2025年2月24日月曜日

喜寿を身体で実感する

 

とうとう数え年で喜寿になりました。薪割りをやり自転車にも乗って、まだまだ老いてはいないと思っていましたが、身体のあちこちに衰えが出始めたようです。毎年秋に町の健康診断を受けています。今まで再検査を指示されたことはなかったのですが、今回は二つありました。一つは肺に影があって、これは昨年もあったのですが、今年は再検査ということになりました。ただし昨年は右で今年は左ですから、同じ影が大きくなったというわけではなかったのです。

再検査の結果は特に問題なしでした。癌でもできていたらタバコはやめなければと覚悟しましたが、問題なしで吸い続けています。もう一つは左目で、これは自覚症状がありましたから、健康診断前に眼科で見てもらっていました。白内障の初期段階ということで、今後の経過を見ましょうと言われていました。明るいところから暗いところに行くと左目だけかすんでしまったり、左右の端が二重に見えるという症状は1年ほど前から出はじめていました。

悪玉コレステロール値が高いのは中年の頃から変わりません。心臓や脳の疾患の原因になると言われていますから、食事に気をつけ運動もしているのですが、数値はほとんど変わりません。揚げ物が原因かもと、油をオリーブオイルに代えたり、さしの入った肉は食べないようにして、野菜もたっぷり食べていますから、これ以上改善する余地はありません。体質の問題かなと、勝手に考えることにしています。

耳が聞こえにくくなっているのは、すでに補聴器を試した時に書きました。結局購入したのですが、その費用は何と50万円近くにもなりました。一番安いのは30万円程で買えましたが、出たばかりの新型で、しかもiPhoneで微妙な調整ができ、イヤホーン代わりに使える機能をつけたことで15万円も高くなりました.ここにはおそらく円安の影響もあったと思います。もっと精度を増そうとすれば100万円を超えるのですが、驚いたことに補聴器自体は同じで、使える機能をソフトで調整するだけで金額が大きく変わるのでした。

メガネに補聴器、それから入れ歯です。歯は若い頃から悪かったのですが、河口湖に来て薪割りをやったせいでしょうか。奥歯ががたがたになって、今では入れ歯なしでは食事もできない状態です。もうせんべいは食べないことにしていますが、好きなピーナッツは欠かせません。ところがそれによって歯茎に傷がよくつきます。それにほっぺたも噛んだりして、食事の時に気をつけるようになりました。がつがつとあっという間に食べるとパートナーに言われ続けてきましたが、今はゆっくり噛まないように気をつけて食べています。

ここのところ毎日、チェーンソーでの玉切りや薪割りを続けています。時間は午後の2時間だけですが、かなりの重労働だと思います。腕や足の関節や筋肉が痛いのは日常ですが、外見的にはまだ何とかなりそうです。身体を動かした方が体調には良い。それは確かですが、無理をすれば故障しますから、そのバランスに気をつけることが何より大事になってきた気がします。

2025年2月17日月曜日

松を片づける

 

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伐採した松の小枝を片づけた後は、いよいよ幹の玉切りと薪割りである。太いの細いの含めて長さ3mで24本の原木だが、どこまでできるのか。上に乗った木から玉切りをしておよそ1ヶ月で16本を切り、そのほとんどを薪にした。薪は二つのスイス積み(ホルツハウゼン)にして中を空洞ではなく枝を積めることにした。これはYouTubeで倒れにくくなり、しかも中も乾くとあったのを見つけたからだ。そうすると一度スイス積みにした枝のほとんどを中に入れることができた。上には雨よけにとカラマツの皮を敷き詰めた。

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forest207-6.jpg この冬は12月から厳しい寒さで、薪の消費量も多かった。煙の苦情を避けるために昼間は燃やさないが、それでも薪の減り方はすごかった。2年以上乾かした薪の残量は右(→)だけになったから2月末までも持たないだろう。1月中旬から春めいてきたのに超弩級の寒波到来で一気に減ってしまったのである。さてこの後どうなるか。来冬用に予定していた1年ちょっと乾かした薪を使うことになるが、幸い、また原木をもらったから、松と合わせて使えば、この先数年は大丈夫だろうと思う。まだしばらく玉切りと薪割りをしなければならないが、冬を快適に過ごすためにはそれなりの苦労と努力がいるのである。

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forest207-9.jpgところで、カラマツの皮をはぐ作業をしていると、たくさんの幼虫が出てきた。それを皿に集めて鳥の水場に置くと翌朝にはほとんど食べられていた。その味を覚えたのか、その後には薪割りしている時に鳥がまわりをうろうろするようになった。多分ヒヨドリだろうと思う。ここにはアカゲラが来るしシジュウカラやジョウビタキも来る。数日見ていると、いろんな鳥がやって来た。

