・アップル創業者のスティーブ・ジョブズが死んだ。iMac、iPod、iPhone、そしてiPadと立て続けに大ヒット作を出して、まさに絶頂期でのおさらばだ。新商品はほぼ出尽くした感があるから、アップルはこれから厳しい時代を迎えることになるのでは、と思う。そのことは、ジョブズが元気でいたとしても変わらないことかもしれない。
・ぼくはアップルの製品をiPhone以外すべて持っている。iPadはテレビを見る気をなくしたほどにおもしろいし、iPodは車の運転に欠かせない。そしてもちろん、マッキントッシュは仕事の必需品で、家と研究室に一台ずつと、持ち運び用に一台使っている。講義も2年前からKeynoteでやるようになった。
・あらためて、今まで何台買ったか思い出してみたがよくわからない。おそらく10台は越えているだろうと思う。最初の一台はマッキントッシュSE30で、購入したのは1989年だった。まだ日本では販売されていなくて、大阪の日本橋にあるマッキントッシュを並行輸入する店で手に入れた。本体だけで90万円もして、その他に日本語のフォント、EGワードやページメーカーといったソフト、それにスキャナーとプリンターを合わせると150万円近くの出費になった。新車を買うのと同じほどのお金を投じて、一体何をやろうとするのか。そう思われても仕方のない投資だったが、その後の僕の時間の過ごし方は一変した。
・文章を書くのではなくワープロでタイプしはじめたのはその4,5年前からで、日本ではパソコンよりはワープロ専用機が家電メーカーからそれぞれ販売されていた。手書きからタイプ入力への変化は文章を書く際にはもちろん、読書ノートをつけることや、それをカードで整理することなど、さまざまに渡っていて、知的作業の一大変革がやってきたことを実感させたが、AppleのMacintoshについて書かれた記事を読んだときには、その製品以上に、それが生まれる歴史に驚かされた。
・スティーブ・ジョブズは社名のアップルをビートルズにちなんでつけている。パソコンを誕生させたアメリカのコンピュータ文化は、対抗文化が沈静化した後にサンフランシスコの郊外で生まれている。国や大企業が独占する大型コンピュータに対抗して、個人が自由な表現活動や情報のやりとりに使う道具を作る。パーソナルなコンピュータとは、まさにそんな意味でつけられた名前だった。
・現在のパソコンの原型となったのは1977年に登場したApple
IIである。しかし、その後のコンピュータ社会の発展をリードしたのは、1981年にIBMが出し、マイクロソフトのMS-DOSをOSにしたPCだった。Apple社が1984年に発売したマッキントッシュには、オフィスワークの道具として位置づけられたPCを批判した60年代の対抗文化の気風が取りこまれた。僕が魅了されたのは何よりそこにあったが、その魅力はまた、パソコンとしては多くても一割程度のシェアしか持てない限界にもなった。
・スティーブ・ジョブズはマッキントッシュが発売された翌年にApple社をやめている。Apple社としての独自性を維持することとIBMPCに対抗する機能を備えること。マッキントッシュには、そんな二面性が課せられたが、ワープロと表計算が使えれば十分という風潮に風穴を開けたのは、ジョブズがApple社に復帰した後に発売したiMac(1988)だった。ジョブズは続けて、iPod、iPhoneと大ヒット作を連発したが、それを可能にしたのは、1995年から本格化したインターネットの急速な発展と映像や音のデジタル化が、多くの人に表現や通信の手段としての道具に関心を向けさせたことにある。
・そんな意味で、ジョブズが実現させた世界は、60年代の対抗文化の日常化だったと言えなくもない。しかしそれはまた、モノについても時間についても新たな浪費を生みだし、それに囚われてしまう生活の現実化でもある。マッキントッシュと出会って、できることがたくさん生まれた。しかし反面で、何もしないで過ごすことに充実感を持たせることがきわめて難しくなったことも間違いない。もうこれ以上の道具は必要ないという気になっているから、僕にはジョブズの死を惜しむ気持ちは起こらない。