2023年12月18日月曜日

大谷選手のドジャース移籍に思ったこと

 

エンジェルスの大谷選手がドジャースに移籍しました。契約は10年で破格の7億ドル。もう引退するまでドジャースでやると決めたのだと思います。ただし、決まるまでの数日は、代理人から箝口令が敷かれたこともあって、憶測記事が氾濫してかえって大騒ぎになりました。日本のメディアも「すごい、すごい」と言うばかりですが、僕はこの経緯について、大きな疑問を持ちました。

ウィンター・ミーティングが始まって、大谷選手がジャイアンツのオラクル・パークに行ったというニュースが入り、その後にブルージェイズのキャンプ地を訪れたと報道されました。ここからトロントが注目されるようになって、カナダドルで10億ドル払うという記事が出て、一気にブルージェイズ有利という様相になりました。しかし、その数日後にドジャースに決まって7億ドルという契約額になったのです。ブルージェイズが出した額とほぼ同じだったわけで、代理人はブルージェイズを出汁に使ってドジャースに契約金の釣り上げを迫ったのかもしれません。

もちろん大谷選手のドジャースに対する気持ちは、今に始まったことではないのです。高校卒業時にメジャーに行くと宣言した時に念頭にあったのはドジャースで、栗山監督に説得されて翻意したのでした。メジャー・リーグに行く時もドジャースとは面談しましたが、ナショナル・リーグにDHがなかったことで、アメリカン・リーグのエンジェルスに決めたのでした。大谷ルールでナショナル・リーグもDH制になりましたから、ドジャースに行くことには、何の障壁もなくなったのです。

だとしたら、もっと早くにドジャースに行くと発表しても良かったと思います。それがなぜ、ここまで時間がかかったのでしょうか。考えられるのは、競合球団を募って契約額をあげようとした代理人の戦略でしょう。契約額は最初は5億ドルだろうと言われていました。右肘靭帯の手術で来年はDHでの出場しかできませんが、それは関係なかったようです。いくつもの球団が名乗り出て5億ではなく6億だと言われるようになり、最終的には7億ドルになりました。

選手の価値をお金で計るのはアメリカでは当たり前のことですから、代理人の手腕は褒められるだろうと思います。しかし、大谷選手はどうだったのでしょうか。もしこの先ケガをして、欠場が多くなったり、成績が落ち込んだりしたら、猛烈なバッシングを浴びることになるのは明らかです。エンジェルスにはレンドーン選手がいて、そのつらさを目の当たりにしていたはずです。決断の裏には、大谷選手の相当の決意があったことでしょう。もっとも大谷選手のことですから、ダメだと思ったら自ら契約を破棄してしまうかも知れません。

大谷選手にとって気がかりだったのは、自分が年7000万ドルももらってしまうことが、ドジャースの選手補強の妨げになるということでした。そこで彼が提案したのは、大半を契約が終了した後に先延ばしするというものでした。何しろメジャーの球団の中で年俸総額が7000万ドルに達しない球団が8つもあるのですから、その額が破格なのがよくわかります。払いを先送りすることで、ドジャースには、もっと選手を取る余裕が生まれましたから、7億ドル払ってもいいだろうということになったのです。ちなみに来年から10年間の年俸はわずか200万ドルということで、これは副収入が5000万ドルもあることから税金対策を考えてのことでしょう。

こんな顛末でしたから、僕はちょっとがっかりしました。すでに強いチームではなく、自分が入ることでプレイオフまで行けるチームを第一に考えるはずですから、僕はオールスター前からジャイアンツが最適だと思ってきました。ジャイアンツも最後まで残っていましたから、サンフランシスコもまたトロント同様にがっかりしていることでしょう。ちょっと興ざめですが、来年からも、彼の出る試合につき合うことにかわりはありません。くれぐれもケガをしないように。そう願うばかりです。

2023年12月11日月曜日

加藤裕康編著『メディアと若者文化』(新泉社)

