2018年4月9日月曜日

空海を読む

 

司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫
高村薫『空海』新潮社

kukai1.jpg・ほとんど何も知らずに四国遍路の旅に出た。88箇所の寺にはどこも、本堂の他に太子堂があって、必ずお参りをすることになっていた。白装束の人たちは、そこでお経を上げ、ろうそくや線香に火をともしていた。そんなお遍路さんには誰にも空海が同行すると言われているが、ただ、お賽銭を上げて手を合わせるだけの僕には、そんな気がしたことは一度もなかった。

・我が家は一応日蓮宗で、身延山にお墓がある。毎年数回墓参りに行くが、日蓮がどんな人なのかもほとんど知らない。信仰などとはおよそ縁がなく生きてきたから、仏教の宗派がそれぞれどんなものかについても、全く興味がなかった。しかし、お遍路さんのまねごとをしたのだから、空海についてちょっと知っておきたいと思った。

・司馬遼太郎の『空海の風景』は空海の教えそのものを論じたものではない。むしろ空海の人生を幼年期から追ったものである。もちろん仏教用語はたくさん出てくるし、引用文はほとんどが漢文だったりするが、仏ではなく一人の人間としての空海がうまく描き出されていると思った。もちろんそれは著者の創造力によるところが大きいが、司馬はまた、膨大な資料を集め、丹念に読み込むことを基本にしているから、彼が描く空海の人間像には、強い説得力があった。

kukai2.jpg・空海は讃岐の豪族の家に生まれている。一族には都に出て宮廷に仕えた者もいた。幼少期から聡明であったから、空海も都に行き大学に進んだ。しかし、そこを中途でやめ、仏教を学び、四国の山中を放浪した。88箇所には、その時に訪れた場所を起源にするところもあるが、空海は四国中を歩いたわけではない。

・空海はその後、唐に行き真言密教をわずか2年で習得して帰国する。通訳がいらないほど語学ができたし、長安でも、名文家や書道の達人として評判になったようだ。そして、新しい仏教を持ち込んだだけではなく、最新の科学技術や多様な文化が開花していた唐から、あらゆるものを学んで持ち込んだ。司馬はそこに、狭い島国の人間とはかけ離れた空海のコスモポリタン的な気質を見ている。空海は帰国後、徐々に権力の中枢に近づき、高野山に理想の宗教都市を築くことになる。

・司馬遼太郎が描く空海は、古今未曾有の天才である。また恵まれた環境と多くの幸運のなかで、自分の理想を実現した人である。しかも空海が唱えた真言密教は、そこでほぼ完成されていて、その後に新説を唱える僧を排出していない。彼と同時代に生き、天台宗を始めた最澄が、その不完全さ故に、法然、親鸞、道元、一遍、そして日蓮といった僧を排出しているのとは対照的である。あるいは清貧さを唱え実践した最澄とは違い、空海は欲望を肯定し、あの世ではなくこの世における幸福の追求を是としたようだ。

kukai3.jpg・空海の人となりはおおよそわかったが、それが四国遍路と今ひとつ繋がらない。そんな感想を持って高村薫の『空海』を読んだ。高野山は空海の死後に幾度かの盛衰があって現在の姿になっている。現在の形にする上で大きな役割をはたしたのが、全国を行脚して空海と密教を広めた高野聖の役割が大きかったようだ。そして同じことが四国の遍路にも言えるという。四国遍路にはさらに、罪を犯した者や病に苦しむ者が、懺悔や快方を願って歩いて今日に至る歴史もある。そしてそのような行為は必ずしも、空海が唱えた真言密教と結びつくわけではない。

・四国遍路は全行程が1400kmもある。そこを車で走り、居心地の良い宿で寝泊まりした。空海のことをほとんど知らず、特に悔い改めることや願掛けしたいこともなかったから、スタンプ・ラリーをしているような気分だった。しかしあらかじめ空海や真言密教やお遍路の歴史を知っていたら、自分が出かける気にはならなかったかもしれない。そんな感想を持った。

2018年4月2日月曜日

やっと春

 

