2024年1月22日月曜日

中村文則『列』(講談社)

 
中村文則については、毎日新聞に月一で連載している「書斎のつぶやき」という名のコラムで知っていた。時事的な問題について分かりやすい文章で、彼の発言には共感できることが多かった。小説家で、芥川賞を取っているし、新潮新人賞や野間文芸新人賞、大江健三郎賞の他に、英語に翻訳されて、アメリカでも賞を取っている。読んで見たいと思って、さて何を選ぼうか迷っていたら『列』という新作が発表されて、話題にもなっているという記事を目にした。「列」とはタイトルだけでも面白そうだ。そう思ってアマゾンで手に入れた。

retu1.jpg 列に並んでいる主人公には、それが何のための列なのかわからない。それでもそこから外れるわけにはいかないと思っている。その列はほとんど前に進まないから、いらいらしたり、不満を漏らしたりする人もいる。身体を左右に揺らす動きを、気になると後ろから注意されてムッとするが、そこからやり取りが始まったり、前にいる女性と親しくなったりもする。まったく進まないと諦めて列を離れる人がいて一歩進むと、それが無上の喜びのように感じられたりもするのである。

主人公はニホンザルの生態を研究していて、大学では非常勤講師の肩書きである。いつかはあっと驚くような論文を書きたいと思っているのだが、観察している猿からそんなヒントを得ることはほとんどない。だからいつまで経っても、大学のポストを得られないでいる。で彼の助手のようにして一緒に調査をしていた大学院生の若者が、自分も応募していたポストを得たり、以前につきあっていた彼女といい仲になっていたりということになる。

読んでいくうちに「列」とは「序列」のことなのだと気づくようになる。実際私たちは、物心ついた時から「序列」を意識させられるようになる。勉強や運動の能力はもちろん、親の収入や社会的地位などが’、自分を評価する尺度になっている。そしてその意識を外れて生きることはなかなか難しい。何しろ人間が「序列」の中で生きる生き物であることは、社会学でも基本的な特徴だとされているのである。

僕が若い頃に流行ったことばに「ドロップ・アウト」がある。「列」を意識して立身出世のために努力することなどばからしい。僕が社会学に興味を持った理由には、そんな「列」に囚われる人間の特徴に対する疑問もあった。けれども、僕もやっぱり、この分野で生きていくには評価される論文を書いて、どこかの大学のポストにつかなければ、という競走の「列」に巻き込まれることになった。しかも、長い間非常勤がつづいたから、主人公の気持ちは痛いほどわかった。


主人公は結局最後まで列に並んでいた。先が見えず、最後尾も見えない列に、地面に「楽しくあれ」と書いて並んでいる。何とも切ない気になるが、これが確かに現実なのだとも思った。そんなにがんばらなくたって楽しく生きる仕方はないものか。豊かな社会になったはずなのに、ますます、「列」に囚われるようになった社会はやっぱりおかしい。退職して少しだけ「列」から自由になって、つくづく感じることである。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。