 

journal1-246.jpg 「メディアと若者文化」というタイトルは何とも懐かしい感じがする。そう言えばずっと昔に、こんなテーマで論文を書いたことがあったなと、改めて思った。1970年代から80年代にかけての頃だが、自分が若者とは言えない歳になった頃には「若者文化」には興味がなくなっていた。

この本の編著者である加藤裕康さんは、僕が勤めていた大学院で博士号を取得している。ゲームセンターに置かれたノートブックをもとに、そこに集まる人たちについて分析した『ゲームセンター文化論』は橋下峰雄賞(現代風俗研究会)をとって、高い評価を受けた。そんな彼から、この本が贈られてきたのである。

僕にとって「若者文化」は何より社会に対して批判的なもので、メディアとは関係なしに生まれるものだった。それがメディアに取り上げられ、社会的に注目をされると、徐々にその精気を失っていく。典型的にはロック音楽があげられる。そんな意識が根底にあるから、日本における70年代の「しらけ世代」とか80年代の「新人類」、そして90年代以降の「オタク」などには批判的で、次第に関心を薄れさせていった。当然、現在の若者文化などについてはまったく無関心で、そんなものがいまだに存在しているとも思わなかった。

「若者」は第二次大戦後に注目された世代で、政治的、社会的、そしてもちろん文化的に世界をリードする存在として見られてきた。それが徐々に力を失っていく。この本ではそんな「若者論」の系譜が、加藤さんによって、明治時代にさかのぼって、「青年」といったことばとの関係を含めて語られている。そう言えば大学院の授業で取り上げたことがあるな、といった文献やキーワードが並んでいて、何とも懐かしい気になった。

若者文化がメディアとの距離を縮め、やがてメディアから発信されるものになったのは80年代から90年代にかけての頃からだった。「新人類」とブランド・ファッション、「オタク」とアニメがその典型だろう。しかし、2000年代に入ると、メディアは携帯、そしてスマホに移っていき、若者文化もそこから生まれるようになる。あーなるほどそうだな、と思いながら、彼の分析を読んだ。

で、現在の若者文化だが、この本で取り上げられているのは、「自撮りと女性をめぐるメディア研究」や「『マンガを語る若者』の消長」そして「パブリック・ビューイング」に参加する若者の語りに<にわか>を見る、といったテーマである。知らないことばかりだったから面白く読んだが、現在の若者文化とは、そんなものでしかないのかという感じもした。そう言えば、この本には「語られる『若者』は存在するのか」という章もある。そこで指摘されているのは。「若者」に対して語られる、たとえば保守化といった特徴や、それに向けた批判が、この世代に特化したものではなく、全世代や社会全体に現れたものだということである。

そう言った意味で、この本を読んで感じたのは、それで「若者」はいなくなったし、「文化」も生まれなくなったということだった。あるいは、かつては「文化」を作り出す上で強力だったマス・メディアが、スマホやネットの前に白旗を掲げたということでもあった。

2023年12月4日月曜日

近所のベランダ修復を頼まれて

 

forest196-1.jpg

forest196-2.jpg 隣人は横浜に住んでいて、年に数回しかやってこない。もう高齢だから、売却やレンタルなども考えたようだが、やっぱり残しておこうと思ったようだった。それで、ここ数年気にかかっていたベランダを何とかしたいと思ったのだが、気心の知れた大工さんが引退して、信頼して頼めるところがない。ということで、僕になおしてくれないかと頼みに来た。家のメインテナンスを自分でやっていることを知っていたからだ。現状はご覧の通りで、どうしようか迷ったが、元通りの修復ではなく、なおせる範囲でということで引き受けた。

forest196-3.jpg とりあえずは腐ったところを取り除くことから始まった。そうすると、大丈夫だろうと思ったところも腐っていて、これは困ったと悩むことになった。ベランダは西から北にかけてぐるっと回り込めるようになっていたが、ほとんどなおす必要のない北側を独立させて、柵をつけて塞いでペンキを塗った。この後をどうするかをあれこれ考え、ホームセンターに材木などを買いに出かけた。そうすると、値段が倍ほどに上がったと聞いて驚いてしまった。

