2002年3月18日月曜日

「Isamu Noguchi」(BS朝日)

  • 最近みるのはもっぱらBS放送。それほど熱心ではなかったがオリンピックもちらちらと見た。メジャー・リーグの情報もBSの方が詳しい。映画も追いきれないほどおもしろいものが流れる。今はアカデミー特集を数局でやっているからなおさらそうだ。しかし、一番おもしろいのは各局がじっくりつくったドキュメント番組。最近見たなかでは、イサム・ノグチを扱ったものがおもしろかった。レポーターは伝記を書いたドウス昌代。
  • イサム・ノグチは世界的に有名な彫刻家である。彼は日本人を父にアメリカ人を母にもち、20世紀の激動の時代を二つの国の間で翻弄されて生きた。ドキュメントはその生い立ちから死までをていねいに追った秀作である。
  • イサム・ノグチの父は野口米次郎、アメリカに留学中に詩人として注目された文学者で、母は滞米中に知り合ったアイルランド系アメリカ人の女性レオニー・ギルモア。恋愛というよりはレオニーが野口にいだいた一方的な思いだったようだ。ドウス・昌代は、米次郎にとってレオニーは英語で書いた詩のチェックをしてもらう人として大事だったにすぎなかったのではという。米次郎は妊娠をしたレオニーを残して日本に帰り、やがてイサムが産まれる。当然だが、20世紀初めのアメリカでは、白人と日本人の混血はきわめて奇異な目で見られた。
  • レオニーは米次郎のすすめにしたがって、イサムを連れて日本に行く。しかし、やがて米次郎には別に家庭があることがわかり、イサムも育つなかで日本の環境、とりわけ学校になじめなくなる。日本においてはアメリカ以上に、混血の子どもは異端視される。大工仕事や設計に興味をもち才能を示したイサムはアメリカに戻る決心をするが、レオニーは日本に残る。
  • イサム・ノグチは大学にすすむが、医者になるか芸術家になるか迷う。そこで進路の決めてとなったのは、自分の生い立ちだった。芸術家はその血や民族で評価を左右されたりはしない。ミケランジェロの再来といわれるほどの才能を見せたイサムには、周囲の期待する目も大きかった。彼は20代の前半で彫刻の技法はすべてマスターする。奨学金をもらってのパリ留学。
  • 一方で彼の才能は大きな注目を集めるが、しかし、他方で彼の血が問題になる。日米の開戦は彼の存在基盤を自他共に不安定なものにする。日系アメリカ人は戦争中に収容所に強制的に送られるが、彼も例外ではなかった。
  • 戦後になると、イサム・ノグチは石を素材にした大きな彫刻を作るようになる。京都の日本庭園に影響されたり、イタリアの大理石にも興味をもつ。発想の新鮮さはもちろん、その文化的な融合やスケールの大きさが魅力になる。彼の血と、その育った環境が、創造力の源泉になりはじめたのだ。
  • その名声は、たとえば日本では原爆慰霊碑の製作に、そしてアメリカではJ.F.ケネディの墓石の依頼というかたちになる。けれども、そういったプランにはかならず強い反対がおこる。広島に原爆を落としたアメリカ人の血が混じる人間に、慰霊碑など作らせては行けない。アメリカ大統領の墓石をどうしてジャップに作らせるのか。彼は、結局自分のなかの二つの国のどちらにも受けいれてもらえない自分を自覚してしまう。
  • イサム・ノグチの人生は自分を引き裂く二つのアイデンティティに悩みつづけたものだったと言える。しかし、彼の彫刻は引き裂かれてばらばらになるのではなく、二つがぶつかりあい、時に融合しあいながらつくりだすスケールの大きな斬新な世界だった。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。