・破れたジーンズが流行っているらしい。たしかに街中でも見かけるし、テレビタレントなどもはいている。何かの授賞式などにはいて出たりするのはおもしろいと思うし、女の子のチラリズムとしても悪くはないのかもしれない。けれども、わざわざ破れたものを買うということになると、ちょっと、おかしいんじゃない?と言いたくなってしまう。第一、ぼくにはそれがなぜ格好いいのか、その感覚が今ひとつよくわからない。もちろん、破れたジーンズなどはくなと言いたいのではない。実際ぼくが家ではいているジーンズは、ごらんの通り穴の開いたものである。
・ぼくはいつでも、どこでもだいたいジーンズをはいている。毎年1本新調して、3年ほどたってよたってくると、家での作業着にしている。京都に住んでいるころは膝が破けてくると夏用の半ズボンにして使っていたのだが、河口湖に来てからは、薪割りや大工仕事をするときのユニフォームになっている。去年の秋に、破れがひどくなったものを2本つなぎあわせて、薪を運ぶための背負子(しょいこ)を作った。ホームセンターで売っているものを見てヒントにしたものだ。
・こんな具合だから、ぼくのジーンズは、買ってから捨てるまで
10年以上も生きつづけることになる。丈夫で長持ち、汚れやほころびを気にせず着ることができるし、生地としてもほかに使い道がたくさんある。厚手の綿に藍染めをした生地は、もともと帆布や幌の素材として作られ、カウボーイや綿摘み労働者の作業着に転用されたものである。だから、もともと新品も中古もなく、破れて使えなくなるまで利用されたのである。
・その意味では、破れても汚れても平気で街中にはいていくというのは、ジーンズ本来のはき方として正しいのだと言える。けれども、新品にわざわざ穴を開けたり、ほころびを作ったりするのはどうなのだろうか。一度穴があくと、はいているときはもちろん、洗うたびにその穴が大きくなる。太い綿糸でざっくり織った生地だから、ほころんたデニムには念入りな補修が必要になる。その穴かがりに刺繍などをほどこしたら、高い値段になるのも十分に納得できる。
・その破れや汚しのテクニックをテレビで見た。グラインダーで青い縦糸だけ削って、白い横糸を残す。もちろん、どの部分にどんな穴を開けるかには、専属のデザイナーがいて、作業をする人はその指示に従って正確に処理をする。さらには、刷毛でペンキを散らす。だから、仕事着として乱暴にはいてついた破れや汚れとはちがうのだという。試しにグーグルして、穴あきジーンズの作り方を調べてみた。そうしたら、たしかにいくつもあって、読んでいると、へーと驚くことばかりだった。穴あきジーンズはたしかに、ただ破れているわけではない。それは一つの刺繍であったり模様であったりする。こういうものを見ていると、それをおもしろいとかかっこいいと感じる感覚も、わからないではない気になってくる。
・しかしである。それを新品で、しかも付加価値のある高い商品として買うという発想はどうなのだろうか。個性的というのなら、せめてじぶんでやってみるぐらいの自発性がほしい。新品を破りたければチェーンソウで薪切りをしたらいいし、ペンキのシミをつけたければ、家の壁でも塗ったらいい。流行の始まりはたぶん、そんなことをあたりまえにやっているアメリカやイギリスの人たちからなのだと思う。だから、そういう行動とは無縁な男の子や女の子たちの格好は、ぼくにはとってつけたような、何とも似合わないものに見えてしまう。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。