鶴見俊輔『思い出袋』
・鶴見俊輔は1922年生まれだから、今年は米寿の歳になる。彼の文章を最初に読んだのは大学生の時だったから、もう40年のつきあいだが、まだまだ書き続けているから驚きというほかはない。
・『想い出袋』には題名の通り、過去をふり返って書いた短文がいくつも収められている。話の多くは、すでに読んだことがあるものが多い。中には何度も書かれたものもある。それに気づいて飛ばそうかと思ったが、どれもまた、読んでしまった。しかも、何度も繰りかえし読み返したページや一文がいくつもあった。それはたとえば、次のような文だ。
私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている。
鶴見俊輔は日本人の良心だ、とぼくは思ってきた。些細なことから大きなことまで、どうするか、どう考えるかと迷ったときに、灯台のように行く先を照らしてくれる人の一人だった。そう信じたのは、彼が正論や世の趨勢に従うことの危うさを、自分の感覚や無意識にまで問いかけて、指摘しつづけてきたからだ。
・「不随意筋の動きまで意識した上での哲学」。ぼくが何かについて考えるときに、よく思い出して反芻することばだ。枠をつくれば、そこからはみ出すもの、はみ出されるもの、あふれ出てしまうものが必ずある。きれいに、正しくと考えれば、はみ出すものは除外される。しかし、それは優等生のする発想で、そこからは自分の実感は排除される。しかし………
小学校から中学校へと、自分の先生が唯一の正しい答えをもつと信じて、先生の心の中にある唯一の正しい答えを念写する方法に習熟する人は、優等生として絶えざる転向の常習犯となり、自分がそうあることを不思議と思わない。
・だから優等生ではなく、不良である自分の方を大事にする。けれども正しさを強制されがちな時代のなかで、この気持ちを持ち続けるのは簡単なことではない。そのことは、彼が子どもの頃や戦時中に経験した話の中に散見される。で、それが彼の生き方の流儀になってきた。
・ぼくは戦後生まれだから、民主主義が新鮮だった時に子ども時代を過ごした。少年時代のヒーローはジェームズ・ディーンやプレスリーと言った不良だったし、大学生の頃には30歳以上の大人は信用するなといったことばが真実味をもって実感された。そんな不良的な発想が枯死しないように、ぼくもいつも水をやってきた気がする、けれども最近は、そんな発想が通じにくい世の中になってきたことをつくづく感じている。僕は還暦を過ぎたところだから、米寿はまだまだはるか先の話だ。もちろん、そこまで生きられるかどうかもわからないが、内部の不良少年にずっと水をやり続けることができるのだろうかと思う。
・「自分のこれまで読んできた本のうち、今、心にのこっているものをあげる」。「オール・タイム・ベスト」。鶴見はそれを片岡義男から教わったと言って、ベスト5、10、そして20と考えてあげている。水木しげるの『河童の三平』が最初にあがっているのが、いかにも彼らしい。僕ならいったい何をあげるだろうか。鶴見俊輔を何冊もあげそうだし、彼の本で知った人も少なくない。たとえばG.オーウェル、H.D.ソローなどだ。
・そんなことを考えているうちに実際に、何冊かの本を読み直してみたくなった。自分の内部の不良少年を枯死させないために‥‥‥。