2008年4月27日日曜日

A LOVE SONG FOR BOBBY LONG

 

bobby1.jpg・最近のアメリカ映画には珍しい、静かでしんみりとした話だった。舞台はニューオリンズで、墓地のシーンから始まる。死んだのはクラブ歌手だったようだ。参列したのは2人の同居人と、遊び仲間や近隣の人たちで、その集まりからは、暑くてけだるい感じ、生きることに疲れた様子が伝わってくる。

・死んだ歌手の娘が母の住んでいた家にやってくる。幼い頃から祖母に育てられて、母の思い出はほとんどない。けれども、母が住んでいた家に来て、そこに住もうと思うようになる。ただし、同居人の男二人がじゃまくさい。一人は老人で、元大学教授。もうひとりはかつての教え子で小説家をめざしている。師を慕う気持と、それゆえに枠を破れないでいるもどかしさ。二人の関係はまた親密でなおかつ束縛的だ。

bobby2.jpg ・ストーリーは、そんな三人の関係の変化を巡って展開する。追い出そうとする娘と抵抗する老人。間に入る売れない小説家。彼女は母が遺した衣服などを整理していて、ひとつの手紙を見つける。老人のボビー・ロングにあてたもので、娘はその老人が自分の父親であることを知る。ありふれた話といえばそれまでだが、それが大げさでなく展開するから、引きこまれてしんみりした気分になった。

・キャストは地味ではない。老人役はジョン・トラヴォルタで娘はスカーレット・ヨハンソン。この映画を見て、トラボルタはいい感じで老けたな、とあらためて思ったし、スカーレット・ヨハンソンもなかなかいい(ただし、日本のテレビCMで荒稼ぎは興ざめだ)。疲弊したけだるい町と人びとのなかに咲いた一輪の花。彼女に母がつけた名はパースレインで、このあたりに咲く野生のハーブだった。

capps1.jpg ・この映画に引きこまれた原因はもうひとつ、挿入歌にあった。ブルース、カントリーといった歌がうまくつかわれていて、それぞれがなかなかいい。トラボルタがギターをもって仲間たちの輪の中で歌うシーンもある。ぼそぼそとした歌い方で"I Really Don't Want To Know"(知りたくないの)やイギリス民謡の「バーバラ・アレン」を歌う。さっそくアマゾンで注文したが、気になったミュージシャンはGrayson CappsとTrespassers Williamだった。改めて聴くとまた、なかなかいい。で、今度はまたそのCDが欲しくなった。

・この映画にはミシシッピー川も出てきた。この映画が出来たのは2004年だから、ニューオリンズ周辺を壊滅状態にしたハリケーンのカトリーヌが襲った1年前ということになる。映画に出てきたあの家や町も粉々で水浸しになってしまったのだろうか。ボビーは映画の中で病死したし、作家志望の青年は本を出したが、パースレインや町の住人たちはどうしたんだろう。この映画には、そんなことをふと感じさせるようなリアリティがあった。

・ニューオリンズには一度だけ行ったことがある。もう30年以上も前のことだ。夏休み中だったから、とにかくじとっとした暑さだけを覚えている。「欲望という名の電車」に乗って、フレンチ・クオーターでブルースやジャズを聴いた。音楽の町、フランスや奴隷制の面影をのこした歴史の町。若さにまかせてアメリカ中を40日以上、グレイハウンドバスを乗り継いで旅をしたが、いま思い出すと、ニューオリンズが、そのクライマックスだったような気がする。

・この30年のあいだに海外旅行が大衆化した。その変容に乗り遅れまいとして、世界中の都市が歴史や景観を魅力あるものに作りかえてきた。アメリカにもそれですっかりブランド化した都市がいくつもある。しかし、ニューオリンズはその流れに乗り損い、そのうえに猛烈な台風でやっつけられた。ブランド化したアメリカの都市にはあまり興味はないが、ニューオリンズにはもう一度行ってみたい。そんな気持が強く感じられた。

