2010年2月15日月曜日

悪者を探せ

・ここのところのニュースは、政治も経済もスポーツも芸能も悪者をよってたかってつるし上げることを繰りかえしている。もううんざりでいい加減にしろよといいたくなるが、その矛先は「悪者」にではなく、批判する側や、メディアに向かうことのほうが多い。

・鳩山首相が母親から多額のお金を贈与されていて税金を払っていなかったという。額も驚きだが、それを知らなかったというのも普通の感覚をはるかに超えていると思った。しかし、親からもらったお金は政治のために使ったわけで、私財を政治活動に注ぎ込んでいるのだから、職務を利用して賄賂を取って私腹を肥やすケースとはまるで違うんじゃないか、とも思う。それに、たくさんいる2世や3世の議員たちだって、地盤や、看板はもちろん、鞄(資金)だって受け継いでいるのだろうに、それがどう処理されているのか調べるメディアがないのはどうしてなのだろうか。

・小沢一郎のケースだって、何が問題なのか、今ひとつわかりにくい。ダム工事の受注に絡んで賄賂を取ったのかどうかという疑惑が、陸山会の土地購入にからむ資金の問題とどう関連しているのか、さっぱりわからない。僕は小沢一郎という政治家は好きではない。哲学がないし演説もへたくそで、力に頼るところばかりが目立つ政治家だと思うからだ。けれども、だからといって、これを機会に引きずり下ろしてしまおうとする動きには首をかしげてしまう。

・説明責任を強く言う政治家は多い。しかし、今まで何かがあったときに、説明責任を果たした政治家が、これまで何人いただろうかと思う。自分にできもしないことを他人に要求するのは、空虚なパフォーマンス以外の何ものでもない。一連の問題で民主党の支持率は急降下しているが、だからといって自民党の支持率が上がっているわけではない。他党の批判よりは自らを省みてどう立て直していくかの方がはるかに大事で、それができなければ、支持者が戻るはずはないのに、自民党からは、そこがまったく見えてこない。

・自己反省をしない点では、メディアも同様だ。新聞の購読者が減り、テレビの視聴率が下がっていることをどう受け止め、その対応をどうしようと考えているのだろうか。「悪者」らしきものを次々血祭りに上げるような紙面や番組ばかりを作って、それがまるで正義であり、世論を代弁しているかのように振る舞うのは、自滅行為以外の何ものでもないはずなのである。

・「足利事件」で17年も投獄された管家さんに検察が無罪を求刑し、はじめて謝罪をしそうだ。しかし、頭は下げたけれども、どうして間違ったのかについての説明は1分足らずの短いものだったようだ。「説明責任を果たして欲しい」ということばは、管家さんの口からこそ出るべきものだろう。そして、彼が逮捕されたときに、新聞やテレビはそれをどう報道したのか、メディアはそのことを振り返って検証すべきなのに、それをやったところは今のところほとんどない。冤罪を生むのは検察の愚行だが、それを増幅させ、定着させるのはメディアの仕業なのである。

・トヨタがアクセルやブレーキの欠陥問題で窮地に立たされている。しかし、この問題にも何か割り切れないものを感じてしまう。複雑な電子制御装置のためにプリウスのブレーキのききが一瞬遅れるのだそうだ。トヨタは最初、感覚の問題だといって欠陥を認めなかったが、メディアの攻撃にあって、リコールを発表した。しかし、それは本当に欠陥なのだろうかと思う。車の特徴はメーカーや車種によって千差万別だ。自分が買って乗る車の特徴や癖について熟知し、それに対応できる運転を心がけるのは、車に乗る者にとってわきまえなければいけない最低限の心構えだろう。

・トヨタも最初はそう考えていたようだ。しかし、世論は納得しなかった。それは最近の車が、運転者に特別な知識や技能やメインテナンスを要求しないことを前提に作られ、売られているからだ。車の癖がわかれば個々に対応できる程度のものだという言い訳は、ドライバーにとっては上から目線で下手くそ呼ばわりされたように感じられてしまったのかもしれない。その意味では、世界で一番車を売っている会社が言うべき台詞ではなかったとも思う。

・こう書いてくると、同じような話が次々思い出されて終わらなくなってしまう。朝青龍に押尾学、酒井法子、そしてつい最近では国母和宏‥‥‥。どれにしたってたいしたことではないのに大騒ぎして悪者扱いにしてしまう。それが強い者、人気のある者であればなおさら、メディアは血眼になる。品格を疑いたいのは、不祥事を起こした者や疑惑を持たれた者以上に、それを糾弾する側にこそなのである。

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