2024年11月25日月曜日

やっと雪が降った

 

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やっと雪が降った、というのは富士山の話だ。もう11月の末だというのに、これまで、うっすら白くなってすぐに消えるという程度にしか降っていなかった。時には20度を超える日もあって、雨の日も多いのだが、山頂も暖かかったのだろう。初めての寒波がやって来て、冷たい雨が降ったから、我が家の薪ストーブにも初めて灯がともった。で、観測史上最も遅い本格的な雪景色である。

forest205-2.jpg アメリカから友達家族がやって来た。総勢5人で大変だったのだが、久しぶりに楽しい日を過ごした。そのうちの2人と裏山に登り、上左のような富士山と河口湖を眺めて下山すると、右のような鹿の角を見つけた。角に傷があったからオス同士で闘って負けたのかも知れない。鹿を見かけることは多いのだが、角を見たのは初めてだった。

家から近い河口湖湖畔に自然生活館がある。以前はひっそりしていたのだが、今では湖畔越しに富士山を眺める名所として人気になっている。レストランやカフェ、それに土産物屋などがたくさんある。ここ始発の新宿行きのバスもできて、友人家族をここで送り迎えをしたが、平日なのに観光客の多さにびっくりした。この日は富士山がよく見えた。

forest205-3.jpg まだ雪の積もっていない富士山の太郎坊と富士宮の5合目までドライブした。太郎坊からは宝永火口と頂上がよく見えたのだが、次第に霧に覆われて、5合目まで行っても何も見えないのではと思った。しかし急に霧が晴れて、次第に雲が下に見えるようになった。まるで飛行機に乗っているような気分で見とれてしまった。河口湖は平日でも人やクルマでごった返しているのに、太郎坊も5合目もガラガラだった。

forest205-4.jpg 伐採して山積みになっていた枝の片づけをはじめて、ふさがっていた通り道が開通した。この後は、枝を細かく切って、積み上げなければならない。太い幹も含めて、薪ストーブで燃やそうと思っている。何とか年内には枝だけでも片づけるつもりでいる。何しろ広葉樹は貴重品なのである。松と混ぜて大事に使って、暖かい冬が過ごせるようにとがんばっている。

母の納骨式が済んで、やっと一段落という気持ちになった。父も母の遺骨と隣り合わせになって喜んでいることだろうと思う。

2024年11月18日月曜日

StereophonicsとKelly Jonesの新譜

 

stereophonics8.jpgこの欄で新譜を紹介するのはほぼ1年ぶりである。それも偶然見つけたもので、2枚見つかった。ステレオフォニックスの"Oochya"は2022年に出されている。珍しくにぎやかな曲ばかりが収められていて、静かな曲の多かった前作の"Kind"とは対照的だ。その代わりなのか、今年、リーダーのケリー・ジョーンズはソロ・アルバムを出している。こちらは自分でピアノを弾きながら歌うというもので、今までとは全く違うものになっている。

'Oochya'はバンドの中で使っていたことばで、「よっしゃ、やろう」といった意味があるようだ。そのタイトル通り、このアルバムのテーマは初心にかえって、がつんとロックをやろうということだった。デビューからすでに30年近くになるから、バンドのメンバーの多くもすでに50歳を超えている。若い頃に帰ってにぎやかにといったサウンドだが、シングルカットされてイギリスで1位になった「フォーエバー」には、若い人たちに助けの手を差し出すといったおもむきの歌詞がある。

君の痛みを引き受けて、君を自由にできたらと思う
永遠に飛び去っていけたらいいんだけど

kellyjones1.jpg ケリー・ジョーンズのソロアルバム『Inevitable Incredible』は冒頭の曲の題名だが、「途方もなく避けがたく」は歌の中では「君は避けられないし、途方もない」となっていて、思い通りにはならないが、またいなくては困る存在だというラブソングになっている。ハスキーな声で悲しげに歌うトーンは他の歌にも共通していて、どの歌にもストーリーがある。それは、このアルバムに並んだ曲名からも分かる。

