2020年6月15日月曜日

安全と安心

 

・コロナ禍が落ち着いて、終息宣言も出された。人びとの生活が少しずつ元に戻ってきているが、誰もがおっかなびっくりといった状態に変わりはないようだ。新しい生活様式が上から推奨されているが、それで果たして本当に安全なのか不確かだし、経済活動も社会活動も、結局のところどうしたらいいのか、本質的なところは何もわからないのが現状だろう。その根本的な原因は、「安全」と「安心」の曖昧な関係にあるように思う。

・「安全」とは危険でないことを意味する。それは客観的な事実やデータに基づくもので、コロナで言えば、感染の恐れがない状態になることである。もちろん、100%とはいかないから、どこかで線引きが必要になる。これまでの例で言えば、新型インフルエンザの感染者数と死者数程度ということになるかもしれない。日本では毎年1割が感染し、1000人程度の死者が出ていたのに、それで三密を避けろとか、営業を自粛せよとかは言われなかったからである。ここにはもちろん、ワクチンが開発されて、希望者には全員、それが投与されることが必要になる。

・しかし、そうなるのは早くても来年以降のようだから、これから第二波や三波に備えて、より「安全」な状態にもっていくことが喫緊の課題になる。どうしたらそれが可能になるのか。おそらく、三密を避けた生活様式の励行や、人の集まる場でのマスクや距離の取り方ではないように思う。それらは結局、客観的な根拠のない対処法で、何となく「安心」を感じることに過ぎないからである。つまり「安心」とは、あくまで主観的に心が安らぐ状態のことであって、実際に「安全」であるかを確認するものではないのである。

・街中でマスクをつけない人を見かけたり、他県ナンバーの車とすれ違うと、何となく「不安」を感じてしまう。みんなが自粛をしているのに、営業している店や、海や山にでかけるのはけしからん。そんな空気が蔓延して、誰もが、その標的になるまいと萎縮をしてしまっている。政府や自治体、それにメディアがそれを推奨したりするから、誰もが「不安」の払拭に敏感になっている。何しろ「自粛警察」なる勝手な取り締まりが横行したりもしているのである。

・これは日本人が陥りがちな、良くない精神状態だと思う。たとえ「安全」であっても、けっして「安心」できるわけではないし、「安心」したからといって、必ずしも「安全」なわけではない。そこに無自覚になって「安全・安心」とひと括りにしてしまっている。ましてや「安心感」なるものは自己満足や自己納得以外の何ものでもないのである。

・コロナに安全に対処する方法は、感染者をできる限り多く見つけることで、「PCR検査」や「抗体・抗原検査」を大量に迅速にすることに尽きると思う。現在いくつかの大学で行われている「抗体・抗原検査」では被験者の0.7%ぐらいに陽性反応が出ているようである。極めて少ない数字だが、しかし、日本の人口では80万人ということになって、公表されている感染者数の50倍もいることになる。ちなみに、東京都の3月と4月の死者数が合計で、過去5年の平均値より1481名多かったそうだ。コロナによる死者数は、同時期で119名とされているから、実際には10倍以上多かったということになる。感染者数や死者数の報告がいかにいい加減なものかを如実に表していて、こんな数字で「安心」したり「不安」になったりするのはばかげたことだと感じてしまう。

・ウィルスの感染力が弱まるのは人口の6割以上の人に抗体ができた時だと言われている。スウェーデンの方針は、それを目指して、ほとんどの制限を設けなかったようだ。それでもとても6割には達しないし、死者数も多いから批判されること多いようだ。しかし、経済活動にそれほどの支障は起きなかった。日本はお粗末な政策にもかかわらず、理由の定かでない要因(factor x)で死者数が抑えられている。ところが「不安感」を煽って、経済活動や社会活動が恐ろしく停滞させてしまっているのである。

