・外国に行くと、いつでも、文化の違いに驚いたり、とまどったり、おもしろがったりすることがある。その一番わかりやすい例はマナーだろう。
・電車の切符を買うために列に並ぶ。ところがちっとも進まない。一人の客が何やら駅員と話していて、駅員は電話で問いあわせたりしている。窓口は一つで、列は僕の後ろにどんどん伸びていく。僕はすぐイライラしはじめるが、だれもが不思議と辛抱強く、文句も言わずに待っている。当の客は迷惑をかけて申し訳ないといった顔などしないし、駅員も、列が長くなっていることを気にする様子もない。おそらく急いでいる人もあるはずで、東京ではめったにお目にかからないパリの地下鉄にありふれた光景だ。
・もっとも、パリの人たちがいつでも、こんな風に気長でのんびりしているというわけではない。道を歩く人は足早だし、信号が赤でも車の流れが途切れれば、堂々と横断する。それはロンドンでは一層目立つ。忙しくはするけれど、他人にとって必要な要件で待たされるなら我慢をする。そんなルールが了解されていることを感じた。
・はじめてイギリスに行ったとき、長距離鉄道の駅に改札口がないことに驚いた。だから切符がなくてもホームにはいることが出来るし、見送るのに車内に入ってハグしたり、キスしたりする。それはフランスでも一緒で、乗客は切符を買って所持していることが当たり前だとされている。車掌が検札に来て切符がなければ、高額な罰金を払わされる。そんな光景を、今度の旅行で目撃した。フランスの鉄道は、改札がない代わりに、じぶんで日時を刻印する機械がある。(→)切符をもっていてもこの刻印がないと、やっぱり罰則がある。だから、こういう習慣になれないうちは、ひどく気をつかうし、慌ててうっかり押し損なうなんてこともやってしまう。
・日本では、入る時にも出るときにも改札があって、しかも車内検札がある。それでも、無賃乗車やキセルがある。そのちがいを考えていて、不祥事を起こすと頭を下げてお詫びする光景を思いだした。「すみません、うっかりしてまちがえました。」とか「途中で気が変わって乗り越すことにしました。」とか「落としました」と言えば許してもらえる。しかし、イギリスやフランスでは、そんな「ごめんなさい」は通用しないようだ。
・毒入り餃子事件で、中国はその原因がじぶんのところにあると認めない。そのことを不快に感じる日本人は少なくないはずだ。そんな話をパリでたまたま出会って親しくなった人と話すと、フランス人だって一緒だと言った。「コップを落として割っても、謝らないし、コップが勝手に落ちたなんて平気で言う。」ちょっと驚くような話だが、逆に言えば、日本人がやたら謝りすぎるのかもしれない。どんな不祥事も経営者ががん首揃えて謝れば、それでひとまず許される。だから、似たような事件が続発して、いつまでたっても改まらない。謝ることを良しとする文化は、ひょっとすると日本人にしか通用しないのではないか。そんなことを改めて実感した。
・反対に挨拶や感謝のことばはいたるところで聞いた。バスに乗ると運転手が「ボンジュール」という。だからこちらも慌てて「ボンジュール」と小声で応える。それは乗客一人一人にする行為で、降りるときには客の方から「メルシー」とか「オボア」と言う。運転手はバスも電車も普段着で制服はない。それがパーソナルな関係を象徴しているように感じた。日本だったら、規律のゆるみだと非難されるだろう。
・街ですれ違う人も目が合えば微笑んでくる。それになれない僕は、どぎまぎしたり、不審に感じたりした。知らない者同士だからこそ、ほんの少しの親近感をしめす。慣れると、そんな行為をごく自然に振る舞えることがうらやましくなった。都会に住む日本人には見られないコミュニケーションの仕方だ。忘れたのか、初めからなかったのか。
・外国旅行をしていて日本人を見かけることは少なくない。特にロンドンやパリの有名な場所に行くと、極端に言えば、日本人ばかりだったりする。しかも、その日本人たちは、日本にいるとき以上に、互いを無視しあう。そのことが気になったパートナーが、ある時から、見かけたら大きな声で「こんにちは」と言うことにした。そうすると、笑顔で「こんにちは」と応えてくる人もあるが、一層無視しようとする人もある。そんな反応の違いに「なぜ?」と好奇心が湧いた。理由を突きとめれば、立派なコミュニケーション論になるだろう。
・P.S.2月にイギリスに留学した院生がブログをはじめた。ロンドンであったときにカルチャーショックの話をいろいろするから、ブログをはじめて記録するようアドバイスした。ついでに勉強のために英語で書くよう勧めたのは僕のパートナーだ。(→Life in Britain)