「May I come home from the war」(戦争から帰れるように)、「Turn Bad Into Good」(悪いことをよいことに変えよう)、「Time’s Running Away」(時間は過ぎ去る)、「Echowrecked」(こだまする破壊)、「Monsters In The House」(この家の怪物)、「Sometimes You Fly Like The Wind」(時には風のように飛んで)、「The Beast Will Be What The Beast Will Be」(この獣はどうなる、どうなるだろう)

それにしても、元気で活躍中のバンドやミュージシャンが少なくなった。もちろん、僕がよく聴いていた人たちに限っての話だ。若いと思っていたケリーも50代になっている。そういえば、彼より若いミュージシャンを僕は何人知っているだろうか。すぐには思いつかないほど少ないから、新譜を見つけるのはもっともっと難しくなるだろう。何しろ最近のはやりの音楽には全くついていけないのだから。

2024年11月11日月曜日

レベッカ・ソルニット『ウォークス』 左右社

 

solnit1.jpg レベッカ・ソルニットの『ウォークス』は副題にあるように、歩くことの歴史を扱っている。歩くことは人間にとってもっとも基本的な動作なのに、それについて本格的に考察した本は、これまで見かけたことがなかった。山歩きが好きで興味を持って買ったのだが、500頁を超える大著でしばらく積ん読状態だった。この欄で何か取り上げるものはないかと本棚を物色して見つけて、改めて読んでみようかという気になった。そこには、最近歩かなくなったな、という反省の気持ちもある。

人類は二足歩行をするようになって、猿から別れて独自の進化をするようになった。直立することで脳が発達し、手が自由に使えるようになったのである。アフリカに現れたホモサピエンスは、そこから北上してヨーロッパやアジア、そしてアメリカ大陸の南の果てまで歩いて、地球上のどこにでも住むようになったのである。それは言ってみれば二足歩行が実現させた大冒険だったということになる。

『ウォークス』はもちろん、そんな人類の進化の歴史と歩くことの関係にも触れている。しかし、この本によれば、人間が歩くこと自体に興味を持ったのは、意外にも近代以降のことなのである。どこへ行くにも何をするにも歩かなければならない。だから馬や牛、あるいはラクダにまたがり、車を引かせ、船を造って海洋を移動できるようにしてきた。要するに歩くことは苦痛で、移動には時間がかかりすぎるから、人間たちは歩かずに済む工夫を長い歴史の中でいろいろ考案してきたのである。

歩くことに意味を見いだしたのはルソー(哲学者)やワーズワース(文学者)だった。町中を歩き、人とことばを交わし、道行く人を観察する。あるいは山や川、あるいは海の美しさを再認識して、自然の中を歩き回る。そこにはもちろん、歩きながらの思考や発想の面白さがあった。ここにはほかにもH.D.ソローやキルケゴール、ニーチェ、あるいはW.ベンヤミンやG.オーウェルなどが登場するし、奥の細道を書いた松尾芭蕉にも触れられている。さらには風景画を描き始めた画家たちも入れなければならないだろう。

そんなことが影響して、普通の人たちも、街歩きの楽しさや自然に触れる素晴らしさを味わうようになる。しかし、道路には歩くスペースがほとんどないし、山や野原は地主によって入ることが制限されていたりする。歩道を作り、屋根付きのアーケード(パッサージュ)ができる。あるいは散歩を目的にした公園が街の設計に欠かせないものになる。また私有地に歩く道を作ることがひとつの社会運動として広まったりもした。近代化にとって歩くことが果たした意味は公共性をはじめとして、あらゆる意味で大きかったのである。

自然の中を歩くことへの欲求は、次に山を登ることに向かうことになる。アルプスの山を競って踏破し、やがてヒマラヤなどの世界に向かう。歩くことは文学や美術に欠かせないものになり、またスポーツにもなるのだが、それはまた旅行の大衆化を促進することにもなった。

歩くことはまた、近代以降の民主政治とも関連している。人々が何かを訴え主張しようとした時に生まれたのは、デモという街中を行進する行為だった。環境問題や性差別について発言する著者はサンフランシスコに住んで、そこで行われるデモに参加をしている。言われてみれば確かにそうだ。そんなことを感じながら、楽しく読んだ。

もっとも、あまり触れられていない日本についてみれば、芭蕉以前に旅をして歌を詠んだりした人は平安時代からいたし、お伊勢参りや富士講は江戸時代以前から盛んになっている。修業で山に登った人の歴史も長いから、近代化とは違う歴史があるだろうと思った。

2024年11月4日月曜日

ドジャースがワールドシリーズ制覇!