2008年4月20日日曜日

税金のかけ方、使い方


・期限付きのガソリン税がなくなって、負担がずいぶん軽減された。大学が始まって、毎週50Lほど使うから、1Lで25円安くなると、1200〜1300円ほども違う。とは言え、法案が衆議院で通れば、来月にはまた、もとにもどって、高いガソリンを買わなければならなくなる。道路を際限なく造るための税金なら当然、大反対だが、一般財源にするのも賛成という気にはならない。一般財源が必要なら消費税の税率を上げればいいのであって、批判の起こりにくいところ、既成事実として定着したところからとり続けようという発想が気にくわない。

・もっとも、ガソリンに税金をつけることに反対というわけでもない。無駄な消費を押さえるため、徴収した税金を環境保全などに使うことを明確にするのならば、僕は賛成だ。実際、EU諸国では、そういった名目でガソリンには高額な税金がかけられている。どこより、それをして欲しいのは、ガソリンを湯水のごとく使ってきたアメリカだが、日本だって、ガソリンに環境税として1Lあたり50円でも100円でもかけたらいい。無駄な走行をしなくなるし、コンビニとスーパーだけなら車はいらない、と思う人も増えるだろう。

・健康保険の制度が大きく変更されて、後期高齢者などという名称をつけられた75歳以上の人たちの負担が増えた。中には少額の年金から徴収されている人もあって、ぎりぎりの生活を余儀なくされたり、病院に行くことを控えたりする人もたくさんいるようだ。お年寄りを若い世代が支える形態を自己負担の割合を増やす方向で変更する。その趣旨自体に反対はしないが、健康保険の財源を確保する手段は、もっと他にもあるはずである。

・僕はタバコを吸う。大体1日一箱だから、月に1万円ほどの出費になっている。海外旅行をすると、多くの国でタバコが高額で売られていることに気がつく。一箱1000円なんてところも珍しくない。最初にそのことに気づいてびっくりしたのは、もう20年近くも前にカナダに行ったときだった。で、たばこ税は禁煙運動の高まりとともに多くの国に採りいれられてきたが、日本では、そんな議論すら起こらない。おそらくJTが強く反対するからだろう。

・僕は健康保険の財源としてタバコに高額な税金をかけたらいいと思う。一箱1000円。それでは吸えないというならやめればいいだけの話だ。そんなに高くしたらタバコを吸う人がいなくなるかというと、決してそんなことはないという気がする。実際、一箱1000円以上もするタバコを、ロンドンでもパリでもニューヨークでも、多くの人が吸っていたからだ。一日の食費を100円,200円と切り詰めて生活しなければならない高齢者からではなく、一箱のタバコに負担してもらう。それは極めて、理にかなった方法だと思う。

・で、タバコ代が月3万円にもなったら、僕はどうするか。実は今禁煙を実行しはじめている。海外旅行をするとどうしても、吸えない場所や時間が増えて、我慢せざるを得なくなる。そのことを何度か経験して、吸わなければ吸わないでいい、ということを自覚した。それにここのところ、原因不明の咳に悩まされていて、自然にタバコに手が伸びなくなった。「絶対吸わない!」というのではなく、吸いたくなったら吸ってもいいと思ってはじめて1週間が過ぎた。日に数本吸うことが今でもあるが、それはニコチンの禁断症状と言うより、口や手が寂しいといった欲求からくるようだ。

・他にも、必要な財源を確保する税金はある。高額な商品に10%でも20%でもあるいはもっと多くの消費税をかけることだ。おそらくそれに強く反対するのは消費者ではなく、生産者や小売業者だ。高くて買えないというなら買わなければいい。第一、日本で一番売れるブランド品などは、税金を何倍にもして、もっと高額にした方がかえって喜ばれるのかもしれない。自動車だって、高級車にはもっと税金をかけてもいいが、これもメーカーの反対が強いのだろう。

