2022年8月8日月曜日

ビー・ウィルソン『人はこうして「食べる」を学ぶ』(原書房)

コロナ禍になってもう2年半が過ぎた。最近の感染者が桁外れに多いのに、国は何もしないし、人出は多い。だから余計に怖い気がして、ますます家に閉じこもるようになった。そうなると、楽しいことは食事ぐらいだから、ちょっと贅沢もしたくなった。さて何を食べるか。そんなことを考えていたら、読まずに積んであった本が目に入った。

bee1.jpg ビー・ウィルソンの『人はこうして「食べる」を学ぶ』は、生まれてから大人になるまでに身につく食の習慣や好き嫌い、性癖や病理などをテーマにしている。食べることが学ぶことであるのは、食の習慣や好き嫌いが後天的に身につくものであることを意味している。肉、魚、野菜、そして穀物。これらのものはそれぞれ、豊富に取れるところとそうでないところがある。そして人間は、生きている場所で食べることが可能なものを求めて生きてきた。食の習慣や好き嫌いはまず、そんな環境的な条件によって作られてきたものである。

ところが現在では、食べたいものがあれば何でも買って手に入れることが出来る。だから同じ国や地域に住んでいても、各家庭によって食べるものは違ったりするし、逆に、食べ物の商品化によって、世界中で同じものが食べられたりもするようになった。そうなると、何を食べるか、食べたらいいのか悪いのかといったことが、栄養や健康を考えて勧められたり、自制したりもするようになった。

たとえば離乳食はいつからどんなふうにして食べさせたらいいのか。こんなことはどこの国でも育児書などで解説されている。しかし、栄養を考えて無理やりにでも子どもに食べさせようとすれば、子どもはますます嫌いになって、それが好き嫌いの原因になったりもする。あるいは兄弟姉妹が互いに意識しあって、兄が好きなものを弟が嫌いになったりもするようだ。

子どもの食が細いと、当然親は何とか食べさせようと苦心する。それで子どもが食べるようになれば、親にとっては多くの喜びだが、ここには子どもの健康や成長を考えてということのほかに、親としての務めを果たしたという満足感も生まれる。親にとっては何より、その感覚こそが大事だったりする。だから子どもは親のために食べたふりをするといったことも学ぶようになる。そうであればこそ、子どもに満足に食べさせられないことは、親にとっては自分のダメさ加減を思い知らされることにもなるというわけだ。

この本では他にも虚飾や飽食の摂食障害などに章が割かれているが、最後が日本食賛美になっているのには違和感をもった。確かに欧米の食事にはカロリーのとりすぎや食べる量の多さによる肥満といった問題があるようだ。それに比べれば日本食は低カロリーで、日本人は大食いではない。うま味によって塩や砂糖を取りすぎることを控えるといった側面もある。統計でも世界有数の長寿国であるし、肥満の割合も多くはない。ただし、例に上がっている食べ物が塩分やカロリー過多のラーメンだったのには、首をかしげてしまった。

日本食は明治維新と第二次世界大戦で大きく変化している。著者はそこにも注目していて、洋風化してもなお、カロリー過多や食べ過ぎにならず、日本人の好みに合うように作り直したことに、食の改善の方向性を見つけている。この点では確かに同意する。しかしそれでも、出来合いのものは味が濃くて、カロリー過多だと思うから、日本人の食が世界の見本になるとはとても思えない気がする。

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