・田村さんについては、1年前にカナダ移民について書かれた『移民労働者は定着する』を紹介したばかりだが、また新著をいただいた。80代も後半だというのに、気力充実ですごいなと感心した。とは言え、『自前のメディアを求めて』は書き下ろしではなく、インタビューで、聞き手は『鶴見俊輔伝』をまとめた黒川創さんである。・黒川創さんからメールで、田村のこれまでの生涯60年間をこえる執筆作業について話を聞きたいと言ってきた。私も小さな新聞・雑誌を発行していた人たちに「パーソナル・ヒストリー」として聞き書きをとる仕事はたくさんしてきたが、立場をかえてじぶんの生涯をインタビューされるとは思いもよらなかった。・もちろん、このインタビューには事前に入念な準備がなされている。田村さんは少年時代の戦争体験から始まって、最近の仕事に至るまでを思い出し、調べ、整理しなければならなかったし、黒川さんには田村さんの著書の多くを読む必要があった。で、話はゼミでの教師と学生のやり取りのようにして行われた。 ・田村さんは1934年に群馬県前橋市で生まれている。自宅が爆撃されるという戦争体験、高校生の時の「レッドパージ」、東京に出て働きながらの大学生活、卒業後のフリー・ライターという仕事と関西移住、そこで何人もの研究者と出会って、メディアやコミュニケーションについて関心を持つようになる。その業績が認められて東京大学新聞研究所の助手になり、桃山学院大学、そして東京経済大学で教鞭をとり、研究者としての仕事を続けるようになった。 ・田村さんの仕事は大きく三つにわけられる。一つは小さなメディアとジャーナリズムに対するもの、そして田中正造を中心にした足尾銅山と鉱毒にまつわるもの、それからカナダを中心にした日本人の移住についてである。インタビューはそれぞれについて、代表作を中心にしながら行われていて、田村さんの記憶力と、黒川さんの読み込みの深さに感心させられた。実際に書かれたことの背後や奥にあるものについて質問し、そのことについて明確な理由が述べられていたからだ。 ・田村さんの研究は三つにわけられるとはいえ、そこには一貫して小さなメディアがあった。 彼の最初の著書は『日本のロ-カル新聞』(現代ジャーナリズム出版会)で、60年代から70年代にかけて盛んに発行されたミニコミやタウン誌に注目した『ミニコミ 地域情報の担い手たち』(日本経済新聞社)や『タウン誌入門』(文和書房)、そして『ガリ版文化史 手づくりメディアの物語』(新宿書房)などがある。しかし、『鉱毒農民物語』(朝日選書 )や『明治両毛の山鳴り 民衆言論の社会史』(百人社)にしても、『カナダに漂着した日本人 リトルトウキョウ風説書』(芙蓉書房出版)や『日本人移民はこうして「カナダ人」になった 『日刊民衆』を武器とした日本人ネットワーク』(芙蓉書房出版)にしても、その仕事のきっかけや研究の材料になったのは、その動きや運動の中で発行された新聞や雑誌だったのである。 ・僕は田村さんと大学院の学生の時に知り合い、雑誌『技術と人間』で一緒に「ミニコミ時評」をやり、彼が編集した『ジャーナリズムの社会学』(ブレーン出版)等に寄稿した。また彼が中心になって開設した東京経済大学コミュニケーション学部に、大学院開設時から赴任している。もう五十年近いつきあいで、彼から教えられたこと、影響を受けたことは極めて大きかった。本書には、そんな僕にとっても懐かしい場面の話がいくつも登場してくる。 ・この本のタイトルは「自前のメディアを求めて」で、田村さんは一時期『田中正造研究』を出していた。僕も田村さんと知り合った頃から、最初はガリ版、和文タイプと謄写ファックス、そしてワープロ、パソコンを使って自前のメディアを発信し続けてきた。このホームページは1995年以来25年になる。その意味で、田村さんからは、何より自前のメディアの大切さを教えられたと思っている。 |