・もっとも、税収入を増やす前に、いい加減な使い方をしていないかどうか、もっともっと厳しいチェックが必要だ。既得権をいいことにいい加減な使い方をしているところは、おそらく社保庁や国交省にかぎらないはずで、呆れるような実体がポロポロとリークされて明らかになっている。

2008年4月13日日曜日

朝日新聞「キャンパスブログ」


・朝日新聞に「キャンパスブログ」という名のコラムがある。現在これに連載中で、今日(4月14日)が最終回と思ったら、新聞の休刊日。で、最後は来週の月曜日(21日)掲載というにことになった。

・もっとも原稿は正月休みに考えて、1月下旬に5回分まとめて出したから、掲載までに2ヶ月から3ヶ月もの時間があった。最初は2月中旬とか、下旬といった話だったから、原稿もそれにあわせて準備したのだが、新聞の連載コラムは、何か事件などあるとはずされやすい部分だから、掲載の時期は直前にならないとわからないとは言われていた。

・だから、時節を話題には出来なかった。入試、卒業式、入学式、そして雪だの桜だのといったことだ。また、コラムの趣旨は、大学全体を紹介というわけではないから、パーソナルな内容でかまわないと言われた。で、5回の話題はおおよそ、次のような内容にした。


1.大学とほんやら洞(この話はそもそも「ほんやら洞」経由できた)
2.学部のゼミと学生(最近の学生気質や傾向)
3.学部の講義と学生(講義で話していること)
4.大学院とゼミの院生(多様な院生の紹介)
5.じぶん自身のこと(最近考えていること、やっていること)

・このコラムには毎回イラストが載る。その書き手にあてがあれば、それもこちらで決めていいということだったので、院生の佐藤生実(うみ)さんに書いてもらうことにした。彼女はイラストレーターではないが、ブログには自作の絵が掲載されているし、デパートのファッション部門で働いていて、仕事でも描いているようだ。しかし、公の場への発表ははじめてだから、ずいぶん苦労したようだ。何しろコラムのイラストは、文章に付属して、その意味をわかりやすくしたり、適切に強調しなければならない。そのあたりのことは彼女のブログにも書かれている。その苦労して描いたイラストに対する僕の印象はというと、ちょっと遠慮したのか気取ったのか、いつもの気味の悪さ(?)がなくて明るいといったものだ。


・反応は数件、直接僕のところに来ているが、学部の学生は無反応、というより読んでいない。改めて、学生が新聞を読まないことを実感した。もちろん院生は読んでいる。特にコラムでとりあげた瀬沼君はブログで感想を書いているし、かつて在籍した高校の先生の三浦さんもブログで取りあげている。このコラムは朝日の多摩版に掲載されるものだが、東京全域にも載っている。また朝日新聞のサイトにも掲載されているから、地域限定ではなく、どこからでも読むことが出来る。
と書いてアップしたら、宮入君のブログでも話題にされていた。

・『高学歴ワーキングプア』なんて本が話題になったせいか、あるいは、有名大学が大学院の定員を拡大し続けているせいか、今年度の大学院の受験生は激減した。僕のところも久しぶりに新入生が0だった。ちょっと寂しい気もするが、負担の軽減はありがたい。しかし大学としては、受験生を増やす対策も考えなければならない。このコラムを読んで受けてみようかという人が出てくるかもしれない。歓迎したい気もするし、やめておきなさいと言いたい気もする。アンビバレンツというかダブルバインドというか、何とも悩ましい気持である。

P.S.
・カンサスシティの野茂投手が1000日ぶりにメジャーで投げた。先発ではなくリリーフで負け試合だったし、3回投げてホームランを2発浴びた。ネットでチェックしていて、久しぶりにはらはらドキドキしたが、投げたあとのインタビューでは、いつもながらの無愛想な返事の中に、満足感や自信も感じられた。キャンプへの参加を認めてくれたのは1球団だけ、ベネズエラでの投球再開から茨の道で、先の見えない挑戦だったと思うが、ついにゴール、そして新たなスタート地点に立った。この人の意志の強さとがんばりには、今までくりかえし感心させられてきたが、今度もまた感服。メジャーリーグを追いかける楽しみが、また帰ってきた。

