2006年4月3日月曜日

古本屋さんからのメール

 

・「アマゾン」で本を探して、古書で買い求めることが多くなった。品切れ本が多いのが一番の理由だが、新品に比べて安いのも大きな魅力になっている。傷みがひどいものなど一度も届いていないから、使う頻度はますますふえそうだが、驚くのは、読んだ痕跡がほとんどないような本が多いことだ。帯やカバーももちろんついているものが多い。これはぼくにはとても考えられないことである。
・ぼくは本を買うとまず、帯を捨ててしまう。これは売れるまでの広告としてあるものだと思うし、本棚に並べて出し入れしているうちにどうせ破けてしまうからだ。第一、読んでいるときには邪魔になる。以前には、硬表紙の外側に薄紙のカバーがかかっているものがあったが、これも読みはじめる前に外して捨ててしまっていた。
・で、読みはじめると、書き込みをし、マーカーやボールペンで印をつけ、さらに付箋を貼り、頁の角を折ったりもする。手を洗ってから読むといったことはしないから、読み進むと本の下部(地)に読んだところだけ手あかがつく。習慣でどうしてもそうしてしまうのだが、汚れていくのが読んだことの証のように感じられてしまうから、いまさら改める気にもならない。
・こんなことを意識したのは、ユーズドの本の様子が「多少使用感あり」とか「書き込み少々」「日焼けあり」などと説明されていたからだ。当然、その汚れの程度によって、同じ本でも値段がちがってくる。だとすると、ぼくのもっている本は、古書店に持ちこんでも安く買いたたかれてしまうものばかりになる。売る気はないが、買うばかりで研究室も家も本で溢れかえって整理に困るほどだから、ぼちぼち処分することも考えなければならないのだが、どれもこれも二束三文では、いちいち選択して古書店に持ちこもうなどとは思わない。
・アマゾンでユーズド本を買うと、売り主からメールが届く。大体古書店であることが多い。ネットではどこにある店かはわかりようもないから、メールに書いてある住所を見て驚くことが少なくない。札幌から鹿児島まで、注文するたびにまちまちで、こんどはどこから来るか、楽しみだったりもし始めている。そんなメールに「処分したい本があったら引き取ります」などと書いてあると、読んだ本の汚さがいっそう気になったりもするのである。
・もっとも、蔵書には買っただけで、読んでないものや一度もあけてない本もかなりある。そのときは必要と思ったけど、結局読まなかった本、読みはじめたけどつまらなかった本、むずかしくて放り出してしまった本。そういうものなら売ってもいいし、きれいだから、それなりの値段をつけてくれるかもしれない。思いがけず高値がついているのがあるかもしれない。そんなことも思って、すでにもっている本の値段を調べたりもするようになった。もっとも、本棚の整理をやろうという気まではおこっていない。
・古書店からのメールには、「お探しの本がありましたら、お申しつけください」などとも書いてある。それが鹿児島だったり福島だったりすると、大丈夫か、と思ったりするけれども、欲しい本が日本全国から探せるというのは、何とも便利になったものだと思う。しかし、それはまた、ネットやブック・オフのような古書のチェーン店ができたことによって、本屋さんの商売が、店頭だけでは成り立たなくなったことも意味している。
・京都に住んでいる頃は、特に探している本がなくても古書店はよくのぞいていた。京大や同志社の周辺には専門書がおいてある店がいくつもあった。大阪に出かけることが多くなった頃には梅田のガード下にある梁山泊や有名な天牛といった店にもよく出かけた。たまに東京に出かけたときには神田の本屋街に行くのが決まりだった。けれども、今は古書店はもとより、本屋自体に出かけることがない。
・ぼくのようにアマゾンなどのネットで買い物をする人が増え、一方で、大型の書店が目立つようになっている。そんな意味では、ネットでの商いは、街の小さな本屋さんが生きのびる数少ない道の一つなのかもしれない。だったら、なるべく古書で買おうか。きれいな本が安い値段で来るんだから、新品を買う必要もないし。今日届いた本は、新潟からやってきた。何となく、楽しい気がするのは、どうしてだろうか。

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