1999年8月11日水曜日

F.キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』筑摩書房

 

・ 久しぶりに読み応えのある本に出会った。450頁で5800円。値段もいいが重みもある。けれども僕は、この本をもって新幹線を2往復した。それほど読みたい気にさせた本だった。

・『グラモフォン・フィルム・タイプライター』、つまりこの本はレコードと映画とタイプライターについての本である。レコードと映画はともかく、タイプライターは今までほとんど注目されることはなかったから、本を見つけたときには新鮮な感じがした。

・ワープロが日本で使われはじめたとき、手書き文字の良さと比較した批判や、鉛筆やペンで紙に書くこととはまったくちがうやり方に、文体はもちろん、思考の仕方までかわってしまうと危惧する意見が多く出た。字が下手で筆圧が強い僕には、そんな話は耳にも入らなかったし、文語体の硬い文章がなくなれば、もっともっと読みやすい文章が現れるだろうと思った。

・この本を読むと、そんな議論が一世紀も前にタイプライターの登場とともに行われていたことがわかる。書くことを独占していた男たちの多くは、この新しい道具になじむことには消極的で、キイボードに慣れた女性たちが秘書などとして職を得るきっかけになったようだ。一世紀という時間を経て、日本ではパソコンが同じような仕事内容の変化をもたらしている。パソコンとは何より「タイプ文化」なのであった。


何とも皮肉な話だが、基本的には男性ばかりであった19世紀の帳簿係、事務員、作家の助手たちが、苦しい訓練を経て修行した彼らの手書き文字にあまりに誇りを抱いていたので、レミントンの侵略を七年の間うかうかと見過ごしてしまった。


・おもしろい話は他にもたくさんある。目の悪かったニーチェが1882年にタイプライターで詩を書いたこと、89年に出版されたコナン・ドイルの『アイデンティティの事件』では、シャーロック・フォームズがタイプライターのトリックを見破っていることなど。あるいは、精神分析学をはじめた S.フロイトが明らかにした「無意識」が、フォノグラフに出会うことで発見されたという話などは、まさに、目から鱗という感じで読んでしまった。


精神分析家は、自分の耳にいわば魔法をかけて、それをあらかじめ技術的な道具にかえておかなければならない。他者の無意識がもたらす情報をふたたび抑圧したり、選別してしまったりしかねない。………そうした患者たちを見る医師はだが、理解しようとすることによってこの無意味を何らかの意味に戻してしまってはいけない。


・フォノグラフは音をそのまま記録する。決して取捨選択したり、意味づけたりはしない。フロイトは1895年にいち早く電話を診療所に置いたそうだ。他人の心を解釈なしにそのまま表出させること、フロイトはそのような方法の可能性を電話にも見つけている。「無意識の振動は電話のような装置によってしか、これを伝えることができない。」彼はその無意識のありかを心ではなく「心的装置」と呼んだ。


・ビートルズのレコードはアビー・ロードにあるEMIのスタジオで作られたが、その装置はドイツ軍から没収した磁気テープをもとに作られたテープレコーダーだった。そのほか、ヒトラーが演説のために作らせた音響システムとロックコンサートでのそれとの類似性、あるいは、ハイファイ・システムと戦闘機や潜水艦の関係などなど......。メディアの世紀が世界大戦の世紀であったこともまた、この本は確認させてくれる。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。