・ジャック・ケルアックはビート世代を代表する小説家である。作品には『路上』『地下街の人びと』などがある。今年は同世代のA.ギンズバーグが死んだし、僕の知人の中山容さんも死んだ。ビート世代が注目されたのは50年代だが、それをリードした人たちが、ぽつりぽつりといなくなりはじめている。
・ビート世代の登場は、たとえばジェームズ・ディーンやマーロン・ブランド、あるいはエルビス・プレスリーといった若いヒーローの誕生と重なっている。彼らや彼らを支持した人たちにくらべたら、ビート世代は文学中心でロックンロールではなくモダンジャズを好んだ。ハイブロウでアンチ・マスコミ、反商業主義的だったが、二つはどこかでつながっていた。「接合」の条件は「若者」という世代への社会の注目かもしれないし、それを可能にした第二次大戦後の豊かな社会、あるいは戦争への嫌悪感なのかもしれない。
・だから、60年代になると、ロックンロールとビート詩、モダン・フォーク・ソング、あるいはブルースやモダンジャズの影響も受けたロックという新しい音楽が登場することになる。その音楽を支持したヒッピーと呼ばれた人たちのライフスタイルは、ビートそのものだった。ヴェトナム反戦や黒人の公民権運動、ドラッグと性の解放、ポップ・アート、そして、新しい巨大な市場としてのポピュラー文化。
・"Kerouac kicks joy darkness"
には40人を越える人びとが登場する。作家、詩人、ロックミュージシャン、映画俳優、ジャーナリスト。それにケルアック本人。さまざまな人たちがケルアックの書き残したことばなどを朗読したり歌ったりしている。同時代の詩人であるA.ギンズバーグ、ローレンス・ファーレンゲッティ、ウィリアム・バロウズ。ロック・ミュージシャンではパティ・スミス、ジョン・ケイル(「ヴェルベット・アンダーグラウンド」)、スティーブン・タイラー(「エアロ・スミス」)、ジョー・ストラマー(「クラッシュ」)、それにフォーク・シンガーのエリック・アンダーソン。もちろんケルアックはすでに1969年に死んでしまっているが、若い人の参加も少なくない。たとえば、「REM」のマイケル・スタイプ、「パール・ジャム」のエディ・ベダー、「カム」『バスケット・ボール・ダイアリー』のジム・キャロル、映画俳優のマット・ディロン。そんな多様な人たちの多様なパフォーマンスを聴いていると、ケルアックやビートの影響が現代にも深く、広く及んでいることがよくわかる。
・日本版には中川五郎、高木完の二人が訳をつけている。ポピュラー音楽の訳詞は時にとんでもなくひどいものがあるが、二人の訳はなかなかいい。けれども、木本雅弘の写真など日本版につけ加えたものは完全に蛇足だ。
<マクドーガル・ストリート・ブルース>
イメージの海をかきわけて練り歩く
イメージ、イメージ、見つめる
見つめる.........
そしてみんながが振り返って
指さす
見上げる者もいなければ
覗き込む者もいない
.............以下略................
中川五郎訳
<ウーマン>
女は美しい
けど
君はふりまわされる
ふりまわまわされる
きみはまるで
ハンカチみたく
風ん中
高木完訳
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。