forest196-4.jpg 必要な材木をカットしてもらい、いざ始めて見るとなかなか難しい。釘を打った後で間違いに気づいたり。そろえて切ったはずなのに、長短が出てしまったりと悪戦苦闘の連続だった。まずは階段を作ったのだが、組み立てて見ると、踏み板が前下がりになっている。で、直すと今度はわずかに斜めになってしまった。まあ、素人仕事だからと許してもらうことにして、少し狭くなるベランダ作りに取り掛かった。

forest196-5.jpg いらなくなった柱の土台を移動して階段の下に置き、横木を補強して、その上に板を打ちつける。それができたらペンキ塗り。やっと形が見えはじめたが、ここまでで10日ほどかかった。と言うのも、作業は午後の2時間だけと決めていたからだ。これぐらいでないと、毎日はできないし、3時を過ぎると寒くなる。お隣さんは途中で一度やってきたが、出来上がりを見るのは来春になってからなのである。急ぐ必要は何もなかったのだ。

forest196.jpg 最後は手すりをつけたのだが、ここでも失敗続きで、手すりの高さを合わせたはずなのに、微妙に隙間ができてしまっている。薄板を一枚かませてごまかしたりして何とか形をつくって、最後はペンキ塗り。我ながらなかなかいいと自己満足。気軽に引き受けてしまったが、何とかでき上がってホッとした。春に来たらきっと喜ぶだろうと思う。もちろん、この仕事には謝礼をいただいている。久しぶりの副収入だが、それだけに、いい加減にはできないと気が引き締まった半月だった。

2023年11月27日月曜日

NHKのBSが一つ減ると言わないのはなぜ?

 

NHKのBSが12月から一つ減る。つまり「プレミアム」と名がついた3チャンネルがなくなるのだ。しかし、なぜそうなるのかという理由をNHKはまったく言わないし、減って申し訳ないなどとも言わない。数カ月前からしつこく繰り返しているのは、「BSが変わります!」とあたかもサービスが向上するかのようなメッセージである。3チャンネルの人気番組を1チャンネルに移すから、当然、番組数は減る。しかし移動する番組については予告をしても、消えてしまう番組については何も言わない。

他方でNHKは4K放送の宣伝も繰り返している。4Kを見るにはどうしたらいいか。この同じ説明を毎日数回放送しているのである。しかし、両者の関係については何の説明もない。12月が近づくにつれて、あまりにしつこく放送するから、もう腹が立ってきて、実際はどうなっているのかを書いておいた方がいいと思うようになった。

BS放送のチャンネルを二つ持っていたのはNHKだけである。NHKは地上波も二つ持っているが、これは公共放送の特権として許されている。しかし、4Kや8Kといった新しいチャンネルができ、試験的放送の期間が終わって本放送になるとNHKのチャンネルが増えてしまう。それは不公平だから、代わりにBSを一つ減らそうというのが実情なのである。

これはもちろん、NHKの自発的な変更ではなく、総務省からの命令なのである。だから、チャンネルが減ることで不便をかけたり、4Kを見るために新しいテレビやアンテナなどの負担をかけるのは申し訳ないなどとは決して言わないし、言えないのである。これは政府に忖度をした詭弁にほかならない。このことにかぎらず、こんな言い方、論法があまりに多いから、NHKは何の後ろめたさも感じていないのだろう。しかし、こんな言い方が当たり前になってはいけないと思う。

そもそも、BS放送で見たい番組を作っているのはNHKだけで、民放は地上波の再放送かテレビ・ショッピングばかりでほとんどやる気がないのである。僕は地上波の番組にはほとんど興味がなくNHKのBSぐらいしか見るものはなかったから、テレビはますます見なくなるだろうと思っている。もちろん4Kが見えるテレビに買い替えたりする気はまったくない。パソコンでネットを見る時間が増えるだけである。だからだろうか、NHKはネットでも見られるように準備を進めている。そうなるともちろん、視聴料も取るようになるのだろう。しかし、とんでもない話だ。