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forest148-2.jpg・我が家の春は片栗の花から始まる。3月の中旬になって暖かい日が続いて、東京などでは桜の開花が話題になり始めた。我が家でも片栗の葉が出始めて、寒い日が続いたが、今年の春ははやいかもと感じた。ところが春分の日に季節外れの大雪になった。河口湖では30cmも降って、我が家の庭も一面の雪景色になった。春の雪は重たいから、雪が止む前に一度雪かきをした。一夜明けて、止んだところでもう一回雪かきをしたが、シャーベット状になった雪はとんでもなく重かった。で、その雪も、数日で嘘のように消えた。片栗は大丈夫か心配だったが、雪が消えると花が開き始めた。さて、今年はいくつの花が咲いてくれるのだろうか。

・今年の冬は寒かったから、薪ストーブの消費量は例年になく多かった。このままでは春までもたないかもしれない。そんな不安もよぎったが、2月に2週間、四国に出かけたから、薪は例年と同じぐらい残っている。とは言え、この後も寒い日はあるから、どのくらい残るかは、今後の天気次第だろう。その来年用の薪だが、薪割りはほとんど済んで、後は極端に太いものや割りにくいものだけが残っている。さてこれをどうするか、ゆっくり考えて決めようと思っている。

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forest148-5.jpg・冬の間休んでいた自転車も、3月の中旬から開始した。がんばって4日ほど続けたが、雪などがあって1週間休んで、また月末から再開した。休んでいれば当然、筋肉が落ちる。長旅でついた贅肉もある。最初は、強く漕いだわけでもないのに途中でへばってしまった。一日ごとに力は回復したが、まだまだ筋力は戻っていないし、体重も落ちていない。頑張りすぎると体を痛めるし、ほどほどにと思うと、どうしても億劫になる。山歩きも再開しようと思っているが、これもパートナーの様子次第だろう。毎日が日曜日。これをどう過ごすかというのは贅沢な悩みだな、と改めて感じている。

2018年3月26日月曜日

退任記念号が出ました

 

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・東京経済大学コミュニケション学部の紀要『コミュニケーション科学』で、僕の退任記念号が出ました。従来の形式とは違い、経歴・業績の一覧表や写真はやめて、主な著作についての書評集にしました。この点については異論もあったのですが、学部長や編集委員の先生に尽力してもらい、僕のわがままが実現しました。記念号に寄せて書いて頂いた方、書評をしていただいた方々には、感謝いたします。内容は以下の通りで、大学のホームページで読むことができます。

渡辺潤教授退任記念号


・渡辺潤教授の退任記念号に寄せて......................................柴内康文
・この最後の非俗派書斎人!「森の生活」が似合う....................田村紀雄
・渡辺潤さんの「私社会学」...................................................井上俊
・渡辺潤ゼミ解体試論―感謝の言葉の代替としてのゼミ研究指導紹介―.................三浦倫正
・書評集について............................................................渡辺潤
・『ライフスタイルの社会学―対抗文化の行方―』....................佐藤生実
・『私のシンプルライフ』...................................................伊藤明己
・『メディアのミクロ社会学』............................................伊藤守
・『メディアの欲望―情報とモノの文化社会学―』.....................加藤裕康
・『アイデンティティの音楽―メディア・若者・ポピュラー文化―』...............南田勝也
・『〈実践〉ポピュラー文化を学ぶ人のために』.........................瀬沼文彰
『ライフスタイルとアイデンティティ―ユートピア的生活の現在,過去,未来― 』................宮入恭平
・『コミュニケーション・スタディーズ』..................................山中雅大
・『「文化系」学生のレポート・卒論術』.................................勝又雄
・『レジャー・スタディーズ』............................................吉成順


・この退任記念号の発行にあわせて、執筆していただいた方々を中心に集まりがありました。時節柄それぞれに予定があって、集まっていただいた人は半分ほどでしたが、和やかな時間を過ごすことができました。会場は最後の学生だったY君の父親が営む店で、たくさんの料理を用意していただきました。最後に花束と、車に乗るときに使う手袋をもらい、感謝、感謝の1日でした。すでに退職から1年経ちましたが、これで公的な行事はすべて終わりです。

・人生にはいくつもの場があって、それぞれ幕が開き、そして引かれます。退職というのが、これほど多くの儀式やイベント、そして文書を伴うものだということを、改めて実感しました。もちろんこれで、人生が終わったわけではありません。幕引きはまた、次の幕開けに繋がります。さて次の場では、どんな舞台が展開されるのか。超高齢化社会の到来のなか、新しい生活、新しい人間関係において、さまざまな問題に直面することになるだろうと思います。それはすでに、僕の周辺でも起こっていることでもあります。