2008年4月7日月曜日

田村紀雄『海外の日本語メディア』

 

tamura.jpg・田村さんは数年前に大学を定年退職されている。しかし、その元気さは相変わらずで、連絡があるたびに、何処どこへ出かけてきたといった話をされる。最近ではもちろん、取材や研究ではなく漫遊旅行が多いようだが、そのフットワークの軽さには驚かされる。出不精の僕にはとても真似の出来ないことだが、新しく書かれた本を読んで、そのことを一層痛感した。

・『海外の日本語メディア』は海外に移民した日本人とその記録を追いかけた、彼の研究の集大成といえる内容になっている。登場するのはカナダからアルゼンチンまでの南北アメリカ大陸と東南アジアで、彼はそのすべての国に出かけ、日系人にあってインタビューをし、残存する日本語新聞を探している。もちろん、その一つひとつについて、すでに本としてまとめられたものがほとんどだが、一冊にすると、あらためて、その精力的な仕事ぶりに感心してしまった。

・日本人の海外移民には、さまざまな理由がある。貧しさからの脱出や一攫千金の夢を抱いてというのが一般的に知られているが、留学や思想的な理由といったものも少なくなかった。特に日系移民を読者にした日本語新聞の発行に携わった人の中には、後者の人たちが多かったようだ。中には、海外から日本の政治や社会の状況を批判するための海外脱出といった例もある。このような多種多様さが、国や都市によって特色づけられる。
・例えば、それは倒幕と明治維新の時代から始まる。榎本武揚がメキシコに作ったコロニアル、自由民権運動への明治政府の抑圧を逃れた志士がサンフランシスコ周辺で発行した新聞、あるいは大正時代の売れっ子作家だった田村俊子と鈴木悦のバンクーバーへの逃避行と、現地での労働運動を目的にした『日刊民衆』の発行といった話もある。第二次大戦中にはアメリカはもちろん、カナダや南米の日系人も敵国人ということで住む土地から立ち退きを命じられ、財産を没収されて強制収容された。田村さんは、その収容所を訪ねて、カナダのバンクーバーから小さなプロペラ機に乗り、レンタカーを運転して、カズローという地図でも見つけにくい小さな街に出かけている。

・海外で発行される日本語新聞は、もちろん、移民した先のことばになれない日本人のために作られた。ところが二世、三世と世代交替が進むと、日本語をほとんど使わない日系人が多くなる。移民と日本語メディアとの関係は、そういう推移の中で役目を終えるのが一般的のようだ。だから、すでに廃刊されてしまった新聞を見つけだすのは大変な苦労をともなうことになる。
・また、ブラジルのように、日系人の二世や三世が日本に出稼ぎに来るようになって、日系人のコロニアル(コミュニティ)自体が脆弱化してしまったといった例もある。日本から海外へ移民といったことがなくなった現在では、海外の日本語メディアは、当然、その性格を大きく変えて存在すると言うことになる。海外駐在員、転勤族、留学生、そして観光客を受け手にした新聞や雑誌といったものになるし、インターネットが普及した現在では、HPやブログの役割も大きなものになっている。

・ざっと読み通して、時間的にも空間的にも大きなテーマをうまくひとつの世界にしていると感じた。しかし、ここで書かれているテーマにはまだまだ多様な側面があるし、未発掘の資料も少なくない。だから、田村さんはこれが端緒としての一冊にすぎないという。たしかにそうかもしれないと思う。けれども、今後、彼ほどにエネルギッシュでしかも持続的に「海外の日本語メディア」を追いかける研究者が果たして出るだろうか、とも思う。