・皆保険制度が徹底している日本では、年一回の健康診断が義務づけられている。この時に、わずかの血液採取で済む「抗体・抗原検査」を行えば、かなりの人の感染状態がわかるはずである。何より優先すべきことが、そこにお金と人員をつぎ込むことであるのは自明なのである、「安心感」ではなく「安全」であることを徹底させて、不要な自粛をやめること。それができるかどうかが、日本の未来を左右するように思うが、多分、「go to キャンペーン」や「オリンピック」を電通と結託して決行しようとしている政権では難しいだろう。

2020年6月8日月曜日

快適だけど、ちょっと寂しい気もする

 

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forest167-5.jpg・今年は連休中も桜が咲いていて、山の新緑と相まってなかなかの景色だった。いつもなら車と人でごった返すのに、今年は閑散としていた。自転車に乗っても、車や人を気にしなくて済んだから快適だったが、ちょっと寂しい気にもなった。締め切ったホテルや土産物屋、そして食べ物屋の人たちは、さぞ大変な思いをしていることだろうと思う。非常事態宣言が解除されても、まだ観光客は戻ってこない。特に外国人は全く見かけなくなった。元通りになるまでには、相当時間がかかるだろうし、ひょっとしたら戻らないかもしれない。他人事ながら気にはなる。

forest167-3.jpg ・連休前から湖畔の駐車場はどこも閉鎖され、山という山の入り口に禁止の立て札がたった。仕方がないから、家の付近を歩いて川遊びをしたりしたのだが、家の裏山なら大丈夫だろうと登ることにした。200mほどだがかなりの急登で、引っ越してきた直後に登ったきりだった。眺めも悪いし、道なき道のようだったからだ。ところが、登ってみるときれいに整備されていて登りやすく、上には新しく富士山を眺める見晴らし台もできていた。そして、たまたま、ここを整備している人たちと一緒になり、何年も前からはじめて, これからも続けるといった話を聞いた。で、僕もぜひ参加させて欲しいと頼むことにした。

forest167-4.jpg・続いて翌週にも登って、別のルートで下山したのだが、道がわからず遠回りをすることになった。しかも道は途中で崩れていて、倒木をかきわけて進まなければならなかった。足の悪いパートナーにはちょっと危険だったが、引き返すのも大変なので、かぶさった枝を折ったり、どけたりして、何とか通れるようにした。家から歩いて、こんな冒険ができるところがあるとは思わなかったが、今度は鉈やシャベルを持って、なおしに行こうかなどと考えたりしている。もっとも一人では大変だから、相談してということになると思う。さていつになることやら。

forest167-2.jpg・というわけで、車に乗るのも週一回の買い物だけというのが2ヶ月近く続いている。もちろん、東京にも3ヶ月以上行っていない。母親のいる老人ホームには、いつになったら行けるのか。認知症気味だから、もう忘れられてしまっているかもしれない。去年の夏に生まれた孫が、送られてくる写真やビデオではどんどん成長してしまっている。どちらにも、会いたいのはやまやまだが、感染も心配だ。月に一度は給油をしていたのに、ガソリンスタンドにはもう2ヶ月以上行っていない。しかも車にはまだ半分以上のガソリンが残っている。折から松の花粉の季節だから、赤い車が黄色くなってしまって、久しぶりに自分で洗車をした。しかし、次の日にはまた花粉だらけ。 

2020年6月1日月曜日

コミュニケーションの教科書


CS-1.jpg・『コミュニケーション・スタディーズ』(世界思想社)を出版したのは2010年ですが、それから10年経って、9刷で1万部を超えました。毎年300名以上が受講する「コミュニケーション論」を担当することになって、教科書を作ろうと思ったのがきっかけでした。当時大学院で担当していたゼミには在籍者や卒業生が多数参加していたので、それぞれの得意分野のテーマを担当させ、ゼミでの討議を経て完成させました。出版状況が悪い折りでしたから、初版の2000部は何年かかけて、自分で使いきろうと思ったのですが、翌年には増刷ということになりました。それからほぼ毎年、1000部ほどを出し続けて、とうとう1万の大台に達しました。

