえもない予防戦争」だと言い、次のような批判を書いていたことである。
・この本は「無法国家のやりたい放題!」「『違法だが正当』というごまかし」「海外における民主化促進」「中東が証明するもの」「アメリカ国内における民主化促進」といったタイトルの章で構成されている。無法国家とはもちろんアメリカのことだが、それはアメリカの国内法はもちろん、国際法や国連の手続きも誤魔化したり無視することを指している。そして法を無視することが正当であることを主張する傲慢さが常套句であることが指摘されている。
・アマゾンで探すと『ジョン・レノン&ポール・マッカートニー ソングブック 1957―1965』という名のビデオがあった。ビートルズはデビュー以来ずっと、自作の大半を「レノン&マッカートニー」として、曲と歌詞をどっちが担当しているのかも明記しなかった。実際、どちらかが作りはじめたものでも、二人で練り合わせて仕上げるのが当たり前だったようだ。著作権とそれに伴うお金などには興味がなく、ただ良いものを作ろうとしていたからだった。もちろん初期の頃から曲想の違いはあったものの、歌詞についてはどっちが作っても大差ないものだった。






・日程の後半は八ケ岳に日帰りで出かけ、孫達に会うために1泊で東京に出かけた。孫の作ったちらし寿司で昼食をとり、スカイツリーが間近に見えるホテルのレストランでディナーの会食して、楽しい時を過ごした。彼女達には特に東京で見たいところはなかったので、帰りがけに浅草の雷門、隅田川、東京駅、皇居前を走り、東京タワーでトイレ休憩をして家に帰った。長いようで短い2週間が過ぎて、羽田まで送ってバイバイした。やれやれ。無事に過ごせて何よりだった。久しぶりに濃密で楽しい時間を過ごしたせいか、彼女達が帰った後はちょっと呆けてしまって、しばらくは何もしない日々だった。