2018年3月5日月曜日

「そうですね」に違和感

 

・15日間の四国遍路の旅から帰ってきた。四国をぐるっと一周しておよそ3000kmを走ってきた。ずいぶんと時間がかかったが、八八カ所の寺以外の観光地はほとんど素通りだった。朝8時過ぎに出発して、午後の3時過ぎに宿泊先にチェックイン。ほぼ毎日、そんなスケジュールだった。宿の部屋に落ち着くと、一風呂浴び、明日のコースを確認して夕食。後は襲ってくる眠気のなかで、テレビを見るのが日課になった。

・折からテレビは平昌オリンピックばかりで日本人選手の活躍をくり返し伝えていた。「日の丸」「メダル」ばかりに注目し、大騒ぎするのは相変わらずで、見ていてうんざりすることが多かったが、メダルを取った選手も、取れなかった選手も、インタビューを受けたときの第一声が「そうですね」で始まるのが気になった。誰もがそうであることと、質問されるたびにまた「そうですね」とくり返されることに、奇妙な違和感を持った。

・もっとも、「そうですね」が気になったのは、今回が初めてではない。それは浅田真央の決まり文句で、何で「そうですね」から始めるんだ、と疑問に思ったことがあったからだ。それがこんどは、すべての選手に伝染している。選手のなかでの流行語だといってもいいかもしれない。銅メダルを取ったカーリング女子は「そだねージャパン」で話題になって、それがまたくり返し流された。

・「そうですね」は、相手の話に対する肯定の応答語である。だから、質問されて、「そうですね」と応えるのは、「肯定の応答語」ではなく、自分のなかで応えをさがすときに出ることばだと言える。質問に対してしばらく考えるときに出る「そうだなー」とか「うーん」とか「あー」に近いことばだろう。しかし選手の口から出る「そうですね」には、考えるために必要な時間を稼ぐといったニュアンスはない。きわめて機械的に出されるように感じられることばだった。

・なぜ、インタビューでの返答が、「そうですね」から始まるようになったんだろう。そんなことを疑問に感じて思ったのは、やっぱり、昨今のコミュニケーション力についての言説にありがちな、相手に対する丁寧な応対のつもりなんだろうというものだった。しかしそれは、日本人だけにありがちなもので、質問への返答が「そうですね」から始まったら、外国人のインタビューアは奇異な感じを持ってしまったことだろうと思う。

・さらに、みんながみんな「そうですね」から始めたことには、事前にインタビューについての答え方について、レクチャーを受けたのではと勘ぐりたくもなった。何しろ今は、大学の入試や就職試験の面接はもちろん、仕事やつきあい上の応対の仕方について、こまごまと、あーしろ、こうしろといったことが説かれることが多い。不祥事があってテレビで会見するときの様子が、どんな事例、どんな組織であっても、同じように陳謝し、同じように頭を深々と下げる。そのやり方は、テレビ局や広告会社が事前に指導するものである場合が多いという。

・しかし、丁寧に、謙虚にやればいいというものではないだろう。しかもみんながみんな同じものだと、それは慇懃無礼だというものである。つまり「言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって無礼であるさま。あまりに丁寧すぎると、かえって嫌味で誠意が感じられなくなるさま。また、表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているさま。(新明解四字熟語辞典 三省堂)」に聞こえてしまうということだ。もっとも、「そうですね」と言っている選手たちには、そんな意識はないだろう。また、テレビを見ている多くの人たちにも、そんな意識を感じる人は少ないかもしれない。

・本来のことば使いとは違う、馬鹿丁寧な言い方が、コミュニケーション力として必要なものであるかのように思われ、当たり前のように使われるようになった。そんなことに違和感を持つことが少なくないが、「そうですね」はやっぱり、その典型のように思った。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。