・日本の大学にはどこでも「コミュニケーション論」という名の講義が置かれています。「コミュニケーション能力」といったことばが注目され始めた時期でしたから、教科書として多く使われたのだと思います。しかも、中には継続して使い続けている方もいて、ありがたいことだと思ってきました。ぼくは大学を辞めて3年になります。もう研究者としても引退をしているのですが、今年も増刷という知らせを聞いて、少し手直しをしなければいけないと思いました。

・この10年で何がどう変わったのか。まずは2011年に起きた「東日本大震災」など、大きな出来事がいくつもありました。コミュニケーションやメディアについても、インターネット環境を中心に大きな進展と変化がありました。また、障害者やLGBTを自任する人たちに対する社会の対応の変化など、人間関係について改めて見直すことも求められるようになりました。そして何より、現在進行中のコロナ禍です。何しろ、人ごみにいてはいけないし、集まってもいけない。人と接する時には2mの間隔をとって、必ずマスクを着用して行うことが強制されたのです。

・その「社会(的)距離」(social distance)ということばは、E.T.ホールが提案した「近接学」(proxemics)において、人間関係における親しさを、「親密距離」「個人距離」「社会距離」「公衆距離」と区分したものでした。ここにはもちろん文化差があって、挨拶時にハグやキスをおこなう欧米人と、離れてお辞儀をする日本人では、その距離の取り方にずいぶん違いがあります。ところが日本では、毎朝の通勤通学電車では、誰もが当たり前としてすし詰め状態を許容しています。こんな特徴は感染の度合いとどう関係したのでしょうか。

・おそらく、人びとの接触や関係の仕方、集まりの仕組みには、これから大きな変化が起きることでしょう。それは当然、人間関係やコミュニケーションの仕方を変えていくはずです。そんな予測も含めて、執筆者たちには、担当したテーマについて書き直しをお願いしました。あまりに大胆な予測をして、数年後に陳腐化してしまってはいけませんから、そのあたりをどう書くかが問題になりますが、現在各自検討中です。

・コロナ禍を経験した人たちが、今後どのような人間関係やコミュニケーションの仕方をするようになるのかという疑問は、極めて興味深いテーマになると思います。テレワークや遠隔授業の経験は仕事や教育の仕方を変えるでしょう。外食や旅の仕方、音楽や演劇、そしてスポーツの楽しみ方も変わるでしょう。そんな大きな転機を感じさせますが、それが現実化した時には、全く新しい『コミュニケーション・スタディーズ』が必要になるかもしれません。もちろん、監修するのは僕ではなく、若い人たちになると思います。今回の改訂は、そんな予測をちりばめるだけになると思います。

2020年5月25日月曜日

●音楽の聴き方、楽しみ方

 

・コロナ禍で音楽を生で聴く場が閉ざされている。感染を防ぐためには、社会距離と呼ばれるおよそ2mの距離をとりあうことが必要とされるから、ライブハウスはもちろん、コンサート・ホールや野外もダメということになっている。確かに、ライブハウスの多くは狭い空間で、そこに大勢の人が集まり、ステージのパフォーマンスに応えて歌ったり踊ったり、掛け声をかけたりすれば、感染のクラスターになりやすいだろう。実際、ライブハウスは流行のごく初期に感染しやすい場所として注目され、3密の好例として槍玉に上げられた。

・そんな場に自粛を要請し、休業を強いるのであれば補償をするのが当たり前だ。しかし政府の対応は無視に近いし、わずかな補償も遅々として進まないほどお粗末である。EU諸国の対応に比べて、文化の大切さに対する認識不足が、露呈されてしまっている。このままでは、つぶれたり、閉じたりするところもあるだろう。また、主な活動の場としている人たちにとっても、表現の場が制限され、収入が途絶えてしまっているのだろうと思う。