車と音楽

 

carnavi1.jpg・新しい車になって、最近の車の進化について驚いている。アクセルとブレーキの踏み間違いといった誤作動防止、渋滞時や高速道路を巡航するときの自動運転、雪道などで四輪それぞれが動いてスリップを最小限にすることなどである。カメラが前後左右に着いていて、バックの時はもちろん、狭い道を通るときの左右の状態を確認することもできるようになった。運転がますます車任せになる。そういう心配もあるが、高齢者の運転を手助けすることは確かだから、僕にとってはありがたい進化だと思う。

・同様の驚きはカーナビとカーステレオにも感じた。ナビとオーディオの一体化は、主にパートナーが使ったスバルXVからだが、僕が主に乗る車に純正のカーナビをつけたのは今回が最初で、これまでは取り外しができる「ゴリラ」をずっと使ってきた。オーディオはAUXにiPodや使わなくなったスマホを繋いで利用してきた。CDが複数枚入れられたが、ほとんど使うことはなかったし、MDなどは無用の長物だった。

・スバル・アウトバックは純正として、これまでマッキントッシュやハーマンカードンといったアメリカの音響メーカーを採用してきた。それはそれで興味があったのだが、買った車にはそれはなく、他に選択肢がなかったから、ディーラー・オプションとしてあった三菱のダイヤトーンをつけた。CDはもちろんだが、DVDで映像を見ることもできるし、SDカードもつかうことができる。しかし何よりの売りは、iPhoneを繋げば、音楽だけでなく、GoogleMapをカーナビとしても仕えるというものだった。

・IPhone接続には専用の接続ケーブルがある。しかし、そのほかにもBluetoothでもWifiでもつなげることができる。いろいろ試してみたが、接続ケーブルにiPodを繋げることにした。で、肝心の聴き応えだが、今までとはかなり違うものだった。音そのものが違うこともあるが、エンジン音が静かで、風きり音やロードノイズも気にならないから、高速道路でも、ボリュームを上げなくても聴くことができた。

・もちろん音は、座席によってずいぶん違う。前席で聴き応えのある設定をすると、後ろに座るとうるさいほどになる。と言って全体のスピーカーを同じボリュームにすると、運転席からは音が前や横からだけからしか聞こえてこないようになってしまう。後席に人を乗せることは少ないから、前席優先の設定にしてるが、後ろに人を乗せたときには、ボリュームを絞らなければならない。

・と言うわけで、運転しながら音楽を聴くことが、今まで以上に楽しくなった。長距離通勤をすることはなくなったが、時折、長距離の運転をすることがあって、その時には、ランダムに選曲する設定にしておくと滅多に聴かないものが聞こえてきたりする。何しろ四国遍路の時には、2週間で3000kmを走って、毎日の大半を車の中で過ごしたのだ。今日は何を聴くか。そんなことが、毎朝走り出す前に考えることになった。

・iPodは120ギガで手持ちのCDのほとんどが入っている。ジャンルを作っているし、アーティストやアルバムで選択することができる。しかしどうしても同じものになりがちだから、時にはアット・ランダムで聞き始めることもある。何しろiPodには16000曲も入っているから、選んでいたのでは全く聴かない歌や曲が眠ったままになっている。懐かしいものはもちろんだが、なんだかわからないものが聞こえてきて、何か、誰かを確かめることも少なくない。新しいものを増やすよりは、忘れていたものを聴き直すのもいい。そんな気にもなっている。

2018年3月12日月曜日

政権が倒れない不思議

 

・将棋であればとっくに詰まれているのに、いつまでも見苦しくてずるいゲームを続けている。もう見たくもない、聞きたくもないと思うが、こんな政権は一刻も早く、倒さなければならないから、ニュースにはずっと関心を持ち続けている。「森友問題はもう飽きた」などと思っては、絶対にいけないのである。

・この政権、というよりは安倍首相自身が関わる問題は数多い。森友、加計、山口某の準強姦事件もみ消しとスパコン助成金詐欺事件、JR東海のリニア建設にまつわる談合等々、次から次へと明るみに出てきた。その国会での追及については、官僚に嘘を言わせ、公文書を偽造し、知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。そもそも、追求を回避するために、国会を開かないこともしてきた。自分の周りに警察・検察官僚を置いて、司直の手が及ばないようにする。御用ジャーナリストを侍らせて、批判を抑える役割を担わせる。タレントやスポーツ選手を使って世間の目を逸らせ、世論を操作する。宣伝や情報の管理はしたたかである。