2025年2月10日月曜日

マリアンヌ・フェイスフルについて


この欄では死んだ人を取り上げることが定着してしまったようだ。で、今度はマリアンヌ・フェイスフルである。僕は彼女のライブを大阪で聴いている。1997年のことで、会場はバナナホールだった。その時の感想についてはこの欄でも書いたことがある。(→)

marianne2.jpgマリアンヌは何よりミック・ジャガーの恋人として有名で、デビュー曲はミックの作った「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」だった。オーストリア貴族の血を引く名家の生まれで清純派のイメージだったから、僕はほとんど興味がなかったが、彼女の歌を聴くきっかけになったのは、カナダ人の友達から教えてもらった一枚のCDだった。CDのタイトルは「ブロークン・イングリッシュ」だったと思う。このアルバムは1979年にリリースされているが、僕が知ったのは90年代の初めで、何よりそのしわがれた声におどろいたのだった。声が変わった理由は流産や自殺未遂、アルコールやタバコ、それにドラッグ中毒などで苦しむ時期を過ごしたことによるのだった。

marianne1.jpgその声や歌い方に魅了されて何枚もアルバムを買ったが、ロックというよりはシャンソンのような歌が多かった。好きな曲に「ストレンジ・ウェザー」がある。これはトム・ウェイツが彼女ために作った歌で、同じ曲で二人ともガラガラ声なのに、歌の感じが違っていて、どちらも面白いと思った。マリアンヌの歌はけだるくて、トムのはうら寂しい。
世界中、どこへ行っても見知らぬ者同士はお天気の話だけをする
どこへ行っても、同じ、同じ、同じ
それがはじまりで、それが終わり
見知らぬ者たちが離れると
そこに霧が立ちこめた(Strange Weather)
とは言え、彼女の歌をよく聴いたのは90年代で、2000年代になってからは14年に出た『ロンドンによろしく』しか買っていない。理由は97年に出かけたライブでの印象がものすごく悪かったからだった。その年に出したばかりの『シングス・クルト・ワイル - ワイマールの夜』からの歌だけを1時間ほど歌って終わってしまったのだった。そのサービス精神やる気のなさは、彼女にしてみれば地の果ての場末のホールで歌う阿呆らしさだったのかもしれない。

マリアンヌ・フェイスフルは享年78歳である。僕と二つしか違わないんだと改めて認識した。というわけで、例によって 彼女のCDを引っ張り出して久しぶりに聴いている。

2025年2月3日月曜日

稲村・山際他『レジリエンス人類史』京都大学学術出版会

 
「レジリエンス」ということばは聞きなれなかったが、最近よく使われているらしい。辞書を引くと「回復力」といった訳語が当てられている。このことばを題名にした本もかなりあって、その多くは心理学関係のようだ。心が折れない、逆境に負けないなどだが、地球環境や科学をテーマにする本にもつけられている。 そういえば、政府が掲げる「国土強靱化」も英語では「ナショナル・レジリエンス」となっている。ずいぶん幅広く使われているんだと改めて思った。

resilience1.jpg 『レジリエンス人類史』は京都大学の人類学や霊長研究所などのスタッフが中心になってまとめたアンソロジーである。ここでは「レジリエンス」は「危機を生きぬく知」と定義されていて、人類の長い歴史はもちろん、ゴリラやチンパンジーなどの類人猿についての研究や、世界中の様々な地域を対象にしたフィールドワークなどが25の章で構成されている。極めて多方面に渡る内容だが、共通しているのは、現代が危機に瀕している時代だという認識である。

人類がチンパンジーから別れたのは700万年前で、その違いは二足歩行にあった。その理由は気候や地殻の変動によって食べ物や住環境に大きな変化が起きたことによると推測されている。つまり進化はレジリエンスによって生じたというのである。樹上や狭い範囲で地上を移動する類人猿とは異なって、ヒトは広範囲に移動して、食べ物を探すようになったが、そこからアフリカを出て移動を始めたホモサピエンスが登場するのは30万年前である。

そのヒトが類人猿から大きく進化させたのが「共感能力」だった。仲間同士で食べ物をわけあうこと、共同で狩りをすること、子育てを協力して行うことなどだが、ここから複数の家族が一緒になって暮らすという社会が登場するのである。しかしこの能力には、同時に異質なものに対する敵対心や攻撃性が伴うことになる。ホモサピエンス以前にネアンデルタール人などがアフリカを出てヨーロッパやアジアなどに広がったが、その絶滅の謎をこの本ではホモサピエンスによるものだと断定している。あるいは、地球上に広がりながら、多くの大型動物を狩って絶滅させてきたとも。

世界中に行き渡った人類は狩猟採集から定住した農耕生活を始め、いくつもの文明を築くことになる。ここで取り上げられているのは新大陸で、インカ帝国に至る多様な文明の盛衰やアマゾンに暮らす狩猟採集民であったりする。あるいはモンゴルの遊牧民や太平洋の孤島に暮らす人々なども取り上げられていて、それぞれについて「レジリエンス」をキイワードにして議論が進められている。

で、最後に扱われているのが現代の危機とレジリエンスということになる。扱われているのはルソン島の大噴火によって多くの人命や生活の場が失われた人びとや、原爆実験で移住を強制された人びとの再生といったテーマの他に、コロナによるパンデミックや東日本大震災における「予測」できたのに「想定」しなかったといった問題などである。

この本で語られる人類が危機をどう乗り越えたかといった事例は、どれも興味深いものである。しかし今人類が遭遇している危機は気候変動や環境の汚染にしても、人口爆発と食料難にしても、国際的な紛争と核の脅威にしても、地球大の問題で世界中の国々が互いにそれを共感しあって対応しなければとても乗り越えることなどできないものである。それがどうやったら可能になるのか。アメリカだけが豊かになればいいと公言するトランプが再選された直後だけに、現在の危機の深刻さを実感した。