・いったいいつになったら、音楽をライブで聴くこと、楽しむことができるのだろうか。感染が一旦終息しても、2次、3次と流行することは避けられないから、免疫や抗体を作るワクチンが一般に提供されるようになるまで、ということになるのかもしれない。しかし、そうなったとしても、今までと同じようなスタイルで復活するのだろうか、できるのだろうかという疑問は残る。インフルエンザと同じように、冬の流行時には多くの人が感染し、死者も出ることは避けられないはずだからだ。たとえばインフルエンザは毎年日本人の1割が感染し、数千人が亡くなっている。今まで通りの再開には、新コロナによる感染をあわせて、流行を常態として受け入れることが必要になる。何しろ、日本では毎年、9万人を超える人が肺炎で亡くなっているという報告もあるのだから。

・ライブハウスはビルの地下室のように密室状態のところが多いようだ。しかもオール・スタンディングにして、ぎっしり詰め込んだりもする。決して居心地の良いところではないが、好きなミュージシャンのライブを楽しみに集まった人たちには、知らない者同士でも仲間意識は生まれやすい。だからこそ、盛り上がったりもするのである。それは野外で行われる大規模なフェスでも変わらないが、密閉状態ではないし、夏場だから、感染の危険性は少ないかもしれない。

・僕は既に退職したから、大学で今行われている遠隔授業をしなくて済んでいる。大変な作業に追われているようで、辞めた後でよかったと思う。しかしゼミなどでは、学生が積極的になったといった経験を話す人もいる。大学のゼミ室や教員の研究室では、学生たちは圧倒的にアウェイであると感じている。だから緊張し、牽制しあい、遠慮しあって発言を控えるようになる。ところが家での参加になれば、ホームで一人だから、自然に積極的になれるというわけである。

・それを聞いて、だったらすべての授業を大学内でやることはないし、教員同士の会議だって家から参加にしたっていいのではと思った。それはまた、テレワークで仕事がはかどるのなら、毎日会社に出勤する必要がなくなることにも繋がる。それでは人間関係が疎遠になってしまうと危惧する人がいるかもしれない。しかし、人間関係やコミュニケーションの仕方は通信機器や交通の発達で、この1世紀で激しく変わってきてもいるのである。もちろん、仕事の種類だってそうだ。

・音楽はそういうわけには行かないと言う人もいるだろう。しかし音楽を聴く仕方も、通信や交通同様に劇的に変わってきてもいる。記録して聴くレコードやCD、ウォークマン、そしてスマホはもちろんだが、ライブだって、ミュージックホールやパブ、あるいはコンサートホールが’できてからまだ200年と経っていないし、野外のフェスはまだ半世紀といったところなのである。ライブがいいと思うなら、それなりの方策を生み出さなければならないし、欲求が強ければ必ず、新しいスタイルが生まれてくるはずである。

・だから、今のコロナ禍を転機として、さまざまなことが大きく変わっていくのではないかといったことを夢想したくなる。もちろんそれは音楽にはかぎらないし、演劇やスポーツなどの文化全般、そして仕事の仕方や学校のあり方、あるいは近隣の人たちとの関係にも及ぶのではと思っている。できればそれが、環境問題や気候変動に本気になって向かう方向に舵が切れれば、もっといいのにと思う。そもそも、ウィルス禍が頻発するようになったのは、開発による自然環境の破壊が原因だと言われていて、そこを改善しなければ、これからも新種が瞬く間に世界中に蔓延することを繰り返す恐れがあるからである。

