2016年9月12日月曜日

久しぶりの映画館

・地元に映画館がなくなって、もう10年ぐらいになる。だから、映画館で映画を見ることもほとんどなくなってしまった。最近ではアマゾンで見たいときに見たいものが見られるから、わざわざ遠くの映画館まで出かける気にもならなくなった。ここにはもちろん、新作とは言ってもどうしても見たいと思うような作品がないという理由もある。とは言え、アマゾンで探すと、気づきもしなかった作品が結構あって、時折、映画鑑賞の時間を楽しんでいる。

・そんなことをしながら気づいたのは、邦画がずいぶんたくさん作られているということだった。もちろん、映画収入で邦画が洋画を抜いてからずいぶん経つことは知っていた。あるいはジブリなどのアニメが国内だけでなく、海外でもよく見られていることもわかっていた。しかし、映画館のある街をぶらついて、上映中の映画について関心を向けることもなかったから、ほとんど興味も持たなかった。

・ところが、ツイッターやフェイスブックでいろいろな人たちが『シンゴジラ』について、絶賛に近い感想を寄せていて、ちょっと興味が湧いてきた。『ゴジラ』映画について、これまでほとんど興味がなかったが、それなら見に行ってみようかという気になった。一番近い映画館は甲府のイオンモールにある。今まで一度も行ったことがないから、ショッピングモールの見物とあわせて出かけて見ようということになった。映画館にはシニア割引があって、1800円が1100円になる。そんなこともまた、新たな発見だった。

・で、肝心の『シンゴジラ』だが、評判ほどの映画だとは思わなかった。この映画はゴジラが主役ではなくて、それに対応する政府の動きやアメリカとの関係でストーリーが作られている。ゴジラは単に東京を壊滅させるだけでなく、やがて世界中を崩壊させる脅威を持っている。だから核攻撃をしてでも退治しなければならない。こんなアメリカと国連の決定に、将来を嘱望されている若い政治家が中心になって、冷凍させる作戦に打って出る。東京が広島、長崎に続く被爆地になることを避けるための必死の行動がクライマックスになる。

・しかし、映画を見ていて気になることがいくつもあった。なぜ、ゴジラが東京湾に出没したのか。謎の研究者がゴジラの卵を東京湾に落としたのかもしれないが、そのことは暗示的で、詳しくは語られていない。また、幼いゴジラはガラス玉のような目で、いかにも作り物でしかないし、変態を繰り返して成長するのだが、大きくなったゴジラもまた、生物と言うよりは作られたものにしか見えないものだった。そもそもゴジラがなぜ、火を吹いたり背中からレーザー光線を出したりするのだろうか。そんなことを思いながら見ていたから、映画に没入することは全然できなかった。

・この種の映画には、そんなけちをつけてもしょうがないのかもしれない。しかし、一方でゴジラに立ち向かう政府や自衛隊の描き方は、きわめてリアルなものだった。おそらく東日本大震災のときの動きはこんなものだったのだろうと思わせるようなシーンがいくつもあった。この荒唐無稽さとリアルさが奇妙に混在した映画を楽しむためには、怪獣映画やアニメのファンであることが前提になるな、と思ったのが見終わっての感想だった。

・とは言え一つだけ納得できるセリフとシーンがあった。東京の中心部が破壊され、政府の首脳の多くが死んだ状況から、もう一度リセットして日本を復興させることを主人公が決意するところだ。確かに日本の現状はリセットでもしなければ、身動きが取れないような状況にある。古い考えや目先の利害に囚われた政治家や企業家ばかりが幅をきかせている。未来を見据えた国作りを目指す発想は、まったく影を潜めている。

・3.11でもダメだったのだから、ゴジラにというのがこの映画のメッセージだったのかもしれない。しかし、それはまたゴジラに頼まなくても、首都直下地震がいつ起きてもおかしくないと言われていることからすれば、荒唐無稽な話ではないとも思った。であれば、ビルが崩壊したり、鉄道や道路が寸断されたりして、多くの人々が逃げ惑う姿は他人事ではないだろう。3.11の経験を思い起こしたり、明日の我が身を想像しながら見た人がどのくらいいたのだろうか。実際僕は、東京に出かけるときにはよく、地震があったらと、思うことがよくあるのである。

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