・そんな問題がありながら、これまでに「秘密保護法」「安保保証関連法」(戦争法案)「共謀罪」などを強行採決して成立させてきた。そして今「働き方改革」と称した「働かせ改革」を成立させようとしている。しかもここでも、根拠になるデータの改竄が明るみに出ている。働く人ではなく、企業にとって都合のいい法律を作って、好き勝手に働かせることができるようにしようとしているのである。

・そんな政権の支持率が50%前後あるというのだから、信じられないし、あきれてしまう。ここにはもちろん、メディアの批判が弱かったり、そもそも話題にしないといった姿勢がある。「働かせ改革」の怪しさがはっきりしても、森友問題に関わる公文書の偽造が指摘されても、テレビは平昌オリンピックに大騒ぎして、国会での追及などは、ほとんど話題にもしてこなかった。

・そのオリンピックをきっかけにして韓国と北朝鮮の関係が好転し始めている。強硬姿勢を示してきたトランプ大統領も、関係改善には好意的である。しかし、安倍政権は、そんな流れに批判的なままである。このままでは、日本はこの問題について、蚊帳の外に置かれてしまうだろう。外交政策における無策ぶりは、この政権の大きな特徴だが、これについてもメディアは強い批判をしてこなかった。アメリカ追随のアメポチ外交だが、そのアメリカに袖にされるのは目に見えている。

・安倍首相が「働かせ改革」を成立させた後に目論んでいるのは、「憲法改悪」である。9条に自衛隊を存在を明記させることが主たる狙いのようだが、そのほかにも緊急事態が起きた時に政府の権限を強化させ、私権を制限するといった事項が取りざたされている。憲法はそもそも、権力の暴走を防ぐために作られたもので、それを「立憲主義」というのだが、自民党の草案は、逆に国民を縛るという時代錯誤的な内容になっている。

・国会は衆参ともに自公が多数を占めていて、強行採決すれば国民投票にまで持っていくことは可能である。そしてその国民投票も、テレビなどを使った広告が歯止めなくできるようになっている。その重責を担うのは、過労死で問題になった電通だと言われている。

・このまま行ったら日本はどんな国になってしまうのか。安倍政権が誕生してから、そのことを危惧して、このコラムでもくり返し書いてきた。状況はますます悪くなっているのに、なぜ、この政権は倒れないのか。去年の政権支持率降下の際には衆議院解散と民主党分裂で危機を回避したが、今度の「働き方改革」におけるデータ改竄という問題と、「森友」の公文書偽造といった問題が、安倍政権の終末になるのかどうか。ここは、日本の将来を大きく左右する曲がり角になるのだと思う。

・と、ここまで書いたら、近畿財務局の職員に自殺者が出た。佐川国税庁長官も辞任をした。麻生財務相の会見はひどいものだったが、「有無」を「ゆうむ」と読んで「みぞうゆう」と同じ誤りをくり返した。安倍首相は3.11で福島に出かけたようだ。さて、今度こそ、政権が倒れることになるのではないか。そうでなければ、この国はますます腐ってしまう。

2018年3月5日月曜日

「そうですね」に違和感

 

・15日間の四国遍路の旅から帰ってきた。四国をぐるっと一周しておよそ3000kmを走ってきた。ずいぶんと時間がかかったが、八八カ所の寺以外の観光地はほとんど素通りだった。朝8時過ぎに出発して、午後の3時過ぎに宿泊先にチェックイン。ほぼ毎日、そんなスケジュールだった。宿の部屋に落ち着くと、一風呂浴び、明日のコースを確認して夕食。後は襲ってくる眠気のなかで、テレビを見るのが日課になった。

・折からテレビは平昌オリンピックばかりで日本人選手の活躍をくり返し伝えていた。「日の丸」「メダル」ばかりに注目し、大騒ぎするのは相変わらずで、見ていてうんざりすることが多かったが、メダルを取った選手も、取れなかった選手も、インタビューを受けたときの第一声が「そうですね」で始まるのが気になった。誰もがそうであることと、質問されるたびにまた「そうですね」とくり返されることに、奇妙な違和感を持った。

・もっとも、「そうですね」が気になったのは、今回が初めてではない。それは浅田真央の決まり文句で、何で「そうですね」から始めるんだ、と疑問に思ったことがあったからだ。それがこんどは、すべての選手に伝染している。選手のなかでの流行語だといってもいいかもしれない。銅メダルを取ったカーリング女子は「そだねージャパン」で話題になって、それがまたくり返し流された。