2020年5月18日月曜日

ポール・オースターを読んでる

 『サンセット・パーク』新潮社
『インヴィジブル』新潮社
『ミスター・ヴァーティゴ』新潮社
『ティンブクトゥ』新潮


ポール・オースターの新作が翻訳されたのをアマゾンで見つけた。そうすると買わなかった作品がもう一冊あった。『サンセット・パーク』は2010年に出ているから、翻訳はだいぶ遅れている。もう一冊の『インヴィジブル』も2009年に出版されて、翻訳は2018年だ。その間に『冬の日誌』(2012)や『内面からの報告書』(2013)が先に翻訳されて、後回しになったようだ。翻訳者は柴田元幸で、彼はほかにも翻訳しているから、出たらすぐに訳すわけにはいかないのだろうと思った。

auster4.jpg 『サンセット・パーク』は大学を中退した若者が主人公で、オースターが初期の頃にテーマにした、喪失と再生をめぐるストーリーになっている。2005年に書かれた『ブルックリン・フォーリーズ』のように、中年から老年にさしかかる男を主人公にしたものや、自分のこれまでの生き様を振り返って赤裸々に表現した『冬の日誌』や『内面からの報告』と違って、また初期の作品に戻った印象を持った。大学をやめ、ニューヨークでホームレスの生活をしたり、各地を放浪して、恋愛関係に陥ったりと青春小説のような趣がある。
ただし、その流れとは別に、父親や義母、そして実母が登場して、それぞれ、第一人称で自らの現状や、息子への思いを語っている。いわば、若者を軸にした相互の関係がテーマになっていて、僕は父親の立場で読んでいることに気づかされたりもした。時代設定も書かれた時とほぼ同じで、リーマンショック後のアメリカが映し出されている。

auster5.jpg 『インヴィジブル』も主人公は若者だが、こちらは時代設定が1960年代から70年代になっていて、オースター自身であるかのようにして読むことができる。その意味では、初期の作品に戻ったという感じもした。大学生の頃に知りあったフランス人の哲学者とその恋人との関係が軸になり、舞台はニューヨークからパリに移って話が進む。しかしそれは。すでに老いて病と闘う主人公が書いた自伝小説で、大学時代の友人に中途のままで送り、次にそのもとになるノートやメモを送り、死んだ後に友人が見つけたものも含めて、小説ににまとめたものだったのである。しかも友人はでき上がった作品を持って登場人物を訪ねてもいる。小説であり、ドキュメントでもある。そんな工夫が面白かった
訳者の後書きに、この小説が『ムーン・パレス』に共通していると書かれていた。もう内容を忘れてしまったので読み直すと、驚いたことに、僕はほとんど思い出すこともなく、初めてのような感じで読んだ。で、オースターを読み直そうと思って、次に『偶然の音楽』を読んだが、やっぱり、思い出すことはほとんどなかった。このコラムでも書評しているのに、よくもまあ、すっかり忘れてしまったもんだと、我ながら呆れてしまった。

auster7.jpg そこで書棚を見回して、内容を思い出さないものをと『ミスター・ヴァーティゴ』を手に取った。読み始めて、これは買ったけれども読まずに積んどいたものかもしれないと思った。主人公は孤児で、拾われた男に、空中を浮遊する能力が見込まれて、その修業に明け暮れるところから始まる。時代設定は1920年代から30年代で、大恐慌が始まる直前の好景気から、一転して暗い社会になる世相が背景になっている。空中に浮いて歩くことをマスターすると、二人は興業に出かける。それは人びとを驚かせ、国中の話題になり、大金を手にするようになるが、少年の悪伯父に誘拐され、山奥に幽閉されたりもする。うまく逃れて興業を再開するが、今度は浮き上がるたびに強烈な頭痛に襲われるようになって、結局、浮遊はやめることにする。
オースターには珍しいおとぎ話で、悪ガキから全うな大人に成長する物語という意味で「ピノキオ」にも似た趣があって、そのことは彼自身も自覚しているようだ。ただし、子どもにはちょっと難しいかもしれない。