こんなふうに、最近謝るべきところで屁理屈をこねたり、別の話題にすり替える論法が目立っている。慇懃無礼な丁寧すぎることばが気になることとあわせて、正直に、正確に話すという当たり前のやり方ができないのは困ったものだと思う。NHKがそのお先棒担ぎをしているのだから、もうめちゃくちゃだという他はないのである。

2023年11月20日月曜日

批判する気も失せたけれど

 

日本はもう壊れていると思ってから久しいけれど、それがますますひどくなっている。一度劣化しはじめると止まらない。その見本のような光景は、どたばた喜劇のようで面白い気もするが、それが私たちの生活や未来に関わってくるから、もう絶望的な思いに囚われてしまう。

大阪万博がどうしようもない状況に陥っている。中止の声が高まっているが、国も大阪府・市もやめる気はないようだ。で、予算ばかりが膨らんでいく。東京オリンピックの二の舞いだが、そのずさんさは、オリンピック以上のようだ。そのオリンピックだって、いったいいくらのお金がかかって、どこにどう使われたのか、事後の検証はまったくなされていない。やりっぱなしで後は知らんという態度である。

大阪万博の会場はゴミの埋め立て地で、軟弱で地盤沈下が激しいから高い建物は造れない。そんなところを会場にしようというのがそもそもの間違いなのだが、お構いなしに決めたのが維新の松井や橋下が安倍を口説いた酒の席だったと言われている。しかも本当の目的はカジノをメインにしたIRの設置だったのである。事前の入念なチェックもなしに決めてしまう。そんなところは他にもたくさんある。沖縄の辺野古基地や原発などで、どれも中止という決断ができないでいる。

アベノミクスは沈滞する日本の経済を活性化させるというふれこみで行われたが、その結果は惨憺たるものである。経済はますます落ち込み、国の借金が激増し、円安が加速化して、収入は増えないのに物価ばかりが上がっている。経済大国といわれた日本で、毎日の食事に窮する人がたくさんいるなどという現状をいったい誰が予測できただろうか。介護保険もがたがたになってきているから、将来に対する不安を感じる人も多いだろう。日本はすでに、貧しい国になっているのである。

健康保険証をマイナカードと一体化させるとしたが普及率は10%にも満たないようだ。デジタル化は避けられない世の趨勢だが、国のやり方はお粗末の限りだ。デジタル化は何であれ、アナログを残した形式で普及すべきだが、今までの無策を棚に上げて遅れを取り戻そうとするから混乱するのである。住基ネットなどの失敗がまるで生きていないのが何ともお粗末なのである。

賃金は上がらないのに、物価は高騰し続けている。しかもインボイスその他で、増税が進んでいる。すでに五公五民と言われて、収入の半分が徴収されているのに、国はさらに税を納めさせようとしている。「増税メガネ」などと言われて慌てて減税を打ち出しても、岸田の人気は下がるばかりである。欧米なら暴動が起きてもおかしくない状態だが、誰もがおとなしいのはどうしてなのだろうか。

こうした現状をしっかり調査して国民に伝えるのがメディアの一番の仕事だが、そんなことを社是にしているメディアはほとんどない。政治家や経済界に忖度ばかりして、何も言わない態度である。しかもジャニーズの問題で明らかになったように、テレビは芸能プロダクションにまで忖度し続けてきたのである。それにしても吉本興業や宝塚など、芸能界も壊れているようだ。

と書いてきたら、もう止まらなくなった。しかし虚しくなるばかりだから、このぐらいにしておくことにしよう。

2023年11月13日月曜日

4 Non Blonds "Bigger, Better, Faster, M"

 
YouTubeには見聞きした傾向にあわせて並べる機能がある。あるいは、一つ見ると、類似のものが続く機能もある。レディ・ガガのライブをクリックした。曲目は"What's Up?"で、聴いたことがあるいい歌だと思った。それが終わると次に同じ曲で、ピンクやドリー・バートンのライブになって、その後、4 Non Blondsという名のバンドになった。知らなかったから調べると、この歌を作ったバンドで、歌っているのはリンダ・ペリーという名前だった。今度は4 Non Blondsやリンダ・ペリーで検索すると、騒がしいのが多かったが、いくつかいい歌もあった。で、Amazonで買うことにした。

