2000年9月11日月曜日

"Buffalo66'" "Little Voice"


・Wowowでは毎月二日、第一土、日曜日に、その月に放映する新しい映画をまとめて放送している。「最強宣言2days」。ずっと見逃してきたのだが、たまたまつけておもしろそうだったので何本も続けてみてしまった。今回紹介するのはそのうちの2本である。
・「バッファロー66'」は奇妙な映画だ。無精ひげのいかにもさえない感じの男が、ゴムまりのような女の子を誘拐する。彼は刑務所を出たばかりで、両親の元に行くのだが、結婚したと嘘の手紙を書いてしまっていた。で、それらしい女の子が必要だった。一見ストーカーふうに見える男は、実は異常にシャイで、途中立ち小便をするシーンでも、彼女に何度も、「絶対に見るな!!」と繰り返す。
・ 家に着くと両親が暖かく迎えてくれるが、会話の端々に、男が育った親子関係のありさまが垣間見えてくる。母親はチョコレート・ケーキを出すが男は食べない。「好きだったでしょ!」というが男は否定する。「チョコ・アレルギーだった」。母親はそれを知ってか知らずか、男に食べさせ続け、彼はそのたびに顔を腫らしたらしい。回想シーンになると突然スクリーンの中心から別のウィンドウが現れ、そこに少年時代のシーンが映し出される。すぐに激昂する父親。フットボール観戦になると我を忘れる母親。誘拐された娘はしだいに男に好意を寄せるようになり、両親に妊娠しているなどと適当なことを言い始める。父親は理由を付けては娘を抱き寄せる。4人が囲むテーブルを、カメラはいつでも、誰かの視線で3人を映し出す。これもおもしろいカメラ・ワークだと思った。
・男は刑務所に入る原因になった奴を殺しに行く。娘が同行するが、モーテルではもちろん一緒に寝ようとしない。風呂に入っているのを覗かれるのさえ嫌うが娘は一緒に入りたいという。そんなおどおどした男だが、ボーリングをするときだけはさまになっている。で、殺しの実行、というところなのだが、空想だけでやめて、モーテルに帰る。彼女の大きな胸に顔を埋めたところでおしまい。
・リトル・ヴォイスは自閉症気味の女の子の話。好きだった父親が死んでから、彼女は部屋に閉じこもって、父親が集めたレコードを聞いているばかり。外にも出ないし、母親の呼びかけにも応えない。ところが、父親の幻影が現れると、レコードそっくりに歌い出して、周囲を驚かせる。ジュディ・ガーランド、マリリン・モンロー、シャーリー・バッシーと誰の物まねでもやってしまう。場末のナイトクラブのオーナーと落ちぶれたプロモーターが売り出しにかかる。少女はたった一回だけの約束で歌うことにする。客席に父の幻影を見つけた彼女は、とりつかれたように次々と歌って客席を魅了する。
・味を占めた大人たちは、彼女をスターにすることを空想する。しかし、どう説得されても、脅されても彼女はその気にならない。予定したショーが台無しになり、漏電で家が焼けた後、母親は彼女をののしるが、逆に少女は父親の死の原因が母にあること、それが原因で自分が小さな世界に閉じこもってしまったことを母親に吐き捨てるようにいう。彼女が心を開いたのは、鳩が好きで無口な青年だけ。
・前者はアメリカ、後者はイギリスだが、共通点の多い映画だと思った。マザコンの男とファザコンの女。どちらもきわめて感受性の高いナイーブな若者が主人公で、それゆえに屈折した育ち方をしている。そしてその原因の多くはもちろん、親にある。夫婦、親子の関係の難しさと、それを正直に反映する形で成長する子どもたち。どちらも地味な映画だが、問いかける問題は日本にも共通する、今日的で普遍的なものだと思った。
・「バッファロー66'」は題名の通り60年代だろうが、「リトル・ボイス」の設定はたぶん現在である。しかし、少女の家にはやっと電話が取り付けられたところだ。田舎町で労働者階級の住む地域のせいかもしれない。歌われる歌とあわせて昔懐かしい感じのする世界。そこでそれぞれの主人公がそれぞれの仕方で救われる。映画にありがちなエンディングといってしまえばそれまでだが、殺伐とした少年犯罪が頻発する現在の日本では、そんな懐かしさや救いは求めようがない。求められないとわかっていても、それでも求めてみたい救いの手。見終わって浮かんだのはそんな感想だった。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。