 

ドジャースが優勝した。大谷選手にとって7年目にしてやっと手にするチャンピオンリングである。MVPを2度も取ったのに勝ち越しすらできなかったエンゼルスから移籍して1年目の快挙だった。プレイオフに出るまで最多の試合を経験した選手だったというから、彼の喜びは大変なものだろうと思う。しかし、彼についてはまた別に書くことにして、今回は彼やドジャースに対するメディアの対応について考えてみたいと思う。

アメリカでは野球はすでに一番のスポーツではなく、アメリカン・フットボールやバスケットの後塵を拝していると言われている。オールスター・ゲームやワールドシリーズでもテレビの視聴率は低く、それも年々下がっていると言われてきた。それが今年はドジャースとヤンキースのワールド・シリーズになって、視聴率も大幅に回復したようだ。大谷とジャッジというMVP有力選手が出ることもあって、事前の盛り上がりは例年とは違うものになった。

それは日本でも同様だった。日本シリーズがワールドシリーズと同じ日程で行われたのだが、NHKの7時のニュースではワールドシリーズの結果を取り上げて、同時刻に行われていた日本シリーズには全く触れなかった。MLBの中継は主にNHKのBSで行われたが、ワールドシリーズについてはフジテレビが地上波で中継した。ライブは午前中だったから、フジテレビは夜のダイジェストで再放送をしたようだ。ところがそれが日本シリーズと重なって、NPB(日本野球機構)はフジテレビの取材パスを没収したようである。

ただでさえ陰に隠れてしまっているのに、さらに邪魔をされた。NPBはそんな仕打ちに腹を立てたのだと思う。何しろフジテレビは日本シリーズの別の試合を中継しているのである。フジテレビと言えば、大谷選手の新居を探して、場所が特定できるような放送をして、ドジャースから取材拒否を宣告もされている。そこには、どんな影響が出ようと視聴率さえ取れればいいんだといった態度があからさまなのである。当然だが、大谷選手はフジテレビのインタビューを拒否したようだ。

とは言え、大谷選手の人気がテレビの視聴率やCMに大きな影響を与えていることも事実である。何しろ彼は10年で7億ドルの契約を結んだが、その大半は後払いで、山本選手などに払うお金を融通したのである。それは彼が日本の企業などと契約した額が、彼が手にする年俸を超える程だったからだと言われている。そしてスポンサー契約はドジャース自体にももたらされて、広告や入場者数やグッズの売り上げなども大幅に増加したようだ。

恩恵は、ドジャースが遠征したチームにももたらされている。普段は閑古鳥の弱小球団でも、大谷目当てに満員になった試合がいくつもあったからである。普通は他球団のグッズなど売らないのに大谷選手だけは例外にする。そんなこともあったようだ。チームは勝って欲しいけど、大谷選手のホームランは見たい。そんなアメリカでも一番人気の大谷選手が活躍したドジャースがワールドシリーズに出て優勝したのだから、その効果は来シーズンにももたらされるのだろうと思う。

ドジャースの試合を見て大谷選手の活躍を堪能したが、他方でお金にまつわる話題がつきなかったことも印象に残った。ワールドシリーズのチケット高騰や50x50を達成したボールのバカ高値などあげたら切りがないほどだった。ちなみに、ワールドシリーズの視聴者数は日本では1試合平均1210万人で過去最多だったが、同様に、台湾、カナダ、メキシコ、ドミニカでも最多だったようだ。