auster8.jpg 彼の作ったおとぎ話と言えばもう一冊、『ティンブクトゥ』がある。犬が主人公の物語だが、僕は途中で読むことをやめてしまっていたから、これも初めてというように読んだ。犬の主人は若い放浪者で、病を患っていながらニューヨークからボルチモアまで歩いて、旅をしている。しかしボルチモアに着き、エドガー・アラン・ポーの記念館にたどり着いたところで生き別れてしまう。主人が倒れて病院に運ばれ、犬は捕まることを恐れて逃げたのである。物語はそこから一匹だけの放浪生活になり、何度か拾われて、楽しいことも、つらいことも経験する。こちらは『吾輩は猫である』の犬版にも思えるが、ポーの生き様を念頭において書かれたもののようでもある。
そんなわけで、もうしばらくオースターの作品を読み続けようと思っている。もっとも読むのはいつも、寝る前のベッドの中で、気がついたら2時間も経っていた、なんてことも度々だ。だから早めにベッドに入るようになった。

2020年5月11日月曜日

再放送ばかりになったテレビ

 

・今までよく見ていたテレビ番組のほとんどが再放送になった。たとえば火野正平の「心旅」は、この春も三重県からスタートして愛知、静岡と来たところで、中断が決定された。その後は2014年の旅が再放送されている。見ていたのにほとんど覚えていないが、やっぱり6年前だから若いなと思った。最近の旅では、一日に走る距離は10km前後だが、6年前は20kmはざらで、40kmなんて日もあってびっくりした。やっぱり70歳を超えたらしんどくて、スタッフも気にしているんだろうな、と思った。もちろん、同年代である自分に照らし合わせての感想だ。

・もう一つ、田中陽希の「グレート・トラバース」は日本百名山ひと筆書きに続いて、2百名山をやり、現在は3百名山の途中にある。最初は2014年で208日、次は2015年で221日だったが、今回の3百名山は、まとめて全部に登るから、2018年から初めて2年を予定している。屋久島から出発して現在は宮城県まで来ていて、既に250座を越えているが、やはり緊急事態宣言が出て中断を余儀なくされた。東北地方は感染者も少ないから、中断しなくてもいいのではと思う。しかし、全国的に登山やトレッキングを自粛するよう求めているし、山小屋も閉じているから、そんな時には続けられないと判断したのだろう。

・僕は家周辺で自転車に乗り、近くの山を歩いている。例年の連休なら河口湖の湖畔も近隣の山もにぎわうのだが、今年は閑散としていたし、登山口は閉鎖され、駐車場も入り口が閉じられていた。だから自転車には乗ったが、山歩きは4月の中旬以降やめている。確かに、首都圏から大勢来られたのでは、感染者が出てしまうという不安はあるだろう。しかし、不安感にどれほどの客観性があるのかとも思う。休みには渋滞するほどの人気の山ならともかく、そうでなければ、互いに接触や接近をしなければ、それで充分なのではと思う。

・普段あまり見ていないが、バラエティなどでも距離をとったり、家などからオンラインで出演といった形が増えてきた。しかし、スタジオやロケで収録するドラマや、ロケ中心の旅番組は、撮ったところまでで中断ということになるようだ。テレワークが出来るものと出来ないものの違いが、こんなところにも出ているのである。いずれにしても、テレビが主な仕事場であるタレントは仕事が減って困っているようだ。こんな様子もやっぱり、危険というよりは、不安感を与えないための配慮のように思う。

・スポーツは現状では、競馬以外は開催の見通しが立たないようだ。ほぼ終息した台湾や韓国の野球は、無観客ながら開催し始めている。近いうちに観客も入れるようだ。日本よリも感染者数も死者数も多いアメリカも、MLBを何とか開催しようと、いろいろな案を出して探っている。ところが日本では、野球もサッカーも、開催が出来るような対策があまり見えてこない。やっぱり、不安を煽るようなことはしてはいけないと自粛しているように見える。

・今日本中に蔓延しているのは、コロナウィルス以上に「不安」という空気なのだと思う。しかし「不安」を解消させるのは「安心感」ではなく「安全」で、必要なのは、それをどうしたら可能にできるかという模索なのだと思う。政府が中途半端な対応をしているのに、どこも批判ではなく忖度して、出る杭になってはいけないと躊躇しているのだろうか。