4nonblonds.jpg" 見つかったのは、4 Non Blondsでは1枚だけで、発売されたのは1992年だから、もう30年も前である。"What's Up?"は「どう?」「どうしたの?」といった意味だが、歌の中には出てこない。代わりにくり返し歌われているのは "What's going on?" で、どちらも同じような意味である。調べて見ると、同名の歌がすでにあるから"What's going on?"ではなく、"What's Up?"にしたとあった。

4 Non Blondsはブロンドでない4人という意味で、女三人、男一人の編成だ。女ばかりでやりたかったようだが、いいミュージシャンがいなかったとあった。そんな姿勢と同様、歌詞も男中心の社会を批判する内容だった。「目標に向かって希望の丘を登ろうとしたが、世界が男で成り立っていることがすぐわかった」とあって、こんな社会ってどうなんだ?と繰り返す。リンダ・ペリーの声はハスキーがかってボリュームがあるから、説得力は十分という感じだった。このアルバムのタイトルになっている曲はない。「より大きく、より良く、より早いM(男?」という意味だろうか。

rindaperry.jpg" 4 Non Blondsはこの1枚だけで解散したが、リンダ・ペリーは歌い続けていて、1枚だけアルバムを出している。女の立場からの社会批判という姿勢は一貫していて、収められた歌の中には、他のミュージシャンに提供されたものもあったようだ。実際彼女は、プロデューサーとして何人もの女のミュージシャンをデビューさせてもいるし、ジャニス・イアンやアリシア・キーズ、それにピンクなどとも共作したり、アルバムの製作に関わったりもしているようだ。

彼女はデビュー時から自分がレスビアンであることを公言して活動してきた。活動の拠点がサンフランシスコだということもあって、LGBTの運動を支え、リードする役割もこなしてきたようだ。1965年生まれだから、もうすぐ60歳になる。しかし、最近も歌っていて、その迫力は衰えていない。

2023年11月6日月曜日

暖かい紅葉の季節

 

journal5-206-1.jpg" 紅葉の季節が始まって、河口湖も観光客が激増しています。連休ともなるとあちこちで渋滞が起こり、名所はどこも人混みで大変です。いつもなら、そんな時に外出しないのですが、今年は来客があって、一緒に自転車で湖畔を走ったり、観光客が少ない秘密の場所を案内したりと出歩きました。案の定、人また人、車また車でうんざりしました。

我が家のカエデも今年はきれいな赤になりました。右のように、去年は黄色のままで枯れたのですが、今年は見事です。もちろん、湖畔の紅葉も鮮やかに色づいて、冠雪した富士山と一緒の風景も例年にない美しさでした。

journal5-206-2.jpg" もっとも今年の暖かさは例年にないもので、こんなに色づくのは、一時期、朝晩寒くなったせいなのかもしれません。何しろここ数日は、昼は20度以上になって、とても11月の気温ではないからです。暖かさはもちろん全国的なもので、中には夏日を通り越して30度にもなったところがあるというのですから、もう異常気象というほかはないでしょう。

普通なら、我が家はもう薪ストーブを燃やしている頃です。しかしこのままでは、まだまだ火入れは先になるのだと思います。とは言え、昨年も12月に寒い時期があったものの、立春を過ぎたあたりから暖かくなって、3月中旬には燃やす必要がなくなったのです。雪もほとんど積もりませんでした。さてこの冬はどうでしょうか。

journal5-206-3.jpg"この暖かさのせいかどうかわかりませんが、全国的に熊が集落に現れて、襲われる人が続出しています。山歩きをする時には少し注意をしますが、我が家周辺にまで出てくることはないだろうと、高をくくっていました。ところがすぐ近くで目撃したという新聞記事があった後、何と我が家の工房の近くに大きな熊の糞を見つけてしまったのです。おかげで、外に出る時にはいつでも、熊の気配をうかがうようになりました。このまま暖冬だと冬眠もしないのではないか。観光客同様、招かれざる客には困ったものだと思います。