2007年6月3日日曜日

ニール・ヤングの懐かしいライブ

 

Neil Young "Massey Hall 1971"
"Live at Fillmore East 1970"

young3.jpg・ニール・ヤングのライブ盤がつづけて発売された。1970年と71年のもので、片方はソロのアコースティック、もうひとつは「クレイジー・ホース」をバックにしている。70〜71年というと3枚目のソロ・アルバム "After the Goldrush" と4枚目の "Harvest" の間の時期に当たる。ニール・ヤングの人気が出はじめたときで、二つのアルバムはかれの初期の代表作になっている。実際、新しく出たライブ版では、おなじみの曲が次々と歌われ、演奏されている。ただしかれの代表作にはソロ活動をする以前のBaffalo Springfieldの時代や、CSN&Yのアルバムで発表したものもすくなくない。 "Massey Hall 1971" では、それらがたった一人で、ギターとピアノで演じられている。1993年にMTVで放送されて、CDでも発売された"Unplugged"よりもずっとシンプルで、懐かしいというよりは、新鮮な気持ちで何度も聴きたくなった。
・ニール・ヤングはずっと聴き続けているミュージシャンの一人だから、それぞれの時代に出されたもののなかには、いくつも印象にのこる歌がある。けれども、このライブ・アルバムを聴いていて、特に気に入っているのが初期の頃のものであることに気づいた。で、そもそもどのアルバムに最初に発表されたのか調べたい気になった。
・"On the Way Home" と "I am a Child" はバッファローの時期で、"Helpless" と "Ohio" はCSN&Yで出したアルバムが最初だ。それまでに出した3枚のソロアルバムでは2枚目からは" Cowgirl in the Sand"など3曲で、3枚目の "After the Goldrush" からは2曲。ソロ・デビュー "Neil Young" からは1曲も選ばれていない。一方で、翌年発売された "Harvest" から4曲が使われている。ちょっと気になって、かれの伝記『ニール・ヤング 傷だらけの栄光』(デヴィッド・ダウニング、Rittor Music)で、当時の様子を読みなおしてみた。
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・「バッファロー・スプリングフィールド」はスティーブン・スティルスが中心のバンドで、1965年に結成されたが、ニール・ヤングとスティルスはたえず衝突して68年に解散している。 "Massey Hall 1971" で歌われている "On th Way Home" と "I am a Child "はこのバンドの3枚目のアルバムに収められているが、アルバムが発売されたのは解散した後のことである。バンドとはいえ、すでにバラバラで、録音も別々にやったようだ。
・ソロのデビュー・アルバムが出るのは翌年の69年で、ソロ活動もするのだが、このアルバムはほとんど話題になっていない。その打開策が自らのバンド「クレイジーホース」の結成で、2枚目のアルバムをたった2週間でつくったようだ。ミュージシャンとして認められ、注目されるために、かなり焦っていた時期なのかもしれない。喧嘩状態のスティルスと一緒に "CSN&Y" をつくったのも、音楽的なことより、もっと売れるためといった気持ちが強かったようだ。
・思惑通り、 "CSN&Y" はスーパー・バンドとして注目され、脚光を浴びるようになる。このメンバーで出演した「ウッドストック」で、その人気と実力は確固としたものになったが、ヤングはバンドやそのファンたちに距離を感じ、疎外感を味わった。たとえば、『傷だらけの栄光』には、次のようなヤングのことばがある。
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 「ぼくがCSN&Yのメンバーだからという理由で、ぼくと接触しようとする人びとというのは、クレイジーホースを通して知り得た人たちと比べると、とにかく変な人種だった。………そんなこんなで、一日が終わると、ぼくはもう完全に混乱状態だったよ。」

・"Live at Fillmore East 1970" は、2種類の音楽と仲間に囲まれて、忙しく過ごした、そんな時期の記録である。それは、"CSN&Y"で鬱積した不満を爆発させる瞬間だったが、彼がそれ以降、現在まで一貫してつづけてきたスタイルを見つけだした時でもある。

・売れれば、当然お金が入る。ヤングはサンタ・クルーズに34万ドルで豪邸を購入する。コンサート活動が忙しくなって、結婚していたスーザンとの間に隙間ができ、気持ちがすれ違うことが多くなっていた。家の購入には、そんな関係を立て直す意図があったようだが、二人はすぐに離婚することになる。
・ニール・ヤングは大男だが病弱で、子どもの頃に小児麻痺を患っているし、ミュージシャンになってからもしばしば、癲癇(てんかん)の発作に襲われている。そういう病気を克服してという一面があるのだが、"After the Goldrush" が大ヒットした直後に、椎間板にひびが入るけがをして、数ヶ月の入院生活を強いられている。しかも、退院した後も、コンサート活動で無理はできない。 "Massey Hall 1971" はそんな時期に、たった一人で座りながら演奏し歌った記録である。そこはトロントで「ぼくはカナダに帰る」という台詞がある "Journey Through The Past" では、客席から大きな拍手が起こった。


 「コンサートは、ぼくひとりの本当に個人的なもので………、聴いている人と一対一で向かい合ってやっているような感じだった」

・ニール・ヤングには二つの音楽と顔がある、といわれる。最近出た二つのアルバムはその二面性をよくあらわしたものだが、それは、ちょうどこの時期に、かれの身体や家庭環境、そしてもちろん、売れることとやりたいことのずれのなかから見つけだされたものだ。そんなことを考えながら聴きくらべると、その間にある距離の意味が感じ取れるような気がしてくる。
・ちなみに、二つのライブ盤で共通して歌われているのは2曲だが、その "Down By The River" の時間は、4分8秒と12分24秒、"Cowgirl In The Sand" は3分45秒と16分9秒である。その時間差がクレイジーホースとの長い間奏にあることはいうまでもない。
・狂気と沈潜。ぼくはやっぱり、後者の方が好きだ。

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