・テレビのニュースは、自宅待機せずに出かけている人を探し回る監視塔になったかのようだ。サーフィンをしたって、釣りをしたって、接触を避けるよう気をつければいいじゃないか。そんなことを発言する人は、テレビではほとんど見かけない。オーウェルの『1984年』に出てくるテレスクリーンそのものである。

2020年5月4日月曜日

コロナ後のライフスタイル

 

・コロナ汚染を鎮静化するためには、人びとの濃厚接触を避けなければならない。だから家から出ないようにというのが、緊急事態宣言の趣旨である。控えるように要請されたのは、満員電車に乗って仕事に行くこと、繁華街に出かけること、密閉空間でのイベントを中止すること、観光地に旅行などしないこと等々である。要するに、どうしても避けられない場合を除いて、家に留まるようにという要請である。仕事もできない、学校にも行けない、外食やレジャーを楽しむこともできない。ないない尽くしで既に数週間、そしてこれからも長期間、過ごさなければならないのである。

・要請には補償が伴う。当たり前の話だが、日本の政府は明確にしていない。不良品で調達先も怪しいアベノマスクや、PCR検査の異常なほどの少なさに見られるように、政府の対策はめちゃくちゃで、この先どうなるのか、不安というよりは恐怖感さえ持ってしまう。しかしそんな状況でも、考えてしまうのは、今回の騒動が一時的なもので、終息すれば以前と同じように復活して再開されるというのではないだろうということだ。

・パソコンとインターネットをつかえば、ある程度の仕事や勉強はできる。だから、毎日通勤通学しなくても、週に何日かは在宅で仕事や勉強をすればよい。そうすれば、移動の時間は減るから、交通機関や繁華街の人ごみは緩和される。週末や祝日に高速道路や観光地や娯楽の場が混雑することもない。自由に使える時間が増えることになるから、忙しさを理由に便利なものばかり求めていた発想が変わるようになる。外食や出来あいのものを買うのではなく、家で自分で作る。もちろんこれは衣食住のすべてに渡るようになる。要するに、ライフスタイルの大きな変化がもたらされるはずなのである。

・僕は自分の研究テーマとしてずっと「ライフスタイル」を掲げてきた。僕が最初に出した本は『ライフスタイルの社会学』(世界思想社、1982年)だったし、その後も『シンプルライフ』(筑摩書房、1988年)、そして『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社、2007年)と続けてきた。これらの中で一貫して主張してきたのは、仕事ではなく生活を中心に据えること、便利さを求めてお金で消費するのではなく、出来ることは自分でやってみること、性別に伴う既存の役割に疑いを持って変えていくことなどだった。残念ながら世の流れは、仕事や便利さを求める方向を加速させたし、男女の役割にも大きな変化は見られなかった。

・それでも、僕はマイノリティでもかまわないと思ってきたが、コロナ騒動は、僕が言ってきた「ライフスタイル」の変革を実現させるのではないかという可能性を感じさせる。もちろん、主に都会で成立していた多くの仕事は失われるだろう。しかしそれは、地方へのUターンを加速させて、農業や漁業、あるいは林業を活性化させる可能性に繋がる。何しろ日本の食料自給率は減少する一方で、従事者の多くは高齢者なのである。

・世界中でロックダウンが行われて、空気や水の汚染が著しく改善されたようだ。これを機会に、地球の温暖化を阻止することについて、もっと本格的に取り組む機運が強まることも期待したい。そもそもウィルス騒ぎの原因は、森林を伐採して道路をつくり、農場や工場を造ったことにある。動物の世界を狭めて、人間との接触が起きれば、動物の世界で留まっていたウィルスが人に感染することは避けられない。環境破壊や汚染と、ウィルスの流行は強く繋がっているのである。現実には、もう手遅れかもしれないといった危機感を持って、見直す時に来ているとしたら、ウィルスは強烈な警鐘だと言えるかもしれない。