・ベルリンの壁が崩壊して20年になる。ドイツでは盛大な式典が催されたようだ。その特集番組がNHKのBSでいくつかあった。意外な気がしたのは、現状を批判して、壁の復活を望む人たちがいる反面で、壁の存在やその意味をほとんど知らない子どもたちがいることだった。それは、壁がなくなって20年も経つのに、ドイツ人の中にある意識の壁が未だになくなっていないことと、20年も経つと、壁自体の意味がなくなってしまっていることの両面を教えてくれた。
・第二次大戦後にドイツは東西に分割されたが、東ドイツに位置するベルリンもまた二つに分断された。とは言え、市民の中には東に住んで西の大学に通ったり、住居は西で職場は東といった人も少なくなかったから、道路も鉄道も自由に往来できた。だからまた、東から西への亡命も比較的簡単だった。壁ができたのは分断から16年たった1961年である。その時から、東から西への亡命はきわめて困難になったが、それだけではなく、ベルリンの東西を行き来して生活していた人たちの中には、家族や恋人、友人関係を分断され、職場や学校に通うことができなくなった人たちも数多くいた。ドイツで制作されたドキュメントには、突然行き別れにされた学生結婚をしたカップルの脱出作戦と失敗、拘留と裁判、そして再会が本人のことばによって再現されていた。
・ベルリンの壁は徐々に堅固なものになり、およそ30年の間、一つの都市を分断し続けた。一つの都市が政治体制の対立を理由に引き裂かれ、行き来が自由にできなくなる。しかし、ラジオやテレビの電波は、壁を乗りこえて伝播する。東と西の対立はまた、互いを批判し、自らの正当さを主張し合う情報戦争の舞台でもあった。西からは自由な言論や表現と、豊かな物質文化を謳歌する声が発信され、東からは国家が保障する平等で安定した暮らしが宣伝された。そのような対立は、ソ連の揺らぎと共産圏諸国の混乱によって崩される。ベルリンの壁はそういった第二次大戦後の世界情勢の象徴として存在し、冷戦構造の消滅の象徴として壊された。
・壁を懐かしむ旧東ドイツの人たちは、西側の貧富の格差や不安定な生活を批判する。物質的には豊かでなくても、国によって保障された安定した生活を懐かしむ。しかし、そういった態度が、旧西ドイツの人たちから、怠け者として批判される理由になる。壁のあった30年の間に生まれたイデオロギーから生活スタイルの違いが、東西に分断されて来た人たちの意識に壁を作っていて、それが対立の原因になっている。だからいっそ壁を作って、昔の東の世界に戻りたいという気持ちを募らせることにもなるのである。
・放送されたドキュメントには東ドイツのライプチヒで起こったデモと取り締まりの過程と、当時を振り返る人たちのコメントによって構成された番組もあった。監視され、統制された世界から自由な世界への希求が小川から大河になる。それは一大ドラマのようだが、20年経って実現した社会は、ユートピアにはほど遠かった。けれども、豊かで自由に思えるけれども、幸福だと感じにくい社会という実感は、旧東ドイツの人たちだけが持つ思いではない。東への郷愁と片づけるのではなく、西への批判として受けとるべきことだと思った。