1997年7月15日火曜日

大学生とメール

 

  • 1年生のゼミの学生たちにメールの出し方を教えた。パソコンははじめてという学生もいて、「なぜ」「なぜ」とかなり初歩的で、かつ本質的な質問責めにあって困ってしまった。ローマ字で打ち込むと日本語になって画面上に現れる。ひらがなが自然に漢字に変換されていく。驚きはそこから始まる。実際、そんな学生が半分以上なのが現実だ。これは教える方としてはもちろん、おもしろい反応に感じられる。学生の目が輝くからだ。けれども、そんなことをいちいち説明している余裕はない。キーボードの意味と使い方を覚えさせたら、次にEメールの出し方に進む。とにかく1時間でぼくにメールを出すところまでやらせるつもりなのである。
  • 学生たちは大学でそれぞれ自分のアドレスを割り当てられている。それとパスワードを打ち込ませる。すると、「〜さん、あなたにはメールが〜件来ています」というコメントが出てくる。はじめてメール・ボックスを開いた学生は、ここでまた驚いてしまう。「先生メールが来ているやん!?」各自のボックスには、クラブへの勧誘などの同一のメールが届いていた。中には友だちや兄弟からのメールが入っている学生もいた。「わっ、東京のお兄ちゃんからや!!」「あっ、これダチやんか!!」先生なぜ?どうしたら読めるの?当然、ぼくはパソコン教室の中をあちこち忙しく動きまわることになる。考えてみれば、「先生」「先生」とこんなに頼りにされる機会は、他にはほとんど経験がない。
  • 時間はあっという間に過ぎた。わずか数行のメールをぼく宛に出すこと。もちろん全員ができたわけではなかった。「あとは空き時間に自習しなさい。ぼくに出せなかった人は必ず出しておくこと」。そういってとりあえず授業を終わりにした。大半の学生からメールが来た。で、「おもしろかったらもう一回やろうか?」と書いたら、数人からぜひやりたいという返事が戻ってきた。
     社会学科のカリキュラムには学生がパソコンを習う課目はない。しかし、3年生ぐらいになると半数以上はワープロを使い、その中の2割ぐらいがパソコンを持つようになる。ぼくはゼミ紹介をするときにワープロ・パソコンを使える者という条件を付けている。だから手書きのレジュメやレポートは許さない。それでも、パソコンを自分で持っている学生は半数に満たない。だから、ゼミの学生からメールが来ることはほとんどない。パソコンにあれほど目を輝かせた1年生も前期試験のためか、ぼくのところにほとんどメールを送っては来ない。来ても、「先生今日は」といった簡単なものでしかない。
  • 法政大学の平野さんはゼミをメールでやることにしたそうである。おかげで毎日学生とのメールのやりとりに忙殺される羽目になったようだ。かえって大変だが、ぼくも来年は4年生相手にこれをやってみようかと思う。実際4年生は夏休み前まで、就職試験で忙しくて、ゼミに顔を見せることが少ないのである。もっとも、自宅からメールが送れない学生は、大学に来なければならないから、そんなに多くはならないのかもしれない。
  • しかし、最近、卒業した学生からメールが来るようになった。人数は多くはないが、返事を書くとしばらくしてまたメールがやってくる。就職した会社でパソコンを使い、ぼくのホームページにアクセスしたり、自分のアドレスをもらったりしている人がほとんどだが、仕事のことや家族のことなどをわりと丁寧に書いてくる。研究室で顔を合わせているときとはまた違った距離感でつきあいを続けられるメディアができたように感じている。「ボーナスもらったら自分のパソコン買えよ!!」。たぶん、卒業してまでうるさい先生だと思っていることだろう。
  • 0 件のコメント:

    コメントを投稿

    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。