・「そうですね」は、相手の話に対する肯定の応答語である。だから、質問されて、「そうですね」と応えるのは、「肯定の応答語」ではなく、自分のなかで応えをさがすときに出ることばだと言える。質問に対してしばらく考えるときに出る「そうだなー」とか「うーん」とか「あー」に近いことばだろう。しかし選手の口から出る「そうですね」には、考えるために必要な時間を稼ぐといったニュアンスはない。きわめて機械的に出されるように感じられることばだった。

・なぜ、インタビューでの返答が、「そうですね」から始まるようになったんだろう。そんなことを疑問に感じて思ったのは、やっぱり、昨今のコミュニケーション力についての言説にありがちな、相手に対する丁寧な応対のつもりなんだろうというものだった。しかしそれは、日本人だけにありがちなもので、質問への返答が「そうですね」から始まったら、外国人のインタビューアは奇異な感じを持ってしまったことだろうと思う。

・さらに、みんながみんな「そうですね」から始めたことには、事前にインタビューについての答え方について、レクチャーを受けたのではと勘ぐりたくもなった。何しろ今は、大学の入試や就職試験の面接はもちろん、仕事やつきあい上の応対の仕方について、こまごまと、あーしろ、こうしろといったことが説かれることが多い。不祥事があってテレビで会見するときの様子が、どんな事例、どんな組織であっても、同じように陳謝し、同じように頭を深々と下げる。そのやり方は、テレビ局や広告会社が事前に指導するものである場合が多いという。

・しかし、丁寧に、謙虚にやればいいというものではないだろう。しかもみんながみんな同じものだと、それは慇懃無礼だというものである。つまり「言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって無礼であるさま。あまりに丁寧すぎると、かえって嫌味で誠意が感じられなくなるさま。また、表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているさま。(新明解四字熟語辞典 三省堂)」に聞こえてしまうということだ。もっとも、「そうですね」と言っている選手たちには、そんな意識はないだろう。また、テレビを見ている多くの人たちにも、そんな意識を感じる人は少ないかもしれない。

・本来のことば使いとは違う、馬鹿丁寧な言い方が、コミュニケーション力として必要なものであるかのように思われ、当たり前のように使われるようになった。そんなことに違和感を持つことが少なくないが、「そうですね」はやっぱり、その典型のように思った。

2018年2月26日月曜日

四国遍路その2

 

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・お遍路は順調に続いている。徳島から高知に入り、愛媛、そして最後の香川に入った。寺の多くは辺鄙なところにあるし、町中でも小高い山の上だったりする。寺と寺の間が数十キロなんていう場合も珍しくないし、階段が数百段なんてこともある。そんな場所を「遍路ころがし」といって難所にたとえてきた。「空海」という名は、今はロープウェイで登る太龍寺近くの捨身ヶ岳で座禅を組み(空)、室戸岬突端の御厨人窟(海)で修行を積んだことに由来するという。この室戸岬の先端の山上に最御崎寺があり、西の足摺岬の突端には、金剛福寺がある。

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・どちらも、その前の寺からは80~90キロも離れている。時々歩いて遍路している人を見かけたが、一日で歩ける距離ではないから、宿はどうしているのか心配になった。そんな人たちを追い越していくと、車での遍路が横着なものであることを思い知らされる。とは言え、一気にやろうとすれば2週間はかかるから、これはこれで、きつい行程であることは間違いない。山間部に入ると雪道になることも何度かあった。

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・もう十日以上、宿から宿を泊まり歩いていると、刺身、焼き物、煮物などなどのごちそうのはずの食事にうんざりしてくる。おうちご飯が懐かしいが、旅はもう少し続く。Wifi設備の貧弱なところが多くて、ネットもほとんど使えていない。寺を回るのも正直言って飽きてしまった。遍路には弘法さんが同行するのだそうだが、そんな気になったことは一度もない。早く終わらないかと考える奴に御利益なんかはないかもしれない。
・善通寺は弘法さんが生まれた土地で、寺も段違いの大きさだった。しかも祭りの日で、大鏡餅をもって運ぶ競争をしていた。この寺の近くの大学に勤務するKさんが待っていてくれて、研究室で、自分でローストしたというコーヒーを飲み、、近所で讃岐うどんをごちそうになった。この土地になじんでいるようで何よりだった。さて、遍路もあとわずか、何事もなく結願成就してほしいと思う。

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